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屈人織辺の日記 11.美の横道 [美と道]

美については混同しやすい項目が

多く、それは一般に整理されて

いないようです。美術論とか、片っ端

から読んだわけではありませんので、

確定したことは言えませんが、なん

でも鑑定団を観ていると、そんな気が

するのです。

なんでも鑑定団は過去の著名な作家

の作品の真贋を観て、評価額を決め

ることでありまして、審美観によって

作品の良し悪しを決めることでは

ありません。

だから、その作家の特徴などをよく

勉強して知識を吸収しなければなら

ないのです。素人はなぜか、審美観

(眼)を磨くことで作品の真贋を見分け

ることができる、と考えています。

真贋=本物(いいもの)ではない

のです。

個人的にいいものは、自分が気に

入ったものです。これは間違いあり

ません。

自分が気に入ってもそれは個人の

好き嫌いですので、著名な作家の

ものとは限りません。数多くのその

作家の作を鑑賞して来たから、(勉強

したので間違えないだろう)と

いうのは勘違いでしょう。

肝心なのはその作家の銘や賛、箱書き

生い立ちや師や生涯などを知り尽くす

ことで、その上で世に出回るその偽物

たちも参考にすることで作家の特徴

なりが腑に落ちるでしょう。

また、いい画ならいい画です。

それはあなたが楽しめる画だから。

審美眼とは言っても、絵の究極の良し

悪し、本物偽物の明瞭な区別がわかる

ものではないのです。

それがわかる人はいると思います、が、

その人のそれを判断できる人はいない

と思います。

僕はいい絵だと見ると、それが真か

どうかは気にしません。と言っても

TV画面では「見る」ということが

できないので、多少いい加減な判断

になるのを承知して見ますが、・・。



ではそのあなたにとっていい画という

のは美に照らして、どういう関係が

あるのか、を考えてみました。

美についての全体で確定的な意見と

いうものに達したとは、思えないので、

絵画の美と、ものの美とのそれぞれの

おおまかな部分でのわかったと思う処

に鑑みて述べますと、いい画・書・器

には切り離せない関係の判断材料がある

と思われます。

それは好悪の感情と自分の感性での

センスのいい・悪いと感じる感覚です。

それらは分かちがたく結びついていて、

むしろ一定ではなく、人によっても

異なるし、それ自体もその人の中で

揺れ動いている。そういったものが

その人の中で美を決めているようです。

こちらからその定義を見ようとする

のではなく、美は向こうから来ます。

例えば、クリスマスの何万個という

LEDの電飾・イルミネーションはきれい

なものですが、一般的に美しいとか、

きれいとは言えても、美について述べ

る時には、絵葉書の写真のきれいさは

わかるとしても、美には少しもの足り

ないと感じる人はいると思います。

その部分がその人の好き嫌いで、自分

の美についてのこだわりだと。

芸術は爆発だ!と言った岡本太郎は

自分の中の嫌悪するものを絵に表現

しました。それで、僕もそうですが、

彼の審美眼の確かさとは別に、彼の

選んだ絵のテーマについては好きでは

ない人も多いようです。

それで彼の美術論の先生としては評価

しますが、肝心の芸術については僕

はあまり感心する方ではないのです。


ただ好き嫌いだけで絵を評価はできない

ように、純粋な美の評価があるという

のも、どうも怪しい話に聴こえます。

どうも美というのはどういうように

現れるかという点で、すでに自由で

意外性を感じさせます。


そういう美への人気が世に偽物が

出回るのを止められない理由であり、

そもそも人間の感覚への規制をかける

ことができそうもないことなので、

それはまた新しい芸術や美の出現と

いう楽しさと不思議さの根源でも

ありそうな気がします。
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