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座間市と僕 戦争とヒント [戦争]

座間市では午後4時半と5時に鐘が

鳴る。工場で働くと休憩時や終業時

に聞く鐘の音に似たような音だ。

それで時間がわかるので、今聞いた

のは4時半なので、もうそんな時間

か、となる。

座間市にはたしか、27年居る。もう

そんなになるか、ではあるが、妙に

実感はない。

そして、座間市特有の思い出という、

なにかもない。特徴があるのだろうか、

ここは、と思うぐらい改めて考えるが、

なにも思い浮かばない。

小田急線の座間駅は遠く、ここは台地

なので起伏がある。その起伏に橋渡し

をした最寄りの駅「さがみ野」のほう

が身近に感じる。自転車で行けるので

日常生活の動線はさがみ野駅と自宅

が動線でつながっている。

座間市役所は選挙の時に事前投票を

することが多いので、それで市役所

にお邪魔する、といった感じだ。

特にないなぁ。



平成が令和になった時に不吉な感じ、

不穏な時代の飛来を予感した、ような

気がした。コロナパンデミックが来て

それみろ、と。 大地震が頻発して、

やっぱり、ロシアが戦線をウクライナ

に仕掛けて、思った通りだ、そして、

ハマスが汚い戦法で自分らの危機的

状況を解放しようとして、最悪の手段

で戦線を開いた。ますます拡大する

方向を示し始めた、この時。

その現実面と比例して僕の内面では

古代の神をつくった古代人たちに

その信仰の中になにか生命と知性に

関わる何かがあると直感する一連の

出来事があった。

これは人知れずのショックで一気に

現実と相俟って神経が揺さぶられ、

体調がダウンしてしまった。

それが10月16日以降、これまでの

意味不明なグダグダの疲労感への

診断だが、半分以上は実際そうな

のだろう。

29日の満月に直接の引き金があった

らしく、1日10時間以上間歇だが、

翌日から延々眠る日々が続いた。

それも4日目の昨日から回復し始めた。

今日も昨夜、3時間寝てから目が冴え

て、3時間起きていて、また寝たので、

今日の午後2時過ぎまで体が動か

なかった。疲れが、・・・。


これまでも戦争について詳しく書い

ておきたいとは思っていたが、最終

にその解決案は今の時点では望めな

いことがわかった。

わかっていたと、「皆と似たような

解決案になって、」と考えたので、

そこをもう少しどうにかしたかった

のだが、きっかけが得られなかった。

しかし、戦争の様相は書いておいて

もいいのではないか、とウクライナ

とパレスチナの惨状を見ていて、

思うようになった。

戦争の様相は何か。その何かの雛形

をヒントとしてさわりとして今は

書いておくだけでもいい、と考えた。



ムウ大陸という、空想の大陸では

ないが、ムゥーウー・・と唸って

しまう。ちょっと考えただけで

テーマが複合している。ヒントと

言ったが、それをヒントにまで

凝縮、簡易整理するのは力技で

力を入れ過ぎればなにかを主張

する極論・暴論になってしまう。

その傾向が強まってしまう。

歴史を見捨てて、概論の概念から

で済ませる方法もあるが、それは

解決から一番遠い方法である。

だから、考え方のヒントとしては

どうして戦争が起きてきたのか、

その経緯を人間の心理と経済・権力・

(市民には重要だが、支配者には

見せかけの)信仰・宗教という

ものから考察するのがひとつ。

それはイスラムとか旧約・新約とか

ではなく、神の支配方法に深く関連

している。そこは西洋を中心に、

東洋はすこし、それよりも形を変え

ていることを注目。

人々はなぜ神を信じるのか、信じた

がるのか、無神論は神を想定しなけ

れば、存立し得ない立場であること

にも注目。

旧約聖書やコーランを一字一句読ん

で研究する暇はない。もっとランダム

に読んで短時間で理解してしまう

ことは必須。そして、それは自分で

考える為の第一段階という基本だと

の自覚も必要。

それでも選択される資料や情報は

5000にも上るのだろう。(1日5冊

目を通しても、単純かつ簡易な計算

でも3年以上かかる)

僕は1990年頃から始めたから、

その思想が思惑くらいになるまで

に20数年を要した。のんびりやっ

たものだ。肝心なのは今、この時

に向き合うのか否か、ということ

で今向き合う気持ちがなければ、

すぐ3年5年は経ってしまう。何度

も振り返って思う教訓だ。ゆっくり

がまず大事だが、確実に続けること

が車の両輪のように肝要だ。




戦争論は二つある。戦争を起こす側

である権力側の戦争論と、戦争反対

の市民論である。これは国家と個人の

違いであると同時に、大まかに見る

ならば知性(の悪用)と感情(まかせ)

の対比でもある。ここに注目して考察

をふたつ関連付けて、よく考えること

が必要。

戦争を起こす側にとっては国民の

耳の一方を塞ぎ、都合の良い一方

(政府のプロパガンダ)に傾ける

ことは必須で、中国やロシア、北朝鮮

の情報統制はそれをよく示している。

また現在の日本も戦後の影響や反日

の影響で世界での常識な情報が隠さ

れることが多く、大新聞もマスコミ

も一部でしかそういう報道はしない

のが現状、その歪んだ状態は調べる

気になればわかる。ただ、陰謀論

などに肩入れする人はどうしても

その心情で偏ってしまうので、

あまり肩入れしない覚悟が必要。

それらを公平にこなしているうち

にわかることだが、戦争論のどちら

もその立場を表明しているので

どちらも正しい。そして、どちら

も心理的には相手に成否を委ねて

いる。支配は市民の暴動を恐れて

監視を強めるのは必須。市民は

生活の基盤は政府の指導にあると

考えるから、自分らがすることで

はないと、(自覚なく)見て見ぬ

ふりする。よほど追い込まれない

限りは、自由を求めない。

庶民的な自由の程度、それは幸福

の在りかなのだが、そこに落ち

着こうとして保守する、それを

維持しようとする。

それらが本来正鵠を得た知識で、

またそれらを本質から掴めば、

保守だろうと、改革だろうとその

全体図から幾通りにも解決案が

出て来る。そして、その現実は

そこからはほんとうの未知の問題

が浮かび上がることだ。以上。



なので、それら時間のかかる事項

はさておいて、今、念頭に置いて

おきたい戦争について初めに認識

したいことを話す。 認識すべき

は世界の富や領土への欲を恥ずべき

と思わない人たち=「戦争の遂行者

は戦争を必要とする者」たちだ、と

いうことだ。彼らにはそのために

常に敵なるもの・国が必要なので、

いなければ自ら作るだろう、敵国

を仕立て上げるだろう、という

ことである。

これが唯一の戦争が終わらない

理由だ。または大きな理由だ。

ジョージ・ブッシュ・ジュニア

大統領は9.11が起きた時、これは

「戦争だ」と演説で言った。断っ

たのだ、これから軍拡産業が儲かる

戦争を始める、ということを。

犯罪として処理するなら、戦争に

拡大する必要はなかっただろう。

実際にテロ組織が拡大していたに

しても、テロへの恐怖を拡大させ

る必要があったのだろう。

戦争の恐怖が身近である限り、

銃も砲弾も防御装置も、陸・海・

空で戦争関連のものが多いに売れ

る。だから、大量消費の代表である

戦争の必要程度の拡大と収縮は、

政策と戦略上の裏の必要事項なのだ。


それをどうするかのヒントもいる

だろう。例えば、ニュージーランド

は政府に民意が反映する機構を

採用しているようだ。この形態も

参考になるだろう。

社会主義国のキューバでは今でも

国民への支給は月3000円くらいで、

パンは1個20円、大学まで学費は

0円、性転換手術も理由がしっかり

あれば、これも0円、今でもそう

なのだろうか。

文豪ヘミングウェイ・ノーベル賞

作家は晩年の20年をキューバで過ご

した。キューバで往年のキャデラッ

クが走るのは車を輸入できないので、

修理しながら走らせているのだろう、

そんなキューバで彼はなぜ自殺した

のだろう?2度の飛行機事故で心身

の不調障害が原因?

脱線すると、連想は興味が尽きない。



探す気になれば、ヒントはいくらでも

ころがっている。戦争反対を訴える

声は当たり前に必要だが、戦争「賛成」

の人々の欺瞞・理屈を理解しないと、

僕らは一歩も進むことができない。

戦争の記憶を止めて伝える、という

子供の教育活動や戦争被害者が過去

に向かっただけの演説では拉致が開か

ないのだ。

僕らは戦争はなくならないと決めて

いる。誰に聞いたのだ?その名前は?

そういうように思いこんだというの

は、事実なのか、それともなくなら

ないという歴史上の事実が続いてい

るだけなのか?それを誰が決められ

るのか?君か?



座間市という街はある。事実として

動かない。だが、少し離れただけで

座間市も日本も一緒くたに儚く見え、

それが(または戦争が)あるという

実感が湧かない。


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