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信号のない通り(海外)と信号故障の時(日本) [文化]

信号故障という事故が過去に1回、

座間市の246号線の交差点であった。

そんなことを自宅で耳にしたが、

特に興味もなく野次馬みたいに見に

出かけることもなかった。

ところが、信号の向こうに用ができ

て、そこへ行かざるを得なくなった。

どんな状態だろう、車が停止して

大混雑だろうから、歩行者は渡れる

のかしらん、と出てみた。

ものの10秒も歩けば、交差点の見える

通りに出るのですぐわかる。

なるほど渋滞もいいとこだ、交差点は

車だらけだった。

またところが、近づいてゆくにつれ、

状況が見えてきた。それぞれ四方向から

入って来る車同士で身動きができない

だろう、と推察したのだが、車が少し

ずつ動いているのである。わかれば、

驚くべき光景だった。直進車もいれば、

右左折する車もいる。左折は楽だが、

右折車は縦横の直進する車を二重に

避けて進む。そんな車もいる中で

車同士が互いに接触しないように、

少しずつ譲り合って、それぞれ動いて

進んでいて、皆交差点を乗り切って

いるのである。

まだ警察も来ていないので、信号が

真っ暗な中、その場その場のやり繰り

だけで、なんと皆、交差点に入り、

時間はかかるが、ちゃんと出て行って

いるようなのだ。見渡しても、どの車

も立ち止まって、事故の交渉をしている

のは見かけない。全車無事だということ。



驚き、そして感心してしまった。これが

日本人か、と誇らしくも思った。

外人が見たら、たまげるだろう。そして、

西洋社会では決して起こらないのでは

ないか。欧米ならそれぞれクラクション

を鳴らして、どけどけオレが通るんだ、

と言わんばかりにお互いに動けず、事故

も起こりパニックにもなっていたかも

しれない、と予測がつく。そういう気質

なのだ、向こうは。 仕方ない。


さて、そして歩行者である。車はいいが、

歩行者はどうしているかと言うと、心配

ないのだ。そのゆるく動く車の間をすり

抜けるように、大して用心もなく皆、

歩いて渡っている。

つまり、時間はかかるし、不安もあるが

交差点はそれぞれの通行に機能している

のだ。僕は心で笑いながら、交差点の

ひしめき合った車の間を余裕で歩いて

渡って来た。

10分くらいして戻ってみると、警察が

来ていて、中央に手差しの指示をする

警察官一人に、その他四つ角に警官が

配備されて、細かく指導していて、

信号が復帰するまでその手旗の信号で

やっていたようだ。もう見物(みもの)

ではなくなったので、少しがっかりして

帰った。


実はこれと似たことを常にしている国の

或る通りを経験してきたのを忘れていた。

思い出してみると、あれは東南アジアで

のことでベトナムだったか、タイだったか

忘れたが、観光客が多い通りのことだった。

向こうの通りに渡りたいのだが、8mく

らいの幅のその通りは、自転車、自動車、

リキシャ―もいたか、ラッシュ時のよう

に百台くらいがいつも走っている。

そこに向こうに渡るための信号や横断歩道

がないのである。右も左も見る限りで、

信号はひとつもない。

どうしたものかと見ていた。

僕はこうした現象を目撃すると、落ち着く。

シャーロック·ホームズばりの推理を

働かせるチャンスだからだ。すると、

渡る女性がいて、現地の人だろう。自転車

も車も停まってくれてなんとか通っている

ように見える。

そこへ向こう側のインド人風の顔の濃い

おじさんが家族を渡すのだろう、なにか

わめいているのか、手を振って走る車に

向かって行った。家族は子供もいて4人

くらいだったろうか、大騒ぎだった。

そこまで見て、見当はついた。なんと、

信号は要らないのだ。

ただいつものように少し、車や自転車

の空いた処を見計らって歩き出せば、

それらの車は止まってくれるのだ。

それが習慣になっているのだろう、

それで不便はないから、信号がない

のだ。

ー:と思っても、実際は大量の車・

自転車が押し寄せて流れているので、

地元民でないととても渡れる状況だとは

見えないだろう。

こうして確信した僕は2mくらいの

隙間を見ると、そこへ足を出して

歩き始めた。さすがにちょっと度胸が

要る。思った通りに、自転車も車も

危なくなく慣れた調子で停止するので

今度はその急停止が危なくない技術に

感心してしまった。1台が止まるのを

見るが早いか、その横も後ろもそれに

合わせて止まるのがスムーズなこと。

これが文化なのだろうか、とも思わせる

足並みだった。 見事。

初めの自転車が止まってくれると、あと

は気持ちも余裕だった。推理が当たった

ので、頭で笑いながら、その信号のない

通りを渡った。 爽快。


郷に入れば郷に従え、とはよくぞ言った

ものだ。東洋のこういう習性はどういう

感覚や感情から生まれたものだろうか、

と考えたりした。ま、いいとこばかり

ではないが、・・・。


ベトナム?夜1.jpg

これは別の国の映像だろう、夜だし、

同じ旅行の日程で。KFC(ケンタッキー

フライドチキン)の店が見える、確か、

(2012.12.08)この2階のレストラン

で食事をした。
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日本精神・文化のなにかとは [文化]

前の記事(アメブロ掲載)、と言っても冗談だったが、

書いてから2日なのだが、もう1週間も経った気が

している。

なぜか、今夜は落ち着いた気分でやることはやった、

一応全部済んだ、という気分だ。理由ははっきりしない。

あれもそうかも、これもそうかもという理由らしきものは

浮かぶが、浮かばしてみるだけで、なんの重きも置いて

いない。他人の仕事をすることで自由を奪われるので、 

自由になり過ぎている現状にそれなりの不自由なバランス

が取れたと言えるのか。 

低く太鼓のような、鼓動のような響きが地を這って、叩いて

来る。東京の雑踏から離れるように、そのビルや石畳の

光景を薄いブラックサングラスを通して眺めるように

もう別の世界を紡ぎ出している。 

東京には瀟洒なビル街か下町風の込み入った路地との

それぞれの組み合わせになった乾いた室内音楽のような

街並みしか見えないのだが、 ・・・。 

働くブルーカラーの人たちは皆同じで、手信号で交通整理を

しているのと変わりない。ルーズなマニュアルを見ている気

になる。面白いのはコロナはどこにも見つけられないことだ。

アルコール消毒はどこにも置いてあるが、コロナに注意とは

どこにも注意書きがない。コロナが人の心に浸透してしまって

注意を喚起するにも及ばないからだろうか。

コロナ後、という言葉で世の中が変わるという方面に動向を

見据えるつもりのようだ。コロナが終われば元に戻せばいい

じゃん、という意見が聞こえてこないのが、僕には不可思議。 

リモートを前倒しするのがいいチャンスだというのだろうか。 

なるべく早く先を読んでそれに対応する、というのが常識に

なったのだろうか。それもこれもどうしてそんなに急ぐ必要

があるのだろうか。そう思うのだが、自分で急ぐ理由を作り、

それを宣言して、それを先取りしてゆく。少し人間バカに

なったから、そんなことしているのか、と思ったりするが、 

実はここ近年ではそれが加速しているようだ。ネットで情報の

流通速度が速くなったのに合わせるように、追随する。

追随にも追随する。それは新しいことを見つけることでは

なくて、流行を連鎖してつなげてゆくことでなにか儚いことを

分裂、延長させているだけではないか、という気さえしてしまう。

目新しいだけ。目先を変えるだけ。違うのだろうか。 

それにつられて人々の小さな権益が生まれ、以前は固いこと

言うな、で済んでいたものまで守るべき体制、組織ができて

しまい、そこに小市民的なエゴが社会的な一定の価値に列せ

られる、という不可解な常識も生まれそうだ。いや、ブルーカラー

の仕事からはそれがよく見えるはずだ。 

コロナは悪循環に入っているように見えた。東京ではさすがに

マスクをしていない人はいない。が、手洗い、うがい、マスク

という感染対策以外はなにも指示がないと思っている。指示が

ないから考えないというのも問題なのだが、それよりも今は

時期的に他にどうしろと、というふてくされ諦め期に入ったようだ。

電車では間を置かずに坐っているし、これは始めからだったの

だろう、昼間でも混んでいる電車は混んでいる。3密とかどの国

の話だというくらい。この惰性には第4波が来なければ政府も

僕らも本気にならないだろう。ワクチンの有効性もある国の

医療関係者で部分で確認されたくらいで、本当の処はまだ先

にならないとわからない。 

ともかくコロナには人災の噂が絶えないし、専門家の意見も

一部の陰謀論者も同じようにおかしい。コロナがわかっていない、

ということが究極の真相らしく、それぞれの立場が一方的な混乱

を招いている。それがわかって全体的に発言していないし、まだ

そうできる時期でもないのだ。 

僕にはもう聴こえない音楽や見つけられない絵画・映像という

ものの、なにか現代を捉えられない感覚の抜けができている

のだろうか? 

自分の心の滓(オリ)のように過去を見つけるが、それらの執着を

発見するが、それが僕自身である芯を侵食しているとは思えない。 

新しくヒットするポップスにも面白いと思うが、聴いているうちに、

それも過去のパターンの中に分類されてしまう。音楽は広い海では

なくなったようだ。いい音はいつの時代でもある。僕の期待するのは

数百年に一度という音なのかもしれない。だとしたら、それは無理

だし、それでいい、ということになる。ただ自然に探してしまう衝動は

変わらない。そういうのはビートルズで経験した。 

聴いても”いい”と思わないのだ!一度目を聴いて、一曲が残る

くらい。あとは雑音。いいと思わないのは過去に例がない音を

組み合わせているから耳慣れしていない。そこで3度聴いて少し

わかる気がする。特にサージェントペーパー以降のアルバムは

売れたが、一般受けはしていなかった。すぐに反応が出なかった

のだ。皆、何度も聴いてわかろうとしたのだろう。彼らの音の勘は

素晴らしかった。雑音ではなかった。皆、後からついて行った。 

あとは人間の年齢という自然な風が吹いて、それぞれ個性を

意識し始め、4人が集まりにくくなり、彼らは解散に追い込まれて

しまった。それでよかった。そうでなければ、ポールとレノンの曲

がどちらがどう影響を受けたり、与えたかがわからないままに

終わっただろう。解散したので、その後の二人の別々のアルバム

からそれを判断するのは楽だった。 

僕らはくり返すことを望んでいる。それは半分で将来の自由を失う

ことであるけれど、もう半分で今の自由の変形で楽しむことが

できる。そのどちらかの立場に入ってしまった時にだけ、保守とか

リベラルとかが存在し始める。それが何に対しての保守なのかに

よって、行動も変わるだろう。どちらでもないサラリーマン的な人生

が自分に合っていると思えば、保守もリベラルも気にならない。

ただ日常の生活を乱したくないと思うだけだ。

日本の精神文化が世界に広がれば世界がよくなるだろう、という

のは机上の問題提起であるだけで、絵に描いた餅だ。精神文化

は洋服や信念のように取り換えればいいというわけにはいかない。 

その国の過去という歴史の全部をその国民が自覚することから

始めなければ、ほんとうに変わることは少ない。人と同じだ。 

少し昔だが、映画の渥美清の寅さんをアメリカで上映したこと

があるが、日本で大ヒットして松竹の自社ビルを建てるほど稼いだ

寅さんを、米国人はちっとも理解できなかった。少しも笑わなかった

そうだ。寅さんの感情文化は日本独特なものだったのだ。 

世界でマスクをしない人は多いし、クリントン政権で国民皆保険を

日本と同じに進めようとしたが、主に低所得者の層の反対で実現

しなかった。

少しずれるか?相鉄線で女性専用車両(痴漢対策だろう)が設置

されているが、フランスの女性は驚き、反対だそうだ。それは設置

されるのではなく、自分たちが鉄道会社に要望すべき事項になった

時に要望することで、「押しつけられる」ことじゃない、と言いたい

そうだ。これが市民の権利意識なのだ。市民革命を経験して

こなかった日本人にはない。フランスが自由・平和・自由を標榜

するように、精神文化が意識で違うのだ。単にそう考えているん

じゃない。そこから意見や行動が出てくる、生まれる。 

江戸は鎖国で文化が爛熟したと言われているが、それが一部

だろう、と思えはじめているのだが、明治はすぐそこにある。 

戦後の焼け野原を見るように、明治の貧しいなりをした人たちは

印象に残っているが、明治維新は外圧が引き金になったが、

なにが起こったのだろう? するとまた、明治で僕らは何を

失ったのだろう?という積年の疑問に戻ってくる。  

どうも東京へ二度行って、明治の結果を見ながら、まだ気づけ

ないでいるんじゃないか、日本精神のなにか、という気がして

きたよ。  3. 25


IMGP0638 (2)_LI.jpg


松江市のラフカディオ・ハーンの旧居。 横浜に着いた日はハーンは

感激して弱視の眼で夕方まで人力車を乗り回して見て歩いた。なん

でも美しく見えたらしい。その日本賛美はこちらが恥ずかしいくらい。

彼はほんとうは何を見たのだろう。 2013.4月 撮影。
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