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脳の優秀さを信じますか? [習慣]

眼が覚めると、3時に近かった。

エアコンがまだついていた。

2時間タイマーにしたので、

まだ2時間経っていなかった

のだ。

階下で喉を潤し、戻って来ると

エアコンが切れていた。今、

2時間が経過したのか。布団に

横になるが、長い経験から、2,

3時間で寝ざめた後は、大概、

寝られた試しがない。今回も眼

が冴えてくるのがわかった。


僕らはどうして眠らなければなら

ない生物なのだろう。あるいは

動物なのだろう。

夜の間に寝て、体を休めることが

理由に挙げられているが、心臓は

止まったら、まず大量の酸素を

必要とする脳がやられてしまう

から、脳に血(酸素)を送り

続けるために心臓は動き続ける。

それにしても、考えてみれば

誰もが一度は寝ている時間は

膨大で、人生の無駄ではないか、

と思ったことがある。

そうなのだ、心臓が収縮の一往復

のあいまで一瞬一瞬止まって、

それが心臓が休んでいる時間だ

というが、それなら人間が歩き

ながら、右足から左足に切り替わ

る瞬間に休んで寝てもいいでは

ないか。心臓にできて、どうして

睡眠もそういう瞬間を利用して

休むようにならなかったのか。

そういう進化はあり得なかった

のか。

これもロシアだと思ったが、

詳しい記憶はない。ある老婦人

が食べないし、寝ないし、それ

で平気で生きているというので、

科学者がそれを確かめたという

話があった。2週間ほどだったと

思うが、その老婦人を観察して

本当に眠らないのか、本当に

何も食べないのか、調べてみた

が、寝た様子も食べる様子も

見せなかった。

それではそれが証明されたの

かというと、24時間付きっ切り

というわけではなかったので、

ちょっとした隙に寝たり、食べ

たりしていたのではないか、と

いう疑いから科学者は抜けられ

なかった。つまり、彼らには

そんなことはあり得ないと、

まず決めつけていたから、

始めからそうではない理由を

探していたのだ。それでは

いつまでも結果が出るはずが

ない。まず「そんなことは

人間にはあり得ない」という

結論ありき、から出発してい

るからだ。

健康状態も良好だったらしい

から余計に疑われたのだろう。

観察など初めから無意味だった

のだ。

昔から食べず寝ずの人がいる、と

いう話が時々話題になるが、1,2

時間の日光浴でそれが可能とか

なので、太陽エネルギーを直に

吸収できる特異体質なのだろう、

とか推論されたが、もっと徹底

して監視できる家と部屋でその

観察実験を行うべきだろうと

思う。

しかし、本当の処は真実だけが

知りたいという、科学や世間常識

に囚われていない実験実施者が

必要なのが、実情だろう。

今日ではプレートテクトニクス

理論に組み入れられているが、

地球物理学者のウェゲナーが

唱えた大陸移動説は長い間、

学者には無視されていた。

アフリカ大陸と南アメリカは

大西洋を挟んでいるが、その

両陸地に共通の時代の化石が

見つかっていたので、学者は

大西洋に細い陸地が古代には

存在していた、と考えた。

今考えれば、海の侵蝕もなく

存在したというのがおかしな

話なのだが、大陸が移動すると

いう発想は妄想にも思えたら

しい。理解しやすい理屈を人は

好むようで、地動説が一般の

常識ではなかった時代が長かっ

たのも有名な話だ。

僕らの知識はどんな知識も過去

の経験に基づいたもので、それ

で僕らの日常の予測も日々の

経験から生まれた以上の、例え

ば60年に一回くらいの頻度でしか

起こらない天変地異は常識になり

得ない。それだけならいいが、

一定の常識が一定の時期に古く

なると凝り固まって、正しい

指針として人の頭を支配してし

まう。日本の土地神話があって、

50年間値上がりが続いたもの

だから、人々は土地はこれから

も上がり続けると、なんとなく

信じていた。それで僕も、値下が

りが始まる前に、土地が値下がる

という表題の本が出ると、驚いた

ものだ。

高い家・土地を買うのは、その頃

はそれが値下がりしないという

前提があったからだ。それで売る

時はうまくすれば買った時よりも

高く売りさばける、という現象も

一部で起きていたからだ。


知識は情報が整理されて固定化され、

一応、正確だったり、正しいものと

されることだ。そうしないと流通し

ないし、学校で教えるのに、毎年

変ってしまうようでは困る。

ところが、歴史を見ればわかるよう

に当時の常識はその頃の正当な知識

であって、現在でも通用するような

ものはあまり残っていない。それが

百年、千年単位での見方の常識だが、

それはわかっているつもりでも、

僕らの脳は固定化に従うようだ。

例えば、座右の音楽というものは

その人の心の琴線に響いたもので

あって、時を選ばずよく聴くものだ。

それでも50回、100回と聴くうち

には最初の新鮮な感動はない、と

感じている自分がいる。

やがて年齢とともに忘れられて、

十年も経って偶然聴いて、始めに

聴いた頃を思い出したりする。


それほど脳は連続して聴き続ける

ことに耐えられない。それは脳が

そういう性質をもっているからだ

ろう。正しいと認めたことはそこ

を固定させてしまって、それが

変りつつあるという目の前の生活

の推移も見なくなる、そういう

現象が起きる。

それを危機感がないと批判するの

はた易いが、起こるべくして起き

る、脳の生理現象だと、自然な

ものだと頭を切り替えるのは

た易いだろうか。

歴史や事象を観察すればそうと

わかるし、またそれを知っている

から、そうと知っているつもり

だが、いつしか固定の古さを好み

出して脳につられて、常識に安心

を求め、また安寧していないだ

ろうか。

そこだけを言うならば、僕らは

妄想化する脳という機能に頼り、

また囚われてしまう欠陥生物なの

かもしれない。

IQのような数字が僕らを定義する

なら、その中心は僕らの自分とい

う“判断する“「知」であり、知は

もちろん自分を誇らしく定義する

だろう。僕らの機能がそうなって

いるのだから、HSPとか病気に

近い人でないと気づけないのかも

しれない。

堅苦しくも、それがきちんとした

推論であるのならば、19世紀に

ヒステリー患者が激増したこと

と同様に、現在で神経症患者が

認知症とともに激増している現状

も解明されそうもない、根源で

ある生命維持の叡智が健康を回復

しようとしてもがいている時代の

症状とも思えてしまう。


脳はだまされやすい。例えば、

眼球はすぐものに対して焦点を

合わせることを習得しているの

で、その焦点をズラせることに

よって立体的に見える絵を3D

に見るのには苦労する。いつも

のようにはいかないからだ。

いつものようでは、そこに立体

画があっても、それはあいまい

な模様か、デザイン画に見える

だけで少しも興味を引かない。

目の前にしながら、ただ焦点

(常識)が違うだけ。

いつもこうして見ているんだ、

いつもだ、何十年もだ、なにが

いけない、放っておけ、と言う

輩があなたであって欲しくはな

いが、・・・。

ともかくも、僕らは初めは物事

を子供のように無心で見つめ

たい。

聞こえるものを心で聴きたい。

何がそこにあるのか、何が起こ

っているのか、または何が起こ

ろうとしているのか、知識の

詰まった脳を使役して考える

のは、それからでいい。半端な

学者のようにのっけから知識で

語ろうとしないことだ。

それは古くからこう言われた、

こういうことだという固定観念

を押しつけ、撒き散らすこと

になる。いずれそれらの多くは

ゴミになるものだ。

未来と未知は、いつも今、眼の

前にある。今日は若い鳥学者が

小鳥が泣き声で単語で文を作り

会話しているといったニュース

を見て、感心した。それは生活

で直接危険や大事なことは声の

音調を変えて、その対象(蛇と

か鷹とか)やその時必要な行動

を呼びかけるもので、彼らが

優雅にものごとを概念化して、

それを話し合うといった、人間

特有の言語概念というものでは

ない。現実の生活に密着したもの

しか単語にも文にもなっていない。

似たようなことをするからといっ

て同じ内容の現象だとは限らない。


まとめ :

脳の優秀さを信じますか?もちろん、

信じて、すでに信じている。ただ

これしか自覚的な判断機能がない

のでそのように思われているが

体にはまだ他にそういう機能も

あること、またそれらとは別に

“世の中に充てになるものは何

一つない“、という自然の理法も

ある。

とか、いうことで、・・・。

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