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地球は人生の一部でしかない [宇宙ライフ]

雪はやんでいた。

星空の夜に、外に出てみた。

まず、月が下弦だったが、まぶし

かった。雲は北の方角だけで、他

はすっきり晴れているようだった。

「さやけき」月とはいい言葉だと

わかる、そんな半月だ。

嬉しかったのは、深夜で見られる

北斗七星、そして、ぼんやりだが、

北極星がそれとわかるくらいに

見えていた。久しぶりの北極星を

見るのは喜びだ、と初めて思った。


僕は見た。それらをではない、


人生は、そのすべての命でさえ

そこにあった。ここにあった。

冬の冷たい、まだわずかに積雪の

残った平面駐車場に出て、それが

わかった。生きている、死にそうな

ほどの寒さに、生も死も。

それが何だというのか。それこそ、

なにもなかった。それだけで、十分

に答えだった。

まだ地球に立っている、と言えば

よかったのか。そういう大きさも

そのすべての中にあった。

僕がその冷たい空気の中で明瞭に

感じ得たものは、まさにその冷たさ

だった。まぶしい光の月だった。

北斗七星であり、北極星だった。

まだあった。

僕はまるで、ここにもどってきた

ようだ。もう今とは違ってしまっ

た世界から大量の時間を超えて、

故郷の“今”に帰って来たかのよう

だった。


まだ、あるじゃん。

雪も降ったじゃん。

それが幸福の一形式であるのは知っ

ていたし、それを味わった過去も

あった。

けれども、今回は少し違う。

時代の変わり目の幕開け前なのだ。

それは(未来を見たからわかる)

ことだ。そういう発想しかでき

ないが、僕にとってはそういう

ものだ。僕の人生ではそうなのだ。


これは

自分が個人として生きている時の

感動ではない。

これは

僕が生死の大きな感覚に掴まれた

時の感動ではない。



これは

まるで、僕が時代と同期して、いよ

いよ始まりとともに生きる、という

人生の全体に値するものだ。

そういう透徹した感覚を感じる感動を

なんと呼べばいいのか、わからない。

だが、ここにある。


家から三歩出た処に。

星空の夜が見渡せる処に。


なんという場面に僕は遭遇している

のだろう、と真面目で荘厳な出会い

がある。

ふと思った、外に出て見なさい、と

言われたように何かがある、と前もっ

て感じた。

出会う前に示唆されたり、直前で

知っていたかのように、それが

わかる。それは幾度もあった。気が

付けば、今回も。

物理的にも、形態的にも、過去の

年の冬の空と違わない。

しかし、ニュートンではないが、

リンゴは木から落ちた。同じように

僕の目の前で、見えない人生という

ものがストンッと現れた。答えだっ

た。子供のように、喜びで走り

まわってもよかった。それには寒過ぎ

たと思ったが。

これ以上書いても、記憶にしかなら

ない。まだ残っている、そのわかった

という喜びが。

日本は告白文化で、好きだということ

を真剣に伝えようとする。

この答えも愛だという気がする。それ

に出会い、それが僕に告白している

ようだ。これが長い長い道を歩き

ながら、真相を与えられる処まで

来たこと、だから僕は僕という人生

を示された。これをなんと呼ぼうか。


僕はすでにこのことをすぐ前の1,2

のブログで書いていたではないか。


― 僕は僕に出会ったのではないか!


僕の息、僕の生命、僕の生活、

一挙手一投足というもの、だから

それは僕そのもの。

「人生」という言葉で言いたかった

もの、説明したかったものではなく、

人生そのものだった。


人生は言葉ではない。こうして

帰ってくることができる、懐かしい

ものであり、未来に臨むもの、その

勢いなのだろう。熱い想いなのだ。

この地上にある喜びを感じられる

そのすべてなのだ。



僕は、 ・・・・


僕は、 ・・・・


僕は




後記::

予想外でありながら、なつかしい

かのように知っているもの。それ

を表す適切な言葉はまだない。

矛盾した感想しかないのは稚拙に

思えるが、初めての出会いには

それが予想外であるので、言葉なく、

子供になるしかできない。
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