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年末、思う事あり 思う処なし [年末]

時々寒くなった。

寒い時が、かなり寒いと感じ、

空気の冷たさを思う。

図書館によく行くので。隣の

谷戸山公園を散策する。きのこ

や野鳥などに出会う。

昨日は頭上で木の幹をコンコン

つつく音がした。コゲラか、

ヤマゲラだろうか、遠目でよく

わからない。木の枝の根元の穴に

虫でも取っているようだった。



赤い実が落ちていたので、

拾って来る。

赤い粒1.JPG

赤いトウモロコシのようだが、調べ

やすいのではと、考えたが、勘違いで

画像の5万枚から探すことになった。

ポイントは枝先が長く、早く見つかった

のは、サネカズラだったが、実の形が

異なる。

また探して、ブラックベリーが見つか

った。これから黒く変色するのだろう。

その前は実が赤い。日本名はキイチゴ。

病気が少なく、自生するので育てやすい。

これだろう。



写真は土台に石英を置いた。石英は英語

でクオーツ、この鉱物が透明なものは

水晶になる。英語でクリスタル。

これも近所で拾って来たものだ。

江戸時代の前の文献でも、石英と水晶

の区別は明確ではなく、それは鉱物が

さまざまな質の石の混合であるからで

あり、その性質になる条件が様々で

あるに加えて、マグマから地上に出る

までの条件の違いで様々な鉱物に

変化するからだ。なので、炭・グラ

ファイトはCの化学記号だが、透明な

ダイヤモンドもCである。透明と黒

ほどに違うが、化学記号は同じで

それだけでは区別できない。



陶芸がその底辺が無限大であるのは、

この土からガラス質の石を含んだ層

が向いているのであるが、その割合が

微妙でこの配合がよい、という定式

がないから、というのがひとつ。

ほかに重要なのは焼成の温度によって

高すぎると溶けて、アイスクリームの

溶けて固まったようなのになってし

まう。

また、温度が低すぎると、もろくなって

割れやすくなる。そして、焼くにしても

徐々に温度を上げないと土が急激な高温

に耐えられず、割れたり、ひびが入って

しまう。そして、そういう条件によって

200℃違うだけで、完成品の色が緑だっ

たり、赤になったりするので、同じ土で

同じ条件で焼くのでないと、ほぼ見当で

焼いているので、誰も結果がわからない。

つまり思い通りに焼けないというのが

陶芸なのだ。ここに自然の無作為と

人間の作為とのコラボ作品が生まれる、

というわけだ。  

公園では時々、キノコに出会って、これ

また拾う。

毒シメジ1-1.JPG

シメジの仲間。毒シメジだろう。


毒シメジ2-1.JPG

 上から

毒シメジ3-1.JPG

 下から

こういうキノコはほぼ水分である。

スイカと同じだ。

前に拾ったキノコの経過推移を見る

ためポリビニ袋に密着して入れておい

たら、数日でぐずぐずになって、元の

形がどうにかわかるくらいに崩れて

しまった。


陶芸には電気窯があり、これに温度

管理のプログラムで焼けば、土の

性質などが経験でわかっていればほぼ

失敗はない。が、想像を超える変化が

ないので、面白くもない。

それで陶芸ではどの窯元も昔ながらの

登り窯などで焼くのが本流だ。

思い通りには焼けない処が面白いのだ。

それが楽しい。電気窯にしても完全に

コントロールはできないのだろう。

それならばなにが起きるかわからない

焼き方のほうが面白いに決まる。



年末の掃除を少ししたが、あたたかい

ズボンを履いたせいか、汗を少しかいた。

少し、明日が見える気がする。そうなると、

明日があってもいい気がする。年末という

考え方も、明日がある生活でないと

生まれない。

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読書は人生に退屈な教養善 [読書]

例えば、<読書に人生一般の教養は

あるが、あなたのための答えはまず

ない。もし、そこに共感して、それ

が継続しているのなら、あなたの

知性だけが満足している(可能性が

ある)>というのをテーマにして

語ってみると、:::

(注::

途中で飽きたら、最後の「:::2.」

だけ読んで下さい。)

こちら側にいることがまだしっかりと

意識できないでいる。

長い間、こちらは留守に近い状態

だったせいだろうか。こちらで調子

がいいのは、およそ夢を見られる

からだろう。夢なら十分に、見てきた。

それはこちら側からではなく、夢の中

で十分に生きた、という意味だ。

落ち着ける場所をそこでも探したが、

それは場所ではなくて、むなしさが

すがすがしいほどに気持ちいい状態

というのが、まれに時々訪れた。

その時が透き通るように落ち着いた。

そういうコンタクトが無意識と取れた

時が何も言う必要がなくなって、何の

疑問もなくなった。それはこの世にも

その他の膨大な世界の数々にも、

なにも尋ねないということ、どんな

謎も存在しないと思える状態だ、と。

自意識がありながら、茫然自失の

状態ということだろうか?

人を愛したいと想った自分もいない。

自分とか他人とか、誰かを必要と

するとか、またはひとりでいい、とか

のことではない。そういうことを問う

必要のない精神の清明さと言えば

いいのか、僕もはっきりわかっている

わけではない。一種の幻想に囚われた

のと似ているのかもしれない。しかし、

幻想のようにあとで、あれは欺瞞だった

という匂いは感じたことがない。

それを明晰な、と言いたいが、それを

実証するような例もないし、比喩も思い

つきそうもない。

つまり、自分では一種の未知な状態だと

言うよりないのだ。

なにかを信仰したからとか、理由がある

とは思えない。

あれはなんだったのだろうか?

もう元気いっぱいという、子供時代の

ようではない。君が側にいてくれるだけ

でいい、それだけでいい、という状態を

鏡に映したように、そこにいる自分に

感じるようなものだ。そこに自分は見え

ないが、たぶん、それを悠々と感じて

いるのだ。

気が抜けた、透明な気分のしあわせの

ような、味わってみなければわからない

だろう。

考えなければ、それは最高の気分の

ひとつに違いないだろう。そういう

あなたがいればすべてだと思えるなら、

同じだろう。将来に起こることなど

を考えなければ、もう一つの最高の

気分だろう。

ひとりでそういう気分になるのが

珍しいのか、わからないが、小説

でも他でも読んだことはない。

僕らが今に向かえば、それはただち

に未知に向かうことになるから、

僕らはまったく知らなかった経験を

することになる。ところが、それ

は過去になかったのだから、ほぼ

書かれたこともない。

どんなに古典を読んでも、貧しい

古典の数では、百でも足りない

だろうし、その一つの秘密にでも

たどり着かないはずだ。僕らは

いろいろな過去を知って、中には

自分の血肉のように染みついた

過去もある。

その時に気づくのだが、注意深く

ないと、自然に惰性で今までの常識

の考えや習慣に流されてしまう。

気のせいにしてしまうこともある。

過去に照らし合わせられないだけで、

僕らはそれを勘違いのせいにして、

新しさを遠ざける。

忘れてしまう。

僕は自分を取り去る作業を、仏教の

考えの真似を偶然して、途中で気づ

いたが、そのまま続行した。そこでは

役に立って、本当に気づくまでの仮の

案内灯であった。そして、数十年して

案内灯も消えてしまって、すべての

思考が消えてしまった瞬間が訪れると、

僕はどこにいるのかがわかった。

それは言い尽くせないが、それは

それを現す言葉がないのもあるし、

言葉に頼ることでは見えなくなって

しまう、そういう状態・状況を示す

事柄だからだ。

その言葉は言い古されていて、もう

陳腐になっている。言葉で言い表せ

ない、とかそうではない。言葉を

見ることで、それは見えない。僕ら

が勇気を出してそういう類の行為を

した時に、成功失敗に関わらず、

ショックが落ち着いた後は、ほぼ快晴

な気持ちになる。後悔するより、

やってよかったとなる。それによく

似ている。

なぜか。それが自分をひとつ開放した

からだ。その分だけ自由になったから、

しばらくは開放感を味わえる。

そういう「感」のない感動は自分に

言い聞かせているだけのことか、

またはどこかで聞いた考えを頭の

中でまたくり返しているだけだ。

それしか残らない、という意味だ。


僕は読書から直接な教えを受け

取ったことは一度もない。矛盾する

が、小林秀雄とJ・クリシュナムルティ

に気づかせてもらったが、彼らの

考えに共感したことはない。

彼らは自分の考えは述べない。物事

の在り方を、苦労して(小林)述べ、

そのまま(クリシュナM)述べたので、

考えて読んだ人はわからない。それで

小林の本は難しいと一般受けはし

なかった。ベストセラーはなかった

のだ。

出版社が一般向けに編集した「考える

ヒント」がベストセラーになっただけ。

クリシュナムルティはまったく無感動

な文を書いて、読者などはそこにいな

かった。なんとなくわかるような部分

はそれでもあったので、少数の人たち

が読んではいたが、・・・・。

クリシュナムルティはなんでもないこと

をなんでもなく、書いて、それを感動

して讃えるが、読んでも僕らはいつも

見ているものに思えてしまう。感動は

ない。そこにひとつ、意識の壁があって、

それを瞬間でも一度超えた人であれば、

気づけばその感性が伝わる。

その中味は?という ・・・。(それ

はもう、考えの範囲だ)

小林に教わったのは、考えではなく、

だから、教えられたのでもない。彼は

ライターでも見つめていると、違う

映像が見えてくる、といい、40年も

バラを見続けた画家がいる。それが

なにかが見えていたという証明では

ないか、と言う。そういうくり返し

から、僕はうまく直感することができた。

自分でも試してみようと決めたのだ。

考えたら、ライターはいくら見ても

ライターだ、馬鹿らしいことだ。だから、

(小林が嘘を言うはずがない)やって

みたのだ。考えたら、無駄で時間が

損するだけだと思えることを。


僕は早かったのかと思う。何度も言う

が、別々の西洋画展に3回通うだけで、

時間も合計しても4-6時間だろう。

見る、というのは人間が持つ特別な力

だとわかった。それは美術品を見分ける

眼を持つまでそれなりの修行をする

のによく似ている。ふつうは一朝一夕

ではできないのだろう。

そうして、自分のやり方で絵画を見る

ことで席巻して、内心では小林を追い

抜いただろう、と自負していた。

そして、ふとした機会に小林の「近代

絵画」を読んで驚いてしまった。僕が

自分で獲得したと思った絵画について

の思想が、ボードレールのドラクロア

についての評論で表されていた。それを

小林がすでに書いていたのだから。

僕はその部分を読んだはずだが、その

時は理解に及ばなかった。そして、後年

しっかり修行を積んで、レベルが上がっ

ただろうと勝手に思い上がっていたが、

すでに書かれていた。

小林は努力タイプで直観は補助の形

を採っているのだろう。僕はタイプ

こそ天才だが、呑み込みは速いが、

それほどには進んでいなかった。小林

はだから、尊敬する巨魁なのだ。晩年

も絵を眺めて長い時間見ている。退屈

したら、つまらない絵など見ていられる

ものではない。だから、彼は楽しんで

いる、同じ絵を30分でも眺めまわして、

味わっているから、自然に時間が経って

しまうのだ。そこに僕ら一般が知らない

世界がある、と言えるのだ。

僕らの僕もまたもう一人の僕だ。が、

僕は眼を持った。お陰でおまけに視界

が広がっているのだ。これは何度も

経験しているのでその都度、実証済み

だ。

それは書店でのこと。背表紙で題名を

探していると、今探しているのでは

ないが、気にかかる固有名詞を見た気

がする。頭の映像には映っている。が、

今探している場所を、またその近辺を

見てみると、確かに見えたのに、ない

のだ。おかしいなと思う。意地になって、

というか、必ずあるのは知っているから、

探し出さないと気が済まないのだ。

そして、見つけるのだが、眼の焦点が

合っている探している場所から30cm

から時には40cmも離れた場所に

確かにある。

眼の端には映っているだろうが、探し

ている居場所からは、見ようとしても

見える筈のない処を見て、脳の記憶に

一致すると、教えてくれる。

これは最初は不思議だったが、何回も

あったので、僕は見ている方向だけ

ではないくらいに視界が広くなっている、

としか思えない。これは見るという、

視野の副産物で直観的にものが見えたの

を説明するものではないが、普通では

ないことが起こることの説明にはなる。

そうして僕が自分を捨て、さ迷い始めた

時に、少しの不安の後に、僕がいる世界

がわかった。それが「なにがあっても

大丈夫」という表現をつかった感想だ。

僕らはすでに十分満足のいく世界に

いる。美をわざわざ見る必要がない

くらいに、世界は美しい。それを僕ら

は殺しているが、それは文明文化の

代償だと考える人も多いと思うが、

それはまだ批判という、考え方を

考えていることで、それが見ることが

できていないという証拠にもなる。

僕らは自分がそれを無視していること

を知らない。そして、そうは言っても、

その賛同者を見つけるのは難しい。

考えで賛同してもらっても、なにも

ならないからだ。


僕は父の認知症を見てきた。両親は

タイプの違った認知症になったが、


たぶん、収縮する脳の部位が異なる

せいだろう。

父はまだらボケになった頃は、まだ

頭が働く時間や気分があったらしく、

人の言っていること、医者が説明

していることがわからないと、オレは

バカになった、と言っていた。だから、

まだよかった。認知症にほぼなって

しまうと、不具合なことをして、とう

とう被害妄想から孤独老人になり、

食事もままならなくなり、脱水症状に

まで追い詰められた。そこで無理に

入院させたが。

僕は中学生の後半だろうか、固有名詞

を覚えるのが苦手になった。よく、あ・・、

い・・、う・・、とアイウエオ順に

その忘れた固有名詞を思い出そうと

して、50音を頭で辿っていた。

それが今では、最近特にもっとひどく

なってきた。思い出せるのもあるが、

思い出せないものは、ドラマの題名

であったが、ちょうどCMで出てきた

ので、そうだこれだ、と思い出した。

と思ったが、ほんの10分くらいで

また忘れて、今度も自分では思い

出せない。

六本木クラスだが、初めが「ホ」だ

とばかり思っていた。「六」と「ホ」

の字の形が似ていたのだ。今は、

うまく思い出せて、まだだいじょうぶ

か、と思った処だ。

僕も父のように、数年後には「馬鹿

になった」という日が来るのかも

しれない。

そう言えば、老化に抵抗する意識

がなくなってきたようだ。歳をとる

ことがどうであろうと、さして気に

するようなことではないと思う。

ただ、体の自然状態はよくないので、

その点には日常生活で気をつけなけ

ればいけない。

ほんとうに記憶もひどい状態に

なったら、真っ先にブログを中止

するだろう。もう「わからないもの

についての思索」は自分自身で

どこかに陥穽に落ちそうで、信用

ならないだろうから。

ただ日常の日記を書くのみか。それ

も良し、なんだろうな。


:::1.

まとめとして、くり返しになるが、

読書が教養や楽しみであり、それ

以上を人生に求めるのは本末転倒

になる、という初期の(10年前?)

の意見に変わりはない。

だから、ドストエフスキーの「罪と罰」

を読んで、同じことをする若者が

ロシアに現れて話題になったが、

それは小説の影響だとしても、実際

の行動は著作(考え・話・夢)とは

切り離された現実として処理される

のは、合理的なことで作家は殺人を

書けなくなったら、困る。虫けらの

ような老婆を殺しても、私が世の中

のために金を使うほうが、よほど社会

のためになるから、私は老婆を殺し

ても、罪ではないのだ、と言うのは

どうかしている。頭の思考が先走った

人ほどそれがどうかしてるということ

がわからない。

科学者は数学や数字で宇宙から

人間まですべてが解き明かされると

信じている、論理を妄信している

人間が多い。思考という AI・

コンピュータ(例えば、あいまい検索、

アルゴリズム)と、人間の情・感覚と

いうむしろ体の記憶や思考器官から

飛躍する発想という違いが(情や感覚

に助けられないと、自己という知は

十分に働けない、ということを)十分

に理解されていないのだ。

読書は素晴らしい教養だが、それで

人生が豊かになるという誤謬はなか

なかなくならない。くり返しだが、

言語の勉強や資格などの知識の獲得、

マニュアルの勉強、ノウハウもの、

それらは通常の小説や教養の読書

ではない。役に立つのが初めから

わかっている。そこから読書は人生

に役に立たない、というと、言い

過ぎになって、教訓というのも、

読んだだけでは役に立たない。それ

に近い経験が、それは本当は何か、

ということを発見させる。

それが人生の土台の第1段階になる、

と言うと、話しが終わらない。わから

ないものに達するというのは、大抵

その土台をぶっ壊したあとにわかる

ことだからだ。人生は謎だらけだ。

追及すれば、が、その条件だが。

          9.2

:::2.

最後に人生への良書が教訓に満ちて

教養であることについての誤解を

書いてみる。

人生に役立つと思われる良書は主に

古典になっている。そういう古典を

読むと、他の本は読まずとも、すべて

書かれているではないか、という気に

なる。古典読むべし、他は捨てよ!と

いう具合である。

それは一面で正しい感想だが、古典は

古い時代の背景で書かれたもので、

現代とは異なる。これは想像よりも

大きく深いことで、その当時は今より

規則や法も少なく、空気も汚染が

酷くなく、薬も長期には毒になる

化学物質も少ない含有で、雑音や

騒音も相当に少なかった。

それは僕らが僕らに対する時に

ストレスは何倍から10倍も少ない

ことを意味する。だから、相手の

情や感覚やその発露が神経で閉ざされ

ていないので、直接伝わりやすかった。

そして、小説・演劇・歌謡・オペラ

などそういう発露・表現の中で難しい

話・思想・随筆も考えられ、感じられ

書かれていた。

だから、僕らにはわかりやすく思える

のだが、それは読み違いである。

時代が遡れば、遡るほど、感情も

感覚も明るく発するのが普通だった

からだ。例えば、小説の「ジキル博士

とハイド氏」などは、二重人格の犯罪

を扱った小説だが、今では陰惨でもなく、

むしろ健康にさえ思えるストーリーで、

安心して読める。当時はそうではなかった

だろう。(ということは、当時よりも

不健康な状態で読んでいるから、そう

読めるのであって、気づくべきはそう

感じる自分の環境はよくないというと

いうことだ。)僕らはその今では味わ

えない、情や感覚、小難しくない思想

をわかりやすいと、勘違いして読んで

いる。それがひとつ。

もう一つは、古典が読めば読むほど

味わい深いものになる、という誤解だ。

書かれたものは変わらない。一字一句

同じだ。内容も表現も読むたびに言葉

が変化する、といった魔法じみたもの

ではない。だから、変わったのは読み手

なのだ。読者の自己が成長とともに

人生経験を増やして、思想の細かい点に

気づき、人情の機敏に触れ、感覚の

変幻さの面白さに気づいたので、同じ

言葉を読んでも、そこから別な意味を

読み取ることができるようになった

からだ。魔法の本はない。あなた自身

が経験を増して、考えではない実感を

言葉に寄せることができるようになった

から、人生を新しく学んだのではなく、

そこから新しい展開・パターンを復習

できたのだ。あなたはそこで自分を

振り返って見ることができる。味わい

深くなったのは、あなた自身のことだ。

古典の本自体のお陰ではなく、それ

に対応できるようになったあなた

自身のお陰で。



齢を取ると、余計になつかしい情の

当たり前な発露、例えばハッピーエンド

などを望むようになる。水戸黄門の

印籠のようなわかりやすい正義を

求める。

進化論のダーウィンは若い時に

ヴィーグル号で世界を航海したが、

その後は旅行などしなかった。

ほぼイギリスの田舎の自宅で研究

に過ごし、晩年もハッピーエンド

の物語しか読まなかった。

人間が猿から進化したという説を

発表するまで「種の起原」から

十数年、教会からの反発は覚悟の

上だっただろうが、心労はあった

だろう。それは神への冒涜であった

から、その批判に耐える自分でなけ

ればならなかった。心臓に悪い

物語などは、読むに堪えなかった

だろう。

読むにた易い人生への読書・良書と

いうものはない理由が、これである。

古典を若者が嫌うのは当然で、年寄り

が大いに自分を味わい、楽しむ本の

ことである。
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織部日記 5 魯山人とピカソの印象 [印象]

これは印象記なので、決して僕の

魯山人とピカソへの核心な意見・

感想というものではない。

出会った二人のエピソードから

織られた手ぬぐいのようなものだ。

ちょっと面白いエピソードだと

思ったので、想像も加えて書いて

見ようと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・


つい、陽秋の口調になってしまう

のは、まだ慣れていないようです。

ほとんどWikipedia・他の魯山人情報

なのですが、70歳に近く、彼はロック

フェラー財団の招待なのか、欧米の

展覧会を訪問し、ピカソなどに会って

います。ピカソに進呈したのか、自作

の陶器を箱に入れたものですが、

ピカソはその箱の美しさを絶賛して、

中の器には一言もなかったらしい。

魯山人はこれを怒って、肝心なのは

中身だよ、と(誰かに)言っていた

とか。これは魯山人を現す良い

エピソードだと思います。

まず、魯山人の芸術観ですが、彼は

美食家で、陶芸・美術に劣らぬぐらい

多くの料理の味わい随筆とでも言う

のか、日本の料理を愛し、それを

書いています。実際自分でも料理を

して、美食を追及して飽きません。

魯山人1-1.JPG

彼は民芸運動で民窯の日常の陶器を

高く評価した柳宗悦らの民芸運動を

軽蔑していました。ここに彼の芸術

観があります。彼は美食家らしく、

高価で贅沢な味わいや芸の美にこだ

わったようです。

およそ美食家でこだわりのない心の

広い美食家というのはいません。

こだわるから、全員心のせまい人たち

です。もしも、心の広い美食家などが

いましたのなら、それは世間に遠慮

した気の弱いか、お人よしの人で

しょう。

魯山人はそうではなかった。冷えた

ビールが湯上りの?席に着いてから

1秒でも遅れようものなら、怒鳴った。

横柄で口やかましかったのです。それ

で女中は3人辞めたとか。それどこ

ろか、妻は6人を取り換えた。大体

1年で離婚しています。恐らく、

内々のことに他人を入らせない人

だったのです。なのに、気を使わ

ないと、小うるさく叱った。

そういうのに耐える女人に縁があり

ません。6人も結婚すると、そういう

良妻に出会えそうなものですが、これ

はどうも運命的に決まっていて、変え

ても、結果はあまり変わらないで、

似た人を選んでしまうのが世の常。

僕の半世紀の周囲の世帯の観察での

経験ですが。

それは魯山人が不倫で生まれた子で、

しかも父親はそのことで自殺してしま

っています。そういう出生の過去が彼

に暗い影を落とし、それを振り払う

かのように、狭い心は他人を批判し、

それもいやがらせや意地悪な指摘に

もなっています。彼は我慢できる口を

持っていなかった。人間国宝への

推薦まで断っている。

これは子供の頃は他人の家にもらわれ

ていった、魯山人と同じ境遇を経験した

夏目漱石が文学博士号を授与された時

に、本人の承諾もなく勝手なことを

するな、と当時の文部省に返還すると

申し出たが受理されなかったのを

思い出します。

漱石は兄たちが次々に亡くなり、本家も

跡継ぎがいなくなるので、漱石=金之助

を跡取りとして返してもらうので、不義

の子、魯山人よりかは傷は浅かったの

かもしれません。



魯山人は芸にこだわりました。それに

こだわらずに、民芸を賞賛した柳宗悦ら

には反対したわけです。たぶん、芸の美

なくして、なにが美術だ、陶芸だ、と

いうことでしょう。

ところが面白いのは、魯山人が用の美を

理解していたことです。彼のつくる皿や

陶器などは芸術的な派手な染付などは

なされていない。素朴な、少しもの

足りない、それでいていい味わいを出し

ている作品が多い。

なにしろ、生涯で陶芸家が数万点の

作品を作る水準を超えて、彼は

10万点の作品を作り出している、

巨魁だ。

若い頃には朝鮮に行き、3年ほど住ん

で、役所勤めをしている。朝鮮の

陶器にも出会っているでしょう。

帰国後は、陶芸の師匠にも出会い、

陶器に目を向けたようです。

自分の作品の値段・価値を高める

ために会員制の料亭をつくり、飛び

切りの料理を振舞うという宣伝も

している。それは成功し、魯山人

の器で料理を出すのがブームになり、

器全体の価値を上げるのに貢献

したのです。



さて、そこでピカソですが、彼は天才

です。今どきの天才評価は堕落して

酷いもので、記憶力が優れている、と

テレビに出ただけで天才と呼ばれ

たりしています。それから比べれば、

ピカソは超天才と呼ばなければならない

でしょう。当時のパリでシスレーとか

今でこそ有名ですが、そういう天才画家

の集まったカフェで皆、絵を描いて

いましたが、その中でピカソは格別で

した。

独特な絵を描いて見せる仲間の絵を

一瞥して、帰り、一晩でまったく同じ

絵を描いて持ってきた、というのです。

模写ではない、見た記憶だけで寸分、

間違いなく描けました。美術学校で、

その課題をたった一日で仕上げてきて、

先生を驚かせました。

つまり、ピカソはどんな絵でも描けて

しまう、しかし、実のところ、その自分

の天才ぶりに悩んでいたと見受けられ

ます。凡人にはわからない、贅沢な悩み

でした。

僕はそこからキュービズムの抽象画を

生みださざるを得なかった、ピカソ

の飛躍があったと思います。

ピカソの陶器はざっとYoutubeで見て

みましたが、どれも絵やデザインと

いうものです。言ってみれば、それ

は陶器の壺ではなくても、皿では

なくても、画布の代わりであれば、

何でもよかったのです。そう見え

ました。

いかにもピカソの意匠で、彼の好き

な対象が描かれていました。

ピカソが民衆の陶芸に貢献したかった

のではないか、という評者がいましたが、

どうもそれは胡散臭いです。あった

かもしれませんが、それは社会的な

意味だけで、芸術へではなく、彼に

は陶器は見えていないように思え

ます。飽くまでも画家だった。陶器

のために陶器のための絵を描くと

いうことは、なかったでしょう。



ピカソは軽い障害者だったらしく、

簡単な計算もできないらしい。それ

がまた天才らしい、不適応性ですが、

女性にはやさしく、またもてたと。

ピカソの前で二人の愛人?が出くわ

して、つかみ合いの大喧嘩になり、

ピカソはそれを楽し気に見ていた

という。こんな素晴らしい見ものは

ないと語っていたといいます。

こういうピカソの眼は魯山人の

気難しい、口やかましが顔に出て

しまっているのを、見逃しはしない

でしょうし、たぶん、箱の美しさ

に中身の陶器には何も言わずに、と

いたずらをしたのかもしれない。

魯山人はそれをまともに受け止めて

ピカソを批判した。そういう情けない

次第であったように思います。それ

をいかにも天下のピカソにも批判を

してしまうという褒め方をするのは、

見掛け倒しの批評でしょう。

魯山人は自分が我慢ならなかった。

だから、誰も人に本心を見せなかった。

逆に、それを覗こうとしたら、妻にでも

怒鳴り散らしたでしょう。

晩年はちょっとした人情の言葉にも

涙ぐんでしまう、ふつうの寂しい

孤独な老人だったようです。

美食家の最後は「肝臓ジストマ」による

肝硬変でした。僕は食に美があるとは

思いません。美食はどうしても歪んだ

方向に見えています。寄生虫によって

亡くなったのは、因果のその末葉の

一部である応報によるものに思えます。

(応報は条件次第で、あったり、

なかったりします) 自然な成り行き

でした。


それにしても、魯山人の器は見事です。

写真でしかないのですが、僕はその

重さごと手に取って見ているらしく、

その手応えに感心します。

魯山人は料理のために陶器をつくり

ました。用の器としてその風味は真似

てみたいものです。

魯山人2-1.JPG
「知られざる魯山人」より―

見るたびに、唸ります。うなっても

しょうがないのですが。 

う~ん。
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散文で考える存在と触りたくなるその世界という事情(随想で) [中途の随想]

渦に巻き込まれ  生命は拡散する 

その渦を 透過するように 

真上から眺める 意識はふたつ 

同時性はない  片一方だけを

操れる 


僕は いつから こんな 

面倒な方法で  生きてきたのだろう 

そんな昔ではない 近い  過去  

還暦という 名前が あった ー


嵐を待つ晩は  このように 

静かで、  気がかりが  

一掃された  この 雰囲気が  

いい  


夏の 葉 とは 

なんだろう 

辞書で 調べてみるような 

言葉ではない  詩的な、でもある 

思いつき、でもある  もう 

過ぎようとしている 僕らの季節  


16 は 過ぎた  

60さえ  過ぎたのだ  

若さには  わからないうちに 

這入り 

気づかないうちに  親の  

役目を していた 

初めての 若さは  

そのように  


還暦は いい年齢だと思った  

老化はなく  

もう少し  遅れた  

やっと 気づいた 初めての

年寄りは  やはり まだ  

身丈に  あっていない  

そう思ううちが  兆し だった 

そう 認めるのが  億劫になる  

それが 兆し 


明るさ というのは 心に  

暗い色が  あると  

反射的に  反映されるが 

光だけなら  すべての影を

追い払うだろう  

隠せはしない 痴呆のように

闇だけなら  すべての光を 

反射させないだろう 

重くて 生きた気がしない 

どちらにしても  色はなく 

すべてが  見えない  

それは  明るいとも  

暗いとも  いえない  

名前が ないというのは

それと よく類した事柄だと  

思っていたが  

色もなく  光も影もない  

そういう世界は  なんだったり

するのだろう  

見えない そういうものが  

直接な 物 だったら  

こんな感じを  持つの 

だろうか  

これは また これで 

新しい  迷子に

なった 気分なんだが 



君の 眼を 見ていると  

似たような  別な眼を  

思い浮かべてしまう  

似てもいない  好きではない眼は  

思いもしないが  もっと  

多く  あるのだろう  

どうしてか  わからないが  

完璧な 顔というものが  

あっては いけない  のか

これまでも これからも  

ないだろう と 

腑に 落ちるのは  どうしてか 

それが  それぞれの人の 

理想だからか  

僕も 同じように 

それを 見ようとする からか  

眼は  ただの 眼 なのか 

それが かけがえのない ことは 

ないはずなのに  

僕らは 眼に 自分の理想を 

見る 

自分の 価値を 見る  

理屈ではない  思い込んでも 

信じる  それを  

もう  それは  狂気  

恋は  だから  正気では 

ないのだ  



狂気ではない  それを  

知ることの できないのが  

正しい 恋 なのだろう  

眼は 覚めないのだ

おぅ



僕らは  狂気を 讃えて  

安心したい のだろうか  

恋について  

わかったような  ことを 

言い過ぎて 



人は 考えに  

安心を 見出したい  

教訓や 人生訓  偉人の

生涯に  

それらが  どれほど  脚色されても

それが 役に立つとの  

善意に  裏打ちされて  お互いを

欺いても  

なにか それが 大切だとか 

それが正しいとか  それが 愛だとか 

そういうものを  正義のように

悪徳のように  求める  

何も 指針や 羅針盤が ないことに  

耐えられない  

そして  年齢が 相応に  

重ねられると  なにかが ささやくのか 

人を 信じていない 自分を  

見つける  

だから  なにかに  すがるのだが  

その頼りになるものが  なんであろうと  

すべて  善いものでは ないだろう  

そして  必要でないものは ないだろう  



なにかを 失ったのだが  

それは もう  自分を知る必要を

失ったと  仮の申請を

している  



あいまいさの 海から 渦から  

逃れる  オールの手を 

その力を  手離すのだろう  

お疲れ  お疲れ  ご苦労様と 

海の 藻屑(もくず)に 

なったとしても  

それは  誰も非難しない  

あなたの 権利だろう  



苦が 見える  

それと 同じだけ  もっとか 

楽と 歓喜が  わかる  

苦とを 隙間をあけて  

押しとどめながら  対決する

その力の分だけ  

あなたには  応援が あるだろうか 

危険に 救われたことが ー

それが ないなら  すべての 

冒険は  命は 永らえないだろう  

その 必死の 力の分だけ  

その  苦の 理解の苦しさだけ  

楽と 歓喜は  

想像を  遥かに 超えて

輝き  広がり  充実したものに 

なって  ー



その声を  頼らずに  

ただ  聴いて  

ただ  聴いて  



はるけき 

この  歓喜の  丘  

はるけき 

この  輝きの  空気  

はるけき 

この  部屋に  やまない 

美しさの  旋律 

祝福  誰からの でもない 

この世界の  素晴らしさ  



僕らは  悲しみから  愛を

栽培しなければ 

ならなかったけれども

愛もなく  善も 価値もなく 

”もの”が  あること  

それは ふつうに感謝では  

ないけれども  

生かされているとも  

限界以上に  生きようと

しているとも  思わないが 

この 部屋が  世界に  

なり変わるのが  わかる  

それは   なにか? 

それが  解決という 答えに

ならないだろうか?  

この 部屋全体が  夜空に  

向けて 

叫んでいない だろうか  

この ・・・ が 



アズ  ウィンドウ  

大きく  両腕を 広げ 

息を  する  



僕らは  なぜか  最後は  

素顔に  なろうとする  

愛は 失われ  

善は  気まぐれな親切と 

変わりない

秩序は  その人の 気に入った

世間の指針の  ひとつの選択で  

それらの  思惟の =恣意の

あいまいな全体の  むなしさ 



素顔を  向けて

その 大いなる  向こうに  

なにかを  見えるように  

なるのだろうか ・・・・

そう  思うのだろうか  



まだ  

先のこと  なのだろう  

まだ 若い

君にとって  

もう 考えたくないほど 生きた

あなたに とって  



僕らは  考えたくないのだ  

いいだろうか  言って  

なにかが 残らないということ  

死んだら  何も 残らないということは 

まさに 死んでも 

認めたくない  

そして  自分では 知らずに  

認めてゆく  

それで  人を 信じたくない

認知症と いうのは  

自分に やさしい  記憶なくしの

装置なのだ  

必要な人が 増えるから 

患者が  年々 増える  

病気ではないの かもしれない 



なにも  残らない  

それに  全部で 全抵抗するのは 

誰だろう?  



それが  僕らの中に 

僕らが 築いた  

自分という レッテルの 城なのだ 

(としたら?)



死を認めても そう考えても  

なにも 変わらない 

認識は 知では 抽象でしかない 

現実は  ここに  ある!



どう行動するか  どう活動するか

なにを行動するか  なにに活動するか 



それは 



目の前に  大自然と関わって  

いくらでも  あるのでは? 





ふー、 ふー、  ロー ラー 

そー、 そー、  そりゃ ない 

はい 虫   らい   牛  

こりゃ  れい わい  

できすぎた  童話の 人形たち 



そうだ あいみょんが  歌ってた

― ほんとの気持ち ぜんぶ 

吐き出せるほど  強くはない ー

僕らは  弱い  

弱いから  相手の強い考えや

主張 信念 人生訓を 借りて  

自分に併せて  強く  

見せたいのだろうか  

自分も そうありたいのだろうか  

自分の 考え 信念 教条として

持ち出して  壁にする

それ、他人の 鎧ではないのか

考えて みたか

そんな 自分とは  

なんなんだろう? 

その 鎧が 自分だと 

思ったことはない? 

皆が 皆  

お互いの 鎧を 着込んで  

戦場に 出て 

他人の武器で 他人と闘う 

戦いは 必要だが 

その壁も 戦いも 



混乱を 極めないか?




現代はそうではないか?


百年後の 現代も  そう 

ではないのだろうか?


僕らが 自分と 闘うというのは

嘘だろう 

他人になって

他人と 闘うから

他人同士で 戦うという

愚を 犯している 

僕らは 自分が  レッテルという

なにか 別なもの であるとは

決して 認めないだろう



オレは 人と 違う! 


私は 他人とは 違う! 


もっと 価値のある ・・・・・

もっと いい人間だ ・・・・・

・・・・・・・・・





:::
「私は他人とは違う」

いろいろな意味でですが、間違って

いません。少し、斜めに世間を

見ているのですが、かなりズレて

いるのでもないため、思い当たる

ことも多いはず。

僕は最低限の自分という位置を

発現させなければ、言葉を書く

という行為は不可能、できない。

それが意味するのは、僕の描く

世界は僕というひとつの見本に

過ぎないということです。

世界や世間の・常識の規格は

大幅に乱れていますが、それが

肝で、新しい視点から考える

というきっかけを提供したい、

ということと思ってもらえれば

OKです。

僕らが体感できていることは

わずかなものに過ぎない。僕

には「宇宙」といって、それを

自分のもの(体感を含めた理解)

にして言っているなら、どうして

その瞬間に、その無限さに気絶

しないのか、不思議です。

そのために心に工夫を凝らして

言っているなら、そのことも

書き加えておいた方が、親切

でしょう。


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織部日記 4 なんでも鑑定団 [鑑定]

現実が凄いと思うのは、なんにせよ、

本気にさせてくれることだ。

気を抜いたりすると、簡単にできる

と思っていたことでも、うまくいかな

かったりする。これは日常で、ほぼ

毎日経験することなので、誰もすぐ

納得することだろう。

何が言いたいか、思い出した。

屈人織部の分野だ。彼に転換しないと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今夕はTV録画で「なんでも鑑定団」を

観ました。あまり録画する番組では

ないのですが、偶然、その気になったの

でしょう。自分の気まぐれにつきあって

もいられません。なので、つきあうこと

も気まぐれです。


真贋で ー

驚くことが、僕には起こりました。縄文

時代の土偶2点、特に遮光器土偶が偽物

だとすぐにわかりました。眼が曲線で

笑っている。三星堆の青銅人頭像も

ほんものらしくない?(知識不足で

三星堆を知らない)と見て、最後は

芝山細工の筆立ての伝統工芸が、これ

ははっきりと細工が職人にしては鳥の

首の傾きなど、おかしい。一体にセンス

が感じられないなどで本物ではない

だろう、としたのが専門家の判断でも

その3点はその通りになりました。

これは審美眼とかいう夢の話では

なく、記憶とセンスのあるなしを見る

照らし合わせで、判断した話です。

なので、かなり進歩が速いですが、

この「鑑定団」の判断で見る限りに

おいては、ある程度の眼はできてきた

ようです。


偽物をつかまされた人は、見かけの

キラキラにごまかされて、その意匠を

見ていないようです。宝石の輝きに

眼を晦(くら)まされるのは、意匠

の見方を知らない。ほんものの品を

見て、どこがいいのかわかれば、そう

そう見かけにはごまかされないもの

ですが。  

今度の東京都(未定)と白笹神社の

骨董市では買ってみてもいいかな、と

思いましたが、その場でどうするか

決めるでしょう。

ネットオークションで買う人は自由

ですが、僕はネットの画像では、判断

には物の質感があるので、決め切れ

ない。よほど欲しいと気に入ったもの

でないと。

好きな人は損しても手に入れたい方が

強い。それも自分との駆け引きになり

ます。           9.17


豊かさに ー

逆説的になりますが、美を見るなら、

美を気にしないことです。見た目の

輝きとか意匠も、気にしない。むしろ

その観点を捨てて見る。

大人の管理は後でいいのです、まず、

子供のようにただ見る。

あなたがそこで交差するのが、なにか

というのが重要で、どこがどうとか、

まったく考えなくていい。

これは花を愛でるのと同じで、僕ら

は花に美しさを見ようとは思わずに、

花が美しいと感じます。日本人には

花鳥風月を愛でるという伝統の風習

があるので、気に入ったもの(すでに

獲得している習慣)を美しいと感じる。

それが素地です。

それが花ではなく、日常の物にすべて

共通したことである、としたらどうで

しょう。これは日常に革命を起こすの

と変わりない。ただ見えるだけで、

世界の豊かさが日常に溢れるのです

から。


その体験を利口ぶった脳が邪魔して

いるので、その内部の抵抗を外す

のに今では修練までが必要になって

います。それもなにも心を動かさず、

ただ見るということなのですが。

それは生まれてから数十年もの習慣

から離れるということで、したこと

のない習慣を迎えるということなので、

この単純なことが意外にできないのが、

試してみると、即座にわかります。

自分はなんと「無駄な時間」を潰して

いるんだ!という、考えてはいけない

反省がどうしても思い浮かぶのです。

それが身についた脳の習慣です。


あとはあなた次第だ。やめるも、工夫

するのもお好きに、という話です。
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織部日記3 (2)東京でわから・・ [陶磁器]

<東京の陶器市・美術館・神社の3件で

わからないものを増やしてくる (2)>

国際フォーラムの次に国立近代美術館へ

行こうという話でした。感想を言って

しまうと退屈でした。余計な話ばかり

することになりますが。

美術館の最寄り駅は竹橋で地下鉄。それ

よりも日曜日でなのか、大手町あたりを

周回する無料バスがあると。竹橋(美術館)

まで日経ビルから歩いても大したことは

ないので乗ってみることに。

15分ほどでバス到着。利用客はそう

多くない。降りるボタンがどこにも

ついていないので、どうするのか、

各停でいちいち誰もいない停留所で、

ドアの開け閉めをするのか、と思って

いたら、そうでした。

日経ビルはいいけれど、日経ビルの

敷地の中まで入ってしまうのは、

ちょっと出るのにヤバくない?と思い

ましたが、守衛さんに聞いて、その

通路を通りましたが、途中の看板に

自衛隊の募集の会場案内が大きくあり、

自衛隊と日経?なにか関係あり?と

首をかしげました。

皇居A1.JPG

工事中の通路を抜けると、皇居がすぐに

見えたので、もう迷うことはないです。

お堀の角に銅像が立っているのが見えま

した。

信じられない微妙な記憶を思い起こ

しました。和気清麻呂の銅像です。

和気清麻呂1.JPG

和気清麻呂と言われても知らないで

しょう。僕もつい最近まで知らなかった

です。ところが、戦前の子供たちは

知っていた。戦後占領GHQが7000

冊の焚書をして、教科書も黒で塗られ

てしまったので、和気清麻呂の名前は

消されてしまったのです。

ともかく、日本軍が抜群に強くて、

終戦もアジアで、フィリピンなどで

苦戦を強いられ、米軍は日本をその

精神の根底から崩すことを考えました。

そこで皇室に忠義を尽くす者は、

まったく楠木正成とか、すべて黒に

塗ってしまった。

人間魚雷も零戦の玉砕作戦も、心底

恐れたらしい。この強さはなんとか

せなあかん、というので徹底的に

日本精神をつぶすため、日本神道や

忠義の書、大東亜戦争の目的に

ついて書かれたものは、全部燃や

した、という訳です。

和気清麻呂のことは省きますが、

その銅像が皇居の近くに建てられた

と記事を見たので、それをここで

思い出したのですが、ほんとうに

和気清麻呂の銅像でした。

皇居には入れる日だったようですが、

先を急ぎました。

国立近代美術館1-1.JPG

東京国立近代美術館です。

美術館案内1.JPG

ゲルハルト・リヒター展が特別展らしい。

この人、翌日知りましたが、偶然この

番組をチラ見して知りました、とても

有名な人で、ドイツの最高峰の画家と

される。90歳になる。

陶器はないので、リヒターはスルーする

ことに。

常設展を聞くと、65歳以上は無料だそう

で、前調べした通りでした。

見ればほぼ絵画で、陶器は一点もなし。

ただし、中で懐かしい絵がありました。

若い時に上野の日展で見た作家の絵

でした。二人いて、その画風でよく

覚えていました。残念ながら、つまら

ない絵です。

中の案内で「眺めのいい部屋」という

案内があったので、ちょっと興味を

抱いて行ってみましたが、大きな

ガラス窓向こうに皇居が見えるだけ

皇居眺め1.JPG

(その光景。なにが眺めのいいポイントか?)

の椅子が10数脚置いてある休憩所の

ような処で、別にふざけているわけ

ではないよ、というのを係員に

聞いてみたくなりました。

まず、知らないでしょう。たぶん、

休憩所という案内では芸がないと

思って、眺めのいい部屋と上品に

洒落てみたのでしょう。絵画展で

眺めのいい部屋と案内があれば、それ

相当の期待が集まるとは思わなかった

ようです。60点かな。

絵画はほぼスルーしたので、ひとつ

洒落ていていいなと思ったのを紹介

しましょう。

美術館階段1.JPG

階段です。近代美術館に似合って、

モダンな意匠。せんす、グーッですね。

このまま竹橋の地下駅から帰るつもり

でしたが、乗り換えの九段下駅の地下

構内を歩いて、「靖国神社」の文字を

見て、足が止まりました。

皇居・和気清麻呂と戦後が出てきて、

靖国神社となれば、まるでその総仕上げ

のような英霊の場所です。一度は行か

なくてはと思っていた場所なので、

決まりです。

            つづく


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織部日記 2 (1)東京でわから・・ [陶磁器]

<東京の陶器市・美術館・神社の3件で

わからないものを増やしてくる>


東京の国際フォーラムで骨董市を開催

しているので行って来ました。3件の

市は骨董市、館は国立近代美術館、社

は神社で靖国神社です。

まず、わからないこと・ものについて。

その第1段階は通常に知識がなくて

わからないこと、第2段階はそれを

説明できるほどわかったこと。第3

段階はどうも説明できるだけでは

わかったことにならないことに気づ

いて、その先に全体像を見てわかること。

それでわかるは終わりにならないの

です。その「わかる」は同時にどう

説明していいのか「わからない」こと

に姿を変えてしまうからです。

社会的なルールごとでは、知識にして

それを獲得してわかって終わりになる

ものですが、それではおわりになら

ないものが実は多い。それは物を見る

視点や観点を変えることによって

起こると見られていますが、それは

結果論であって、実はそういう見方を

していたと思うのはわかったものが

わからないのを発見して、そのことに

よってその見方も発見するからです。

自然界にあるものはほぼ科学的な

物質の知識に分解されて理解されて

いますが、その根源のようなものは

実は説明されたことがない。

例えば、電気とは何か?光とは何

か?という問いに答えられる科学者

はいませんでした。今もいません。

科学者はその物質の性質やエネルギー

を数的に、つまり量で法則などで表し

ますが、質で表すことはできません。

数量や法則は、もの自体ではないから

です。付属した数値・数式という

(比喩で言えば)形容詞になる。

感情の量を何によって規定するのか、

試した人もいないのでしょう、聞いた

ことがありませんから。

あいまいで、変化しやすいものは

自然ではふつうにありますが、科学

で規定されたものは、わずかなもの

に過ぎないでしょう。

ということを頭の隅に引っ掛けて

おいてもらって、東京に行ったことを

話します。

有楽町の前が国際フォーラムだという

ネットの説明通り、駅前の信号で見上

げれば、そのビルがありました。

国際フォーラム1.JPG

国際フォーラム2-1.JPG

日曜日なので、それなりに多く人が

います。が、初めから人がいるのは

想定内なので、気にならず、早速

歩きはじめました。すると、もう

違和感です。陶器を見て楽しむはず

なのに、なにか入り込めない。

見ればいいだけなのに、見ていると、

なんとも不足感が否めません。

陶器に慣れないから、まだいいものが

わからない、その違和感かと思いま

した。一度ビルのトイレを借りて、

戻って来てみると、少し見える気が

しました。やっと慣れてきたな、と

思った数秒後にはまた、違和感です。

場所柄のせいか3000円前後が平均

で多く、並んでいて、他に1万とか

3万以上の壺やら皿がありました。

3点ほど気に入ったのを見つけ、

買う気十分でしたが、止めました。

国際フォーラム4-1.JPG

これが気に入った皿。

国際フォーラム5-1.JPG

それが並んだ台。

国際フォーラム3-1.JPG

この右側に台がある。

一周回って、二周目に入る頃に、

違和感の正体がわかったからです。

それは商売でした。商売には必要な

ものがあり、そのひとつがその分野の

商品知識です。審美眼とかわけのわから

ないものがあっても、この商品知識が

ないと商売になりません。

気に入ったものを買うのは、道楽で

資産があればいくらでもできるが、

高く売るにはその商品の由来に関して

一定の知識がないと、値段の理想が

分からない。

つける値段は相手次第なので、その

値踏みをするには、相手がどこまで

わかるかをある程度、見当をつけ、

話をあわせることが重要。気に入ら

ない、素人の知識を振り回す相手

だったら、高値をつけて買わせる。

その値踏みをするのに、商品の

由来も知らずに、値段をつけられ

ない。もともと公正な値段がないの

がこういう世界だから、そこでの

取引が一種の醍醐味になっている。

僕が足りないと思ったのは、有田焼

がある程度わかるだけで、あとは

信楽焼でもよくわからない、と

いうこと。

この間の古伊万里展を見てきただけ

で、この感覚が生まれているのだから、

いずれ見ただけでわかるようになる、

という理想は夢ではないだろうと思い

ます。

当然ながら、ノウハウの本を読まない

とならないでしょう。

そうしたら、皿も茶碗も湯呑も現在では

買えないのだから、馬券を買わない競馬

場にいるようなもので、飽きてしまった。

1時間でそこを引き上げました。

ある上品なおばさんの店では、黄緑の

かかった、きれいな緑一色の小皿が

あった。取り上げてみていると、その

おばさんが上品な見かけによらず、

商売人で雑誌のような記事で、それが

珉平のもので、と有名だと暗示をかけに

かかりました。次に、もう亡くなりま

した、と。つまりもう造られることは

ないから希少価値だと暗示に来ました。

最後は、最近人気が出てきた、と。そこ

に突っ込みをいれてもよかったのですが、

なにしろ、(人気が出てきた)今買った

方がいいよ、と決めの文句をいれてきた

わけですから、が、やめました。

珉平を知らないので、値踏みができ

ない。どこまでほんとで、嘘か少し

の見当もつかないのですから、已む

を得ません。


(次にこの皇居の周辺にある美術館

では国立近代美術館が陶器も扱って

いるのでは、期待したわけです。

それは次回に)


帰宅は宵で、暗くなっていました。

翌日にやきもの入門という本を開いた

のですが、そこに載っている壺や皿、

湯呑などなどが実に新鮮に見えました。

今までそれほどの物とは思っていな

かったのに、「良さ」がよく見える。

昨日の経験だけでその前もありました

が、これだけ写真見本のその器の良さ

が見えるのです。こんな風にこの写真

を見たことがありませんでした。

中で驚いたのは、ほぼ同じ意匠で描かれ

た小鉢が国際フォーラムの市で見かけた

ことです。なかなか骨董市も東京では

本物にお目にかかれるようです。気に

入るものと真贋は違うというのが、

器のほんとですが、真贋を見る眼を

育てるのも面白いし、できるヒントは

どこでも探せそうな気がします。

            つづく


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茶畑の息づかい [詩]

< 東寓 >

東寓とはなんだろう

思い浮かんだ 言葉に 常に

意味があるのではない 

でも 東の寓だ  

どこかに ある  

きっと ある





< 茶畑 >

茶畑の息づかいは聴こえるもの

なのだろうか。 

静岡の茶畑へ、いま、この今夜

行ってみたいと思う。

聴こえるのは、どんな息づかい

だろう。

まだ、満月から弐日・ふつか。

月もよく見えるだろう。

森の樹木も、夜に大きく、呼吸をする。

定点開放のカメラでは、一晩で

樹上の梢が右に大きく、

左に大きく、

髪の毛を揺らしたように、撮れる。

暴れたように、撮れる。



茶畑よ。

君はもっと、おとなしく

惰眠をむさぼれ。

僕に、そのいびきを、聞かせよ。


息づかいを、

そっと、聞かせよ。
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屈人織部(かがむとおりべ)の日記 1. [陶磁器]

ものについて、書いていきたいと思います。

僕らの周りにあるものは、すべてその道具、

用途や役目に応じて、意匠が施される。

そういう目的に応じて作られなかったもの

というのは想像しがたい。千利休という方

は信長から秀吉に仕えましたが、秀吉には

切腹を命じられて、この世を去りました。

でも、おかしいでしょう。一介の茶人だったら

切腹はないでしょう。サムライではなかった

のですから。

どうも利休は秀吉の政権に深く入り込んで

いたらしい。内々のことは利休に相談せよ、

と秀吉は言っていたと。外のことは秀吉が

取り仕切ったが、内々のことは利休に

任せていたというから、これは大した権威

であった。

利休の造った茶室は狭くて、暗い。

そこでいろいろな解釈が生まれて、自と他

の垣根を取り払う仕掛け(暗さ)とか、刀を

抜くには狭すぎるとか、ひとりの人間を強調

したとか、いろいろでしょうが、利休が質素

を重んじたのは確かでしょう。

少し、変わっているのは、何も花を挿して

いない花瓶を床の間に置いたりしたことで、

客人が好きな花を想像で生ければいい、

という話があるが、客人をもてなす茶室で

花がないのは、やはり寂しいのではないか。

そういうことがあると、あとからかえって

人がいろいろな噂に類する話をつけ加える

ので、なにがほんとうかはわからないの

ですが、まあ、その日はあいにくいい花が

なかったか、わざと忘れたか、ということ

でいいのではないかと思えてきます。

そういう風まかせというのも、風流の袖

のようなものではないでしょうか。


きのこの話を少ししましょう。

数日前に図書館から公園に入る林の小道

で鮮やかな赤のきのこが二本、一本は

生えているようで、もう一本は寝かせて

ありました。見た眼、毒キノコですが、食べ

られる種ではないかと、思い出したことが

ありましたが、記憶は定かではありません。

卵テングタケ?1.jpg

リコ坊というきのこかと思いましたが、やはり

記憶違いで、タマゴタケのようです。食用

ですが、色が鮮やかなので、間違えたら大変

なので、あまり勧められていないようです。

この時はすでに誰かがこのきのこを見つけて、

木の枝で四角く囲っていました。

惜しいな、と思っていたのですが、一昨日

あたりからPCの背景画像にリスが自分より

も大きいきのこをくわえて、枝からジャンプした

画像が出るようになって、またキノコだと

思いました。そうしたら、今日、マクドを

出たら、その前の街路樹の根元に薄茶色の

いい型の傘のキノコが7,8本群生して

いました。これは食べられるな、と勘をつけ、

全部はいらない、スープなら一本でいい、

と一番大きいのを選んでもぎ取りました。

それを車の中に入れたら、きのこのいい

香りがします。これは食べれる香りだと、

決めつけて、持ち帰りました。

その画像を撮るはずが、早いとこ試食

して、毒を確認したかったので、さっそく

スープにしてしまいました。

マクド前のキノコ1.JPG

まったく食い物の恨みはなんとかと言われる

くらいで、調味料5種と水でスープの完成

です。

いい味が出ています。キノコの端とスープ

を多少試飲しました。30分してもなんとも

ありませんが、毒によっては6時間から

24時間後というのもありますから、まだ

油断は禁物という処でしょうか。

死ぬ予感がしないと言っても、中(あ)て

になりませんが、下痢や気分不快は

覚悟の上ですから、山(生活)の勘を中て

にしたいという性分が強いものと思われ

ます。

では、また。





::::

突然ですが、最近はブランド名を考えて

いました。屈人織部という名を着て、少し

やってみようと始めてみました。試験段階

なので、この着せ替えが合うのかどうか。

これはまた、空いた自己の席になにかで

埋めることができるか。それが勝手な

想定でもうまくいくかの実験でもあります。

よろしく、お見守りを。
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