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織部日記 2 (1)東京でわから・・ [陶磁器]

<東京の陶器市・美術館・神社の3件で

わからないものを増やしてくる>


東京の国際フォーラムで骨董市を開催

しているので行って来ました。3件の

市は骨董市、館は国立近代美術館、社

は神社で靖国神社です。

まず、わからないこと・ものについて。

その第1段階は通常に知識がなくて

わからないこと、第2段階はそれを

説明できるほどわかったこと。第3

段階はどうも説明できるだけでは

わかったことにならないことに気づ

いて、その先に全体像を見てわかること。

それでわかるは終わりにならないの

です。その「わかる」は同時にどう

説明していいのか「わからない」こと

に姿を変えてしまうからです。

社会的なルールごとでは、知識にして

それを獲得してわかって終わりになる

ものですが、それではおわりになら

ないものが実は多い。それは物を見る

視点や観点を変えることによって

起こると見られていますが、それは

結果論であって、実はそういう見方を

していたと思うのはわかったものが

わからないのを発見して、そのことに

よってその見方も発見するからです。

自然界にあるものはほぼ科学的な

物質の知識に分解されて理解されて

いますが、その根源のようなものは

実は説明されたことがない。

例えば、電気とは何か?光とは何

か?という問いに答えられる科学者

はいませんでした。今もいません。

科学者はその物質の性質やエネルギー

を数的に、つまり量で法則などで表し

ますが、質で表すことはできません。

数量や法則は、もの自体ではないから

です。付属した数値・数式という

(比喩で言えば)形容詞になる。

感情の量を何によって規定するのか、

試した人もいないのでしょう、聞いた

ことがありませんから。

あいまいで、変化しやすいものは

自然ではふつうにありますが、科学

で規定されたものは、わずかなもの

に過ぎないでしょう。

ということを頭の隅に引っ掛けて

おいてもらって、東京に行ったことを

話します。

有楽町の前が国際フォーラムだという

ネットの説明通り、駅前の信号で見上

げれば、そのビルがありました。

国際フォーラム1.JPG

国際フォーラム2-1.JPG

日曜日なので、それなりに多く人が

います。が、初めから人がいるのは

想定内なので、気にならず、早速

歩きはじめました。すると、もう

違和感です。陶器を見て楽しむはず

なのに、なにか入り込めない。

見ればいいだけなのに、見ていると、

なんとも不足感が否めません。

陶器に慣れないから、まだいいものが

わからない、その違和感かと思いま

した。一度ビルのトイレを借りて、

戻って来てみると、少し見える気が

しました。やっと慣れてきたな、と

思った数秒後にはまた、違和感です。

場所柄のせいか3000円前後が平均

で多く、並んでいて、他に1万とか

3万以上の壺やら皿がありました。

3点ほど気に入ったのを見つけ、

買う気十分でしたが、止めました。

国際フォーラム4-1.JPG

これが気に入った皿。

国際フォーラム5-1.JPG

それが並んだ台。

国際フォーラム3-1.JPG

この右側に台がある。

一周回って、二周目に入る頃に、

違和感の正体がわかったからです。

それは商売でした。商売には必要な

ものがあり、そのひとつがその分野の

商品知識です。審美眼とかわけのわから

ないものがあっても、この商品知識が

ないと商売になりません。

気に入ったものを買うのは、道楽で

資産があればいくらでもできるが、

高く売るにはその商品の由来に関して

一定の知識がないと、値段の理想が

分からない。

つける値段は相手次第なので、その

値踏みをするには、相手がどこまで

わかるかをある程度、見当をつけ、

話をあわせることが重要。気に入ら

ない、素人の知識を振り回す相手

だったら、高値をつけて買わせる。

その値踏みをするのに、商品の

由来も知らずに、値段をつけられ

ない。もともと公正な値段がないの

がこういう世界だから、そこでの

取引が一種の醍醐味になっている。

僕が足りないと思ったのは、有田焼

がある程度わかるだけで、あとは

信楽焼でもよくわからない、と

いうこと。

この間の古伊万里展を見てきただけ

で、この感覚が生まれているのだから、

いずれ見ただけでわかるようになる、

という理想は夢ではないだろうと思い

ます。

当然ながら、ノウハウの本を読まない

とならないでしょう。

そうしたら、皿も茶碗も湯呑も現在では

買えないのだから、馬券を買わない競馬

場にいるようなもので、飽きてしまった。

1時間でそこを引き上げました。

ある上品なおばさんの店では、黄緑の

かかった、きれいな緑一色の小皿が

あった。取り上げてみていると、その

おばさんが上品な見かけによらず、

商売人で雑誌のような記事で、それが

珉平のもので、と有名だと暗示をかけに

かかりました。次に、もう亡くなりま

した、と。つまりもう造られることは

ないから希少価値だと暗示に来ました。

最後は、最近人気が出てきた、と。そこ

に突っ込みをいれてもよかったのですが、

なにしろ、(人気が出てきた)今買った

方がいいよ、と決めの文句をいれてきた

わけですから、が、やめました。

珉平を知らないので、値踏みができ

ない。どこまでほんとで、嘘か少し

の見当もつかないのですから、已む

を得ません。


(次にこの皇居の周辺にある美術館

では国立近代美術館が陶器も扱って

いるのでは、期待したわけです。

それは次回に)


帰宅は宵で、暗くなっていました。

翌日にやきもの入門という本を開いた

のですが、そこに載っている壺や皿、

湯呑などなどが実に新鮮に見えました。

今までそれほどの物とは思っていな

かったのに、「良さ」がよく見える。

昨日の経験だけでその前もありました

が、これだけ写真見本のその器の良さ

が見えるのです。こんな風にこの写真

を見たことがありませんでした。

中で驚いたのは、ほぼ同じ意匠で描かれ

た小鉢が国際フォーラムの市で見かけた

ことです。なかなか骨董市も東京では

本物にお目にかかれるようです。気に

入るものと真贋は違うというのが、

器のほんとですが、真贋を見る眼を

育てるのも面白いし、できるヒントは

どこでも探せそうな気がします。

            つづく


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