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おしゃべりと、もの書くこと [右脳左脳]

何ということはないと、自分では思っている

ことで、おしゃべりとものを書くことがある。

新しいことでもないし、特別でもないので

誰でも心当たりがあることを書いてみようと

・・・・・、なんだろう、やはり、思ったのかな。

それは僕の中では知性の左脳側と右脳側

とに分かれた時の違いのようだと考えて

いる。

左脳は一般に言語機能や論理の機能を

司る。右脳はイメージで物事を整理する

機能を司る、と言われている。アメリカの

実験でその右脳左脳をつないでいる脳梁

という通路を手術で切って実験したところ、

左目に車の絵を見せても、その名前を言え

なかったそうだ。左目は右脳に通じていて、

車のイメージをキャッチして脳梁を通して

左脳に送る。左脳がそれを言葉にしている

とわかったらしい。

左脳はそれで、書く時に機能を発揮して言葉

を計算・論理化して伝わるように構成するの

だが、これを積み木を積み上げるようにする

だけではとても労力がかかる。その時、右脳

の機能で前もって整理しておけばスムーズに

言葉を出して構成できるのだろう。それで書く

時にはどうしても筋が通るように書かねばなら

ないから、労力が左脳にかかる。

しかし、しゃべるというのはほぼイメージを

活用して、多少の言葉遣いや言い方の間違い

には拘泥しないで、ポンポンとしゃべるから、

まとまりには欠けるが、正確に細かく考える

よりスピードの点では速い。そして、その時

の話題でしゃべり、話題が突然変わっても、

拘泥しないからその話題に乗っていこうと

する。かくして、おしゃべりは自由に進み、

留まることを知らない。 

この二つの性質は知において、今も変わって

いない。ただしゃべるように書くのは困難で、

また書くようにしゃべるのも困難なのだが、

それを可能にする人もまたいる、ということだ。

美空ひばりは歌手だが、日本人で歌手で

外国の切手のモデルになった人は、まだ美空

ひばりだけかもしれない。

彼女はその昔から世界で人気があったが、

ともかく書くように歌った。音程にしろ、なんに

しろ、歌い方を間違えない人だった。歌詞を

間違えたこともなく、いつでも完璧に歌いこなす、

歌においては天才的だった。

また、太宰治も書くようにしゃべることができた

人で、或る時、口述筆記が必要になって

奥さんが太宰の言うことを、書き写したこと

があるのだが、それがもう完成文の形で語ら

れて、淀みなく文章になっているので、書き写し

ながら気味悪くさえ思ったそうだ。こういうのを

正確さに貢献した才能と言うのだろう。神経が

しっかりしていて、常人を越えているのだ。

僕はその中間を行く、無意識を利用した常人

で、その点では常人を越えたように見えるが、

実際は努力した後のことだ。先天的な才能

ではない。

僕は書きだすとほぼ、淀みなく書き直しも

しないで最後まで書き切ってしまうが、それには

訳がある。 

過去の日々に考えたことをどんどん忘れながら、

無意識の脳空間(?)にその考えを文章のまま

留めるという離れ業ができるから。=と自分

では推測している。他にそういう例が明確には

ないので、比較して分析・確認できない。


(ここまでもほぼ一気に書いたので、時間が

それほどかかったとは感じられない。実際は

測っていれば、自分の感じた時間よりも倍

くらいの時間で書いているようだ。この確認例

も少ないが、過去にした実験での計算から

比較して、確かだろう)

連載をいくつか持っている大衆小説家も驚く

ほど書く量が多いので、普段から一人で書斎

で黙ったまま、頭のなかでしゃべり続けている

のだろう、と自分の例から想像している。

それでよくしゃべる人でも手紙を書くのは

苦手だという人が多いし、学者がよく論文

を書くが、寡黙であまりしゃべりたがらない

人が多い、というのが世間で一般になって

いるのだろう。

言わずもがな、だが、書くよりもしゃべる

ほうが楽しい。考えながら、まとめながら、

推敲しながら書くのは疲れるが、しゃべる

のは楽だ。

それで僕の日常は茫然として、黙考して

いる時が長い。

今でも過去でも考える職業の人のほうが、

作家とか評論家とか、知識人という人で

有名人分野で自殺する人は目立っている

という大雑把な推量に、反対しない気持ち

が強い。

直接に人間と渡り合う有名政治家や

実業家で事業や事件で失敗に関わら

ない限りはよもや自殺などはないだろう、

とは考えられ得る彼らの選挙・国会・

CMなどでの行動や発言である。

政治家は気ままに力関係と交際分量・

分別を考えるだけで、また実業家は

世界の経済推移と事業の資金繰り・

継続を考えるだけで、あとは楽しい

ことを日々ではしゃべっているのだろう。

彼らの潤滑油は社交なのだ。すべて

をうまく回していくには、実弾・お金だけ

ではなく、潤滑油が不可欠だからだ。


世界の著名な人でも意外にわかって

いないことはある。むしろ、力があれば

それだけわかっているつもりだけ、と

いうのも見逃せないほど荒野が広かった

りする。実際に、そのふりをするのは

慣れたものだが、ほんとうに気にはして

いないから気楽なものだ。 

それの楽しさのゲームは僕らもその点

では共通しているだろう。僕はウクライナ

を知らない。同時にプーチンも知らない、

その歴史も過去も。あそこまで現実的に

考えられる人間がどういうものか、それは

想像の範囲でしかない。だから、僕も

わかったつもりと知りながら、日本に今の

インフレ以上に影響が及んで来るまでは

今の民主主義が変わろうか、戦争が

変容するか、という状況に答えられない

だろう、そういう気楽さがある。僕らは

わざわざ苦しみを求めるという、ブッダ

のような、因果の現実に対応しようとする

奇妙な特性には欠けていて、求めよう

などとは露ほどにも思わない。それは

日常の生活への自然な要求である健全性

なのだが、限度内で収まってほしいと僕も

願っている。

おしゃべりのほうが、楽でいい。



考えないのは、次のようなことだ::

一、大震災の時のように、インフラが

止まったら、(停電、水が出ない、・・・)

二、戦争で北朝鮮とロシアが北海道に

侵攻し始めたら、・・・

三、その機会を伺っていた中国が台湾

進攻、そのまま以前から言っていた

沖縄独立を理由に沖縄にまで侵攻した

ら、・・・・・。

四、これは先かもしれないが、南海

トラフで大地震が起きたら、そして、

自衛隊の機能もマヒしたら、災害だけ

ならこれまでのように援助・救助の手

が差し伸べられるだろうが、その前に

日本攻撃計画が準備されていたら、

もう敵の軍隊が動いていたら、これまで

も減らされてきたアメリカ兵は本国に

帰るのだろうか。日本人だけで戦って、

と武器を置いていきながら、・・・・。


そういう想像は勝手だが、今のマスコミ

ですぐにそれだけの生な情報を伝える

だけの器量があるだろうか。僕らが知る

頃にはそれはすでに始まっているのでは

ないだろうか。デマでネットはあふれ

かえって、混乱の極みというのが初期

状態になるのではないか。それからは

降参とか、降服とか、将棋のように

下手の考え休むに似たり、で考えるだけ

無駄だ。

どういうわけだか、こういう時こそ、

長年の望みだった粘土の工作で試作品

を作ったり、美術館や博物館をへ巡り、

コーヒーを飲んだり、水墨画の地味な

練習をしたり、聴き逃しているクラシック

を探し集めて聴いたり、河原の小石を

彩色・ニス塗りして観賞したり、それ

こそ老人の準備をしてみようと思うの

だから、不幸がきっかけになることが

多いのは、死の光が生の闇を照らすから

だろう、とも思うのだった。

もう手をつけているのもある、然り、

または恐ろしや。


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