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自閉症(カッコウ・加工)という巣の上で [自閉症]

考え事をしない、そして考えない

ようにしているだろう。瞑想に似た

時間ではぼんやりと考えているの

だが、その内容・意匠は自覚して

はいない。と言っても、半自覚的

だから目覚まし時計を時間に合わ

せるための思考は必要で、それで

時間を合わせる動作はする、といっ

たもので、ただし、そういう動作

をする自分を反省しない。意識し

ない。考えの内容だけに集中する

のだろう、すると考えだけが制約

なしに進む。

これを普通の集中した考えと区別

したことはなかったが、僕は自然に

そうした工程で無意識との感覚を

探っていたらしい。これがいつの

間にか、目を開けての、または

瞑目を必要としない瞑想になった

らしい。


思い出せば、これは昔から、少ない

ながらも白昼夢のような形で時々

起きていた。わずかな意識に上がって

きた一瞬の映像を、自分で考えた

わけではないので驚いた記憶がある。

この日常の集中には精神的に欠陥の

特徴があるらしい。   5. 11

自閉症は変わった病気だ。そういう

傾向を呼ぶかのように、40歳でも

引きこもりをしているかと思えば、

米津玄師のようにあるきっかけから

復調して音楽の才能を発揮したり

する。

その陰鬱から出世との隔絶と過程と

いう見え方の間にはいくつもの

パターンがあって、自閉症の定義を

難しくしている。

アメリカでも自閉症は肯定的な考え

方が多く研究されているようで、

その繊細な感性から騒音や予定外の

行動に舵が取れず、マイペースで

ないと、ひどい場合はパニック症状

を起こす、という。

「アストリッドとラファエル文書係」

というフランスのドラマを観ていたが、

次回シリーズ放送でまた見始めると

あの頃とはまったく違う感想を

抱くようになった。

あの頃はシャーロックホームズばり

の推理が面白くて、アストリッドの

自閉症になにか惹かれるのを感じ

ながら、それほど深くは感興しな

かった。

しかし、今回は推理が二番で、自閉症

の性格や行動という主役の女優の演技

が最も共感を覚えた。惹かれたのは、

共感していたからだった。一種の

共感覚だ。

コミュ症で空気が読めず、話し方も

ふつうには愛想のない理屈っぽい

言い方になり、他人はそれしか聴け

ないので、いじめにも会うらしい。

これは僕の対社会への感覚にとても

共通したものがあって、僕はコミュ症

でもないし、それでいじめに遭った

ことはないと思っていたが、よく思い

出すと、小学生の頃はうまく喋ること

ができなくて、どもり(吃音症)だっ

た。

その昭和の頃は発達障害とかの知識

は世間にも先生にもなにもなくて、

医者にかかるか、精神論で直すのが

主流だった。その頃にはもう無意識

だが、僕は対社会にうまく適応でき

ない状態を心では自覚していたらしい。

その原因が自分の繊細な感性にある

のを知らなかっただけだ。

アメリカでの研究はその繊細な感性

を守る行為が自分を守ろうとして、

いじめから登校拒否になったりする

そうだ。

僕に小学生の頃に遭った障害は記憶

だったろうと思う。ある日、学校に

行くと黒板に僕の姓が書かれ、今日

(僕)を怒ると、担任の先生の字で

あったが、まったく身に覚えがなかっ

たので平気だった。何かの間違いだろ

うと思っていたら、鉛筆の削りカスが

誰かの机の下に入っていて、それは

僕がしたということだった。

まず、僕は先生の受けがよくなかった。

それは誰かが宿題を忘れた時にそう

先生に報告したら、許してもらえた

ので、そうか、正直に忘れたと言えば

宿題をしなくて済むのだ、と思った。

それで毎回、宿題をしていかなかった。

そういう誤解が可能だったのは、自閉

症の部分症状気味だったのだろう。

それで僕がしていないと言ったので、

先生は明らかに不愉快になり、僕が

図々しい性格で噓つきだと決めつけ

てしまった。誰か女の生徒が僕を

とぼけている、と言ったので、そちら

を信用したのだろう。

これは僕が症状で忘れてしまった

ことなのか、誰かのいたずらに

嵌ってしまったのか、今でもわから

ない。そういう偶然のことで僕に

不利な状況が生まれるのは子供の

頃の経験で茶飯事だったので、僕

は日常は空想をして過ごす少年だっ

た。

僕は自閉症の本を読んでみると、他

の精神障害と特徴が異なるのが明確

であるかのような印象を受ける書き

方をしているが、体の?中身はどうも

ちょっとした神経のかけ違いで区別

されているだけのような気がして

いる。

ウツ症状というのは日常の理不尽な

こと、不安定なことに気を取られる

と起きることだし、それこそ医者に

診てもらうべき症状まで段階もいろ

いろあり、どの神経症の症例にも

みられる、神経には恒常に見られる

症状だと思うのだが、原因は不明な

ので、医者は厚生省で認可された

アメリカの薬を自分の体験の見当で

量や日数を患者に渡している。

そこには恐るべき抗精神薬の無秩序

があるのだが、医者は信用に拘わる

から、わからないとは正直に言えない。

今は対症療法しかないので、それで

医者が一方的に悪いとはならない。


自分を失くすというのがどういう

ことなのか、初めはよく知らないし、

それは欲を抑圧する=コントロール

するという古い仏教的な方法だった

のだと思うが、そういう伝統に

自覚せずに従ったものだと思う。

だから、それは可能であると思っ

ていたが、実際できたが、厳密には

消えてなくなるわけではなかった。

一時的に見失うことがあったが、

あとは第二、第三とかできても

あまり気にしなくなる。自己は

考える瞬間にその無意識な立場を

確保する必要が必然なので、その時

は必ず発生する。

夜眠ると、大部を失うが、やや夢

などを構成するのに動くが、自意識

下のように自覚したものではない

のは誰でも経験で知っている。

気絶しても同じことだろう、体の

都合で体の?頭脳の?奥に引っ込ん

でしまって自覚して働きはしないが、

自分を覚醒させる機能は失ってい

ない。

僕のこの自己を滅する実験はいろいろ

と段階を経ながらだが、1年前だろうか、

その頃には善悪や上下とか民主と独裁

とか、保守と自由の思想などの対立

概念を見分けがつかないくらいに整理

してしまうと、それらが区別できない

ものとして認識するくらいに否定して

しまうことが出来るのを発見してしま

った。その時の、今でも慣れないが、

不安定な心のバランスの不具合は酷い

ものである。心を縛るものは日常では

それなりに必要なものであるが故だが、

そういう状態での感興というのもまた

貴重なものだった。その空気の中で

暮らした経験でなければ味わえない

意見・感想・感興というものがある

からだ。半世紀が速いのか、たぶん、

遅いのだろうが、そこまで来ると、

気づくのはキリがないということだ。

自分という人間の要素で構成できる

世界が可能で、それは現実の社会・

世間と当然重なったダブりの面と

異なった個人的な面がはみ出る、

そういう一つの世界が出来上がるし、

出来たのだという成果?だった。

それがどういう風に役立つのか、

何に役立つのか、という話はまだ

詳しくできない。

しかし、それに一定の評価は与える

べきだという意見を僕は持った。

ちょうど、自閉症者が引きこもりに

なるのは、それなりに正当な自己防衛

の態度だと認めるべきなのだ、という

意見と一緒で似ていると思う。


例えれば、ユークリッドの幾何学は

平面幾何で机やノートの図面で必要

だが、「非」ユークリッド幾何は曲面

の地球の上を飛ぶ飛行路などに役立つ

ように、定義を変更するだけでそれ

なりに幾何学ができてしまうように、

またマクロという宇宙の物理は相対性

理論で計算し、ミクロという量子世界

は量子力学でないと確率だが、うまく

説明できないようにすべての意見とい

う思想・思索はその人の個人的な頭脳

からそれなりの世界・哲学を引き出せ

ることが出来るのが、この無常の世界

なのだ。現実の要素に対応して、様々

な計算法があり、それなりの理論が

あるというのがどうも、知の世界の

自然だというのが、僕の感想だ。


それは僕が茫然と・呆然と考え、暮ら

している生活態度に多大なる影響を

及ぼしているように、窓の外へ幽体

離脱するように夜の闇に漂って帰って

来ない自分の意識を見るようだ。


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