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織部日記 4 なんでも鑑定団 [鑑定]

現実が凄いと思うのは、なんにせよ、

本気にさせてくれることだ。

気を抜いたりすると、簡単にできる

と思っていたことでも、うまくいかな

かったりする。これは日常で、ほぼ

毎日経験することなので、誰もすぐ

納得することだろう。

何が言いたいか、思い出した。

屈人織部の分野だ。彼に転換しないと。

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今夕はTV録画で「なんでも鑑定団」を

観ました。あまり録画する番組では

ないのですが、偶然、その気になったの

でしょう。自分の気まぐれにつきあって

もいられません。なので、つきあうこと

も気まぐれです。


真贋で ー

驚くことが、僕には起こりました。縄文

時代の土偶2点、特に遮光器土偶が偽物

だとすぐにわかりました。眼が曲線で

笑っている。三星堆の青銅人頭像も

ほんものらしくない?(知識不足で

三星堆を知らない)と見て、最後は

芝山細工の筆立ての伝統工芸が、これ

ははっきりと細工が職人にしては鳥の

首の傾きなど、おかしい。一体にセンス

が感じられないなどで本物ではない

だろう、としたのが専門家の判断でも

その3点はその通りになりました。

これは審美眼とかいう夢の話では

なく、記憶とセンスのあるなしを見る

照らし合わせで、判断した話です。

なので、かなり進歩が速いですが、

この「鑑定団」の判断で見る限りに

おいては、ある程度の眼はできてきた

ようです。


偽物をつかまされた人は、見かけの

キラキラにごまかされて、その意匠を

見ていないようです。宝石の輝きに

眼を晦(くら)まされるのは、意匠

の見方を知らない。ほんものの品を

見て、どこがいいのかわかれば、そう

そう見かけにはごまかされないもの

ですが。  

今度の東京都(未定)と白笹神社の

骨董市では買ってみてもいいかな、と

思いましたが、その場でどうするか

決めるでしょう。

ネットオークションで買う人は自由

ですが、僕はネットの画像では、判断

には物の質感があるので、決め切れ

ない。よほど欲しいと気に入ったもの

でないと。

好きな人は損しても手に入れたい方が

強い。それも自分との駆け引きになり

ます。           9.17


豊かさに ー

逆説的になりますが、美を見るなら、

美を気にしないことです。見た目の

輝きとか意匠も、気にしない。むしろ

その観点を捨てて見る。

大人の管理は後でいいのです、まず、

子供のようにただ見る。

あなたがそこで交差するのが、なにか

というのが重要で、どこがどうとか、

まったく考えなくていい。

これは花を愛でるのと同じで、僕ら

は花に美しさを見ようとは思わずに、

花が美しいと感じます。日本人には

花鳥風月を愛でるという伝統の風習

があるので、気に入ったもの(すでに

獲得している習慣)を美しいと感じる。

それが素地です。

それが花ではなく、日常の物にすべて

共通したことである、としたらどうで

しょう。これは日常に革命を起こすの

と変わりない。ただ見えるだけで、

世界の豊かさが日常に溢れるのです

から。


その体験を利口ぶった脳が邪魔して

いるので、その内部の抵抗を外す

のに今では修練までが必要になって

います。それもなにも心を動かさず、

ただ見るということなのですが。

それは生まれてから数十年もの習慣

から離れるということで、したこと

のない習慣を迎えるということなので、

この単純なことが意外にできないのが、

試してみると、即座にわかります。

自分はなんと「無駄な時間」を潰して

いるんだ!という、考えてはいけない

反省がどうしても思い浮かぶのです。

それが身についた脳の習慣です。


あとはあなた次第だ。やめるも、工夫

するのもお好きに、という話です。
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