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暑でもある圧、開放へ [開放]

まったくの夏バテである。 

体から心までぐったりしている。 気休めも言えないほどに 

コロナと熱中症からの圧に、夏の30℃越え、もう35℃越えか、圧が  

半端ない。母が冷房が嫌いだったが、レストランに入るのも避けて 

いたほど体に障ったらしい。亡くなる年には睡眠薬を40年も飲んで 

いたと聞いたが、それも体が普通ではなくなった遠因かもしれない。 

それでか、僕もどちらかというと、冷え性気味だ。冷房が嫌いで 

はないが、やはり長く冷やす環境にいると体の不調を感じる。 

それでだろう、よく寝るのだが、早朝、昼までとか、夕方知らず寝とか、 

不意に寝るとか、一日でここで寝るという時間帯がない。 

そういう生活には慣れたつもりでも、体は対応しきれないようだ。 

10日前には立ちくらみがして、どうも熱中症になる手前だったらしい。 

心もそれらのストレスだろう、急に絶不調になったりする。 が、心は 

これまでの経験から如何ようにでもなる。ここまでで突き当りがわかる 

から、そこからは進めないと、進まないで待つ。その時が来るか、時々 

チェックするだけだ。他のことをしてもいいし、その状況をつかめば、 

悩む場面にはそうそう遭遇しない。むしろ、悩みたいくらいの気分だが、 

そういう自在も、やはりそのうちに限界が来るだろうという、小さな予感 

はある。体の老化は避けられないし、そこからは予想もしない形で 

心の劣化が忍び込んできたからだ。これも友人という反面教師が 

いなければ、気づかなかっただろう。 一人で考えていても、自分の 

進化・退化には気づけない。  

なんにしても、この夏の特別な圧にはまいっている。 

休みに入って、ブログをすぐに書きたくなるのではないかと思ったが、 

反対に書かなくて、楽だと思った。6日も経っているので、いつもなら 

4-6本は溜まるのだが、一つもまともに書いていない。 

休みも延長して9月中旬までにしたほうがいいのでは、とも思ったり 

する。が、秋の気は外気の温度のことだけではなく、体の内奥で 

感じることができる。 

コロナは今、混乱している。それは当然の話で、コロナウィルスが 

変異・進化するので世界で都市封鎖をした場所では、そこで独自に 

変異する。武漢ウィルスは欧州ウィルスに変異し、それが来た日本は 

政府の中途な対策で無症状の感染者を野放しにして検査を怠った 

ので日本型ウィルスに変身させてしまった。ということで、世界から 

報告されたウィルスの後遺症とかなんだかわからない副作用とかが 

果たして日本でも起きるかどうかは、まったくわからない。未知数の 

状態なのだ。コロナは一民族(種類)ではない。 

だから、まだまだ混乱は続くだろう。ニュージーランドと台湾は実に 

対応が早かった。NJでは感染者一例目で重点的な場所を封鎖、 

店を自粛させてしまった。  一例目である。 

マスコミは日本と人口も体制も違うので、同じにはできないと言って 

いるがそれは違う。基本は一緒で、徹底的な検査で感染者を把握 

することだ。政府は未だに重症者や死者が増加しないことにあぐらを 

かいて、まだ高齢者の命を担保に経済の賭けを継続するつもりだ。  

豪雨に、熱中症に、コロナに、倒産。 

こんなことは言いたくないが、これで本当にあとは過ぎればいい、という 

時間の問題で終わるだろうか、と不吉な注意だが、喚起しておきたい。 

僕の休みの間の悪寒が気まぐれな杞憂であれば、それでいいのだ。 

・・ -ということで。


そうだ  

こういう時に  君の歌が  聞こえてくる  

それは  なぜか    遠ざかる 

新しい  知の限界とは  

こういう風に  聴こえている  

誰かが  戻ってくる  

僕の 姿が  ・・  

知らない人 のように   見えるが  

僕の 鼻の形を   なびかせている  

見知らぬ人では   なかったが  

懐かしい人でも  なかった  

彼は  僕の姿で  

どこへ行く のだろう  

僕の 名前を  言ってくれ  

知らない 名前を  呼ぶことはできない  

そのとおりだ  

僕は  以前にもあった  間違いを  

くり返したようだ  

クールに  ならなければ  

フールに  装わねば  

ピアノの  鍵盤も  叩けない  

少しの間だけ  日本人であった  

そんな 軍部の 記憶があったり する  

終戦記念の  影響だろう  

どこかへ 行けると思って いたが  

ここが  戦略基地に  見える  

知の  開放図だといっても  解放されない  

囲いが  テリトリーで  籠の鳥は  

自分 なのだから  

どうやって  ここに 網の目を  張ったのか  

もうちょっと  角に坐って  考えてみるが  

なにを どうすれば  この 網の目を  

巧みな 開放的に 張られた  戦略図を  

破壊できるだろう?  

高い崖から  海を  眺めたい  

この世界と  この世界に ぴったり 

組み合わされた  リアルと  見分けられない  

頭は  狭くなった ね 

それで 世界も  狭まった ね 

この世界を   もう一度  生かしたい んなら 

それは  もう一度  生きること  

だから  

その考えから  離れよう  

その見解を  捨てて  

ただ  見ることを  もう一度  

学んで みよう  

耳を  そばだてて  

息を  殺して  


君 ?  そこに  いる ? 

僕は  

知らない人と  遊ぶ よ  

見たこともない ものが   あるから  

この ドアの 枠は  

四角だと 思っていた  

でも  今は  枠というものが  

感じられる  

この 感覚   日常の ・・  

ゴッホは  この感覚に  入り過ぎた  

そういうこと ・・なのだな  

僕らは  狂気を  避けられるように  

僕も そうだが  

知の 覆いが  その隙間から 

それを  気づかせるのだ  

生活は  言葉で 満たされやすい  

生活は  時間で  見失いやすい  

僕は  いつも   

どこかへ  行こうとしている  

自分が  まず 新天地にならなければ  

ああ  どこにも  そんなものはない  

僕らの  出会いが  くり返したことはない   

いつも  思うのは  

あの時が  最高だったと  述懐するのだ  

僕らが  それに 出会うのは  

すでに  僕らが  そうであるからだ  

世界平和が むなしいのは  

僕らが  むなしく  心の準備が  なされていないから  

それを  始めるとは  

それを  始めるとは  

それが  始まるのは・・  

僕らが  すでに  それであるから  


< 求めるのではなくて >  




: それを 

信じれるのは  ・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・



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