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器の雑念・古墳公園 [日記]

陶器の出来上がったものについて、

なにか話せばいいのだろうが、それ

がとんとわからない。

僕はわからない人間になったようだ。

先日、教室の隣の小屋で作品展示が

行われた。

作品に評価が集まったと聞いても、

それはなぜかと考えてしまう。なに

が評価になったのか、それは相手次第

の好みなので、初めからわからない、

と決めてかかる傾向がある。

油「絵」を描いていた頃はよかった。

決まったパターンがあって、思い

通りに描けない不満から、途中で

必ず、絵を潰してしまいたいと

考える。そして、ともかく最後まで

描こう、その上で最終判定をしよう、

と自分を宥めて最後まで描かせる。

それは大抵いつも成功して、思った

通りではないが、それなりに絵に

なっていると、数日で納得したもの

だ。

それが今、「もの」に巻き込まれて

からは、自分の陶器がわからない。

何がいいのか、好きなのか好きじゃ

ないのか、それさえ判断つきかねる。

謙遜は自信があるからできるのだろう、

と皮肉な見解にもなる。こちらは

謙遜の手前にもたどり着かない。

浮かんだアイディアをそこからデフォ

ルメして、即興で形にしていくのだが、

できるのは物の形だ。当たり前だが、

僕はその前で立ち止まっている。

白絵皿1.jpg

若い人はいない。(教室の生徒に)

おじさんおばさんの気に入った評価らしい。

僕にはなにが描かれているのか、僕の

思惑とは違い、まるでわからない。

なので、その評価がまるっきり読めない。

強いて言えば、どこがいいのかわから

ないのがいいのだろうか。

ぐい飲み3個-1.jpg

ぐい飲み 3碗だ。

左は大きさの目安でバラの花の造花。

カメラ目線の遠近で、大きさがずいぶん

異なって見える。

手前のが最も小さい。奥のと同じ

大きさに見えるが、奥のは右の一番

大きいぐい飲みとほぼ同じ大きさ。

直径で7cm。高さ4cm。小さいのは

直径も高さも1cm短く、低い。

どれも試しに作ったもので、同じ形の

ものを作るのは難しいと聞いて、やっ

てみた。確かに大きいのを作って、次

のは口と体の丸みが目に見えて違う。

三番目は粘土が少なくなって(ろくろの

上なので、継ぎ足しとかはできない)

器も小ぶりになった。

酒は弱いが好きでもあるので、ぐい飲み

は自分が飲むのだったら、他の形を

選んだだろう。だからか、いいも悪い

もない。今年は梅酒をつくったから、

たまには梅酒を入れて氷で飲むか。


こういう売れもしないし、人にあげる

のも気が引けるものが増えて、困る。

鑑賞するようなものではないので、

そんな風に置きたいとも思わないし、

棄てるか、と思うとろくろを回した

楽しさが思い出されるから、そこま

でしたくない、みたいな、困った

ことになる。千円で売っても赤字に

なるだけ。中国の飲茶セットで数万で

売っているが、ぐい飲み6個で1個は

2‐ 3000円だろうか。品質も絵柄も

もっといいだろう。手作りなら、廉価

だ。

つまり中途半端なのだ。結論が出た。

たたき割ってしまおう。

そして、金継ぎの練習をしよう。面白い

ことに金継ぎをすると、その手間だけ

で元の器よりも高価になることだ。

が、  である。

金継ぎはいいらしいが、そのよさが

わかる人は今、どれくらい居るだろうか?



傷跡に風情を感じるのは、やはりわび・

さびの日本人だからだろうか。わび・

サビは甲の(甲乙丙丁の基準でトップ)

ものだが、少しへなちょこはそれなりに

よく、なのでそれは乙なもの(おつな

もの)だと言ったのは、古田織部だとか

いうことだが、ホントか?それこそ、乙

なことを言ったものだ。

秦野の陶芸教室へ行く前に、教室に近所

の古墳公園に寄った。    つづく


<古墳公園で暇つぶし

ほんとうになにも考えないで

生活しているとわかる。

秦野の陶芸教室に第2東名を使って

行ったら、1時間早く着いてしま

った。これはおかしいと計算したら、

いつも電車・バスでその渋沢駅で

昼を食べていたのを失念していた。

それを車で来て、しかも高速にのっ

たので、より早く着いた。考えれば

当たり前な話である。日頃がいつ

着いてもいい、遅刻しても気にしない

という態度なので、いつもの感覚で

下道の渋滞で疲労しないようにした

だけのことだった。

そこでおにぎりと菓子パンを買って

おいたので、どこぞで昼食を、と

なった。

思い出したのが、一度訪ねた(小さい)

歴史博物館のある古墳公園だった。

教室から車で4,5分も下った処にある。


駐車場で降りると、飲料の自動販売機

の前に赤い実がたくさん落ちていた。

見上げた樹の葉っぱの中にまだたくさん

実をつけているのが覗いていた。

なんだろう、濃い赤で野イチゴの小さな

ような?ー で、 終わった。


暑い日だったので陽射しがある。この

公園は隣のイノアック技術研究所がある

が、その前にあった企業の用地造成で

古墳群が発見されたものらしい。

未踏査が12基とか。古墳公園に6基ある

が、残り6基は隣の企業の敷地内だと。

7-8世紀の古墳群で、1974年に発見さ

れたらしい。今の公園にまで整備された

のは1990年。

平日の昼で、高齢者が全員女性で、公園

の石畳から、芝生から写生をしていた。

10人くらい居たろうか。日陰を利用して

いる。スケッチ愛好者グループ?

古墳公園1-1.jpg

復原した古墳::


穴がある。ワクワクする。入ってみる。

すぐ暗くなるし、すっぽり暗闇に包まれ

ると、一瞬恐怖が来た。誰でも来る。

すぐに気を取り直すと、一瞬でも縄文

人?(7,8世紀には居ない)を感じるが、

気を取り直すと、進んでみる。突き当り

があった。ほんの5mだった。

目が慣れて、奥の壁には多少漏水して

いるのがわかった。コンクリを使って

いる。不手際な工事だ。復原と言って

もこれでは飛鳥人より技術が劣る。


他の古墳はそのままだが、さすがに

年月が経っているので、樹木がにょき

と生えて、数十年ものの太さだ。

二本生えている基もある。

古墳公園8-1.jpg

その横には南国風の樹木があり、タイサン

ボクと聞いたことのない名前がぶら下がっ

ていた。モクレン科だそうで、見ればなる

ほどモクレンに似た花がきれいに咲いて

いる。

古墳公園7-1.jpg

実まで落ちていた。

古墳公園9-1.jpg

落ちていたので拾って来た。


あとはまた歴史博物館に寄ってみた。

好きな人は嬉しい埴輪や器がある。

7,8世紀の古墳にどうして縄文土器が

あるのか、これは桜土手で発掘された

ものかもしれない。

ざっと、並べてみる:::

古墳公園5-1.jpg

古墳公園3-1.jpg

古墳公園4-1.jpg

古墳公園2-1.jpg

他に一人ではとても持ち運びできない

大きな尖頭土器もあった。

教室の先生と話して、昔は鉄がなかった

から、鉄の台座に置いて器の下から火を

当てることができなかった。それで倒れ

ないように底を尖頭にして、地面に刺し

たのだろう、という結論に至った。

はじめに訪れた時に古墳はただの墳墓

というより小さな丘の地面だった。

しかし、

今回は1年弱だろうが、違った。なにか

興奮するものを覚えた。そして、いい、

と。もっとも持続はしなかった。勉強

不足だろう。古代へ思いを馳せる回数が

少ないのだ。

すべからく、習慣が人をつくる。

いずれまた、どこかの古墳や発掘群を

ちゃんと踏査するのではないか。

ともかく、学術・工芸については気が

多い。からといって、それに専念する

気もないし。



 猫のごとしは、惰眠のむさぼり

 (もっとも一日14時間も寝ないが)




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