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休日X.3 コラボしていた [コラボ]

彼女の曲は彼女の歌のことになるんだ 

けれど、訴えるものがある。それは曲の 

基底音なので、人は誰でも聴くというのでは 

ないのだろうし、もしかしてそれを別な歌の 

ように聴く人もいるのかもしれない。ただ、 

彼女がなにかを訴えたいのは、それは 

変わらないだろう。 



こう、喉の奥から 引き出される  もの  

それが  気持ちいい  郷愁を 奏でる  

どうして こうなんだろう  

どうして  僕らは  こうなってしまうのだろう 

私は  尋ねる   聞いてみる  どうして  

私は  問うのよ  知りたいの   どうして  

私たちは  こうなってしまうのか  

こう  地球を  回って  私の家は小さい  

けれど  私は  そこにいて  

私の 周囲を  眺めるの  

どうして  私は  ここに いるの  

どうして  わたしは こうなの  

素直には なれない  

窓を  開けると  街が広がってるわ 

コンビニに 入るだけで  悲しみが ある  

どうして  私は  それに出会うの  

ふつうに  暮らしているのに  どうして  

ここは  どこ?  

暗い森は  私の  散歩道  

私は  私を   尋ねる  

どこから 来たの?  

ここまで来たけれど  どこまで  行くの? 

あまり  興味ないのよね  

故郷の 海岸が  涼しげに  誘っているわ  

冬は とても  寒くなる  

たぶん  風の音は  薪ストーブに 

伝説を  運んでくる  

私は  このままで  恐竜の話でも  

するのよ   お婆ちゃんに なるまで  

古い フィルムに  小さな光が  

チラチラ 忙しく  舞うように  

私は  落ち葉が  腐葉土になるように  

静かな  生活を  望んでいるのだわ  

ステージで  刺激を  受ける以外に  

私は  グレースに  なる  

ウールの  編み物のように  

あたたかくなる  

私は  ここに  来た  

甘い  洗剤の 清潔な香りが  

するわ 

恐れ  焦り   この小さな胸 が 

感じる  なにもかもの  

すべては  この夜が   包むように  

私は  窓を  開け放つわ  

そして  森や  海岸の空気を  

吸い込むのよ  



ビブラ  レモリャート  

ペア  ラムレンド  メマソリュート 

ゴア  ライラソチュード  ワンチング  

アザ  ナウ    ウー、  ゥゥゥ  

遠くへ  来たわ  

どこにも 行けないほど  

私は  道の  果てにいる  

知ってるわ   

でも   それは  赤ん坊ほどにも  

役に立たないのよ  

子供に  なろうと  思うの  

ギターを  弾いて  

語るものは  なにか  

紡ぐものは   なにか  

それは 私が 思い出すもので あり  

それは  人が  皆 思い出すもの  

あの人とは  いずねぇ 

どりもん せーずの  背景の 悲劇も 

せずもん  ねぇ  

夢は  語るのよ  

私を  

そして  

私の  ことを  

誰の そばにも  いなかった  

人たちの  ことを  

私を  助けてくれなかった  

人たちの ことを  

そうして  私の   物語は  

終わるんだわ  

ハーァ  美しい  メロディ  

それを 望む者は  

悲しげな  顔を しなくてはいけないの? 

あの子(娘)が  いろいろ  文句を 

言ってくるけど  

いいの  悲しいのは  

あの子の ほうなんだもの  

私は  そうして  あの子の  

歌を  歌う  

子犬が  吠えるみたいに  

私も  なにかを  言いたいみたい  

・・・・・・・・・・・・、

私も    




そうだ、彼女は何が言いたいのだろう。 

彼女は理由を知りたいのではないのだろう。 

気持ちがうまくまとめられないのでもない。 

僕にわかるのは、その感覚が想像でき 

ないことだ。だから、ぼくの書いた詩情みたい 

なものはその一部になる。彼女との共通する 

何らかの感覚ということになるのだろう。 

僕は僕のもので彼女のものを表現する。 

不完全に。 コラボ、というんだろう。 

それは僕のものではなく、彼女のもの 

でもない、というあいまいな地帯に逃げ込む。 

そこで地位を確保するのかどうかは、もう 

僕のことではなくなる。 



僕らはどこにも行かない。そして、どこにでも 

行ってしまう。僕は坐って、このまま地球を 

回ってしまう。これが夢の力なのだろう。 

けれど、それがどれほどのものか、 

誰も知らないように見える。どれほど過小評価 

しかしていないか、僕はバンジージャンプ 

よりも、夢の中で街中や、雲の中、ビルを上昇、 

と飛び回った時のほうが、現実よりも素晴らしい 

実感をともなっていた。まだ忘れない。 

ジェットコースターなんか、屁みたいなものだ。

もっとも今は酔いそうで怖くて乗れない(笑)。



丸に点.jpg

丸に点 : 陽秋 画

 
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