SSブログ
ものと精神 ブログトップ

さらば さらば その毛皮よ [ものと精神]

人はほんとうに長く生きたいと

思っているのだろうか 

父は百まで生きる、と言っていたが、

八十六くらいまで、がんばった

と、認知症の場合はそう言える

の  だろうか  

現実が満たされると、内心は

むなしさが   支配する 

時々思うのは、人は死にたくない

と  いう

むしろ恐怖から長生きしたいと

言うのではないか、と 

長生きしても友は周囲から 

いなくなってしまうし、なつかしい

生活の場面は変わり行くだろう 

体に合わせて頭も老化しなければ

かえって、つらいのではないか 

それができなければ、そのつらさと

ともに  長居をしなければ。



終わってほしいと思うようになる、

と確信しているが、人は違うのだろうか

人はあまり自分の言葉を

突き詰めては考えないから、多くは

自分が何を言っているかは

気づいていないことがある


リアルな夢を 見ていた 

僕は  

むなしさの嵐は  吹きすさんでいた

けれど  その分 僕を守るものがいた

今は それを身近には 感じなくなった

僕が  寂しくも  つらくもない

所為だろう 

心の不思議さに 精神で立ち向かい

精神が  どこまでも 広がり

気の遠くなる 彼方の感覚を 

漂ったけれども 

ほんとうは 防御できないものに

対して

開放するしかなかったのだろう 

心を 精神の形で  解放していた

けれど、  それはやはり 言葉に

とどまるしかなかったのだろう  



自分というのは それを精神の

ことに     形にして、   

言葉のことだが、表して

なにかであろうとする 

世の中もそれをなにかとして、

成果として

認めようとする 

僕は反対に 心に従って 

心を開放するつもりで 精神を

工夫した

心のあいまいさに従って  精神は

最後まで これという形を

取れなかったようだ 

そして 辿り着いたのは「もの」の

デザインという意匠ではない 形を

見出したことだ 

形は見えているのに  見えなくなる

瞬間があって 

そこでは形と 形のないものが

融合しているように見え、聴こえる 

それはもう 美しいとかいう もの

ではないだろう  

その聴いた気持ちが それを美化して

そういう言葉にするが 

あるのは この胸の高鳴りだけ 

なのかもしれない。 



知らなかった、  

ものに至るということは こういうこと 

だったということに。 



こうして書いていると これが 

たわ言だということが このリアルな

現実では はっきりとわかる 

それが僕の 内面の確かな証明だと  

また 僕にはわかることになる 

現実を自己という精神をかぶって 

生きる者には それは幻想でしかない

だろう 

が、

リアルな夢を生きることを  

知った者には

それが どれほどのものか がわかる

理解を超えたものに 出会うという 

喜びが どういうものであるか、が。



それを伝えることは 

それを作品にすることではない  

ただ伝えたい 

初期の頃には 何を書いても 

詩を書くつもりはなかったのに  

何を書いても  詩になった  

そういう心の残滓が 掃き捨てられた

時に  言葉はただ 伝えるだろう 

自然は 自然という言葉では表せないが

そう示せないと 不便だろう 

言葉を使うな、と言っても

拗(す)ねているだけになるだろう 



さらば  僕らの言葉よ 

さらば  あいまいで 抽象でしかないもの

と言っても 

伝えるのは 言葉だ  

僕らは 面白い  

伝わらない手段で  なにか大事なものを

現した気にならないと 

落ち着かないのだろう 

それは  根本が 不安だからではないのか

すでに。 

その暗黙のルールの上で  

社会や 電車を  走らせているが

脱線事故や 制度の崩壊を招きながら 

その中心の欠点には 

気づいてはいけないのだろう

もうすでに皆が皆 知っているつもりだから  



さらば  自分よ  


さらば  初めから存在のないものとは 


別れられない 

そういう影の存在を 創り上げ 

その反映を感覚してはいるが 

僕らは  初めから 行きもしない  

帰りもしない 自分から  

離れられない運命を 背負っている 

僕らの 毛皮だ

自分は 自分では  見えないから 

誰が 言うのか  言えるのか  


さらば  さらば と 




:::
妻と小さな喧嘩をする。翌日には

笑って話しているが、あなたは私

がいないとだめだから、ときた。

それは愛情表現であり、それとその

裏に隠れているのは、私をひとりに

しないで、という不安をカバーする

自分がいて、絶えず自分を存在させ

ようとして動いているアイデンティ

ティ、またはプライドの側面という

もの。本質的な人の自己理由なの

だろう。

もうお互いに言っていることなど

抵抗・反発は感じるだろうが、

ほんとは気にしなくていいのだが。


nice!(14)  コメント(0) 
ものと精神 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。