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人間の能力の未来 [能力]

錬金術というのは賢者の石を

作る目的があったらしい。

その賢者の石というのは、今

いち何かわかりにくい。

簡単に言うと、どうも魔法ら

しい。不老不死とかなんでも金

(ゴールド)に変えてしまう、

魔法そのものの石というのを

作りたかった。その経緯も面白い

が、今は横道に逸れてしまうの

で、次期にしよう。

錬金術もどんでん返しがあって、

長い歴史で追及された錬金術の

金づくりが化学的に完全否定された。

それを決定したのは科学者ボイルで

彼はアリストテレスの四大元素論と

また錬金術師たちの信仰していた

硫黄・水銀・塩の三原質論を打ち

砕いて、近代化学を打ち立てた。

錬金術は夢だった。

ところが、250年と少しして、それ

までできないと思われていた元素の

変換が実験によって確かめられて、

水銀や白金からでも金が生成される

可能性が示された。そして、現在、

放射能が残るなどの問題を抱えなが

らも金は生成され得た。

錬金術は復活したのだ。トトロでは

ないが、夢だけど夢じゃなかった、

のだ。(ただし、コストはまったく

合わない。ゴールドに変換すれば

するほど損をする)

では話題は切り替わる。

藤井竜王・名人が7冠を達成している。

この藤井が連勝連勝で出てきた時に

藤井はAIを(当時はコンピュータ将棋

をと表現)研究していると、ブログに

さらッと書いたが、どう書いたかも

忘れたが、数日前の対局での解説で

そこら辺りが出てきたので、その通り

だったと確認できた。

以前から言うように、人間はコンピュー

タ将棋に勝てない。将棋は盤のコマが

9×9で限られている。ルールもそれ

ほど複雑ではなく、それぞれの駒の

動きも決まっている。だから、ここは

計算が成り立つ世界だ。それで計算力

が重要になるゲームだ。なので計算力

では半端ないAIが人間よりはるかに

優れているから勝つのは当たり前。

では現実にコンピュータと対戦して

コンピュータが将棋連盟の棋士に

負ける例があるのはどうしてかという

と、コンピュータの側でも、スーパー

コンピュータを使うわけではなく、

ある程度容量が制限されているから

だ。本来の力である容量を制限され

ているので、プログラム技士は闘い

を前半・中盤・後半・詰め、と容量

を振り分けてプログラミングしていく

のだ。

なので、どこに力を注入していくかで

振り分け配分が違うので、それが勝敗

を左右するし、時には後半で二歩は

禁止という初歩的設定をポカで忘れる

こともある。人間の棋士はそのプログ

ラムされた将棋ソフトと3か月の練習・

研究期間を与えられるから、それに

集中できるあまり忙しくない若手の

棋士がソフトのミスを発見しやすいし、

ソフトの癖を掴みやすいので、高段者

よりも段が低くても、コンピュータに

勝ったりする。

なので、スーパーコンピュータが相手

なら、名人でも相手にならない。

ところがそこへ登場したのが藤井聡太

だ。

これは想像だが、藤井は初めからコン

ピュータのAIが悪い手とされる手を時々

打つのを見逃さなかったのだろう。

普通の連中は長い間の歴代の名人などの

棋譜を研究してきて、それを信頼して

いるので、AIも時には悪手を打つものだ、

ですます。藤井はそこを考えた。なにか

ある、と。そこで自然にAI 相手に将棋

を指し始めた、といった処だろう。

そして、彼はAIを真似るかのように

読むスピードを増した。読む深さも

とことん読んだ。そして、いつしか

藤井将棋が出来上がった。

そうしたら、相手は見たことのない手が

どんどん指されるので戸惑い、ためらう。

過去の棋譜になかったのだ。対応した

ことがないのだから、そうなるだろう。

かくして、その遅れと臆病さが大事な

一手を先攻できなくする。勝敗はその

時見えていたのだ、藤井には。

それが48連勝とかしていた頃の藤井

だったろう。

そこで話が終わるなら、くり返しを

書いただけだ。そうではないのは、

そこに新しい光があったからだ。

まず、藤井の3一銀だ。

ある対局で藤井が指した手だが、解説

のTV画面にはその盤面での最善手が

AIによって示される。その3一銀が

最善手どころか5番手以降にもまったく

出てこない、コンピュータがよい手と

してはじき出さなかった手なのだ。

周囲は驚く。誰も予想しないし、AI 

も予想しないとなれば、騒然とする。

この3一銀に対応できなかったのか、

相手は負けてしまう。

AIは4億手から5億手を読んで、

最善手を表す。だから普通に考えれば、

3一銀は悪手と思われてもしかたない。

ところが、あとで検証したのだろう、

コンピュータに6億手を読ませた処、

突然、今まで出てこなかった3一銀が

最善手で出てきた。6億手まで読むと

それがよい手であると計算されたのだ。

これはもう神話だろう。

いかに藤井の頭でも6億手が読める

はずがない。が、結果、彼はそれを

指している。どうして指せたのか、

そこが問題だ。

闇の一手だったからだろう。闇は

もちろん、わからないことの例えで

もある。そして、実際にわからない

ことの、そのものでもある。遠回し

の言い方になってしまう、それが

僕らが未知だとしている感覚とか、

才能などの本質や方向のことだ。

藤井と指す棋士が言うのは、藤井を

相手にして、彼がより速く、より

深く読んでいる気がする、と言って

いることだ。彼ら棋士同士は頭の

使い方は同じような周波を有して

いるはずだ。同じ計算を盤面で常に

使っているから。

そこで感じるのだから、まずその

速さと読みについては正鵠を得て

いるのではないかと思う。

それはコンピュータの読みの雰囲気

ではないだろうか。藤井はコンピュ

ータのように考えているのだ。それ

がどういうことか、日本棋院の棋士

たちは全国から集まった天才たちな

のだから、それさえわからない僕ら

がわかろうというのは無理な話だ。

だから、ある程度比喩的に進めない

と、何も進まない。

3一銀と棋士の藤井への感触から

比喩的に想像すると、藤井はAIの

計算作法をなんらかの時と場所で

得たように思う。それは頭で理解し

たという通常の理解の仕方や認識

ではなかっただろう。AIの将棋の

計算方式からなにかを無自覚に

見つけ出し、それに乗り移ったと

考えると、藤井が6億通りの結果が

3一銀として出せたのも可能性が

ある。

AIの弱さは数字ではなく、感覚や

情に交えて比較・飛躍する問題で、

時代を超えたり、最善手ではない

行動をする歴史問題に弱いのはそこ

からくる。(数年前の東大入試だっ

たか、そこで失敗してAI は不合格に)

藤井が示したのはそれ以外かもしれ

ない。その可能性はいつでもある。


藤井はAIの思考法の塊を別な、計算

ではないやり方で吸収した。そこか

らでも読みながら、突然に最善手が

現れるようになったとでも言うべき

だろうか。

真相は文字通り闇の中には違いない

が、そこには人間の能力の新しい

可能性が秘められているとは言えそ

うだということだ。

例えば、スティーブ・ジョブスが

スマホで世界を席巻したが、世界

がアナログ思考でボタンをひとつ

ひとつ押すスタイルで携帯ホンを

認識していた時に、彼は直感的に

画面の表面操作だけで機能動作を

可能にした。つまり、ジョブスは

人々の常識の思考という当たり前の

認識世界に針一本の穴を開けたのだ。

そこから新しい認識が入って来て、

世界はスマホ一色になってしまった。

彼は知っていた、というより、信じ

ていただろう。ある、新製品のパソコ

ンを発売する時に、その3週間前に

なっても主要ソフトの具合がうまく

なかった。発売直前である、彼は

3週間でそれをやれ、と言った。

実際ギリギリで間に合ったらしい。

ふつうの経営者はそんなことはし

ない。会社の存続自体に影響を及ぼ

すことだ。しかし、彼はそういう

ことを何度も!乗り越えてきている

から天才と呼ばれている。

これは世界を変えるには、僕らの

認識をひっくり返す針の穴を実行・

実現すればいいことを物語っている。

そうは見えないだろうか?

では藤井はどうだろう、その将棋界

は?

人間の考えた100年前からの歴代

の財産である棋譜はコンピュータ

思考を取り入れた10代の少年に

いとも簡単にひっくり返されてし

まった。人間が名人が100年考え

ようとも、将棋の可能性が無限大で

ある以上、人間たちがしてきたこと

は全将棋世界の15%?いや10%?

いやもっと少ないのか、ともかく

偉大な棋譜への尊敬とはまた別に、

ちっぽけな偉大さに呑まれること

なく、可能性を新しい道で追及できる

ということである。これまで将棋界

の人たちが権威を持ちすぎて、AIに

真に驚かなかったから、精進を怠った

と言われてもしかたない。羽生氏が

藤井はウサイン・ボルトでひとりで

すべての世界記録を塗り替えてしまっ

たと述べている時点で、彼は過去の人

だ。それ以上なのだ。コンピュータ

思考なるものは存在しない。今までの

考え方・認識からAIの棋譜を学習する

のではないのだ。その革新の点が見え

なければ、失った7冠のひとつも戻っ

てこないだろう。


僕はそのことが人々がこの3000年から

4000年に培ってきた偉大な文明文化が、

それは宗教から哲学・科学の認識に同じ

ように古い認識に染まって、なにかが

違って、真に新しさが登場しても、眼

の前にしても人々の眼中にない、とい

うことになっているのを見る。

あとはまたくり返しになるから、言わ

ない。僕らはこの世界で偉大だが、

宇宙や意識を含めた全的な世界では

少しも偉大ではないことも十分に

認識しなくてはならない。


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僕は現実には器のひとつもつくれない。

できたものは、できたものにまかす

しかない。なぜこうも不満なのかも

わからない。気にしてもしかたないが、

・・・・。
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