SSブログ

明治からの四方山話、+第2章 未来デザイン [明治]

飛び切り、個人的な感想を、記憶に

頼った当てにならない話でしていい

だろうか?そう聞かれたら、それは

まずいな、と答える。碌なものしか

ないし、誰もいない部屋に盗みに

入る?そんなような話だ、これから

書くのは。答えは落胆するだろう、

という落ちだ。だジャレではない。



西郷(せご)どんはNHKの大河ドラマで

林真理子の原作で作られたが、よく

書かれてはいるが、一つ物足りなかった。

西郷吉之助の人間の大きさと呼ばれて

いるものが出ていないのだ。

女が書いたからだ、と言うと、女性蔑視に

なるのだろうかとも考えたが、男としては

西郷の西南戦争でも彼が戦いたかった

だろうな、だから、青年たちの説得に

こらえきれなかったのだと見ている僕は

ドラマに戦いに血が騒ぐ男の本能が見え

てこず、これも物足りなかった。

武士の気概という、無駄に見える精神が

幕末には充満していた。勤王浪士はいつ

新選組に鉢合わせして、刀を抜くかわから

なかったので、なにが怖いか、という話で

聞かれると、死ぬのが怖いとは決して

言わなかった、武士の恥だった。それで

下駄の鼻緒が切れるのが怖い、と言った。

斬り合いともなれば、下駄は脱いでしまう

のに、鼻緒が切れたら布の端切れを

使って結び直すのが面倒だ、と可愛い

ことを言ったのだ。

坂本竜馬は物騒なので、師の勝海舟に

護衛をつけたらしい。人斬り以蔵だった

とか。

実際、刺客に襲われて、以蔵は素早く

斬り殺したが、海舟は殺さずとも、とか

言ったらしい。それで以蔵は、先生、オレ

が斬っていなければ、先生が死んでいま

したぜ、と答えたらしい。(小説?)

海舟は殺さずの精神を言いたかったの

だろうが、現実は殺さずんば、死がある

のみ、という状況があるのも、確かだ。

現実は精神論では通じないことが多い。

学力は深かったが、性格剣呑で、法螺

吹きとも高杉晋作に言われた恰好づけ

の佐久間象山も西洋かぶれの反発を

買っていたので、勤王の刺客に襲われ、

背中を見せて斬られ、死んだが、武士

が逃げを見せたというので、幕府からは

なにか家格か?なにか、下げられた

らしい。

それほど武家は名分に対しては原則

主義で厳格だった。

もちろん、それは原則論が通じるお裁き

が行われてのことだ。巷はそうではない。

ただ江戸時代後期の武士の肩見は狭くて、

刀を抜くことは、御家断絶につながる行為

だった。

ある藩ではフランス船が攻めてきた時には

負けて、藩の命令で戦った武士たちに罰を

与えろ、とフランス側から要求があった。

その理不尽な要求に、その藩士たちは

涙を呑んで従う他はなかったらしい。

切腹を命じられた。藩のために戦い、藩から

その戦いのために自ら死ぬことを命じられ

たのだ。森鴎外がドキュメンタリータッチで

書いている。見直してみるとそれは「堺事件」

のことで、土佐藩の話だった。

フランス水兵の上陸でその狼藉でトラブル

になり、水兵が一人殺され、水兵側も短銃を

放った。水兵を追いかけていた土佐藩の

二人の隊長がとっさに決心して、兵卒に

撃てと命じて、結果、フランス側は13人、

死亡した。これに抗議したのである。

ふたりの隊長も命令なしで反撃した

かどで隊士もろとも切腹を命じられた。

その前にも町でも狼藉があり、藩士

も町民も腹に据えかねていたので、

自然な成り行きでもあった。(なんか、

沖縄の米兵のレイプ事件などの狼藉

を思わせる)

これからが凄い。

フランス将校や兵士が見守る中、切腹

が行われるのであるが、「武士」である。

並みの精神の持ち主ではない、その

理不尽な鬱憤から、ある者は腹を切って

から、その自分の内臓を引っ張り出して、

千切り、フランス兵に投げつけたらしい。

これにはフランス兵も驚くだけでなく、

吐き気がして皆、切腹の会場から逃げ

出してしまったらしい。その後の者は、

罪はそのままだが、切腹は免れたの

だろう。

これをどう見るかだが、僕はしてやったり

と喝采したい方だ。残酷とか、気持ち悪い

とかは、軟弱な神経にしか思えない。

男にはそういう処があるが、こういう

感覚も精神もわからなくなって行くの

だろうな、とも思えるのだった。

西郷の「敬天愛人」も若い頃、学んだ

中国の儒教やその他の思想のごった煮

の書物「近思録」からの影響だったろう、

それは彼の理想精神であった。

「敬天愛人」そこから鹿児島に西郷神社

が祀られ、彼は神さまになったのだ。

現実はそうはいかない、死に場所を

求めることと戦いという命のやり取り

に身を捧げたいということはたぶん、

彼の中では同じであった筈だ。

人間の大きさは、竜馬がうまい例えを

残している。西郷は大きな鐘のようで、

小さく叩けば、小さく、大きく叩けば、

大きく鳴る、と。それは彼の「自分の

容量」が底なしで人を受けいれるのに

制限がなかったことを示している。

(敬天愛人の=人を愛す)

気にするほどの小さな自分をもって

いなかった。宴会で険悪な喧嘩が

始まった時には、自分の金玉を

さらけ出して、それにろうそくの火を

かざして、(熱いのが)我慢できるだけ

待ってくれ(?)、とか言ったとか。

周囲はあっけにとられ、喧嘩どころ

ではなくなったという話だ。九州人は

物や動物も人並みに扱うようなところ

があり、変人だ。僕が営業をしていた

頃にも九州の浅黒い男がいて、公園

で猫に話しかけて営業をした、と話し

ていた。西郷も川を流れる下駄に

どこへ行くですか?とか話しかけた

エピソードが残っていて、猫に話し

かけるくらいは当たり前らしい。



人間精神の幅・範囲を超えている。

それが一度死んで生き返った西郷だ。

彼がいなければ、明治維新は徹底して

戦われ、また行われなかっただろう。





第2章  未来デザイン


科学というのは手法のことだと思う。

真実も、いや真理でさえ無関係だと。

科学は科学の世界を数理の概念で

映し出すが、それは常に現実と乖離

している。と、幾度も書いてきている。


数学はその内実の世界の正しい論理

を想定して、正しくなるように設定され

たが、そう区切っても、それを展開させ

ると、数理自体が現実に近づこうとして

おかしな概念を次々に含めるようになり、

ついには理解不能になる。

数理は数理自体に還元されるのが

本来なので、人間が数字に置き換え

られないのと同様に、固有の区画は

人間に適応できない。数理は現実に

近づければ近づくほど、また近づけ

ようとすればするほど、矛盾をきたして

理解できなくなる。心はそれを質・量

共にあいまいな結びつきや飛躍に

よって数理を超えてしまう。アルゴリズム

は初め一部の関連を結びつけ、次に

経験学習によって、その範囲を広げるが、

その全体を固有の因数で結びつける

のは変わらないので、人間の直感とは

無関係な、無機質な連想に関わって

いることになる。機械の発想と人間のする

発想は異なる。手品で超能力に見せる

ことはできるが、どれほど速くても、計算

にはその過程があることに変わりない。

人間にはその全体をシフトしてしまう展開

としての飛躍がある。全体と一部を交換

するにしても人間は自然な体と心の知能

がその選択をするが、機械はそれを誘導

する「自己」がない。

AI にあなたの好きな曲はなんですか?と

尋ねたら、AI は何と答えるのだろうか?

答えたとしたら、そのAI に自由な発想は

できるのだろうか、好みがあることは

すでに優先事項が決まっていることで、

正しさではない、その意味は理解でき

るのだろうか、AI が自由を理解するのは

心もとない。

もしも、機械がその人間の自己を複製

するなら、できたとしても、それを理解

した人類からたぶん、将来、自らの知性

を全体で進化(突然変異)させ、残りの

知性も同じように進化してしまうはずで

ある。

可能性は新しい感覚の獲得という可能性

かもしれない。新しい感覚が生まれると

いうことは、それによって役立ち、必要

である、そういう事態や事実に対応する

ということで、それは新しい世界の分野が

もう一面で誕生することである。

これまでの五感の世界が統合・修正

されることになる可能性が非常に高い。

そうなってみないと何がどうなるかは

詳細は予断を許さないが、想像の外

のことが起こるはずである。

例えば、これまでの経典や聖典と呼ば

れるものを廃棄して、新しい考え方や

教条のようなものを思想する人間が

現れる。既存の概念・常識では理解

できなくなる。

新しいブッダであり、孔子・ソクラテス

は必然なのかもしれない。その聖者

たちのイメージは根本から古くなると

いうことだが、僕らの心の秩序が変化

してしまうことは、俄かには信じがたい。

だが、刷新というのはそのことを指す

のだろう。


< そして >


明治なら藩が消滅してしまう廃藩置県

の実施にあたる。しかし、それも中央

集権体制という外国からの借りもので

あったが、 ・・・。 

民衆の中には廃藩置県で天皇がぼた

もち?をくれると勘違いしていた者も

いて、いろいろあらぬ噂があったようだ。

情報が自由であるように見える現代に

あっても政治(日本は敗戦による米国

からの洗脳事情)がからむと、情報統制

が必ず起こる。

科学も思想や体制という概念分野であり、

その実行・実施は現実による混乱が引き

起こされることになるのが、今までの

歴史の常である。

未来もそれは変わらないに違いない。

 
::

この稿と、「自分の在り方・・・・」(追加)と

「曇り空・・・・・」(詩なのであまり追加ない)

の3稿を交代でくり返し、同時に書いて

いる。とても楽しい。この稿が最も追加が

多い。

まだどれを先にUPするのか、決めて

いない。
                   6.15


nice!(16)  コメント(0) 

江ノ電で鎌倉へ、大仏も [鎌倉]

あの日の動機を思い出そうとする。

どうしてまた、鎌倉に行ったのか。

なんとおっしゃる、熊飼さん、の

「なんと」がヒントだった。ただし、

熊飼さんは無関係。

なんと→なんとう→南東。

占いか、サイコロか、南東と出た

のだろう。

一階の居間にいた。うちのが娘の

処に出かけたので、家で一人に

なった。その静けさがひと際落ち

着いて感じられた。空気が軽く感じ

られて、どこかへ行こう、となる。


南東か。鎌倉じゃね、また。八景島

シーワールドでは、ちと遠いし、

昼とっくに過ぎているし、鎌倉よりも

他に見当がない。そこで、同じ鎌倉

なら、前回乗りそこなった江ノ電に

乗ろう、となった。

江ノ電、藤沢から鎌倉か。地図が

想像できなくて、よく把握できなかった

が、長谷寺に行こう、と思った。

なぜそう思ったかは、忘れた。

散歩なので、現地調達で現地で決める

という、当てのなさがよかった。

小田急線で藤沢に着くと、片瀬江ノ島

行きに乗り換えて、藤沢始発に座って

いた。違和感があって、降りて駅員に

尋ねた、「江ノ電はこれでいいんですか」。

それで江ノ電乗り場を案内してくれた。

そうだ、確か小田急線ではない筈で、

江の島で終着になってしまう。ただ

そこからでも乗り換えができた。

4日前の話だが、今日は入浴をすませた

ばかりなので、温泉気分で快い

だるさがある。休日でもあるから、

集中しようという気がない。

長谷寺1.1.JPG

江ノ電が駅構内に入ってきた。

長谷寺2.1.JPG

このアングルでは駅が広く見えるが、狭い駅だ。

実際、単線だし。

駅は「長谷」で降りる。もう頭では、降りた人

は皆、長谷寺へ行くのだと決めてかかって

いる。散歩の精神状態はそんなものだ。

何も考えていない。で、人混みに釣られて

歩いてゆくと、大仏前に出た。

そこで初めて、そうか、鎌倉には大仏が

あったな、長谷寺近くにあったのだ、と

呑気に思い出す。

金曜日で平日の午後にもかかわらず、

土曜日並みに観光客がいる。

社会科見学で来て以来だろうか、その

意味で懐かしくある。そう、こんな感じ

だった。

鎌倉大仏1.1.JPG

アングルを変えて、よくある記念写真に。

鎌倉大仏2.2.JPG

さて、長谷寺へと、門を出たが、ふと確認

しようと思った。これは意外にポイントだった。

一度門内に戻って、観光案内図を眺めてみると、

なんと長谷寺は通り過ぎていた。人の後をついて

来たのがミスだったしい。駅から、異常に近かった

のだ。無駄に歩かずにすんだ。 

長谷寺3.1.JPG

無人販売で陶器が売られている。

長谷寺は山を背にして、敷地が狭いので、

そこになんでも詰めて、見世物にしている、

という風だった。小さな庭園、空いた処に

なんやかやとそれらしい小細工がある。

有名な紫陽花も、裏山への上り下りを

利用したもので、なかなか工夫を凝らし

たものだな、とその知恵に感心した。

肝心の紫陽花は順番待ちで、1時間

とかかかるのか?やめにした。大仏に

行った後だったので、時間は4時回って

いたと思う。

長谷寺4.1.JPG

手入れの行き届いた池と庭だが、中で

泳いでいる鯉は、少し神経質になっていて

寄ってこないが、優雅にはしている。早朝

にでも餌遣りをしているのだろう。

長谷寺5.1.JPG

わかりにくい絵だが、左の白い部分は空の

反射。右は岩の部分。中央の黒い部分に

まだらな鯉が白・黒・赤で映っている。

長谷寺6.1.JPG

これは急いで、僕の足元を通り抜けようと

している赤い鯉。

長谷寺7.1.JPG

観音堂。中に本尊の日本最大級の木造

十一面観音があるらしいが、覗かなかった。

長谷寺8.1.JPG

とこかくこの人出だ。夕暮れになり

かけているが、暇だなぁ、と思う。僕も

だが。

長谷寺9.1.JPG

展望ヶ所から、手前に三浦半島の葉山町、

遠くに低く三浦市が望める。

長谷寺11.1.JPG

千体仏とか書いてあったな。作りは同じで

大量生産に見えるが、意外に顔は少し

ずつ違うので面白い。新しいのと古いので

汚れや焼けの黒さで年代がわかる。

長谷寺10.1.JPG

紫陽花の道の出口に近い、降り口で、

紫陽花が咲いている。まだ6分咲きだそうだ。

ー-----・・・・・・・・-------

長谷寺を出ると、次の極楽寺の駅まで

歩くことにした。北鎌倉へ歩いた時よりも

人が少なく、歩き易かった。

長谷寺12.1.JPG

わかりにくいかも。江ノ電が人家の間を

すれすれに通過しているのを撮った。

手前のバイクは細い空き地に停車中。

鎌倉へ藤沢や大船から車で行くには

山を突っ切る二本の道路か、江の島の

海岸線しかない。それで山を通る道路

は、それでなくても狭いので、その日も

渋滞していた。大型トラックは通らない。

普通乗用車とすれ違えないからだ。

長谷寺13.1.JPG

江ノ電で藤沢駅に帰ってきた。昔の

江ノ電の車両のほうが、2両だったが、

味があったな、いい車両だった。もう

老朽化しているのだろう。 ご苦労様、

見たかったが。
nice!(15)  コメント(0) 

第3章 [章]

第 3 章 



どことなく 豊かに流れる 詩情が 



あるのなら  



人の孤独は  癒されるのだろうか 



そういう時に  僕らは  音楽を聴く 



とても 大衆の  映画音楽だろう 



その国の  街や 市場の 音楽が 



ギターの旋律に  乗って  やってくる 



さよなら とか  アモーレ とか 



聞き古した 音が  懐かしい  



そのままの  位置づけで  



赤い バッグを  湖に 



放り 投げる 



全部  映画の中での ことだよ、と 



沈黙が  誘う  



ボサノヴァ   珈琲を 一杯 



これ以上は  ベタ過ぎて  やっていられない 



詩情なんか  クソ 食らえ、だ 



涙の ハンカチーフで 鼻水でも



拭けばいい  と 



我慢ならない  音楽なのだ  



が、



それなりに 気持ちのいい  音楽なのだ 



では 何?



聞いてもいいが  尋ねないでくれ  



答える気もなく  



気もなく  



最終トレインの 線路に  響いている



小学生の  答案なのだ



普通にって のは なんのことだ?  



おとなしく 坐っていることか?



じゃないだろ!? 



どうして ここまで  ふつうであることが



我慢ならないほどに  アレルギーなのか



そう  見たことがある  



電車内で  チック症候群を



体の一部を  変に動かしていないと



いられなくて  ヒクヒクさせる  



変な動作なのだが  本人は



それが自然な  動き  



でも  我慢しようとしているのも 



わかる   病気だというが  



坐ると  両脇にいる人に 



気を使って  おとなしい  



僕は  見てて  そのほうが



気の毒だ 



でも 隣に座られたら  彼を



その気になる 動きを  許すだろうか



僕は  病気ではないが



こんな音楽には  チック症状を



起こしそうだ 



いつもはそうではない  ボサノヴァの



音楽  南の 香り   海のさざ波 



なんて 気持ちいいではないか  



いや そんなことはない  



そうじゃないって  僕と僕が 



戦ってる  こんな喧嘩も あまりない 



なにが  どうしたのか   



僕は  平凡じゃないと  証明したいのか 



そう言えば  そうじゃない、と  言うくせに



天の邪鬼 という  すねかじり  



縁(よすが)が  ないのだ  



ああ この曲は ロマンスというの 



だったか  このベタな 悲しみ



僕は 無関心に  なる



手と 手を  携えて  というのは



僕は  拒否して いる 



それは 面倒な 心理  



賞賛されたくない  でも  感心されたい 



感謝されると  いけないことをした気に  



させられる  



そういう皮肉な 回路を  誰が  



作ったのか   



僕は  回避できない  



この 扱いにくさは  僕だから  



自分だから よく 知っている  



どこかで  妥協するまでの  やんちゃだと 



いうことも  



しかし  人の 七癖が  その通りだと



言うのなら  性もないのは 



僕だけでは  ないだろう  



あなたは  僕じゃないの? 



と言っても  驚かないだろう 



おびえたりしないだろう 





レストランで おとなしく 料理が 



運ばれてくるのが  待てないのは  



すでに  PTSD  だろう 



そうだ  心的外傷後ストレス障害!  



いい ネーミングだ 



名前がつくと 急に安心したり



納得した気持ちになるのは  どんな  



心の技 なのか 



19の体験は  トラウマだったとしたら  



僕の 自閉症も  PTSD なのだ 



なんで  そんな障害が 全部  軽度で



すんでしまって  克服してしまうのか



それは 中途半端なのか  なにか  



それなりに  理由があるのか  



人は  道を尋ねる時に  人を



探すのだろうか   



どうして  誰でもいいのに  僕の処へ  



来てしまうのか  



江ノ電 乗るの初めて? ああ そうですか 



不精髭  冴えない中年男  人生降りたそうな 



貧しいエネルギー 



でも  なにか  感覚を持っているのか  



僕を  見つける  



江の島まで どのくらいですか?みたいに 



知的障害者みたいな  質問  



僕は その質問を  2時間  同じで



つき合わされたことがある  



4つの 同じ質問の  くり返し  



ほんとに  疲れた  



おじさん   僕は 誰ですか? 



そう 尋ねたい  





べサメ ムーチョ  なんのことだか 



孤独って こんな感じなのかな? 



違う? こんなに元気そうじゃ ない? 



孤独って  ほんと  わからない  



パセリ  セージ  ローズマリー 



それと タイム  全部  ハーブだね 



少し前に  ボサノヴァと 書いた



今、ハーブと 書いた  



どうして ボサノ「バ」と書かなかったのか



どうして ハー「ヴ」と 書かなかったのか



気になって 調べると 



Bosa Nova  で  ヴァ 



Herb で  ブ  



どうして  聞き分けられていたのかが



わからない  



考えてしまうと  まず間違えるので



こういう時には  正解が出る 



散らばっている  ホッチキスの 



なんと 言ったのか  



ホッチキスの  針とも  芯とも 



ステープル針とも 言う 



このなんでもない  フレーズ  



文章つなぎ  軽い べたつき  



日本の  旅情  



こういう 崩れ方も   ある  



ピアノに 崖は  見えないが  



歩いて 行く先は  見えない  



辿ってほしい  旋律が  ある  



聞いてほしい  弱音が  ある  



僕は  君に  



正常と  異常のあいだを



尋ねたりしない  



君の  心が  欲しい  



これが 



これこそが  



孤独ではないのか?





なるほどと 言っても  



あいまいな気持ちのほうが  勝(まさ)って



遠くへ  



連れて 行かれてしまう 



風が  飛び  



その気持ち よさ  



このまま  運べよ  



なにも かも 



君は  坐ったままで いい  



風が 飛び  



雲が  飛び  



遠くへ  



連れて  行かれて しまう  



その気持ちよさ  



終わる   終わる  



ふわ  ふわ  



このまま  飛び  



去っても  いいよ  



このまま  



そう言う  寂しさが  



盛り返され て しまう  



山 が  



流れ去る  谷 が  



冷たい 雫に  思えるのは  



君が  やさしく  しようと  



しているから?  



これが  運命なら  



激しく  感じれば  感じるほど  



それを  撥ねつけ ようと  





そして  また  



美しい  旋律  ベタクソな 愛  



勘弁してくれ  モリコーネ 



ネコ 森のほうが いい 



どうしようもないね 



まだ  続ける?  



美しい メロディ  



はっきりと  気持ちを 決めて 



くれるよね  



それが いいのかな? 



忘れていた  クレモンテ高校 



輝く  冬の 梢から差す  光



冷たい手を  握りしめた  



まっとうだ  



まっとうな  就職試験  



駅の階段を  駆け上がって  



君が  車窓に  見えるのではないかと 



パリ  



柔らかい 言葉が  ころがっている 



街角 



パリ  



低い「パ」と 尻上がりの「リ」 



パリ 



ヴィァ  ポープ  アリ 



・・・・・・・・・・・・・・・・



信じられなかった のは  僕の ほうさ 



そう言って  泣くのかと  思った  



泣かなかった  



眼の 光が  死んでいた  



だから  あの時、 と  



言わずにおいて  よかったのかと  



まだ  わからない  僕さ  





元気を  出して  



すべては  ここに ある  



すべては いい  



それを  想像は  できないから  



表も  裏も  二層も  三層も  



って 



それは  無理  



気にしないで  



すべては  ここに  ある  



そして  そう言いたい  気持ちは



たしかに   ある  



気持ちだけ  じゃなく  



まったく  頼りにならないもの  



寄るべ ないもの  



そういうものを  見つけて  



ここに  ある  



それは  



不安の  真ん中  



恐怖の  中心  



居たことの  ない場所に 



その場所に  



一度  入ってみれば  わかるのか 



わからなくなるから  わかるのか



また  



理解不能に  なってしまった  



それは  僕が  理解を  



示そうとするときに  



なるべくしてなる  トランス  



正常であるために  異常になるべくして  



なってしまう  場所  



これは  もしかして  



ランナーズ・ハイ 状態?



それほど  快活ではないが  



どこまでも  白い砂浜を  



歩いている  気分  



しあわせでないことも ないが  



その余韻 の 気分  



話しかけないで  ピースが欠ける 



そんな気分  



自分が 上質だと  思う音楽を 



聴く  気分  



まだ  続ける? 



もう そろそろ  



戻らないと  



誰も  待ってはいないが 



そこも  なにをしても  



なにを しなくても  



かまわない  



珈琲を入れたくなる  気分 



困るんだ  



もう  眼を  覚ましたくない 





カフェ イン  ゼリー になった気分  



あくびを  しているのは  誰? 



君か ?  



僕か ?  

  

怖いくらいに  気分 上々だけれど  



君は  どう? 



ああ もう  お休み よ  



不思議に  僕も  酔って  



寄っているよ  何に拠って



何に  憧れて? 



しびれる ・・



とろけて  しびれてしまうんじゃない? 



この気分は  



眼を  覚まして  



いくらなんでも  



3時間が  10分で  経ってしまう  



なんて  



速すぎる  



このまま  ここに  いるなんて  



眼を  覚まして  



いい子 だから 



さあ 



ジャンケン でもする? 



勝ったら  Good!



負けたら  チキン! 



・・・・・・・・・・・・・・・・



(君の 番) 



・・・・・・・・・・・・・・・



そう、  



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



寝る? か 



・・・・・・・・・・・



さらっとした ボサノヴァ 



乾燥  葉巻  



いい風が  は い る  



ネコも  しなやかに  



伸びを  する  



そう 



すべては  



ハッピー

 

それで  いいよ  



なにも  言わない  



君が  決める  決めてもらう  



どうでも    いい  



ああ  寝て! 



僕を  起こさないで  



快い  リズムに  



ゆられて   いるから  



起こさないで  



まだ  続ける? 



・・・・・・・・・・・



そうっ 



ん。  




nice!(16)  コメント(0) 

縄文の神社やら文明やら [縄文]

微熱がある。意識はしっかりしているが、

薬も効いているので、ぼんやりに気づか

ないかもしれない。それでも言うことは

わかりやすいことなので、朦朧にはなら

ないだろう。

縄文のことだ。縄文時代の遺跡発見が

近年相継いだために、縄文ブームが

起こった。暇に明かせて、訪問しようと

思ったのは「縄文神社」という本を見た

からだ。縄文と神社が僕の頭では結び

つかなかった。その本で近所にもその

縄文神社があり、また縄文時代の驚く

べき長さに、一度調べて確認した方が、

となった。

埼玉県の三峰神社があり、ここが縄文

の遺跡が近くにあり、縄文神社だという

ので行こうとしていたが、人と会う約束*で

向こうの都合で、この日は神社訪問は

キャンセルになった。 *人と会う約束では

なかった、記憶違いは薬のせいだろう。

少し、忘れることになった。

そして、「縄文文明」という本を見て、

文明?なんか大げさ臭くない?と思った

がその長さからすると、そうとも言い切れ

ない。

最古の土器だったが、青森県の大平山元

遺跡から発見されて、紀元前1万5000年

から1万6500年のものとわかった。

最古と言われたシュメール文明は前5500年

が草創期だったから、それよりも1万年!古い。

めちゃくちゃな長い時代である。

例えば、埼玉県にしても、その縄文の草創期

には海がすぐ側まで来ていたから、神奈川・

東京などは存在していなかっただろう。

それだけ陸地の地形が変わってしまうような

遥かに長い年代である。

21世紀になる少し前から、どうして縄文

遺跡が発見されるようになったのか知ら

ないが、この異変は大きい。僕らは気づい

ていない。その欠片に気づき始めた

だけだ。

縄文神社がその縄文遺跡の近くにある

のは、その土器などの遺片を祭ってある

神社だからだ。驚くなかれ、縄文遺跡は

現在、全国で9万6000ヶ所くらいあると

いう。日本地図にその点を塗りつぶし

たら、相当大きい地図でなければなら

ないと想像されるが。そして、実際に

それは全国に広がっている、北海道から

四国・九州まで。日本の地形が変わる

くらいだから、縄文人も移動したのだろう。

東京ができたから、行ってみぺいか、

神奈川ができたから、行ってみぺいか、

とは言わなかっただろうが、長い時間で

みたら、そんなことだったろう。

縄文の火炎土器は有名で、その芸術的な

表象は見飽きることがない。そんな昔に

そんな芸術的なものが生まれたのは、

偶然ではなく、そういう文化が醸成される

ほどに十分な長い長い時間があった

からだ。

それをオーバーな言い方をしてみよう。

縄文に惹かれる人は多い。僕もそうだが、

たろう、南極のタロ・ジローじゃなくて、

画家の岡本太郎も縄文について熱く

語っている本を見た。ブログでもそれを

ちょっと漏らしている人を見かけるし、

縄文には心惹かれるものがある。が、

それは本末転倒ではないか、と僕は

考える。縄文が中心なのだ。そこから

僕らが自然に惹かれるようになった

というのが本筋だ。

それは縄文時代が前1万6500年から

弥生時代まで1万5000年続いたことに

よる。数字だけでは実感がない。

よろしい、こうしよう。国家資格試験での

合格点は大体80点以上だ。そこで変な

問題だが、「日本史で最も有意義な時代

は何時代ですか?」というのが出題され

たら、答えは「縄文時代」だ。そのわけは

縄文時代はその弥生時代まで1万5000年

続いた。15世紀続いたのではない、

150世紀!!続いたのだ。一桁違う。

弥生時代から僕らの現代まで、なんとたった

の31世紀である。それは日本史の83%は

縄文時代だったことを意味する。83%なら、

国家試験でも合格点ではないか。十分に

正解に値するのだ、ま、冗談だが(笑)。

しかし、改めてその長さに想いを致しても

わるくない。僕らはだから、縄文人としての

意識の流れも深さも十分な日本人として

ここに至ったのだ。これはほんとうに言葉

にならない認識だ。

日本人とは何か、というのもひとつのテーマ

としてやってきたが、ここで出発点と共にその

醸成は縄文時代にあると言ってもいいだろう、

という思いがする。それがあったから、7世紀

の聖徳太子も仏教と神道を融合させて、皇室

の権威と権力を分離させて、権力争いに巻き

込まれないように、権威の皇室としてその願い

で皇室を守らんとしたのだろう**。1万5000年

も続いた縄文は平和だったから続いたのでは

ないか。その精神が根付いたと解釈した方が

納得がゆく。

縄文土器がミクロネシアから南米やその他

から発見されているし、その地域から真似事

ではない、まったく同じ手法で造られたことで、

縄文人が世界に拡がったことも、やがて裏

づけられるのだろう。

僕ら日本人が誇りにすべきはそこらにある

のだろう。  150世紀の長き縄文に。


::
もう少し、遺跡を訪ねたりして、調べてから

書こうと思っていたが、微熱のついでに

書いてしまった。  微熱、万歳!(笑)

**

聖徳太子の皇室擁護については、田中英道

氏の要約らしい論説を見た記憶があるのを

思い出した。論旨を借りたものだと思う。

記事の趣旨ではない。
nice!(15)  コメント(0) 

祖先・父・母・その過去の歴史の交響曲 [歴史]

<熱が下がったので、走り書きした>


マーラーの第1交響曲タイタンは、まるで

映画音楽のように映像詩が流れる。

ワルター指揮はモーツアルトの未完成の

晩年の曲レクイエムが、たしかワルター

の指揮がよかったので、マーラーも

ワルターで聴いている。視覚的な音運び

はロマンチストに向いている。

母はロマンチストだった。米国旅行を

した時には、西部劇のウェスタンスタイル

の服を着て、記念写真を撮っている。

欧州旅行の時にはわざわざドイツの

ロマンチック街道を選んで旅する、と

いった趣味だった。

父は東南アジアで玉砕寸前の部隊で

終戦を迎えたので、日本へ帰る船の

着く港まで、2週間の行軍をした。

歩き通しで、寝ることもままならなかった。

どうしても寝たい時は、上官の馬の尻尾

に捕まって、歩きながら寝たそうだ。

水も食べ物も十分ではなかっただろう。

そんな戦争体験だったので、海外へは

帰国してからは一度も日本を離れること

はなかった。

それで母は親戚の義理の妹を誘って、

海外へ出かけたらしい。俄かロマンチスト

としては恵まれたのかもしれない。

そもそも僕は商店街で生まれた。羊羹屋

を始めた父だったが、うまくいかなかった

のだろう、他に甘いものや定食を始めたの

だろうか、記憶はあいまいだ。

なぜこの話が出てきたかというと、母が

その羊羹屋兼定食屋で働いた頃から

家には昔の蓄音機があり、それはまだ

鉄針にならない前の竹針でレーコードを

鳴らす代物だったことだ。

僕はたぶん、幼稚園に通い始めた頃

だったろう。熱を出して、眠れなくなった。

店があるから、子供に一晩も相手に

していられない。それで母親は僕の

前にレコード盤を100枚近く積み重ねた。

僕の特徴を知っていたのだろう、好奇心

が強いので、僕はそのレコード盤を

上から表を見たり、裏返したりして、眺め

回して、飽きると、次の盤に移った。

そして、結局一晩中、レコード盤を

ひっくり返していた、というわけだ。

これは後付けの記憶かもしれないが、

わずかに、どうしてこの盤から音が

出るのか、と考えていたことだ。

そして、このレコード盤のほとんどが

クラシックだったことだ。

母は古道具屋の家に生まれて、貧乏

で結婚しても定食屋でこのギャップは

あり過ぎる。実はその間に人生が

一変したのだ。その古道具屋の母の

親父は悪人で、子供が何人いたか

知らないが、他人から預かった娘も

含めて、芸子に売っ払ったのだ。

その芸子屋が格式があったらしく、

トップの女傑は大した女性で、時の

大臣の妾になったらしい。もう少し

僕も大きくなってからその家に

上がったこともあったが、庭には

見事な弓道場があり、向こうの端に

マトが並んでいたのを覚えている。

母はそこで教養としてクラシックを

聴きなどしながら、俄かロマンチストに

なったのだろう。その血を受け継いだ

という訳だ。

父の敗戦の地獄の行軍は僕の血にも

流れ、また父の性格としても頑固な

性質をもっている。

ここまでのおさらいは、軽く書いたこと

がある。

「第4章 結論は~」で書いたことを

おさらいで読み直してみたが、今日の

この弱った体が受け止めるものを

考えると、録画で見ていられるものは

自然界やその生態やだった。自然は

弱った心身を癒す効果があると考え

られているが、それは直接に生命を

捉えられる機会だからだろう。

僕が第4章から離れて、何をして来たか

と考えるのには、適当な時間が経った

のかもしれない。2か月だが、僕の感覚

は幻想じみた世界をさ迷い始めた気が

する。それは自己のない世界だったろう。


2つか3つのキーワードを整理する必要

がありそう。なかなか一直線に方向は

定まるものではないようだ。指針となる

ものがないのは、僕の場合、いつでも

同じことなのだろう。

新しい世界に向けてしか、帆を張れない

のだ。

僕を例に指針を示してみると、母はロマン

チストのクラシック愛好者、それは裏は

俄かロマンチストの教養好きな人だ。

父は地獄を生き抜いた人だが、頑固で

短気な人だった。人を信じなかった。

自分が困ったとき以外は。

そうすると、僕がその特徴を受け継いで

いるとすると、それらを超えてなお僕自身

の特徴は飽くまでも強い好奇心だろう。

それが探求心を牽引して、ここまで考え

続けさせたのだろう。

自我のエネルギーは強く、究極には

自分以外を頼ることはしなくなる。この

凄まじさは例え世界がYESと言っても、

それがNOだと思ったら、死んでもNOと

言うことだ。必要な時に周囲の手を借り

ればいいことから、ひとりでなんでも進め

てしまいやすい。弱さを持つ人は周囲を

初めから絶対に必要と本能的に感じて

いるから、周囲との関係を大事に保とう

とする。傍若無人なことはしない。

(人間の強さ弱さは、自我の強弱から

生じてはいるが、それは見た目で、

自我が弱いとそれを隠そうとし、寛容さ

で強く見せようとする。自我が強いと人

から嫌われやすく、困ることも多い。

社会性と独立心はちょうど対立する

ように見える。それを俯瞰するのは

知的に強く、それを家族として抱き

併せるのは情的に強く、またそれを

直感的に捉えるのは行動力があり、

それらをどうバランスして、自分に併せる

かがその人の強さになり、弱さになる)



社会は大雑把でいい加減な関係性を

必要として成り立っている。だから、

神経質や意地を張る人には、また固定

観念の先入観の強い人には渡りにくい

世間だ。社会的に円満な人というのは

僕の中では、まだ未完成だ。うまくそう

いう人を想像して作れない。

しかし、いい加減で良しとする処、という

首根っこを抑えられる人なら、渡りやすい

第1条件ではある。

だから、正しい姿勢というのは矛盾して

いる。社会正義や常識・秩序をかたくな

に守ろうという人は、常識を捉えている

点で、70点くらいの成績だ。生き易さ

において。

しかし、そのまま高齢化してしまうと、

現実はどんどん変化をするし、目新しい

ものでも出れば、それが世の中の手続き

を変えてくるから、順応しないと、遅れる

ばかりになる。が、変わりながら、それ

を理解するのは、ほぼできない。

理論的には考えれば、それはた易く思える

のだが、体の退化という細胞の活動の体

の深い点からもそうはならない。(これには

将来は革命がおこるという科学者もいる。

長生きさせようという科学だろうから、迷惑

な話だ)

過去が、祖先が、その習慣がその人を襲い、

郷愁の人物に仕上げ始める。まさにそれら

にも対応することは僕らの人生に、真の

休憩は存在しないことを意味するが、小さい

休憩は取らないと、不燃焼で進めなく

なる。たいていは妥協できる段階を

ひとつずつクリアしてゆくのだが、億劫

さが、からだも手伝って、ブレーキとなり、

僕らは齢を取ることを選んでしまうようだ。


僕らは全体で社会をキープする弱さの人と

未来の事変に対応するための強い人との

コラボで社会を維持しようという自然な法

に従っている。それに個人にも、その要素

がそれぞれ矛盾しながらも混在していて、

半無限なパターンの性格としての様相を

呈している。

僕らの人間関係・仕事関係のトラブルという

一面で贅沢な悩みはそこから起こっている。

ほとんど避けられるものだが、気質的に

避けられないものも一部ある。

それは個人間での話で、世界の国同士と

なると、これまでの習慣が結実化した歴史が

付着しているので、それを全部剝がしていい

わけがないし、それならどこをどうやってどこ

まで剥がせばいいのかが、大事になる。

まだ三千・四千年のことなのだが、人は

自分の寿命で、せいぜい百年でものを

考えるから、この歴史的人類史は目に

入ってこない。だから、歴史教育も手を

こまねいて、昔は(今も?)年号ばかりを

暗記させるという愚かな仕儀になっている。


歴史の本質は何が起こったかという知識

ではない。歴史の国民歴史感情と、システム

としての国民習慣をポイントにしてその

流れの積み重ねを教えればいいのだが、その

方法論は、今述べない。(専門家ばかりを

つくっても拉致が明かないというのを、

しっかり捉えなくてはならない。) 



今日は苦い終戦記念日だ。たった10数

年前でさえ、戦後は終わっていないという

ことを、僕が話すというのは、想像もし

なかった。


熱は1日前の37.8℃をピークに下がった。

薬で平熱になり、喉も痛くなく、コロナらしい

こともないが、検査はしないだろうから、

わからないが、PCR検査も胡散臭いと

思っているくらいだから、どうでもいいの

だが、寝不足には対策をしないといけない

だろう。ともかく、書いていて、つらくない。

走り書きから、いつ止めるのかわからない

ので、ここらにしておく。












nice!(12)  コメント(0) 

時間がないから美しい [時間]

僕らの人生の瞬間というのは、言われ

なければ、また指摘されなければ、

そのまま過ぎてしまう。

帰って来ない。

それは知っているつもりだが、わかる頃

には、それは夢だったとして、同じように

過ぎてしまう風物詩だ。

夏の風物詩は花火だから、それで話すと、

花火は一瞬のあでやかさで消えてしまう

から、何度も繰り返すように何発も上げる。

これが僕らの時間に引かれたジレンマだ。

時間を有効に使おうというのは、僕らの

生活を秒で区切って、その1秒に価値を

高めようとする行為になる。

価値はそれが希少で特別だから生まれ

るもので、平板なものに価値はない、という

のが僕らの発想で、もう常識だ。

常識はほぼ僕らの錯覚を集中させたもの

で、それらが僕らの規範になって、それに

知らず縛られるという意味では先入観とも

言えるものだ。

となれば、それらが喧々諤々となれば、

誤解が生じやすいのも、頷けるし、気が

つきにくいのも、よくあることだ。


少し、体調を崩すと、その常識が新聞紙を

バタバタ広げて音を立てるように、襲って

来る。こうじゃないか、ああでもあるんだぞ、

ちゃんと見識を示さなきゃだめだ、という

具合に、耳元に押し寄せてくる。

大した不調でもないのに、普段からは慣れ

ていないので、弱気な言動が気になり、そこ

に気を寄せる。

ああ、もう死ぬんじゃないか。そう考え

ると、けだるいつらさが幾分か、和らぐ

のではないか、とでも思うのだろうか。

まだ死なないとわかっているから、

気が楽になるのじゃないか、と自分を

慰めるつもりなのだろうか。

世の中を受け止められなくなると、それ

らが複雑に感じられる。その複雑さ

から来る神経への攻撃を和らげたく

なる。昨日まで感じていた世の中の

単純さというのは、何だったのだろうか。

要は僕が多少、疲弊して、寝不足から

体力を消耗、世間でいう夏バテ状態

だからだろう。元気であれば、内面の

バランスも取れていれば、僕はなんでも

単純に感じて、なんでも簡単そうだと

考えてしまう。実際の手順を何千段階

でも現実に置いていけば済むこと

だからだ。

今はそれができない。自分に構うだけで

手一杯になる。複雑さも増えたように

見えるし、原点だった面倒さ・苦しさ、

それを楽しんでしまうということができ

ない。以前は、こういう時は書けない

のがわかっているとして、書かなかった。

書かない、というそれができた。

それは自分の鉄則を守ることだったから。

でも、今は状況はずいぶんと変わった

ようだ。

僕は頭の切り替えはできるが、心全体

で切り替えるのは得意ではない。だから、

頭だけ進みがちになるのだが、体に

覚え込ませる伝統工芸のようなもの

には漸進で進むしかない。早くこの

心と体の複合連合なアンバランス状態

に慣れたいと思うが、残念ながら、

寝不足がたたって、半徹夜状態が

1週間以上は続いて、調整に苦しん

でいる。夏休みのつもりで、16日まで

体調調整休暇にしようと思う。



ベートーヴェンの田園を聴く。

優しいピアノ曲では、弱くて心を掴んで

くれないが、こういう時にベートーヴェン

を聴くと、彼のしっかりした心根が伝わる。

弱った体を補完する作用があるのだろう。

そうすると、統合失調症の人たちにドラマ

の相棒が人気があるのは、彼らに不足

する知に関わるものを、ドラマの推理が

彼らをなにか補完するのだろうか、と

考える。そう言えば、相棒は3,4回しか

見たことがないが、きれいな論理では

なく、感情的な推測に少し、論理性が

加わったという推理の構成だったように

思う。確かなことはわからないが、糸口

としては面白いかもしれない。

僕が見たくなくなるのだから、謎の推理

が際立っているのではないことは、確か

だろう。

推理小説で古今東西、世界を見回しても

完全な小説はひとつもない、と言っていい。

論理的に完全になるように仕組まれて

いるので、本格ものでもそこはしみじみ

読み込むと、現実的ではない展開などの

場面を発見する。面白いというのは奇想

天外な展開で、それがきちんとした論理性

で読み解かれることを前提としている。

それが読者の期待だからだ。そして、

それこそ矛盾のかたまりを解くことに

他ならない。だから、工夫と手品の

演出が必要で、それが筆者・作家の

腕の見せ所となる。

現実の事件はベタでそれが偶然が

重なって、奇怪な事件に見える、不思議

に動機がかくされたり、例えば完全犯罪

に見える状況を作り出す。

ドストエフスキーの「罪と罰」も読んでいて

少しも推理小説には感じないが、よく

全体を思い出すと、推理仕立てにして

推理小説にも変化させて書くことができる、

とわかる。刑務所にいたことがあるので、

推理は子供だましくらいにしか思って

いなかったのかもしれない。犯罪を扱った

小説は多い。

坂口安吾(「堕落論」で戦後名を売った

作家)が夏目漱石の小説で、出だしが

まったく推理小説だが、すぐに文学に

変る。ドストエフスキーではそういうこと

がないから、ドストのほうが格が上だ、

みたいなことを言っていたが、一理

あるが、ドストエフスキーに推理小説

は書く気がないから、そこは比較して

も比較にならないだろう。



修善寺の大患で漱石は一度死んでいる。

医者もそう言う。ドストも処刑台にまで

引っ張り出されて、死刑執行の直前で

中止を告げられて、一度は死を覚悟して

いる。

ふたりに共有したものは、はっきりしない

だろうが、彼らがはっきり意識したものは

はっきりしている。

生きてしまったことだ。ほぼ死から復活

したことだ。そこからは、自分はこれから

どう生きるかが、命題のように提示される。

漱石には正岡子規との青春のつながりが

あって、その子規の死の事情があるの

だが、横道なので、入らない。

死を目の前にすると、自然なことが起こる。

それは時間が死ぬことだ。そして、その

概念は死ぬだろうが、代わりに本物の死が

離れられなくなる。だから、頭は冷静でも、

必至な生存本能が働く。時間はそれまで

の高級な浮世離れの余暇だったと気づか

される。読書の時間も、恋人との時間も、

立身出世の時間も、それは実際は

その人の人生には直接には結びついて

いないと、無意識でもわかる。

なにかを決定的に一度選んでみると、

選ばなかったものがどういうものか、

また時には、選んだものに違和感を

覚えて、間違いな選択だったと気づく。

僕らは、しかし、人生という大局でそう

いう選択を迫られることが少ない。

だから、普通に考えて行動を起こせば

済むと思う。そのままで進めることが

いつまでもできるなら、それはそれで

構わなく、思うが、そう人生が一直線に

進んだ人いうのは、まだ人類史上いない

だろう。僕らは大なり小なり、すべての

悲惨さと苦しみにどこかで触れ合う。

そこから人生は始まるのだろうが、そこ

で諦めてしまう人も多いのだろう。

それらはいつもくり返されていることだ。

時間を失くすことには、知られない価値

がある。僕らは楽しい時だけそれを実行

しているので、そうでない時にもその価値

があるのに気づくことはない。

それは我に帰るからだ。それは人間全体

な心身ではなくて、自分という枠に嵌めて

きた今の世間に合わせようとして、固めて

きたいずれ常識から外れ、古びてしまう

もの。自分に帰る。

脳にはこの潜望鏡からしか、外の世界が

見えない気がしているから、どの計器にも

しっかり時間という記録が管理されている。



もういいのかもしれない。見えない世界と

言っても、存在とかの絵空観念ではなく、

それと今どうつきあっているのかが、生活

であって、それを構築するにはデカルトの

ように、大いなる父の遺産を受け継いだり、

キャベンディッシュのように、やはり、遺産

を受け継いだり、生活費の基盤が必要なの

かもしれない。



疲れて、締められない。風邪薬でここまで

来たのだろうが、ともかく、発熱しないうちに

夏休みにしよう。

あと1篇、書きかけがある。では、台風を

出迎えようか。

(<美しい>までは、書けなかった。それは

薬や妄想じみた想像の所為ではない)
nice!(11)  コメント(0) 

朦朧の鎌倉散歩 [鎌倉]

昼に起きだしたが、出かけなければ

いけないと、初めから思っていた。

生活が煮詰まっていた。コロナ下で

煮詰まっていたのではなく、今頃

圧迫されたのである。

理由は知らない。出かけたいのも、

気づくと土曜日だ、人が大勢出ている

からだと。なぜか、そういう日に出か

ける。

皮膚のような自意識はしっかりして

いたが、内面の芯がはっきりしなかった。

今日は(その日)縄文の遺跡を訪ね

ようと予定したが、どうもその気になら

ない。鎌倉へ行こうと思った。思いつき

である。

「鎌倉へ行く」と言って、家を出たが、

もう気が変わり、八王子方面に出て

みようかと、海老名で相模線のホーム

にいた。相模原の橋本行きを待つ。

橋本から横浜線に乗り換えて八王子

だが、まだ橋本までで、その先に気が

いかなかった。

天気もいいし、気分もいいのだが、なに

か朦朧とした気運が漂うといった、変な

感じだった。

橋本とは逆の茅ヶ崎方面の電車が来た。

乗り降りが終わっても、電車は動かない。

橋本行きを待ってから発車するつもり

らしい。相模線は途中、単線になるの

だったか、覚えていないが、そのために

ホーム待ちしてもおかしくはなかった。

おかしいのは僕のほうだ。停車してる

車両を見ているうちに、やはり、鎌倉か、

と考えていた。なぜなら、茅ケ崎に出て、

東海道本線に乗り換えて、鎌倉に

行けるからだ。そう思うと遅ればせ

ながら、待っている電車に乗り込んだ。

気まぐれは意識がはっきりしていない

からではなくて、心の中心が定まって

いないから起こすのだと思う。

車内で坐って、ちょうどホームに入って

くる橋本行きを眺めるが、もう気は変わ

らない。



茅ケ崎から鎌倉は遠い気がしたが、

大船まで3駅、鎌倉まで2駅、計、5駅

しかなかった。頭の地図の距離感が

合わない。

そう言えば、この日も帰りの北鎌倉から

1駅しか立っておらず、あとは行き帰り、

それなりに土曜で混んでもいたが、すべて

坐ってきた。電車が来ると、もう席が

空いているのを素早く確認している自分

がいる。うまくなったものだ。



ところが、鎌倉へ着いたはいいが、どこへ

行くのか?まったく何も決まっていない

のに気づく。前回来た時には北鎌倉で

降りたことも忘れていた。

鎌倉駅、さすが込んでいる。浴衣を着た

20前後の女性も3人、見かける。

夏か。

駅前の案内板で、建長寺を見つける。

前回も、初めての時も、ここを訪れて

いる。だからそこを訪れなくてもいいの

だが、なぜかそこへまた行こうと思う。

鶴岡八幡宮への参道があるが、それ

よりもその一本脇道の仲見世通りの

ようなやや狭い通りがあり、喫茶店や

土産物、食事処、小物店が500mくらい

並んで歩く人でにぎわっている。

そこへ時折、小型自動車がゆっくりと

した速度で、人混みに割り込んでくる。

平日はふつうに車道なのだろう。

八幡宮が近づいてくると、なんとはなし

に自分が散歩で来ているのがわかった。

目的などないのだった。散歩で鎌倉を

選んだのだ。理由はあとからわかる。



八幡宮の記憶はなかった。一度、境内

に入ったことがあったかどうかも、記憶

がない。横の道を歩いているので、

「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」の前を

通った。そうだよな、(今は商業主義だから)

と通り過ぎる。そこら辺りから歩道が車道

と分離して少し、広くなる。が、鎌倉方面

への片道車線が大渋滞で、徒歩の10倍

の時間がかかるのではないかいな、と

思わせた。神奈川県近代美術館・鎌倉

別館があったが、土曜日なのに休館して

いた。

道元のナントカ碑というのもあったが、まだ

新しく、どこかうさん臭かった。なにがそう

だか、わからないが。

そこら辺りから、歩いてこなかった足が

しびれだした。万歩計を見ると、8000歩

になっている。ここまで歩かないと、結果

が出ないのか、と思った。何の結果か?

その時はわからなかった。

それから数分歩いて、元気が出てきた。

運動不足だった、乳酸が体にたまって

いたのが、足が疲れることで発散される

ようだった。僕は膝も腰も痛くなると、

更に痛めつけることで回復してきている

ので、体がそれを要求したのだ、と考えた。

体の疲労の乳酸と、心の疲労とは違う気が

した。細胞の芯まで刺激するほどでないと、

細胞が活性化しない、だから体を痛めつけ

て、元気を出す、そんな感じだった。

空き地があって、そこに空き家があったが、

前にも見たようだった。見慣れた空き家、

そんな雰囲気。黒いトタンの家。

しかし、車の渋滞は続いていた。こういう

のに人は懲りないのか?または知らない

で来るのか?バスもいた。バスに乗るより、

徒歩のほうが速い。

気力が出てくると、今度は周囲に注意し

なくなった。バスに乗った人がどれくらい

いるのかにも、眼を向けない。

半ば茫然として、建長寺の駐車場に辿り

着く。そこがそのまま正面入り口だった。

拝観料は五百円で、安いな、と思った。

1日平均で何人入ると、一か月の収入は

どれくらいか、暗算し始める。他に駐車料

と、座禅に参加する人の参加料、あと何

だろう?

その日、座禅で本堂に座る人は多く、30人

くらいいたろうか。静かに、という立札が

あったが本堂周りの木の床はきしんで、

音を立てずに歩くことはできない。ので、

ふつうに音を立てて歩いてきた。

その裏手で前回のように長椅子に座って

池のある庭を見ていた。この池には亀が

いないのだろうか。1匹も見なかった。

水面を小刻みに騒がせて、なんだろうと

思わせたのは、アメンボだった。

昨日にクイズ番組でアメンボは胸に

油分をつけていて、そこに足の先を

浸して、水に浮かぶ工夫をしている

のだと。そんな空想の姿を思った。

建長寺1-1.JPG

建長寺 総門 : 境内に入ると最初にある。

他にも門があり、威厳のある造りなので、それ

なりに意味がありそうだ。そう思いながらも、

役に立っているのかね?と疑問視している。

無知とはこんなものなのだろう。

ここを過ぎるともっと中途半端な場所に

唐門がある。


建長寺2-1.JPG

建長寺 唐門 :

家康の日光東照宮を思わせる。金箔が。

どこかから移築したらしく、うまく配置でき

なかったようで、横の大庫裏がはみ出し

ている。この門の向こう裏側に方丈(龍王殿)

があり、本堂と呼んだが、ここで座禅をして

いる一般客がいた。なぜか、まじめに坐って

いるのが、可笑しい。

まじめにやらなければ、坐っていられない

のだが、漫画家の蛭子(えびす)さんは

坐ってられなかったそうだ。何も自分が

変わらない、と言っていたが、変わるような

ことが起きると、期待したのだろう。初心の

過ちだ。

帰りにヒノキ科の「柏槇(びゃくしん?)」という

古木を見て、驚いた。こいつが一番威厳が

あった。唸るような気持ちで、半周して観た。

建長寺3-1.JPG

建長寺 柏槇 : 推定樹齢760年。

迫力のある大木だった。髭を生やしたトトロが

棲んでいてもおかしくないような、なぜか情念を

感じた。

建長寺を後にすると、もう4時。円覚寺まで

足を運ぶ余裕はなさそうだ。

北鎌倉は小さい駅で、ホームも広くはない、

人が大勢いる。

日本ってこんなに人、いたっけ?と田舎者

みたいな感想を持ちつつ、青い空、人々の

陽射しに反射してまばゆい服装に目を奪われ

ていた。

こんな散歩もわるくない。


nice!(10)  コメント(0) 

氷河の遺体は痛くない [山岳]

コメントに返事をするのに、書きたい

ことが多すぎて、なにしろ、山のことで、

ブログ記事で書くことにした。

ヒマラヤ、特にエベレストの遭難遺体は

前回記事で想像で書いたが、空想事では

なく、事実だ、そして、優しく書いた表現

になっている。エベレストの現実はもっと

想像を超えて厳しい。

(氷河の遺体は痛くない、それはミイラだ

からだ。)

エベレストにはこの100年間で

8400人以上が登っているが、300人

近くが帰らぬ人となっている。

大半が7000m以上の高度の危険地帯で

命を落としている。女性登山家で休憩中に

ちょっと眠るつもりで、疲労からそのまま亡く

なってしまったと推測されている者もいる。

疲労度が半端ではない。この高度では足を

一歩持ち上げるのが、気持ち100kgの

岩を足に括り付けているように感じるのが、

この高度の疲労につながっているのだ。

休みたい、が、決して寝るのは許されない。

一瞬で凍死してしまうのが、この高度の

危険なのだ。



ひとりの遺体を埋葬するために下ろそうと

してシェルパとネパール人警官が遭難して

命を落としている。場所によっては8人

がかりでないと、下ろせない処もある。

ほとんどそのままなのだが、氷河には200人

くらい落ちていて、何百年も凍結したまま

流されることになる。時々ミイラの遺体が

発見されるのは氷河が溶ける処かららしい。

他の遺体はエベレスト登山の目印になって

いる。

緑の靴を履いていた遺体はグリーンブーツ

と呼ばれて、ピークに近く、長年親しまれて

道の標識になっていたが、強風と低温で

飛ばされて谷に転落してしまったという。



遺体の父親を尋ねていた登山家が父親の

年齢を越えていたという話も、実話で聞いた。

すべて現実なのだ。

僕らの世界は、たとえ現実だけでも、奇怪・

不可解にあふれた世界なのだ。光の速さの

ロケットに乗らなくても、時間は遅く進む。

幻想でもなんでもない。あなたが親の歳を

越えてしまう世界がそこにあるのだ。

大自然はそういうことを教えてくれる。


登山は人生に対していい教訓を多く

持っている。山で遭難する者は大半

遭難するべくして遭難している。

僕はまったく知らなかった日本の三大

景勝地の一つ、上高地に偶然入って、

(金が無くなり、友達を頼ってたどり

着いたのだが)、なぜか気宇壮大で

日本北アルプスが自分の庭だという

気がした。初めての大キレットを前

にして、小ささも感じ、ヒマラヤを想像

して、早くも世界のヒマラヤに挑戦したい

と思ったのだった。

山ですべきことは手を抜けない。必ず

しなければならない。それは初めの

危険の経験から身に染むように

わかった。

例えば、装備も万全でひ弱そうでもない

青年が冬山でテントの中で凍死して

いたということがあった。死因は汗が

凍ったことらしい。つまり、彼は汗を

かいたが、面倒で、着替えの用意が

あるにも関わらず、そのまま寝て

しまった。

そのまま汗が凍結して凍死という、僕

には笑い話だ。が、そういうように山の

現実、自然の過酷さの現実を無視する

バカ者が当然のように遭難死してしまう。

僕は山を登りながら、そこからなにが

どうなのか、まるで山肌が教えてくれる

かのように、山に詳しい人や山のため息

そのものから学んできた。そして、冬山

ならその山のどこが雪崩の危険個所か、

前もって調べておく。危険を感じたら、

せっかくの休暇を取ってきたのに、という

ことであっても、その場で下山する。一度

のミスが死につながるのが山の掟だ。

慎重に慎重を期して、それが当たり前に

最高の対処だ。

そういう自覚は伝わるものなのだろうか?

教える人・教わる人に拠るのかもしれ

ないが、自然や心の世界は知らないこと

ばかりと意識に伝えることをしないと、

遭難も誤解もこのまま増長するばかり

だろう。

南極にヘリコプターで降り立った人の

歯(前歯?)が、極度の低温でその場で

欠けてしまったという話は、僕の驚いた

話で2、3番の話だ。眼鏡が割れてしまった

という話も聞く。

極寒の南極で営業する歯医者や眼鏡屋

はいたのだろうか?(笑)


nice!(15)  コメント(0) 

散文詩へと降りる階段を [散文詩]

音楽が聴こえ始めたようだ。音楽が

他人であるよりは、少し心乱される

くらいのほうが、それくらいでないと、

楽しめないようだ。 

そえだ信と添田学はどちらがペンネーム

なのか、と昨日は考えていた。

語りかけているのが、ゴスペルなのか、

ストリートミュージッシャンなのか、そこ

から文学臭や街角のオペラから漏れ

てくる歌声が聴こえてくるようであれば、

なおいい。

窓を開けて、世界を迎え入れる。

それはビジュアルで美しい世界を

前提としているんだろう。僕の何が

どう介入しているのかは、気にしなく

ていい。  

今晩も、蛍を見に行くことはないようだ。

その気にならないのは、不思議なことだ。

自分のなにをそれに、どう合わせよう

というのか。

少年の頃に読んだ、ジャングルの物語

とか、ジャングルの樹々の厚い葉っぱ

たちの匂い。

原色のどぎつい色が灼熱の街に似合う

のはどうしてだろうか。どうして街ごとに

それぞれのメロディがあって、それは

その国・地方の情景を背景にして、聴けば

それがすぐに現れるのか。聴くまでは、

とても思い出しそうもないし、まず出て

こないだろうとわかるのも、不思議だし、

それは独特なのだ。

僕らはそれがその国の音楽だとわかるが、

それが自分の国からは決して生まれない

だろう、とわかるようなメロディもあるのは

気の遠くなる過去を思い出させるようだ。



僕らの体に刻まれたのは、体の特徴

ばかりではなく、父親のメロディも組み

込まれているし、母親の和音も節や調子

があるように、奥に隠れて因子になって

いるのだろう。細胞が古くなって、分裂

が止まる頃に、それが現れて、過去に

戻されるのだ、ほぼ強制的に。

そういう風に概念を辿らなくても、美しい

歌声はそこにある。声を聴きながら、

それを美しいと感じるものはなにに拠って

いるのだろう。

Confusion 、

僕らは心乱すものを求めて、それを美しさ

と呼んでいるのだろうか。

Slow Down 、

アー、 と コゥーを、混ぜたような

細い声が  透明に見える。

長い彗星の尾を  引くように

伸びやかな  その 響き 

なにかを  掴んだ!  その時は

どうして  皆も それがわかって

感動の渦が   生まれるのか。

そして、周囲の皆が 感動しているのが

お互いに  わかっている。 

これは   なんだろう。

その感動の前には  誰も

なんでもなかったことを  忘れて、 ・・

声が  胸を  つらぬいた。

僕らは  その力 の前に 

死んでしまう、   一瞬。

死ななければ、その夢に  参加できない。

現実は  だから、 一瞬で   覚める。

が、  覚めない。

その余韻が  思いのほか響いて 

それには  触れることができる。

その振動に 触れて  僕らは 

共鳴する。

こうして   僕らは  感動する。

共鳴の 余韻なのだ。

それは決して  交じり合わないが、

一瞬  交差する。

夢と  現実は  どちらも  

実現しない。

僕らは  その余韻を  そ、楽しむ。

僕らが感動しているのは、

現実を  知らないから。

夢を  ほんとうは 知らないから。

生は  死とともにある時、 すべては

実現するのだろう。

それは  今、 というなにか、  だから。

いつまでも  仮のものを  実現した、と

思い込んでいる  そういう状況で

僕らは  楽に生きられる  のだろう、

のだろう、 ・・ と 。  。  。



7000mを 越えると、 頑強な体の

プロ登山家でも  生存は ただの

生物生命維持の  存続を賭けたものに 

なってしまう。

酸素ボンベがないと  あるいは  よほど

ヨガの呼吸を 修行しないと  

酸素が  間に合わない。

今年も  ヒマラヤに来た、父に会いに。 

同じ登山家で、  ヒマラヤで亡くなったが

遺体を  おろす方法が  ない。 

辿り着いた8000m、 親父はいた。

雪を払ってやると、 同じ顔をしている。

亡くなってから時間は止まっている。

細胞の分裂の分子運動が、遅くなって

いるのだ。

少し、頬笑む。 もう父親の 年齢を

越えてしまったからだ。  オレは

親父より、 歳を取ってしまった。

彼のほうが、若いのだ!

奇妙だが、これが現実だ。これが?

現実は、まるで「夢」のようじゃないか。

魔法でないと、親父を年齢では越えられ

ないはずなのに、親父は もうすぐ

オレよりどんどん 若くなり、

あと15年もすれば、 オレが親父の

親父になってしまう。

夢のようだ。この現実は、まるで夢だ。

住む世界が、環境が変われば、僕らは

現実が変わってしまうのだ。

固定化された現実は、地球の陸地の

平坦な大部だろうが、別世界はいくら

でもある。



音楽も夢を運んでくるようだが、これも

夢の現実を運ぶために、音階・音程・

音調を使った、僕らの方法の一つで

あり、ひとつの、 迷いなのだ。

僕らは  迷いの中にいる。

そういう特別な世界を 造っている。

そして、自らの始めたことなのに、

しかたなく、ここにいると思っている

のだ。

ここは  ほんとうは  どこなんだろう?



ムジカ、  ・・・ まじか。

僕らの自分。その自分のなにがそれを

知っているのだろうか?知っているから

不安が去らないのではないのか?

気がつかないようにする一方で、不安

の穴が広がらないように、修復を考え

ている。それを見ないようにして、見ている

気にさせなくてはならない、不安な自分が

いる。そいつをどうにかしなくてはいけない。

神に頼ろうか。感動して、それに拠ることに

しようか、とその国に伝わる方法で、ほぼ

限定で考える。宗教はその手軽な手段に

なる。

音楽でひとつになろうとするのも、そのひとつ

なのかもしれない。合唱して、合奏して、

何か一つに全員で合わせることで、その

世界を合わせる、仮初に。

僕らはそれらでもマンネリ化してしまうが、

夢との一瞬の交差は忘れない。感動が

匂いのようにまとわりついているからだ。

その余韻を求めて、方向もわからずに

活動を試す。その現実の破れ目に癒され

るのを期待して、からだろうか。

僕らが人生を変えるのは、決してそこに

真実に出会うからではない。真実と

想定したものは、概念になり変わるが、

その強烈さは、現実の荘厳さだろう。

僕らは現実に目覚めて、人生を変えて

しまう。変えなくてはいけないことを、

知ってしまうから。その動機が心に

刻まれるように生まれてしまう。

なんてことはない。僕らは楽観された

世界を楽に生きているのだが、現実

はそういう状況に遠慮はしないから、

あらゆる不具合が、そういう状況が

生まれる。その時だけ、それに対して

だけ適応しようと頑張るが、終わると、

それも忘れて、現実から離れてしまう。

僕らは安寧な世界に身を委ねている。

自動車の運転をしながら、まだ大丈夫、

と酒の量を増やして、飲んでしまう。

必ず事故るのはしかたない、運転を

止めるか、酒量をもっと控えるかしない

と、人生はうまく回らない。

神の声を聴きたくなるだろう。ソクラテス

のように、生きる意味をそこに見出し

たくなるだろう。そうしてきた人は多い。

ただ、僕はそれで神に会ったという人

はあまりに少ない、ほぼいないことで、

それはおかしい、無視されてるだけじゃ

ないのか?と思う、そういう人間だ。

僕は人間の神にも超人にも出会わず、

言葉にならないものに(強く、激しく)

出会った。

これもひとつの限定された出会いなの

だろう。大乗仏典にしたように、仏教を

概念化(便利品)するようにはできないが、

僕は必然的に学ぶ姿勢になる。

例えば、宇宙を地球の1億倍と少なめに

見積もって、クリアした宇宙はそのまま

ではない。知の征服を喜んだ晩、そして

数日後には宇宙を見上げると、そこから

さらに1億倍に膨れ上がった、どこまでか

見えもしない宇宙を見る。悟るのは、永遠

の先には永遠が広がっていること、僕らは

そのいつもその一歩手前の永遠の中に

いる。

― 自然に考える。僕らは永遠にそれを

くり返す。それも解き明かした永遠よりも

抜群に大きくなる永遠をくり返す。

そりゃ、誰だって神に負けてしまうよ。

それは諦めたくなる。だから、自分という

現実から離れてしまうのだ。愛を逃げ場に

してしまうのだ。超常現象を経験した者は

少数派だが、少なくはない。それでも彼らは

安価な愛や崇高な神の概念に拠ろうとして

しまう。そういうあなたは選ばれた人間なん

かじゃない。

(ここにある私・あなたを)諦めないで、と

僕は言いたい。

今の永遠に見える、実際の永遠も僕らの

現実であり、夢なのだ。生命がそのなに

かしらが、僕らにはある。その中心にある

ものを、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・、それだけでいい。

僕は最高度に疑うことができるが、その

必要はない。安心できる。それがあるから。

生命の中心に。

なぜ、偉大とか、善良なるとか、崇高なとか、

最高のとか、全知とか、聖なるとかそういう

装丁・装飾をしないと落ち着けないのか、

僕らは。

いつも、なにかを差し置いて、誰を慰撫しよう

としているんだろう?



その 美しい声

その誘いの  気持ちよさ

その誘いに  乗らない

盤石の  この世界

また  滋養を楽しみながら

盤石の   その味わいよさ

そして  盤石であるために

僕は  心で  脆弱になる

必要で あれば

心は  好きな時に  捨てればいい

脆弱でなければ  生きれない時がある

そして

それにしても

盤石でなければ  どこにいるのか?



祈りたいときには   祈る 

アレル ヤ  

アレル ヤ



必要で あれば

心は  好きな時に  捨てればいい



脆弱でなければ  生きれない時がある

祈らなく てもいいのなら



それにしても

ほんとうに  それにしても

盤石でなければ  どこにいるのか?



nice!(11)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。