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朦朧の鎌倉散歩 [鎌倉]

昼に起きだしたが、出かけなければ

いけないと、初めから思っていた。

生活が煮詰まっていた。コロナ下で

煮詰まっていたのではなく、今頃

圧迫されたのである。

理由は知らない。出かけたいのも、

気づくと土曜日だ、人が大勢出ている

からだと。なぜか、そういう日に出か

ける。

皮膚のような自意識はしっかりして

いたが、内面の芯がはっきりしなかった。

今日は(その日)縄文の遺跡を訪ね

ようと予定したが、どうもその気になら

ない。鎌倉へ行こうと思った。思いつき

である。

「鎌倉へ行く」と言って、家を出たが、

もう気が変わり、八王子方面に出て

みようかと、海老名で相模線のホーム

にいた。相模原の橋本行きを待つ。

橋本から横浜線に乗り換えて八王子

だが、まだ橋本までで、その先に気が

いかなかった。

天気もいいし、気分もいいのだが、なに

か朦朧とした気運が漂うといった、変な

感じだった。

橋本とは逆の茅ヶ崎方面の電車が来た。

乗り降りが終わっても、電車は動かない。

橋本行きを待ってから発車するつもり

らしい。相模線は途中、単線になるの

だったか、覚えていないが、そのために

ホーム待ちしてもおかしくはなかった。

おかしいのは僕のほうだ。停車してる

車両を見ているうちに、やはり、鎌倉か、

と考えていた。なぜなら、茅ケ崎に出て、

東海道本線に乗り換えて、鎌倉に

行けるからだ。そう思うと遅ればせ

ながら、待っている電車に乗り込んだ。

気まぐれは意識がはっきりしていない

からではなくて、心の中心が定まって

いないから起こすのだと思う。

車内で坐って、ちょうどホームに入って

くる橋本行きを眺めるが、もう気は変わ

らない。



茅ケ崎から鎌倉は遠い気がしたが、

大船まで3駅、鎌倉まで2駅、計、5駅

しかなかった。頭の地図の距離感が

合わない。

そう言えば、この日も帰りの北鎌倉から

1駅しか立っておらず、あとは行き帰り、

それなりに土曜で混んでもいたが、すべて

坐ってきた。電車が来ると、もう席が

空いているのを素早く確認している自分

がいる。うまくなったものだ。



ところが、鎌倉へ着いたはいいが、どこへ

行くのか?まったく何も決まっていない

のに気づく。前回来た時には北鎌倉で

降りたことも忘れていた。

鎌倉駅、さすが込んでいる。浴衣を着た

20前後の女性も3人、見かける。

夏か。

駅前の案内板で、建長寺を見つける。

前回も、初めての時も、ここを訪れて

いる。だからそこを訪れなくてもいいの

だが、なぜかそこへまた行こうと思う。

鶴岡八幡宮への参道があるが、それ

よりもその一本脇道の仲見世通りの

ようなやや狭い通りがあり、喫茶店や

土産物、食事処、小物店が500mくらい

並んで歩く人でにぎわっている。

そこへ時折、小型自動車がゆっくりと

した速度で、人混みに割り込んでくる。

平日はふつうに車道なのだろう。

八幡宮が近づいてくると、なんとはなし

に自分が散歩で来ているのがわかった。

目的などないのだった。散歩で鎌倉を

選んだのだ。理由はあとからわかる。



八幡宮の記憶はなかった。一度、境内

に入ったことがあったかどうかも、記憶

がない。横の道を歩いているので、

「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」の前を

通った。そうだよな、(今は商業主義だから)

と通り過ぎる。そこら辺りから歩道が車道

と分離して少し、広くなる。が、鎌倉方面

への片道車線が大渋滞で、徒歩の10倍

の時間がかかるのではないかいな、と

思わせた。神奈川県近代美術館・鎌倉

別館があったが、土曜日なのに休館して

いた。

道元のナントカ碑というのもあったが、まだ

新しく、どこかうさん臭かった。なにがそう

だか、わからないが。

そこら辺りから、歩いてこなかった足が

しびれだした。万歩計を見ると、8000歩

になっている。ここまで歩かないと、結果

が出ないのか、と思った。何の結果か?

その時はわからなかった。

それから数分歩いて、元気が出てきた。

運動不足だった、乳酸が体にたまって

いたのが、足が疲れることで発散される

ようだった。僕は膝も腰も痛くなると、

更に痛めつけることで回復してきている

ので、体がそれを要求したのだ、と考えた。

体の疲労の乳酸と、心の疲労とは違う気が

した。細胞の芯まで刺激するほどでないと、

細胞が活性化しない、だから体を痛めつけ

て、元気を出す、そんな感じだった。

空き地があって、そこに空き家があったが、

前にも見たようだった。見慣れた空き家、

そんな雰囲気。黒いトタンの家。

しかし、車の渋滞は続いていた。こういう

のに人は懲りないのか?または知らない

で来るのか?バスもいた。バスに乗るより、

徒歩のほうが速い。

気力が出てくると、今度は周囲に注意し

なくなった。バスに乗った人がどれくらい

いるのかにも、眼を向けない。

半ば茫然として、建長寺の駐車場に辿り

着く。そこがそのまま正面入り口だった。

拝観料は五百円で、安いな、と思った。

1日平均で何人入ると、一か月の収入は

どれくらいか、暗算し始める。他に駐車料

と、座禅に参加する人の参加料、あと何

だろう?

その日、座禅で本堂に座る人は多く、30人

くらいいたろうか。静かに、という立札が

あったが本堂周りの木の床はきしんで、

音を立てずに歩くことはできない。ので、

ふつうに音を立てて歩いてきた。

その裏手で前回のように長椅子に座って

池のある庭を見ていた。この池には亀が

いないのだろうか。1匹も見なかった。

水面を小刻みに騒がせて、なんだろうと

思わせたのは、アメンボだった。

昨日にクイズ番組でアメンボは胸に

油分をつけていて、そこに足の先を

浸して、水に浮かぶ工夫をしている

のだと。そんな空想の姿を思った。

建長寺1-1.JPG

建長寺 総門 : 境内に入ると最初にある。

他にも門があり、威厳のある造りなので、それ

なりに意味がありそうだ。そう思いながらも、

役に立っているのかね?と疑問視している。

無知とはこんなものなのだろう。

ここを過ぎるともっと中途半端な場所に

唐門がある。


建長寺2-1.JPG

建長寺 唐門 :

家康の日光東照宮を思わせる。金箔が。

どこかから移築したらしく、うまく配置でき

なかったようで、横の大庫裏がはみ出し

ている。この門の向こう裏側に方丈(龍王殿)

があり、本堂と呼んだが、ここで座禅をして

いる一般客がいた。なぜか、まじめに坐って

いるのが、可笑しい。

まじめにやらなければ、坐っていられない

のだが、漫画家の蛭子(えびす)さんは

坐ってられなかったそうだ。何も自分が

変わらない、と言っていたが、変わるような

ことが起きると、期待したのだろう。初心の

過ちだ。

帰りにヒノキ科の「柏槇(びゃくしん?)」という

古木を見て、驚いた。こいつが一番威厳が

あった。唸るような気持ちで、半周して観た。

建長寺3-1.JPG

建長寺 柏槇 : 推定樹齢760年。

迫力のある大木だった。髭を生やしたトトロが

棲んでいてもおかしくないような、なぜか情念を

感じた。

建長寺を後にすると、もう4時。円覚寺まで

足を運ぶ余裕はなさそうだ。

北鎌倉は小さい駅で、ホームも広くはない、

人が大勢いる。

日本ってこんなに人、いたっけ?と田舎者

みたいな感想を持ちつつ、青い空、人々の

陽射しに反射してまばゆい服装に目を奪われ

ていた。

こんな散歩もわるくない。


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