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君は友人とも友達ともいう [友人]

こうして 坐ったままで 

僕は  誰と 別れようと

している のだろう 

この 孤独の 土偶のように 

ユーモアのある  感慨が 

その ため息だと 

いうのだろうか 

なぜ 同じ 以前の彼では  

いけないのだろうか  

なぜ 予想した 彼の姿に

落胆しなければ 

いけないのだろうか 

過去を  温めようとは しない 

僕が  変人 だからだろうか 

彼が  老人 だからだろうか 

すべては 留まろうと 

しているからだろうか 


彼の生活を  そのままに 

なぜ かき回す必要が あるのだろう 

物語が  始まるとしたら 

こういう風に 

別れから 始まるのだろうと 

夜の 帳に  問いかける 

彼の 文章が 読みたいのは 

もうひとつの  感傷なのだろうか 

夕食に  誘われて そこで 

新しい世界を  食卓に

並べて 見せたら 

彼は  驚くだろうか 

新しい 一歩を  踏み出したいと

思うだろうかと 

勝手な 望みを  思ってみる 

そのまま  彼が 尻込みする

姿が  見える 



君は 人に 不安を抱かせない

天才だ 

君の 運転で  隣に座っても

一度も 運転が 気になったことがない

うまさも見せないが  間違いもしない

安心していると  気づきもしない

君は 不安を 抱かない人 

なのだろう

それは 君の人気でもあるが 

君は  人の不安が わからない 

ただ 君のために 泣いてくれる 

それが ただ 泣きたい人だとしても

君は  感謝するのだろう 

泣きたい人が  君のためでなく

ただ 自分が泣きたいという 

そういうことを  君は 知らない

気持ちだけに  溺れたいというのは  

強い誘惑を テリトリーにする 

それが  そのまま 昇華されるなら

歓迎したいが 

それは 泣きたい自分が やはり 

泣いてくれる 誰かを  求めている

のだったら

彼は  他の処で  人を傷つけて 

しまうだろう 

面倒だが、彼は 同情し 

同情されたいのだ 

君は  彼に 騙されているとは

言い過ぎになるが  

そういう涙の 親切が  

わからないくらい いい人だ 

だから 

余計に 

僕のことは  知らない

僕は 君のことを  振り回すし

君は  古い 友情という

神話しか 見ていない 

君は  引き潮に 乗って

海原へ  帰ってゆき 

僕は  砂浜で  砂の城に 

夢中だ  

手を 振るとしたら  

この時だろう 

腰を 上げると  

君の乗った 船が見える 

君も  手を 振っているのだろう 

あの時の  思い出という  

財産を  捨ててしまった 僕を

まだ 見つめて いるのだろう 


暴かなくてもいい  真実が 

あるのなら 

君に  まとわりついた  闇が 

照らされるのを  望むだろうか

今から そんなものに 

この先 十年も 悩まされるのなら 

知らないほうが いいと  

そうであっても  なくても 

放っておくほうが ・・

そう思いながら  

連絡を 取ってしまったのは 

どうしてだろう 



僕は ちょうど  我が道の 

進むべき  順序 

進むべき  市場

進むべき  場所の 

整理ができた  ところ 

それは 喜び  それを 

君に 報せ  

君と  分かち合いたい 

そうだから  

それが  君だったのだろう 

迷惑な 話だったのかもしれない 

どこまでが  許されるのか 

お人よしの 君と 

人のいい 僕と 

迷惑は まだ  生きることで  

そう思って  いいのだろうか 

新しくなくても

後戻りでも 

なにも 進むのではなくても 

会わなくても いい  

伝えられれば  

君という人を 

君に 

伝えられれば 

その意味が  まだ  よく 

わからないが 

生きるのに  

迷惑では  いけない  

というのは  おかしいだろう

そうではないか 

僕が  これを  そのまま  

文法通りの 言葉にしたら  

わかりやすいだろうが  

その時  

その  ほんとう は 失われる

どうして?という 理由もない 


僕らは 

生きるのに  

迷惑では  いけない  

というのは  おかしいだろう

そういう困難さや 苦労があるから

それが 生きがいになることが 

ある 


だからといって 

それが すべてだと 信条のように 

するのも  どうだろう?

それが 正しいという 答えだというのも 

もっと  おかしなことだろう 


この靄(もや)の 中に 

出口はあるのだろうか 

答えは 待ち人のように 

立って 迎えてくれるのだろうか 

それなのに 

僕らは  会ってみると 

別な世界の 会話を  している 

どうでも いいことを  

探して  面白くしようと している 

いざ 会ってみると  

せっかく  会えたというのに 

友達オーラに  包まれるのを

よし、 としている  

いいかげんな 世間という 

安心できる 社会民族の 

一員に  なろうとする



そこに 生きる という関係性は 

ない のだが 

僕らは  習慣に  従う 

長い 長い 

歴史という  祖先からの 

感情オーロラ生活に 

埋没するのだ 



生活は  チラチラと 

靄の間から  毎日

隙間を  空けて 

光を  見せる  

気がつけない ほどに 

気がついても 見ないように  

僕らは 自分を守る 

オーロラの膜を  操作する

人は だから  強く見える 

自分は  ダメだが  

人はどうして  立派で

寛容で  頼れるように 

見えるのだろう と 

お互いに 強弱は あれど 

似た者同士 なのに 

それを  隠したがる 


自分を さらけ出すほど 強くは

ない 

ー とは 皆が そうではないのか  

だから  強さ 弱さではない



こうして 坐ったままで 

僕は  誰と 別れようと

している のだろう 

この 孤独の 土偶のように 

ユーモアのある  感慨が 

その ため息だと 

いうのだろうか

どうして 僕は 以前のような 

僕では  いけないのだろうか 

自然は  僕を 待たないだろう 

世界は  僕に  解釈を

要求し 続けるだろう 

宇宙は  僕には 

わからない まま だろう 



こうして 坐りながら 

僕は  いったい  

誰と  

別れようと いうのだろう 

一番親しい  君は  

誰 だろう

最も 身近な 君は 

今も  いるのだろうか 

僕を 見捨てるな、 と 

言わせたい のだろうか 

僕を 助けてくれ、 と 

懇願させ たいのだろうか 

それが  勇気なのだろうか 



僕は 

決して 僕が  捉まろうとはしない 

この手を  差し出す 

そうはしないのに

そうしたい からだ 


さて 

君は  なにを 

考えたのか 

その手を  取るか 取らないか

よりも先に 

君が  必ず 

自分のプライドと 相談するために

考える  

その衣装が  世間 というものだ 

晒している 裸が

自分 そのままというもの

だから 僕らは 気づきたくない 

嫌な 感じだから 






:::

手のひらを見ていると、その上に

生命が燃えている気がする。

その炎を掴もうと手を握れば、

炎は消えたように見えなくなるが、

消えたのではない。また手を広げると

そこに生命が現れる。

自分の視線からは見えないだろう。

そんな気がするということを、信じ

ないからだ。

僕らの美しいものは概念化されるので、

それを具象のもののように扱う。

わからないから、そこに名前を充てて

言葉にその姿を刻もうとする。

そうして美しいものは姿を変えてしまう。


水道水は透明で、真水のように見える。

ストーブにかけた鍋の水は最初は

よく熱せられて、蒸発する。しかし、

鍋に半分になる頃から、蒸発する

のが遅くなる。煮詰まってきたからだ。

煮詰まっている物質はカルキという

化学物質だ。そのままにすると、

やがて表面に、白っぽいうすい膜が

でき始め、最後は白く焦げ付いてしまう。

真水はH₂Oではない。自然にH₂Oは存在

しない。それでも雑物の混ざったおいしい

真水はある。

自我は知とともにある。水道水が殺菌を

目的にあるように、自分の視点という、

一種の欲は必ずカルキのように存在する。

それは自分を守るが、一種の毒でもある。

真水は毒(化学)を含まない。

この真水が僕が美しいと呼ぶものだ。

自然に毒がないとも言わない。

カルキのような自分は必要だが、

信じるようなものではない。それが

批判的な言い方になっている。単純

に否定するなら、簡単なことだ。





こうして 坐ったままで


僕は 何を  思うのだろう


ラベンダーの 地平に


背中が 抜けて 


透明な向こう側を  


見つめた まま  

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