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とか、日本の根とか [根]

とか。   という言葉、よく使う。  

長くすると、「と、またそれに似たものとして、」 

となるだろうか。つまらない気づきだが、この  

それに似たもの、という部分がやけに聞こえて  

きて、そこにそれなりの空間があるような気が  

した。とか、といった瞬間に通り過ぎてしまう  

のだけれど、ほんの一瞬、余韻がそこにある、  

といった・・・・。  

あれとこれ、と言ったら、それで終わりだが、  

あれとか、これ、と言った時には「とか」にも  

強調があって、そこに考えるポーズを加えた  

ような、・・・というどうでもいいような着眼点  

だが、ふと気づいたときに、それを書いて  

おきたいというのは、長い習慣で癖にも  

なったようだ。

ここで大飛躍してしまうが、僕にはその微妙な  

気づきの瞬間が、創造の扉から漏れてくる  

秘密の匂いがする、そんな思ってもみない  

気がする。着想や発想というのは、飛躍する  

ことで起こる。またはなにかが着想や飛躍する  

ことで気づきになり、それがかたまりだったり  

すると、それが直接、芸術や著作(思索)に 

結びつく。  

それは壁よりもっと薄いカーテンのようなもの  

だが、そのベールは自尊心、嫉妬、軽蔑、  

怒り、卑下、自虐、尊大、傲慢、名前、国籍、

喜び、やさしさ、正義、アイデンティティといった  

所謂「自分」でできている。  

それを自分で作ったお手製だから、それが  

なにか、実態は何か、と知る前にシレッと  

造られてしまう。なので、その複数や変形を

毎日のように作り、応対しながら、また作り、  

としているので結果、ベールは薄いが強固に  

なりつつあるのが、日常だ。  

僕らはそれらに強襲されないために、社会や  

家庭で教わるしつけとか常識、世間の知恵、  

年の功とかで防御する。これが役に立って  

いる、想像以上に。  

なぜなら、そこには祖先からの知恵が積もる  

形で歴史になっているからだ。僕らは意識  

できない。ただ眼の前に概念や知識として  

それを捉えるが、それが仮の姿であるのは  

見えない。  

そういう僕の知見は過去にある。僕はひとり  

ではないという実感を、なぜか早くから覚えて  

いた。また自分の話になってしまうが、少し  

我慢してもらって、結婚してからJ・クリシュナ 

ムルティの言葉から、1が完全である、という  

思想を、自分なりに想定した結果、ひとりで  

生き、ひとりで死ぬのが「完全」ではないか、  

その生活のうちに真理を発見するのでは  

ないか、という仮説を立てた。そこまで行けば  

後は実行あるのみ、と精神的にはひとりで  

生きるという(内面の自覚でだが)周囲から  

孤絶するという実験をし始めた。 その  

おかげで相模川の真っ暗な暗闇を平気で  

ズカズカ歩ける(多少はつまづくが)ように 

なったし、地球の自転を疑似体験して、  

危うくテトラから川の池に落ちそうになった  

りした。  

が、ハイライトは直径5mという(気の)  

球の空間を感じたことだ。自分的には  

見えたと思っている。それが球に見えたの  

だから。  

それは河原に現れたが、目には見えなかった。  

かなり大きいもので、前提の直感でそれが  

死の世界のものだと、わかった。知る前から  

そう感じた。少し、恐怖があったが、そこに  

入ってみた。なにも見えなかったが(それで  

よかったのだ、見えていたらトラウマになった  

かも)、氷のように冷たい極地を思ったほど  

だった。妖怪じみたものがいるのかと思った  

が、思った割には僕の脳はそれを投影せず、  

心理錯覚もなく何も見えなかった。この大きな  

玉は5分後にもう一度入って確認しようと  

戻って来たら、もう消えていた。と言って  

も、初めからあったとは言えないのだが。  

影も形もなかった。これから少し、2,3日か  

1週間か覚えていない。突然、僕が死に  

かけているのに気づいた。それまでに日常  

は灰色の生活で、新鮮さ、生き生きとした  

感覚を失いつつあった。あの死のボール  

空間は極めつきだったのだろう。  

僕は何年、実行していたのだろう、ひとりを  

やめた。一人でいるのは精神的にも死ぬ  

ことだ、このままでは死んでしまうと、実感  

したのだ。それで「やめた」、と心に言い  

聞かせた時に、それは自然な事象だった  

のだろうが、僕には驚くべきことが起こった。 

体が生き返るのがわかった。あの脱水  

症状で病院で点滴された時と、全く一緒

だった。体が温かくなって、点滴が体を

巡るのが感じられた。助かった、生き  

返ったと思った、その生き返る感じで  

入って来るものがあった。   

それが名づけようのないものだった。  

それが僕には愛だった。僕にとって  

それが愛だと、言われなくてもわかった。  

僕はそう思った。僕の直覚は、生きる  

ことが愛である、と当時はそう思った。  

すぐにその後、生命に愛は不可欠だと  

学んだ。分かちがたいが、自然は厳しい。  

それは僕らは愛と生命を時に、滅多に  

ないが、選択を迫られることがあるからだ。  

東北の「遠野物語」は飢饉で飢えのために  

農村の親父と二人の子がもう餓死しかない  

時に、「父ちゃん、おら達を食べてくれ」とか  

言って親父は絶望的に叫んで、子たちの  

首を切り、泣きながら子を食べた、という 

話だったと思う、それを以前にも紹介したが、  

災害での救助でもその時にどう動くか、行けば  

自分の命が危ない、発生時にはどうすべきか、  

はない。その時自分がどう動いたかは、後に  

なって問われる問題だ。子供を助ける場面かも  

しれないが、3人死ぬより、2人で済ますのか、  

その時の選択はじっくりと判断したことではない。  

恐怖が勝てば、もしくは冷静な判断でまだ 

残った子を誰が面倒みるのかを考えたりした 

結果であってみれば、どの判断がよかったと 

いうのは、ほとんど結果論、あとから批判して  

みればの話でしかない。僕らは今、現実に飢え  

たり、危急の時にいるわけではない。その時  

になってみなければわからない、というのが 

真相だ。  

このことは僕らの日常での生死のバランスの  

問題につながるのだが、それは今はわき道に  

なるので、問わない。



戻ろう。小さな気づきは僕らはどうでもいいと  

見過ごすことが多い。ふと気づいたことも、  

ああつまらないことだ、と捨ててしまう。  

僕はそれを拾うことを問題にしているのだ。  

これは少なくとも、ここまで来た僕にとっては  

声なのだ。何の声だか知らないが、なにかを  

知らせる、教えようとしている。  

僕らが常識や知識に頼ろうとしているのは  

書いたが、それは僕らが思うような有効な  

情報ではない。が、十分に有効なのだ。  

僕らはそれらを知識として、常識として扱う  

が、それは実際は根である。根とは僕らの  

体から体へ受け継がれる精神的遺産の  

ような、また、だから伝統(古い記憶)の  

ようなものだ。   

言葉という概念の知識だけではそれは  

人に影響しない。ニュースで海外でこれは  

どこの国の風習です、と聞いたり見たり  

しても、この風習はいいからと、今日から  

早速真似しよう、というのは起こらない。 

起こるのは、その国やその風習に関連した  

そういう知識や生活習慣がすでに少しでも  

取り入れて、下地があるからだ。下地のある  

人だから始める。  

僕らはいきなり、異なった習慣を取り入れる  

ことはない。この意味は、僕らはすでに日本  

の下地があり、その伝統的なことをすでに 

取り入れていることだ。どこから、親や学校  

や生活習慣は、もちろんそうだろう。だが、 

それを拒否するのも難しくはないはずだ。  

だから、僕らは知らずにそれに従っている。  

その部分が重要だと、僕は思っている。  

それが過去の家族、親類とか、昔の日本  

の人たちの因子だ。それが根になっている。  

僕らは、だから、すでに日本人なのだ。  

そして、それに関しては自由は自分個人しか  

残されていない。小さな自分だ。ここだけが、  

日本人でも幼くしてアメリカに移住して成長  

すれば、アメリカ文化の影響の強い日本人 

になる。個性がまだ勝って強いうちは、アメリカ 

人だろうが、日本に戻って暮らし、老境に 

なれば、自分は弱くなり、恐らく隠された日本人 

の自分に気づかざるを得ないだろう。  

僕らが日常でつまらないと思う、ちょっとした  

気づきが、なにか自分を変えたいと思い  

始めた人には、実は非常に大事なことになる。  

そこには、その人に特有のこれまでの日本人  

の過去が詰まっていて、日本で生まれ育った  

のなら、それが自分の想いや考え方も、感じ方  

もほぼ集約されて、体から無意識に今の自分を  

築いてきたと言えるからだ。  

同じ日本人はいない。自由でありながら、僕らは  

ある意味、自由ではない側面を持つ。僕らが  

気づくことができる情報は眼の前に半無限に  

あるが、それはほぼその人に基づいた情報  

だと言える。これは半分以上の自分情報の  

元(根)を拾わずに、その言いなりになっている、

という意地悪な言い方もできる、無自覚な自分  

に翻弄されるということにもなっている。 

(僕らは軽い催眠状態では、鶏のまねをしろと  

暗示されると、それと知りながら、それをしないと  

気持ち悪いのでする、という半自覚にある。  

酔っ払いに似ている。また深い暗示にかかると、  

それをした後でも記憶がない) 

僕らの自分だと思っている情報は、簡単に  

拾えない事情がここにある。  

だから僕らは、ふつうにあまり自分に抵抗なく、  

ちょうどいい加減に、それらをスルーする。  

僕らに自分を精査したり、知ったりする強い  

動機はないし、生活費を稼ぐので忙しいから、

面倒なことは忌避したい。それが気の抜けた  

ほうのサラリーマン感情だ。  

また、戻ろう。  

まじめな人も多いだろう。僕にも、なぜ自分を  

知ることがそれほど重要なのか、その緊急性  

も実は、知らない。変な話だが、僕は事前に  

過去を生きる、無意識な未来を事前に生きる。  

それで直接に過去や未来がわかるのでは  

ないが、僕はこれまでの経験を頼りに、ほぼ  

近年だが、これまで外したことのない予断や 

情報を生きようとしている、と僕の姿が見える。  

これは常識やふつうに良いとされる知識や  

人の体験などにも反することが、往々にして  

ある。これを説明するのは自分を裏切ること  

になるので、しづらい。僕は逆説的な人生を  

選択したか、それとも運命なのか、性格も  

あるから然(しか)りとはわからないが、僕は 

自分を裏切ることで自分を発見し続けている 

のだ。  

生きている限り、自分は成長し、発生し続ける。  

自分を捨てるような、自分に逆らい続ける 

精神行為は終わりを迎えることはないように  

思う。   

これをもっと自意識で完結する、世間での行為  

でのことを「自分に勝て」とか「自分と闘う」とか  

言うのだろう。僕には根という意識の底を加え 

ないと意味が違うと感じる。 

  

またまだ少し前のブログについて、おかしな  

言い方をした意味について解題しなければ、  

と思う点がいくつかあるのだが、それも機会  

があれば、にしたい。  

春に誘われ、桜を見に行く、とか言うのは  

僕には根に誘われ、日本を見に行く、という  

ことに思える、ひと言でいえば、ここで書かれた  

何やかやはそういうことだ。  

子供は花見に興味はない。桜なんか見たって  

面白くないからだ。そういう時、大人はなんと  

言うか?大人になればわかるよ、と言うのだ。 

大人になれば? 

どうして?

たぶん、その意味は知らない。感じているから  

知っているつもりだが、風情というのは何百年、

千年も積もり積もって、落ち葉や埃、虫の死骸 

が数センチの厚さの土になることだ。たった  

数センチだが、それこそが日本の根を育てて  

いる。
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