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肋間神経痛の痛みは17分? [神経痛]

放たれた矢はその方向の使命や思いの

ままに自らを装飾して、初志のままに

飛ぶものらしい。矢を放った者が

もう少し右に向かわせれば、と思って

も後の祭りらしい。

せいぜい慰めになる音や楽器を聴いて

この憂さを晴らそうかと、思うが。

心の上をテーブルの上を転がる玉の

ように、気持ちも気分もゴロゴロして

いる。

たぶん、と言ってみる。言ってみた

だけの油のような空白が広がる。

そのあとになにか言いたいことがある

ような、そんな展開を自分に期待して

いる? まさか、なぁ。 

悲観するとか、楽しく見るとか、そんな

ことが、ただの言葉としてガラスの

ように砕けて、キラキラのダストのよう

に闇に散ってゆく。

ほんとうに僕らが生きることは、正当な

こと、または正統なこと、もしくは

ほんとうに正しいのだろうか。

僕は儚いものを惜しんでいるのだろうか。

過去に過ぎ去らないように、頼もうと

でもしているんだろうか。それが叶わない

ことだと知っているなら、これは未練な

情なのだろうが。叶わないことが少しも

未練ではないのだったら、これは虚しさ

なのだろうが、僕の心には今、なにが

テニスボールのように転がり続けるのだ

ろうか。

僕が自分に尋ねたいことは、これじゃ

ないか、という会話を思い起こしてみた

ところだ。君にはなんの不安もないと

いう不公平感があるんじゃない?

そういう君の考えこそ、無駄なおしゃ

べりではないのだろうか。

不公平など自分の優越を確かめたい、

未熟な生活へのスタンスではないか。

僕らは生きることにもそこに感謝したり、

感激したりを求めなくてはならない、

そういうのが一般的で、ふつうに

生理的に人間だということなのだろうか。

そういう反語的な言い方をしているのは、

それは違うだろう、と言いたいのだ。

それは違う。

そんな疑いや否定的な不安を煽らなく

ても、すでに生きている、という事実が

ある。僕らはすでに放たれた矢なのでは

ないか。矢を放ったのが過去の自分で

ありながら、僕らはわからずに自分の

意志だと言うかのように、今の自分の

方向に進んでいる。

僕は聞いた気がする。1マイル進んだら、

2マイル先が見えるんだよ、と。

2マイル進んだら、4マイル先が見える、

と。その意味はわからなかったが、希望

があるのはわかった。それを、だから

信じたのだ。

それは何も語らなかったが、その先に

答えがあるという、見えない、見せない

期待があったのだろう。勝手に思って

いただけだが、そういう僕らの姿勢が

影絵のように時間が流れるように重な

って、やがてそれはデジャブだと

気づき、思うようになった。

そこまで行けないのよ、と歌う女の子

がいた。そんな時代の歌もあった。

それをまるで名誉か誇りであるかの

ような歌も現れ、その高らかさに人は

賛美したが、人々の高揚にもかかわらず、

もう今では思い出だった。

過去の栄光だったろうか。そうではなか

ったような気がする。そういう希望を

求める僕らがいつの時代にもいた。そう

いうことではなかったのか。

こういう興奮とそのあとの寂寥をくり

返すという、それが僕らの運命なの

だろうか。

くり返す刺激、長く伸びる怠惰、それを

継続するために僕らは何かをするのでは

ないだろうに。それが僕らの生活では

ないだろうに。

これが僕らの憂さの正体ではないだろ

うか。山があり谷があり、ではなく、

山があるから谷がある。僕らはそれに

準じて、峠を越えたり、登ったりする。

その時にそれをする必要があった。

それを絵に描いて眺めるという悠長な

ことではなかった。

その時にそのことがあり、それをしな

ければならなかった。

そうでなければ、そうなので僕らは

自分の思想でそうしてきたと、言うの

かもしれない。その内容はそうでは

なくても、僕らは言葉を選ばずに、

間違った言い方をしてしまうだろう。

そうして、その言葉が回りまわって、

僕らは正しい言い方を失うのだ。

世間はそう言うつもりの誤解ばかりの

言葉にあふれる結果になってしまった。

地獄に堕ちるという言葉さえ怖がる人

がいるという、妄想が定着しているの

だが、

(今、灯油ストーブに火を入れた。

少し、早いが、胸の肋間が痛む徴候を

見せたのだ)

何もない、と思う。思おうとしている、

思うべきもの、思い出してもいい、そう

いう心に浮かぶ点景だろうか、なにも

ない。それが音の流れに合わせるだけで、

ここまで来てしまった。

これがいつもなにかを書こうとして、

最初に入る心境だ。違ってしまったのは、

わかるだろうと思う。最初に来るものが

後半に来て、もしかすると最後に来て

しまったことだ。

こんにちわ、いつもの幕開け、僕。

だが、ここまで書いてしまって、これ

から始めますというのは、いかにも

時機を逸したようだ。

(実はパソコンを30分も離れていた。

肋間神経痛が前兆通り襲って来て、

胸の痛みにしばし苦しむことになった

からだ。鎮痛剤を飲んで7,8分、

楽になってきた。そんなに薬が速く

効くわけはないから自己治癒で、

少し自前の沈痛物質を放出したの

だろう。息をハァハァさせる痛みは

去り、30分後、今のことだが、

完全に楽になった)

いつか書いてみたいと思っていた、

何を語るのでもない、退屈な文を

こうやって書けるようになってし

まったのだ、という感慨をして、

胸の痛みとともに終わりにしよう。

さようなら、勝手な僕。笑えない::

(Ha, Ha)

            22.10.14
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