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窯から出るまで [陶磁器]

まず、ひとつ整理しなければならない

分析のための点がある。

秦野の教室で自分のこしらえた小花瓶

が突然、ものを突破したことだ。ある

集中があって、その粘土のデザインを

見ていたのだが、形というものが

あった。

それは花瓶が花瓶に見えていたのでは

なく、形そのもの、というわからない

ものだった。その「もの」のほうから

襲われたような感じ、それが近い。

それは美しいというようなものでは

ないだろう、今思えば。

そこには新しいものであるかのように

形そのものが自分が何であるかを示し

ていた。そして、それを受けること、

感じることがそのまま感動だった。

今に気づいたのは、僕は眼を開いて

瞑想のポーズをしたことはない。

だから、瞑想が来たときはいつも

瞑目していたのだ。

その花瓶を見つめていた。だから、

眼を開いていたので、これが瞑想

ととても良く似た現象だと考えた

ことなかった。

眼を閉じるのは見える光景に注意を

奪われないようにするためで、そう

しなければならない事項ではなかった。

だから、瞑想が形を通してきたとし

ても、気づきにくかったのだろう。

なぜそれを言うのか、それはそう

考えると納得しやすいからだ。

僕は呆然自失していた。それは自分を

失うという、瞑想のための準備に適っ

ている。五感が働かなければ、また、

なにも考えない状態になれれば、いい

のである。

つまり、僕はその無の世界からの観照

を受けたと考えられる。そこで形の

この現象界(現実)での五感に照らされ

た「もの」という感じではなく、僕ら

には五感を通した経験である「もの」

ではない、新しいその「もの」(花瓶)

を見たのである。だから、ものがそう

いうように見えたのは初めてである。

それがまるでその花瓶を透過したよう

に感じたので、そう書いたが、多分、

違う。ものを突き通すというのは言葉

の彩とか表現で、実際はそこにあった

ものをソノママ感じたのだ。

だから、僕はそれをものの美だと思っ

てしまったが、それはものの無意識

な形であった。

そう解答すると、その後に僕がそれを

次の粘土の形や、陶器に形になんの

感動もなくなって行くという過程が

わかる。透過したと感じたので、目の

前のものではなく、その形の向こう側

を見ようとしてばかりいた。

それで見れないので、だんだん落ち込

む、という段階を辿ったのだ。

これも美という妖しいものの落とし穴

のひとつなのかもしれない。落ちて

みなければ、なかなか上達していか

ないような、つき合いなのだろう。



秦野と練馬の二つの陶芸教室に通って

いるが、どうしてその必要があるのか。

それは秦野では手びねりで粘土が中心

で、練馬では初めから磁器を目指して、

電動ろくろで磁土を中心にしている

からだ。

粘土と磁土とは性質が違うので、土

の練りも違う。磁土は少しの鉄分も

嫌うので、窯も清潔さを要求される。

一緒に焼けないのである。


その土の練りというのは、どちらの

教室でも重要事項として教えられて

いる。初めは気にせず、聞いていた

だけだったが、その土の粒子の肌理

というものがいざ本焼きで焼成した

時に割れやすいか、空気が爆発して

しまうか、を左右するものなのだ。

その練りの方向によっても、ろくろ

では回転方向に合わせないと、粒子

がばらけるような方向では、空気が

入りやすくなる。と、なかなか職人

の技なのだ。

練馬で磁土のほうがよく練らないと

ならないとかで、菊練りというやり

方で片側、最低100回ずつ計200回と。

しかし、秦野では片側30回だと言う。

秦野では磁土ではないので、それ

より少なくていいらしい。


その菊練りが大変。見ていて真似すれ

ばいいだろう、と簡単に考えていたが、

僕の器用さでも一部しか真似になら

ない。

やがてわかったのは、右手と左手で

それぞれ異なる動きをしないといけ

ない。力の入れ方も右と左で異なる。

というイレギュラーなので、ともかく

相当かそれなりの練習量が必要。目安

は3か月だそうだ。

100均ショップへ行くと、とても違和感

に襲われる。そこそこの茶碗や湯呑や

皿などがきれいに仕上がっていて、陶器

を生活用品で使うのなら、それで足りて

しまうからだ。手に取っても、重さも

適当でよくできている。工場生産だろう。

磁土を練る機械もあるだろうし、型に

流し込んで、大量に焼くと聞いた。

僕は菊練りの練習をキーボード打ち

が重なった所為で、左手首が腱鞘炎

になった。高齢者には、菊練りの

機械が必要らしい。

ともかく、体力が要る。それほどに

手間暇と体力、多少の資金も居る

陶芸は贅沢な趣味である。そして、

完全に不足しているのは、そういう

陶芸の価値に対する意識である。

日用品という安価なもののネック

があって、高額なものではない、

という固定観念が日本には、いや

世界にははびこっている。

陶芸教室に通って自作を売っている

人もいるが、一つの茶碗でも作成の

時給を引いても、ひとつ5000円の

原価だろう。労働時給を考えれば、

1万円で売っていいものなのだが、

そんなに高いものを買わないだろう、

と世間の固定観念がそう言う、の

ではないか。

練馬の先生はすべて東京の芸術大学

の卒業生で、中堅作家の人が多い。

それでも芸術作品でひとつ3万から

5万くらいだろう。まったく気づいて

いないが、それでは安すぎる、とい

うことだ。

芸術であるからには、日本では過去

の偉い先生の作品しか高値がつかない、

と考えられているので、陶器市場の

関係者も新人への(意識しない)投機

の要素が足りないとは思っていない

ようだ。

投機も闇天井になるのは、金持ちの

自己満足に堕しでしまうが、健全な

市場を作ることもできるはずだ。

中堅作家の作品が5万円では情けない

次第だ。

磁器の場合は削りの仕事が多いので、

粗削りと本削りの2回行われる。

焼成にしても3,4か月に一度くらい

なので、作り始めてそれが焼成されて

出来てくるのは、平均3か月に1度?

くらい。体験教室でも1か月くらい

先になるはずだ。

それでも焼いてみなければどうなる

か、どういう模様になるかわから

ないことが多い。自然との掛け合い

なので、ある程度までしか計画通り

にならないし、また登り窯などのよう

に計画通りにならない焼成窯のほう

が出来上がりの予想以上にいい景色

(模様・色など)が望めるので、作家

の好みに拠って窯を使い分ける。


最近、僕のものも窯から出てきた。

自分のものは評価するというのは

難しさもあるし、評価することが

自分の気に入るように感じたよう

にしたいので、ほぼできないと

思うのだが、ただ気に入った処が

あればいいと思うのだ。

その控えめな観点からは、僕は

すべての(三作品)で色合いが

気に入った。

試作品1-1.jpg

猫?である。

タヌキだと言う人もいた。

が、僕にはこれをリアルな写実的

な猫作品にはしたくなかったので、

こんなもんじゃあない、と。

試作品2-1.jpg

歪んだ一輪挿し。

意外に、狙っていた色合いに仕上がった。

これを手作りでやっていくのは、時間が

かかり、ろくろでやりたいと思った。

試作品3-1.jpg

これも色が織部の緑風で気に入った

が、飯茶碗に合わなかったと反省した。

自分の飯茶碗は別に最近出来たので、

30日には持ち帰れる。


なので、ただの(使わない)器として

見ている。


美については分析では関われないので、

これからもどれだけのことが言える

だろう、と思う。自分の評価が絶対

どころか、それに近いものでもないと

しっかり自分でも思えるので、精神

から遠い作品には口をつぐみたい、

と思うのだが、・・・。 




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屈人織辺の日記 10 (2)益子・笠間陶芸旅行 [陶磁器]

なぜか、笑ってしまいます。(多分に

陽秋的)

いよいよ益子の本骨頂について語る

ことができるからです。益子メッセには

益子美術館と益子国際工芸交流館(小さい)

とがあり、そこに濱田庄司の旧宅もあり

ます。前回はその旧宅を紹介しました。

やはり迂闊なのは僕でした。美術館も

工芸交流館もまったく素通りしていま

した。まっすぐに濱田さんの旧宅に

伺っていました。

観光地図を見ると、そのメッセから2km

ほど離れた陶器市通りからも外れた処

に濱田庄司の参考館がありました。

参考だから期待するほどのものではない

でしょう。陶器市を歩いて回り、益子駅

にも出て明日の移動の確認をして、

陶器のお土産も買って、その参考館まで

足を延ばしました。

陶器市のはずれから街道があり、そこ

の脇にすぐの処にありました。

益子参考館1.JPG

益子参考館 門前

門の横側がチケット売り場と売店に

なっていて、そこから中の土蔵が二棟

見えました。入口が開放になっている

ので、展示場と見て取れました。

参考館2-1.JPG

徳利です。龍門司とあるので、龍門司

焼きでしょう。薩摩・鹿児島の窯で

見つけて購入したものと思われます。

首が長い、掛けた釉の線模様が何気なく

て濱田さんも気に入った、という処。

参考館3-1.JPG

左が馬の目皿、瀬戸とあるので瀬戸もので

しょう。馬の目に似てなくもない。

右が赤絵皿、沖縄壺屋とあり、沖縄の観光

名所のやちむん通りの壺屋焼の陶器通りで

見たものでしょう。

民芸運動に携わった濱田さんとしては、

こういう日常品の器には眼がなかったで

しょう。その基準を示すような角のない

作品を選んでいるようです。

参考館4-1.JPG

これは柳宗悦に民芸にも招かれた、英国

の陶芸家バーナード・リーチの鯉のぼり

赤絵皿です。リーチは絵皿の真ん中には

よく動物のイラストを素朴なタッチで

描きました。陶芸家はほぼ絵を描いて

いたり、練習していたりした時期が

あり、リーチも当時では、芸術の一つ

下に見られていた陶芸を英国伝統の陶器

とするべく、目標にしていました。

参考館5-1.JPG

猫が二匹。長閑な作陶風景です。濱田

さんと奥さん。六角の壺に下絵を施して

いる。

参考館6-1.JPG

琉球窯赤絵花瓶、濱田庄司作。

敷いてある布は台湾のもの。にぎやかで

落ち着いていて、いい壺です。

参考館7-1.JPG

ぼやけた画になってしまいました。濱田

庄司作の湯呑。写実ではない、が、竹の

葉、濱田さんらしい作風。どこかで見た

ものをそのまま自分のものにして地味な

新作にしている、といった感じ。

参考館8-1.JPG

中国風味が強いが、日本の土瓶。

濱田さんはこのようなアーチ型の把手

を好んだ。使い勝手はどうだかではあり

ますが、風格のある立派な土瓶。重そう。

参考館9-1.JPG

この土蔵に展示されている。

まだ外国から集めた作品があります

が、今回はここまでで。

                   つづく


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織部日記3 (2)東京でわから・・ [陶磁器]

<東京の陶器市・美術館・神社の3件で

わからないものを増やしてくる (2)>

国際フォーラムの次に国立近代美術館へ

行こうという話でした。感想を言って

しまうと退屈でした。余計な話ばかり

することになりますが。

美術館の最寄り駅は竹橋で地下鉄。それ

よりも日曜日でなのか、大手町あたりを

周回する無料バスがあると。竹橋(美術館)

まで日経ビルから歩いても大したことは

ないので乗ってみることに。

15分ほどでバス到着。利用客はそう

多くない。降りるボタンがどこにも

ついていないので、どうするのか、

各停でいちいち誰もいない停留所で、

ドアの開け閉めをするのか、と思って

いたら、そうでした。

日経ビルはいいけれど、日経ビルの

敷地の中まで入ってしまうのは、

ちょっと出るのにヤバくない?と思い

ましたが、守衛さんに聞いて、その

通路を通りましたが、途中の看板に

自衛隊の募集の会場案内が大きくあり、

自衛隊と日経?なにか関係あり?と

首をかしげました。

皇居A1.JPG

工事中の通路を抜けると、皇居がすぐに

見えたので、もう迷うことはないです。

お堀の角に銅像が立っているのが見えま

した。

信じられない微妙な記憶を思い起こ

しました。和気清麻呂の銅像です。

和気清麻呂1.JPG

和気清麻呂と言われても知らないで

しょう。僕もつい最近まで知らなかった

です。ところが、戦前の子供たちは

知っていた。戦後占領GHQが7000

冊の焚書をして、教科書も黒で塗られ

てしまったので、和気清麻呂の名前は

消されてしまったのです。

ともかく、日本軍が抜群に強くて、

終戦もアジアで、フィリピンなどで

苦戦を強いられ、米軍は日本をその

精神の根底から崩すことを考えました。

そこで皇室に忠義を尽くす者は、

まったく楠木正成とか、すべて黒に

塗ってしまった。

人間魚雷も零戦の玉砕作戦も、心底

恐れたらしい。この強さはなんとか

せなあかん、というので徹底的に

日本精神をつぶすため、日本神道や

忠義の書、大東亜戦争の目的に

ついて書かれたものは、全部燃や

した、という訳です。

和気清麻呂のことは省きますが、

その銅像が皇居の近くに建てられた

と記事を見たので、それをここで

思い出したのですが、ほんとうに

和気清麻呂の銅像でした。

皇居には入れる日だったようですが、

先を急ぎました。

国立近代美術館1-1.JPG

東京国立近代美術館です。

美術館案内1.JPG

ゲルハルト・リヒター展が特別展らしい。

この人、翌日知りましたが、偶然この

番組をチラ見して知りました、とても

有名な人で、ドイツの最高峰の画家と

される。90歳になる。

陶器はないので、リヒターはスルーする

ことに。

常設展を聞くと、65歳以上は無料だそう

で、前調べした通りでした。

見ればほぼ絵画で、陶器は一点もなし。

ただし、中で懐かしい絵がありました。

若い時に上野の日展で見た作家の絵

でした。二人いて、その画風でよく

覚えていました。残念ながら、つまら

ない絵です。

中の案内で「眺めのいい部屋」という

案内があったので、ちょっと興味を

抱いて行ってみましたが、大きな

ガラス窓向こうに皇居が見えるだけ

皇居眺め1.JPG

(その光景。なにが眺めのいいポイントか?)

の椅子が10数脚置いてある休憩所の

ような処で、別にふざけているわけ

ではないよ、というのを係員に

聞いてみたくなりました。

まず、知らないでしょう。たぶん、

休憩所という案内では芸がないと

思って、眺めのいい部屋と上品に

洒落てみたのでしょう。絵画展で

眺めのいい部屋と案内があれば、それ

相当の期待が集まるとは思わなかった

ようです。60点かな。

絵画はほぼスルーしたので、ひとつ

洒落ていていいなと思ったのを紹介

しましょう。

美術館階段1.JPG

階段です。近代美術館に似合って、

モダンな意匠。せんす、グーッですね。

このまま竹橋の地下駅から帰るつもり

でしたが、乗り換えの九段下駅の地下

構内を歩いて、「靖国神社」の文字を

見て、足が止まりました。

皇居・和気清麻呂と戦後が出てきて、

靖国神社となれば、まるでその総仕上げ

のような英霊の場所です。一度は行か

なくてはと思っていた場所なので、

決まりです。

            つづく


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織部日記 2 (1)東京でわから・・ [陶磁器]

<東京の陶器市・美術館・神社の3件で

わからないものを増やしてくる>


東京の国際フォーラムで骨董市を開催

しているので行って来ました。3件の

市は骨董市、館は国立近代美術館、社

は神社で靖国神社です。

まず、わからないこと・ものについて。

その第1段階は通常に知識がなくて

わからないこと、第2段階はそれを

説明できるほどわかったこと。第3

段階はどうも説明できるだけでは

わかったことにならないことに気づ

いて、その先に全体像を見てわかること。

それでわかるは終わりにならないの

です。その「わかる」は同時にどう

説明していいのか「わからない」こと

に姿を変えてしまうからです。

社会的なルールごとでは、知識にして

それを獲得してわかって終わりになる

ものですが、それではおわりになら

ないものが実は多い。それは物を見る

視点や観点を変えることによって

起こると見られていますが、それは

結果論であって、実はそういう見方を

していたと思うのはわかったものが

わからないのを発見して、そのことに

よってその見方も発見するからです。

自然界にあるものはほぼ科学的な

物質の知識に分解されて理解されて

いますが、その根源のようなものは

実は説明されたことがない。

例えば、電気とは何か?光とは何

か?という問いに答えられる科学者

はいませんでした。今もいません。

科学者はその物質の性質やエネルギー

を数的に、つまり量で法則などで表し

ますが、質で表すことはできません。

数量や法則は、もの自体ではないから

です。付属した数値・数式という

(比喩で言えば)形容詞になる。

感情の量を何によって規定するのか、

試した人もいないのでしょう、聞いた

ことがありませんから。

あいまいで、変化しやすいものは

自然ではふつうにありますが、科学

で規定されたものは、わずかなもの

に過ぎないでしょう。

ということを頭の隅に引っ掛けて

おいてもらって、東京に行ったことを

話します。

有楽町の前が国際フォーラムだという

ネットの説明通り、駅前の信号で見上

げれば、そのビルがありました。

国際フォーラム1.JPG

国際フォーラム2-1.JPG

日曜日なので、それなりに多く人が

います。が、初めから人がいるのは

想定内なので、気にならず、早速

歩きはじめました。すると、もう

違和感です。陶器を見て楽しむはず

なのに、なにか入り込めない。

見ればいいだけなのに、見ていると、

なんとも不足感が否めません。

陶器に慣れないから、まだいいものが

わからない、その違和感かと思いま

した。一度ビルのトイレを借りて、

戻って来てみると、少し見える気が

しました。やっと慣れてきたな、と

思った数秒後にはまた、違和感です。

場所柄のせいか3000円前後が平均

で多く、並んでいて、他に1万とか

3万以上の壺やら皿がありました。

3点ほど気に入ったのを見つけ、

買う気十分でしたが、止めました。

国際フォーラム4-1.JPG

これが気に入った皿。

国際フォーラム5-1.JPG

それが並んだ台。

国際フォーラム3-1.JPG

この右側に台がある。

一周回って、二周目に入る頃に、

違和感の正体がわかったからです。

それは商売でした。商売には必要な

ものがあり、そのひとつがその分野の

商品知識です。審美眼とかわけのわから

ないものがあっても、この商品知識が

ないと商売になりません。

気に入ったものを買うのは、道楽で

資産があればいくらでもできるが、

高く売るにはその商品の由来に関して

一定の知識がないと、値段の理想が

分からない。

つける値段は相手次第なので、その

値踏みをするには、相手がどこまで

わかるかをある程度、見当をつけ、

話をあわせることが重要。気に入ら

ない、素人の知識を振り回す相手

だったら、高値をつけて買わせる。

その値踏みをするのに、商品の

由来も知らずに、値段をつけられ

ない。もともと公正な値段がないの

がこういう世界だから、そこでの

取引が一種の醍醐味になっている。

僕が足りないと思ったのは、有田焼

がある程度わかるだけで、あとは

信楽焼でもよくわからない、と

いうこと。

この間の古伊万里展を見てきただけ

で、この感覚が生まれているのだから、

いずれ見ただけでわかるようになる、

という理想は夢ではないだろうと思い

ます。

当然ながら、ノウハウの本を読まない

とならないでしょう。

そうしたら、皿も茶碗も湯呑も現在では

買えないのだから、馬券を買わない競馬

場にいるようなもので、飽きてしまった。

1時間でそこを引き上げました。

ある上品なおばさんの店では、黄緑の

かかった、きれいな緑一色の小皿が

あった。取り上げてみていると、その

おばさんが上品な見かけによらず、

商売人で雑誌のような記事で、それが

珉平のもので、と有名だと暗示をかけに

かかりました。次に、もう亡くなりま

した、と。つまりもう造られることは

ないから希少価値だと暗示に来ました。

最後は、最近人気が出てきた、と。そこ

に突っ込みをいれてもよかったのですが、

なにしろ、(人気が出てきた)今買った

方がいいよ、と決めの文句をいれてきた

わけですから、が、やめました。

珉平を知らないので、値踏みができ

ない。どこまでほんとで、嘘か少し

の見当もつかないのですから、已む

を得ません。


(次にこの皇居の周辺にある美術館

では国立近代美術館が陶器も扱って

いるのでは、期待したわけです。

それは次回に)


帰宅は宵で、暗くなっていました。

翌日にやきもの入門という本を開いた

のですが、そこに載っている壺や皿、

湯呑などなどが実に新鮮に見えました。

今までそれほどの物とは思っていな

かったのに、「良さ」がよく見える。

昨日の経験だけでその前もありました

が、これだけ写真見本のその器の良さ

が見えるのです。こんな風にこの写真

を見たことがありませんでした。

中で驚いたのは、ほぼ同じ意匠で描かれ

た小鉢が国際フォーラムの市で見かけた

ことです。なかなか骨董市も東京では

本物にお目にかかれるようです。気に

入るものと真贋は違うというのが、

器のほんとですが、真贋を見る眼を

育てるのも面白いし、できるヒントは

どこでも探せそうな気がします。

            つづく


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屈人織部(かがむとおりべ)の日記 1. [陶磁器]

ものについて、書いていきたいと思います。

僕らの周りにあるものは、すべてその道具、

用途や役目に応じて、意匠が施される。

そういう目的に応じて作られなかったもの

というのは想像しがたい。千利休という方

は信長から秀吉に仕えましたが、秀吉には

切腹を命じられて、この世を去りました。

でも、おかしいでしょう。一介の茶人だったら

切腹はないでしょう。サムライではなかった

のですから。

どうも利休は秀吉の政権に深く入り込んで

いたらしい。内々のことは利休に相談せよ、

と秀吉は言っていたと。外のことは秀吉が

取り仕切ったが、内々のことは利休に

任せていたというから、これは大した権威

であった。

利休の造った茶室は狭くて、暗い。

そこでいろいろな解釈が生まれて、自と他

の垣根を取り払う仕掛け(暗さ)とか、刀を

抜くには狭すぎるとか、ひとりの人間を強調

したとか、いろいろでしょうが、利休が質素

を重んじたのは確かでしょう。

少し、変わっているのは、何も花を挿して

いない花瓶を床の間に置いたりしたことで、

客人が好きな花を想像で生ければいい、

という話があるが、客人をもてなす茶室で

花がないのは、やはり寂しいのではないか。

そういうことがあると、あとからかえって

人がいろいろな噂に類する話をつけ加える

ので、なにがほんとうかはわからないの

ですが、まあ、その日はあいにくいい花が

なかったか、わざと忘れたか、ということ

でいいのではないかと思えてきます。

そういう風まかせというのも、風流の袖

のようなものではないでしょうか。


きのこの話を少ししましょう。

数日前に図書館から公園に入る林の小道

で鮮やかな赤のきのこが二本、一本は

生えているようで、もう一本は寝かせて

ありました。見た眼、毒キノコですが、食べ

られる種ではないかと、思い出したことが

ありましたが、記憶は定かではありません。

卵テングタケ?1.jpg

リコ坊というきのこかと思いましたが、やはり

記憶違いで、タマゴタケのようです。食用

ですが、色が鮮やかなので、間違えたら大変

なので、あまり勧められていないようです。

この時はすでに誰かがこのきのこを見つけて、

木の枝で四角く囲っていました。

惜しいな、と思っていたのですが、一昨日

あたりからPCの背景画像にリスが自分より

も大きいきのこをくわえて、枝からジャンプした

画像が出るようになって、またキノコだと

思いました。そうしたら、今日、マクドを

出たら、その前の街路樹の根元に薄茶色の

いい型の傘のキノコが7,8本群生して

いました。これは食べられるな、と勘をつけ、

全部はいらない、スープなら一本でいい、

と一番大きいのを選んでもぎ取りました。

それを車の中に入れたら、きのこのいい

香りがします。これは食べれる香りだと、

決めつけて、持ち帰りました。

その画像を撮るはずが、早いとこ試食

して、毒を確認したかったので、さっそく

スープにしてしまいました。

マクド前のキノコ1.JPG

まったく食い物の恨みはなんとかと言われる

くらいで、調味料5種と水でスープの完成

です。

いい味が出ています。キノコの端とスープ

を多少試飲しました。30分してもなんとも

ありませんが、毒によっては6時間から

24時間後というのもありますから、まだ

油断は禁物という処でしょうか。

死ぬ予感がしないと言っても、中(あ)て

になりませんが、下痢や気分不快は

覚悟の上ですから、山(生活)の勘を中て

にしたいという性分が強いものと思われ

ます。

では、また。





::::

突然ですが、最近はブランド名を考えて

いました。屈人織部という名を着て、少し

やってみようと始めてみました。試験段階

なので、この着せ替えが合うのかどうか。

これはまた、空いた自己の席になにかで

埋めることができるか。それが勝手な

想定でもうまくいくかの実験でもあります。

よろしく、お見守りを。
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嫌いな魯山人とうまい皿 [陶磁器]

細胞の劣化と記憶が結びつくのは

自然な現象だと思われるが、どういう

仕組みなのかは、生物学者と認知

機能の専門研究家にまかせたい。

階段を降りながら、甘い醤油の香り

がする。それだけに留まらず、なぜか

昭和の香りも思い出すようだ。

それがどうして昭和の香りなのか、

ただ懐かしい香りなのかわからずに、

そう思うのもすごいと思うが、匂いが

記憶に結びつく力は強いのを、僕ら

は日常の経験で知っている。

どのせいだろうか、いつものように

ぼんやりして考えが徘徊するにまかせ

ていると、急に京都の本が読みたく

なった。それは理由が想像がつく。

陶器がらみで、京焼について知り

たくなったのだろう。

階下にそれを探しに行くと、「京都人

だけが知っている」入江:著、洋泉社

新書。ーがあった。

目次を見ても、特に陶器について章は

組まれていない。京都について知る

だけでもいいか、と読んでいない(例に

よって通読していない)後ろの方から

めくると、文学者が(著名な作家ばかり

だ)、京都に惚れてのめり込んで、京都

に住み、皆京都から逃げて行ったと

書いてある。

京都独自の理解しにくい情意がある

そうで、それらしく書かれたのは、水上

勉の「五番町夕霧桜」と三島由紀夫の

「金閣寺」くらいだと言う。谷崎潤一郎の

「細雪」もいいが、舞台が京都と大阪に

分けたのは、京都の街から逃げた気が

する、と。

そして、魯山人が出てきた。これは

面白かった。魯山人が僕はなんとなく

嫌っていたし、また奈良だったろうか、

忘れたが、訪ねた美術館の前に私設

の陶器展覧室があり、そこに入ると、

魯山人の皿などが並んでいた。見て、

僕はその皿の良さを見抜けた。すぐに、

皿はこうでなくては、と思い、魯山人

の才能にあらためて発見した思い

だった。

「京都人だけが・」の著者がうまく言って

いる、“八割の器”だと。その通りで、

僕もその時に知ったのは、皿の模様と

いい、その意匠が少し物足りないのだ。

それですぐにこれは料理を活かすため

の意匠だと気づいた。僕も、将来は

こういう意匠で皿を焼きたいと思った。

それを思い出した。

そして、魯山人が京都を悪くした理由

が書かれていて、そのフィーリングが

魯山人の顔から染み出しているので、

僕は嫌ったのだと納得させられて

しまった。根拠は自分で尋ねなくて

はいけないだろうが、まずそれほど

変わりないだろう。


京都も1年くらいは飽きずに遊べそう

な街だ。僕は京都には昔から惹かれて

いたのではない。むしろ、なぜ京都

なのか訝(いぶか)っていたが、それ

は修学旅行の所為だ。これもいつか

書いたが、もう一度書くと、中学・

高校の修学旅行がなぜか京都で、

大学も研修旅行が確か京都だった

と思う。初めての家族旅行も両親

の桂離宮見学について行ったが、

自分だけ入れず、その足で奈良に

向かった。

そして、大学での日本文学科レポート

でも川端康成の「古都」を選び、京都に

それを訪ねたが、はんなり?の雰囲気

は楽しめても、他と比べてどうだという

ようなものはなかった。そうとう遅れて

から京都に興味を持ち始め、20年に

至るだろうか。


魯山人の皿は決定的な皿の本質の

ヒントを残した。それはこれからも

皿を見ても変わらないだろう。

その皿に料理を盛り付けてみたく

なる皿がいい皿だと思えるからだ。

彼のことは嫌いだが、皿は好きだ

というのは矛盾だろうか。それは

そうだろうが、そうは思わない。

好き嫌いは理屈を尋ねているの

ではない、意味ではないのだ、

彼は好かないが、皿はいい、そう

感じるのは、そのもので、区別する

必要はない。


韓国ドラマでは人間関係、特に恋愛

感情のもつれなどは、これでもかと、

複雑な展開を持ってきて、その追及

の強さには感心する。それも中国に

2000年も属国としての虐げられた

歴史が横たわっていて、そのために

歪んだ感情が根にある。統一教会の

聖書(会員が読まなければならない、

140万円もする教科書)には日本の

天皇は土下座をして我々に謝罪しな

ければならない、とかの日本への軽蔑

が書かれているという。文鮮明は天皇

の謝罪をもって日本を訪問してもよいと

宣明していたそうだ。

その韓国は過去、統一朝鮮だった。

豊臣秀吉が慶長の役などで攻め入っ

た時に、朝鮮の陶工をさらってくるよう

に命じたという。朝鮮の壺は中国でも

珍重されたように、当時では世界で

トップだっただろう。そこで信長ゆずり

の陶器好きの秀吉も欧州の王様に

違わず、日本の陶器づくりを推進

しようとしたのだろう。陶工を誘拐して

くる辺りフランシスコ・ザビエルにまつ

わる奴隷商人に日本人を数百人?

数千人?も奴隷として連れ去られた

(欧州に日本人奴隷の記録がある)

秀吉の怒りもあったのだろう。

歴史の動きは意義とか意味とか、

表面的な建前があるが、実際の

大きな底流は感情で動いている。

歴史を読み解くと生き物のように感じ

てくるのは、僕らが感情の生き物

だからだろう。



僕の茶碗ができたら、僕もどんな気持

でその磁様を眺めるのだろう。有田焼・

伊万里焼・唐津焼も九州の佐賀で、

連れてこられた朝鮮の陶工がその地

有田で粘土になる白磁の土を発見して

から、始まった。今から400年も昔の

話になる。

うーん、と唸りたい。(笑)


注::

白磁の土を日本に連れてこられた朝鮮

陶工が発見して、日本でも磁器が作ら

れるようになったらしい。その火山層

が瀬戸内海周囲広がっていたので、

瀬戸ものと呼ばれている。陶器は主に

土でガラス性の石が混じる。逆に磁器

は可塑性が低く、主に石で土が混じる、

といった感じ。土から石は長い年月で

圧力から変化し、マグマに解けるが、

火山活動で地表に出されて、再び冷えて

石になる。土は石や砂を除けば食べら

れるそうだ。インディアンは薬代わり

に食べるとか。
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