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また、点 ラピュ、戦争の要因 [ラピュタ]

何も書けないということはない。気持ちは書きたくない、 

が続いている。が、かと言って、昼間に夜にそこに集中 

して資料を読もうとしない自分もいる。 また、点でも 

書いておこう。 


     「 ・ 」。


ここからしゃべって、いくらでも書いてしまうのだろうが、 

やめておこう。 テン、という動物もいたな、とか。

飛ぶ船 (2).png
天空の城ラピュタへ行く船 。 


13分して、戻ってくる? ::: 

おかずが欲しい。 

納豆でもいいが、シューマイでもいい。 

冬のパジャマは、さすがに暑い。 

夏のに、着替える。 

なにしているんだろう?と、 考えない。 

書いても、 なにもないなぁ。 

自分では死んだふり、しようとしてもできない。 

起きている。時には、朝起きても、昨日から 

同じ日を生きていると、感じていたりしている。 

日が変わらない。カレンダーを不思議に眺める。 

かえって、三度寝の時の、朝7時から9時とかの、 

あっという間の2時間が記憶の喪失感が、 激しい。 

瞑想じみているくらい、穴が開いた感じ。 

・・・来なくていい、どんな着想も。 また終われなくなる、 

寝られなくなる。この夜、さん、様。 

満月か。 なるほど。わけはわからんが、なるほど。 

(ヤバいが、書くか) 

死のう、と書いてしまうと、これが気持ちいい、 

すっきりする自分が現れる。そういうものを見て、 

自分は絶対に死ぬ気はないな、と逆に思わせるものも 

また感じる。それを足して、2で割ることはできないが、 

それをゆるくシェイクして、何か出るだろうか?と 

観察しようとする自分も、またしゃしゃり出てくる。 

いつものことだが、死にたくない自分はいない。 

同様に死にたい自分は認められない。いるからだろう。 

自分の根源は無だとすると、それはまるで永劫回帰 

だから、当然の帰結なのかもしれない。母親の胎内に 

帰りたい願望のようなものだろう。 

あと戻りはできない。それで明日も来ないのか。

月のむなしさだけが、 ある。 


今度は1時間半して、坐る。 ::: 

人びとの見る、実際には想像する死は、僕は見ない。 

厳密に区分けできるわけがないが、分析的に書かないと 

地図が描けない。 

生活がわかると、それは生き死にのことだが、生活に 

密着したくなる。これを知で行うのは少数で、ほぼ人は 

経験で、体の要請でそのように行動するから、体の知、 

習慣の知(常識・通念)でそれを行うから、理解して 

いるとは言えない。それは理性的に見えないから、 

すぐに判別できる。すると、そこで重要になるのは 

精神のエネルギーであり、体のエゴエネルギーの 

強さだ。行動は感情的になり、触発される感覚になる。 

そこで結びつくのは愛と自己だ。これは自己愛になり、 

弱いと自己に耽溺するだらしない愛になり、強いと 

死を恐れない無鉄砲な性格を備える。それは戦いを 

望む、戦いに臨みたい性格であり、生きる原動力にも 

なる。権力闘争のスリルに、また戦場に出て命のやり 

取りを喜ぶ、退廃への方向に進む生活の密着感も 

ここから生まれるだろう。 

それは愛の観念や理想のイズムや、理知の行為である 

理性をも乗り越えてしまう、生きる情熱に支配されてしまう。 

一般の愛への気遣いが消滅してしまう理由はここにある 

のだろう。サイコパスとか中途半端に呼ばれる病的症状も 

このわずかな例で、上に昇り詰める人材が多い。 

このエネルギーに一般常識は退けられてしまう。芸能でも 

人気を求めるから、少し迷惑な悪(ワル)くらいのほうが歓迎 

されるのは、そういう点からだろう。そういう方向が求められ、 

支持されるのはよくない社会の在り方だが、必要悪とかの 

中途な考えが許される不道徳が泥棒にも一分の理という 

信条に気をつけないと、いじめる側にもいじめられる側にも 

はびこりやすい考え方だ。 

やがて、腐る。権力や暴力組織がなぜ腐りやすいか、その 

ために指つめとか、掟が厳しくなるのはその考え方に意識が 

支配されるからだ。それは無意識に発見されるものなので 

僕らは言葉で語ることはまず、ない。 

その精神のブラフ(こけおどし)が心の側の死であり、その体 

の側の行動が感情的なプライドなのだ。それも体側の死で 

ある。だから権力意識は名前のバリュー(価値)を好み、自分 

のレッテルを貼りたがる。

それは死にたがる愛の方向になるのだろうが、誰もそんな 

ことは思ってもみない。

それでその逆にエゴ・エネルギーが弱く、愛の行きたがる 

方向に向く人は、そういう信長タイプは理解しがたいし、 

平和はもうその人たちの中では実現されている。誰もが 

それを選択するわけではない、と考えているが、それは 

少し違って、自己のエネルギーと心と体のバランス配分が 

それぞれ違っていて、感情や感覚に流されやすいと、 

もっと刺激的な方向に自然に進んでしまうからだ。 

ここに理知が働く人と働かない人との方向、つまり運命が 

別れる要因がある。理知が働かないと、愛は情熱に従う 

のも、良しとしてしまう。それで突っ走る人には、いつでも 

隠れていて、愛は見えない。それが希薄になればなるほど、 

空気が薄くなるのと、また喉が渇くのと一緒で、最後は 

それを求めて止まなくなる。愛は不足しない。自ら遠ざけて 

いるだけだ、そのシステムに気づけない。もともと生まれた 

時から支えられているから、自覚していない。死ぬほど 

困って、それが現れる。それでも晩年になるまで無視する人 

もいる。 

これが戦争がいつまでも続き、終わらない大きな一要因だと、

要は僕らが人類であることがそのまま原因だと理解される 

だろうか。 

これがはっきりすれば、敵(人類としての自分)を知れば、勝たず 

とも負けることはない。自ずからそれを避ける工夫も策も今まで 

以上に発想できるし、案を練ることができるはずだ。生活に密着 

することを覚えれば、 ・・。 


夜明けが近づく。予報では雨だが、まだ雨音にはならない。 

皆、寝ているのか。 起きろ、 起きろ。(冗談だ、笑)


                     5.27
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