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あれもこれも過去の未来絵、ルオー [ルオー]

トランプを切る時にカードをスライド

させる、そのカードがどんどん過去に

捨てられてしまうようなら、カードは

どこへゆくんだろう?と考えたことは

なかっただろうか?

生活は一枚一枚のカードをスライド

させているような気がして、そう書いて

みた。過去は消えない。僕らが気持ち

を切り離すだけだ。それがないと、

進めない。が、過去はいつでも現れる。

過去にスライドされたものは、未来の

出番に復帰するために、小さな結晶

として心に貼りついているようだ。

そんなことを思った。

それがルオーに出会ったことだ。

図書館では古本市で1冊10円で

廃棄処分にする古書を売る時がある。

それが3月だったが、コロナのため人

が集まるのを避けて、今年は開かれ

ていない。その代わりに、少しずつ

持ち帰り自由のコーナーに並べら

れて、早い者勝ちになっている。

いつそれが置かれるかわからない

ので、行った時に、入口に近いので

覗く。

「古代地中海美術」が眼についてすぐ

に抜き取った。「日本の天然記念物」

の動物Ⅰと地質・鉱物も取り出したが、

どれも大型本で重くて、持つのも限界。

そこに「ルオー」もあった。額縁に入った

絵を描いたような絵を描く画家だ。

今まで興味に上がったことがなかった

が、妙にちらっと気になって、それも

取り出すと、ほんとうに限界の重量。


まるで泥をなすりつけたような絵だ。

輪郭線と腕などの線を太く描いている

だけじゃないのか、と大雑把な描法だ

と思った、第一印象。しかし、すぐに

その孤独が絵からにじみ出ているのが

見えた。何とも言えない苦みがある。

それに惹かれるように、ページを繰って

いると、全部見通してしまった。

この力は?気になった。ネットでルオー

を検索して驚く。キリストの題材が多い、

この画家、第2次大戦の終了の頃で、

74歳ですでに世界的に有名な画家に

なっていた。中世の頃の画家では

なかった。現代のちょっと前の画家だ。

結婚して、娘が三人いる。内面と社会的

にはまったく別に生活しているのが

伺えた。


この話はこれで終わってしまう。ルオー

について、その孤独の正体を探りたかった

が、適当な文献がない。彼の書いたもの

も邦訳されたものはない。お手上げだ。

だからこそ、150頁のほぼ図版が多い

とはいえ、一気に見てしまったその理由が

わからない。そして、抽象的と思われた

画風が紹介の、小さな画面(モノクロ)で

見ると、実に明暗から顔の表情まで写実

のようによく描けている。技法がない、デタラメ

にかきなぐったのではない、確かな腕の

持ち主だった。郊外のキリストの憂愁ったら

ない。並みの技量ではこうは描けない。

(当然だが)

ルオーの印象は僕の頭では記憶になかった

が、いまにそれが蘇ったような気がする。

ルオー1.JPG

ルオー:本の表紙。中にこの絵の解説が

     ない。多分「聖顔」か「受難」のシリーズ。

    <現代世界美術全集12 より>


シンクロについて書いて終わろうと思ったが、

画集にルオーの略伝と言葉が載せてあった。

見落としだ。それくらい、図版に見入った。


芸術について::

「形態創造の神秘は、ある種の方法を必要と

するものです。即興的にはしないものです。

感情だけで即興的にできるものではありま

せん。深い感性をもってしても。 ・・・・・・・

それよりも、生涯をかけての努力が必要

なのです。」

孤独者の苦悩 ::

「この世の終りともいうべき災禍は、愛する

ことを恐れることです。人は愛することを

恐れる。社会の階級の上から下まで、誰

でも幸福でありたいと願い、楽しみたいと

願いながら、苦しむことはしない。何という

哀れな愚か者だろう。何という不幸者だろう。

いやそれよりも何という不具者だろう・・・・・。

解き放たれた野獣人間のほうが、感情・・・

を去勢されたこれらの哀れな連中の集団より、

まだ遥かに意味があります(・・・・・)。強い

ものはすべてそういう連中をどぎまぎさせ

不安にさせるのです(・・・・)。

 私は少しずつ孤独に生きることに慣れて

きました。・・・・近頃の人々が鑑識の眼を

養うための時間をほとんどもたないのだ

ということを思うとき、自分が理解されない

という事実を静かに受け入れながら生き

ようと思います。世間の人は、とくに「評判

を得たもの」を何も理解しないまま讃える

のです。」

自然の教え ::

「 散歩に出て、私は雪のすばらしいある

効果を見ました。変化に富む空は、経験

したこともないものでした。緑と灰とを基調

にした硫黄色、さらに、花びらのように

優しい一連のばら色、ばら色と灰色の

ぼかし ― 、想像を絶した繊細な空でした

・・・・。 」 


ルオーは無意識が作品を生きたものにも、

死んだものにもするという言及までしている。

友人になった作家アンドレ・シュアレスへの

手紙にそれらが書き記されている。

ルオーは画家には珍しく、高邁な思惟を

ふつうに直截で言える。批判的で、分析

の結果を述べたような文章は直感による

ものだったのだろう。分析家にならなかった

のは、「議論や分析や饒舌によってでは

なく、」苦悩を通して、生活を通して、と

いうその中身にあったのだが、ルオーさん、

あなたからそう言って110年が経ったが、

今もなにも変わらない、と。

芸術を理解するのに苦悩しようという

ことには誰も振り返りません、と言う

より他ない。

ルオーがそう書いた当時は第一次大戦

が始まる3年くらい前で、彼はそれに

巻き込まれ、次の第二次大戦も経験

しなくてはならない。その戦争が終わって

十数年後、彼は亡くなるが、その晩年

の話である。::

「1917年、画家アンブロワーズ・ヴォラールは
ルオーと契約を結び、ルオーの「全作品」の
所有権はヴォラールにあるものとされたが、
この契約が後に裁判沙汰の種になる。ルオー
は、いったん仕上がった自作に何年にも
亘って加筆を続け、納得のいかない作品を
決して世に出さない画家であった。晩年、
ルオーは「未完成で、自分の死までに完成
する見込みのない作品は、世に出さず、
焼却する」と言い出した。ヴォラール側は
「未完成作品も含めて自分の所有である」
と主張したが、「未完成作の所有権は画家
にある」とするルオーの主張が1947年に
認められ、ルオーは300点以上の未完成作
をヴォラールのもとから取り戻し、ボイラー
の火にくべたのである。それが彼の芸術家
としての良心の表明だった。」

― Wikipedia より引用。


この時、76歳だった。300枚以上、作品を

燃やしたとは。写真があるが、娘?と一緒に

焚火を楽しんでいるようにしか見えない。(笑)      
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