SSブログ
自己判断 ブログトップ

例えば、無責任な睡眠 例えば、人間見取り図 [自己判断]

なんかもう書くのやめちゃおうかなぁ~

とか言う軽いノリで気分を浮かそうと

する、窓の外の雨の降り放ちだ。

うっとうしいから、その反発が出る

のか、軽いノリではなかったが、いつも

心の奥底からのぞかせている獅子舞

のような敏感・避雷針のような神経は

その発信をして内部のあまのじゃくに

知らせるのだ、出番だぞって。

そうすると、面倒ぐさがり屋の天邪鬼

がごそごそ起き上がって、冗談じゃ

ない、まだ引退には早いんだ、と

つぶやくのだが、引退するわけじゃ

ない。

こんな夢想に相応しい曇り空の夕べだ。


自分の過去のブログは2,3か月前のは

他*に掲載するために見るが、それ以前の

ブログはほぼ見たことがない。かなり、

そのうちに書くと言うような宿題のこと

を書いてきたので、それが見つかるの

が少し怖いのだろう。無責任の中途の

形だ。

それを見たら書くだろうと考えるので、

見なければ気がついていないので、書か

なくて済むという、よくある先送りに

する逃げだ。

5月5日まで休養だったで休むために

(遊びと休むのが苦手)かなり我慢を

強いられて本来やらないゲームを大部

の時間でしていた。おかげで変に疲れ

てしまったらしい。5日6日7日の朝は

起きられず、夜も遅くまで起きていて、

12,3時間は布団の中で朦朧として寝な

がら、やや起きていた意識があった。

こうなると昔々の学生時代の夏休みを

思い出す。昼は寝て、夜に起きだすと、

なんやかや活動していた、不規則な

生活をしていた頃だ。

体というのは不眠症という病でない限り、

必ず必要な睡眠を摂る。これ以上は眠ら

ないと死んでしまう、という時、死んで

しまうことはない。無意識のうちに

眠ってしまうのだ。バタンキューとい

うやつである。人間は死ぬ前に眠ってし

まう、そういう人間の体の本能?を山の

生活で知ったので、眠らないことを恐れ

ることはなくなった。いつでもどこでも

寝られる処でちょっとでも眠ってしまえ

ばいいのである。

それからは一時期は数年か、昼夜、朝夕

に構わず寝るので、いつ寝ていますかと

いう質問には答えられないし、睡眠時間

などはまったく気にしていないので、

自分がどれくらい寝ているのか知らな

かった。



そんな出来事だったのかよ、と思うこと

がある。五島列島・離島の家を手放し

たのはもう1年前にもなるのか、・・と。

夜中に堤防の上をまっすぐ歩けるか、と

瞑目してたった20か30歩で堤防から

5m下の黒い海に落ちてしまったのも、

いい思い出だった。

夜の海は驚くことがあり、小石を

投げると、その撥ねる水面の波紋に

海ボタルが反応して、緑のイルミネ

イションのような光を飛び散らす。

これが美しくて、港には少ない小石

を探しては、海に投げるのだ。

晴れた夜空は星が2万も見えるので、

いつまでも眺めている。

だが、離島は不便で、車が必要で

その車もフェリーでないと行き来

できない。その運賃も神奈川から

通うとなると、コスト的にネック

だった。

諦めがついたのは岩場から落ちて、

九死に一生を得たからだ。と言って

も入院はせずに、その日のうちに

病院から帰って来たが。救急車も

初めて乗ったが、特に感想もない。

島の病院の医者は長崎大学から

来るインターン生もいるようで、

診断はかなり怪しかった。島の

住民は長崎の病院まで海を渡って

入院するらしい(笑)。なにしろ

ここの医者では殺されてしまう

という噂も聞いた。

僕の膝のけがを見た、他の患者で遅れ

て来た医者はすぐに骨に異常はない

からと、レントゲン検査の予約を中止

した優れた医者だった。専門分野が

違うのだろう、それまで若いインターン

生らしいのが男女二人いて、僕の膝を

見てこれはやられている、と骨折を

断言していた。こいつらがヤバい

らしい。担当医がしっかりしていて

助かった。


この島に初めてきた時には、民宿に

泊まった。素泊まりだけで、食事が

ない。島である、午後5時ともなれば

店は薬局スーパーを除いてほぼ閉めて

しまう。外食レストランもマクドナルド

も一軒もない。車はなかったから、買い

には行けない。前もって計画的に朝・晩

を買い置きしておかなくては、・・・。

その民宿で考えたので、まだその部屋

の情景を覚えている。ぼんやりと見て

いただけだが、そのほうが記憶に残る

のだろう。

人間一人一人の違いはそれほど多くは

ないと思えるのに、実際は考え方の

違いや、感情への重きを置き方の違い

や、特に個人個人のセンスの差という

ものはれっきとしてあり、それは

はっきりしている。なぜか、同じ服で

ダブるのを嫌うことも。

その違いがあり、もうひとつ気づき

にくいことで年齢の積み重ねがある。

それは単純に子供から年寄りになっ

てゆく過程で間違いないのだが、なぜ

か僕らはそれを当たり前に親や家族、

親戚など世間を見て、知っていると

思っていることだ。

僕には思春期にホルモンバランスが

崩れて、人間の発情期が来るという

ことを教わった記憶はない。

高校生になると、やたらヌードの

載っている雑誌などを買い漁り始め

るのも多い特徴だ。

これは初めての体験になるのだが、

そういうことは時間が経てばわかる

というような自然の成り行き任せの、

親も、教育方針だった気がする。

ところが、初体験はここに終わらない。

卒業して就職するのは社会生活、つまり

は職業人生活の始まりで、それに慣れる

と結婚や事業や人生を修正したくなっ

たりして、人生の方向が分かれるし、

それぞれの中年時代もそれぞれになる。

様々なそこでの家購入とか子供の学資

とか経営の運転資金や知識吸収や専門

家への依頼など責任が問われる。

それらはまったく予想してこなかった

もので、相談できる通常案件である

場合も、また相談できない特殊な新規

の事情や案件である場合もある。

それらがうまく行く時もあれば、最悪

になる場合は人生は落ち込んでしまう

場合もある。それは予定に入ってい

ないだろう。

それがふつうの程度で乗りこえられて

も、還暦には退職後の生活が待つ。

そこで終わりにはならず、70になれ

ば、思いも寄らない体の急変や怠惰・

退化が還暦よりも持病に近く襲って

来て、生活を改めなければならない

事態にもなる。

つまり、僕らは年を重ねても、どう

しても新しい事態に対処しなくては

ならない状況がこの人生のそれぞれ

の過程でどうしても生じるものだ。

この新しい事態の連続に終わりはない。


皆、同じ経験をするのだ、と思って

いるが、確かに似てはいるが、それ

ぞれの経験であって、まったく同じ

ものはないだろう。

常に僕らがそういう経験をせざるを

得ないという状況は、僕らが知り得

ない事情が常に付きまとうという

ことで、知り得ないのだから、それ

はある程度保険をかけておくという

習慣・制度ができているが、それは

それで安心十分というものではなく、

ともかくその程度は用意しておきたい

くらいの予防体制・対策だろう。

年寄りってなってみると、初めての

経験だとわかる。ように、どの時代

でも生活の雑用に手がふさがれて余裕

がない状態なので、僕らは外部や自身

の内省問題に追われてしまう。

そこで自分に目を向けると、自分に

ついてそういうわからない部分が常に

10から20%はあるだろう。それは眼に

見えない変化というものだ。

そこで自分について知り得る部分は一般

に、平面だけで考えると、80から90%

になる、と。それをその範囲だけで考え

るとそうなるが、例えば、自分は他人

と違う、異なっていると思っている。

それを疑う者はいないだろう。生活で

見聞きして、大いに経験してきたから

だ。すると、他人との違いがあると

いうのは、僕らは比較でしか認知しえ

ないので、自分にない性質については

わからない、ということになる。

なぜそう考えるのか、なぜそういう

気持ちになるのか、なぜそう感じる

のか、そういうことが理解し得ない、

と。僕らはひとりで人間の全考え方、

全部の気持ちの傾向、感覚のすべてを

備えていないことを知る。

それらがお互いに矛盾した複雑な考え方

や気持ち、感覚であることを知っている。

それはそこに理解しえないものがあるの

だから、僕らはそれらの部分部分をお互い

に配分されたかのように、分けて備わっ

ているということだ。

それをどう決めていいかは、まったく

わからないから、見当で僕らはひとり

一人が人間の備え得る考え方や感情、

感覚を70%備えている、と見積もって

みる。そうすると、僕らの知り得る

自分というのはすでに10%は不可能

なのだから、残りの80から90%の内の

70%ということなので、それは56%

から63%ということになり、僕らが

知り得る自分への答えは、ほんとうの

ことの60%程度がふつうで、頑張って

70-80%というのが知覚で可能な

自分というものへの認識だなのだ。

ならば、飛躍して僕らが戦争を止めら

れないのも無理からぬことと思えない

こともない。それでいいわけないが、

自分のことも十分に知らないのに、

自分が正しいという判断で毎日毎日決断

していかなくてはならない責任ある人

たちは重大な決断をできないという前提

にも関わらず、それを決断してしまう

ことにマヒして自分を慣れさせてゆく。

責任への罪の意識や誤った判断への

感情から自分で自己への弁護もしない

わけにはいかなくなるのだろう。

しかし、他国の生命線や他人の命に

直接にも間接にも関わる事項について

は僕らは重大な決断をする資格は持っ

ていないのではないか。それは国民

投票や全会社投票や個人なら家族の

意見や知人友人の意見が実はどうして

も必要な案件なのではないだろうか。

::他国の生命線や他人の命に直接

にも間接にも関わる事項についての

ことである。::


国やその歴史などの経過の事情を自己

の内省判断前提にさらに加えると、僕ら

の自己への可能認知度はもっと小さな

ものになってしまう。

この’予想範囲’だけという基準を以ての

極論をもって、だから僕らは無知なの

だというのは言い過ぎだろうが、僕ら

がお互いを知らなさすぎるというのは、

どうやら事実に類するだろう。自分は

正しいと思う人ほど病気に近く、危ない

だろう。

問題は誰でも、年と経験を重ねても正し

すぎてはならず、誤りを恐れ過ぎても

いけないことだ。その決断を経験と

失敗を積み重ねることで培い、育て

続けることだろう。若い時の成功経験

の金箇条を持ってはいけない。それは

過去や歴史に学ぶべきではないのだ。

もうその時の状況は終わっている。

自分の年代の案件を次々と潰してゆく

前提が控えているから。

世界は自分の一時代と重なった時間を

踏み越えて、広がり続けている。





* 他:それがこのブログ。

nice!(16)  コメント(0) 
自己判断 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。