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誕生から7000年以上経ったもの [精神]

僕にできることは、あと何が残って

いるのだろう、と考える。わざわざ

考えると言うほどにできることをし

たくなくなってゆく自分を感じる。

生産をする、表現をする、という側

から今はもう、それらを社会や人に

限らずに、自然でも楽に楽しみたい

という願望のほうが多い。

文明や現代の文化から遠ざかることを

少しも苦にしない、苦にならない

自分がそこにいる。

ありのままを危険と考えることができる

下地がそこにはある。生きていることが

生きようとしなくても楽しいと感じられ

る心身の環境がそろって備わったような

感覚なのだ。

博物館や美術館というと心躍り、行きたい、

見たい自分がそこにいたのだが、それが

生活の日常の場の楽しみとそれほど格差

がなくなってきたと感じるようになって

からは、たとえどこに行かなくても、

行けなくても、それが大したことでは

なく思える。

目的や追求や挑戦はそれなりに興味を

そそるが、それがなくてはという気持ち

からはかなり遠くへ来てしまったようだ。

それは自分の生活から文明文化の華麗な

芸術や美術、文学・学問知識、その作品

群を除いてしまってもさして問題には

感じない心を表すようだ。

自然が芸術も民芸も差をつけるという

ことがないのはそういうものだとしても、

人がそういう風になってしまうのは困った

ことだ。

いいものに対するかなりの自信というプラ

イドがそこではなくなってしまう。逆に

“何でもいいもの”でも構わなくなって

しまう。区別が付けられなくなって、区別

がつかないという状態になるようだ。

たぶん、ある作品について尋ねられれば、

そこで口を開いて見ているものの印象なり

感想なりが出てくると思うが、それは初め

から意図した言葉ではないのだろう。

そういう世界が、実に、 ここにある と

しか言えないが、それが何かとは言えない。

それに価値があるとか、意味があるとかは

関わりのない事柄だからだ。

僕はこの生活に安住しているのだろう、と

思われるかもしれないが、そうではない。

意識は絶えず、もう一つの視点から眺める

からだ。夕方に自室で夕食の時間まで仮眠

をよくするが、目を覚まさせて、階下に

降りて行きながら、感じるのはどこかの

旅館で夕食の時間になったので、食堂へ

向かう時の軽い緊張だ。これは生活に

あぐらをかいている態度ではないだろう。

これまでも自宅を自分の家として感情的に

旅行から帰る折に郷愁とかのあったかい

家に帰る、とかの感想をしたことがない。

どこかで仮の住まいと思っているからだ。

心はホームレスなのかもしれない。

いつでもしあわせをつくれる生活という

のは、しあわせな生活を土台としては

いないだろう。しあわせなら、新たに

しあわせを作る必要はないからだ。

小さな不幸や遠くの多大な不幸を対比

させて、(それに比べれば、と)自分

のしあわせを感じるきっかけにするの

だろうから。

なので僕には人が幸せにナリタイという

気持ちが心底からはわからないようだ。

どこに居ても、どんな状態でもしあわせ

はありふれて、どうにでもつくれる気が

している。

そこでこうも言える。僕はしあわせになり

たいと思ったことはない、いつでもそれを

チョイスして、なれるからだ。むしろ、

しあわせにはナレない、しあわせである、

という状態がどういう心か知っている、

わかっているから、なりたいとは思わない。

自由でない人間ほど自由にナリタイと

主張するのと同じだろう。



心が紀元前5000年以上前に誕生した頃、

想像してみたまえ、まだ心についてなに

も知らない頃、それは明るくて、くった

くのない爽やかなものだったのでは

ないか。だと、賛同する考えになるなら、

まだそれを取り戻すことができる。

でも、それから現代は7000年以上経っ

てしまっていて、気持ちさえも考え

(という文明文化)の支配の傾向から

逃げられなくなってしまっている。

人間の知性の進化を選び続けるしか

なかったと気持ちでさえ言い訳する

のだろう。

僕らはそういう処にいる。




::


この稿では心と精神を区別していない。

心も精神によって形にされるからだ。

微妙なことを詳しく説明しても、逆に

わかりにくくするし、また実際に両方

のあいまいな部分もあるので、その

ままにした。
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肴と感覚のもつれと ひとり世界 [精神]

生活は漸進する。発見に気づくのも

その衝突か出会いの時・日であろうが、

その意味合いはだいたい後になって

深掘りされた形で気づく。

今日はそれでその「悲しき熱帯」を

探していたが、見つけるのにだいぶ

時間がかかった。書くにはもう少し、

準備が必要だった。頓挫。


今日は変な感想を抱くことになった。

7か月疎遠の者からメールが来たのが

7日だった。年賀の挨拶だったが、遅い。

気のつかなかったのだが、2年か、疎遠

の者が昨年の30日にSNSを送って来て

いたのに、10日ほど遅く気づいた。

返信はまだしていない。3か月前に

引っ越しただと。これも遅い。

いつもはメールに返信が来る人は、この

20日ほど来ないので、気分だろうが、

これも遅い。

誰も彼も何らかの理由で連絡が遅く、

誰も自分の事情を話さない。事務的に

つけ加えるだけでだいぶ印象が違う

のだが、気がつかないか、僕には

気を使わなくていいと思っているかの

ようだ。こんな部下ばかりだったら、

会社は潰れていただろう。


それはこちらにも責任の一端はある

ようだ。それは僕が孤独を感じない

にせよ、一般的には孤独な状況だ

からだ。と言っても、これくらいの

状況は誰にもあるものだが、違うの

は言ったように僕は感じないが、

ふつうは孤独を避けようとする

からだ。

今日気づいたのは、突き詰めれば、

孤独になりたい自分と、孤独でいた

くない自分がいることだ。ひとりで

なければ十分に感性を働かせられ

ない、という適応の点がひとつ。その

状況に居場所があるというやすらぎ

感覚がふたつ目。それが孤独になり

たい自分、または孤独でなければ

ならぬ自分。

もう片方の孤独で居たくない自分は

普通の人の状況でもあるが、僕の

場合は対面でなければできない話が

溜まってしまうことだ。ブログを

書いて、精神面の理屈や紀行などの

話では収まらない、他人の過去の

犯罪や奇行に関する話など、それは

例えばだが、記録するのはぼかして、

遠慮しなくてはならないので、

気の許せる相手に話して大いに笑い

合いたいものだ。

そういう時に呑めない酒も飲みたい

と思うのだ。

この1年くらい前からは感覚がころ

ころ変わるのを経験する。音楽も

急に好みが変わったかのように、

今日はよく聴ける音というのが登場

する。頭の記憶ではもう聞き飽きた

という圏内なのに、いざ聴くと、

それを他の曲に替えようとしてい

ても、急に惹かれて聴き入って

しまう。

焼き魚も食べたくない日もあって、

嫌だな、と思っていてもいざ食べて

みると、脂の乗りもよくて、一番

うまいおかずだったりする。

年をとると涙もろくなる、という

のがあるが、それと似たような現象

なのだろうか。今までの経験から

思っていた印象から、初めにそのもの

への態度・先入観があるものだが、

それが凹凸に感じる・感じられる

ほうに裏切られるのだ。

これは楽しい裏切られ方で、こういう

毎日であるなら、楽しみが増すもの

と思う。


量子のもつれは詳しくは知らないが、

関係のある粒子(素粒子)が二方向に

別れると、その片方の運動を測定して、

左回転だとすると、それがわかった

瞬間にもう片方の粒子の回転が反対の

右回転になるのが観測される、という

もので、それもこの粒子間の距離に

無関係だという、驚くべきもの。

なぜなら、光で光年単位の距離が離れ

ている銀河系でも、この粒子たちは

同じように反対方向にセットされる

からだ。

常識では考えられない。つまり、光

よりも速く、なにかがつながってい

なければ、それは不可能だからだ。

アインシュタインはこれに反対して、

認めなかった。しかし、今日の観測

ではこれが確かめられている。

もちろん、宇宙にはそれを可能にする

別な理論が発見されていないだけ

なのかもしれない。

この量子のもつれは僕を想像の世界

へ連れ出す。:::



僕の孤独を愛す癖はその自我の芯が

エネルギーだったとして、そのエネ

ルギー波に浸っているのが充実して

穏やかなのだ。そして、それは根本の

エネルギーであって、社会的自分では

ない。なので、地球世界も宇宙も、

国際社会、日本も、社会組織も、

家族も、ゴミ箱も、ミトコンドリアも、

そこには属さない。しかし、話す相手

は自分だ。この時、僕は僕をコント

ロールする自我体と自我の意識体に

分かれていて、量子のもつれのように

ひとつでもいいし、分離してもかまわ

ない。

意識では僕はその“エネルギー”と“自分”

とが不可分の統一にして複合体と

してある。必要エネルギーが99%

で、必要自分は1%くらいだろうか。

量ではない、その双方があって、

お互いに支え合える関係になって

いる。

これらの自我エネルギー、意識自我、

自分(ほぼ自意識)、の一人の人間を

自我エネルギーの芯がその全体を司っ

ている。それは意識ではないので、

知ることはできず、五感の外にだけ

感じることができる。

それがひとつのすべてである、・・・・

と急に部屋の窓から下弦の大きな月が

昇って来たのを見た。まるで半分の

ボール皿だった。半月も東の空から

昇る。

僕は孤独というよりも自我の体系を

無意識を通じて精神生活で成熟させ

たような気分になった。



はるかけく  月の頼りに

          遅くなく

この身の  かくも  ありとは 

          言えず  

  なしとも  言えず
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ツキノワグマと相撲かよ [精神]

1月5日の記事:::


昨晩、私用で深夜の0時前後にかけて、 

東名高速を走っていた。と書いても、 

高速道路を裸でマラソンしていたと思う 

人はいないだろう。そんなことを思い 

つく。自分で笑っているだけだが、

おもろい。 

平日のふつうに深夜とあって、空いて 

いる。が、緊張していた。風邪から回復 

して2日目。まだ体調を気にする自分が 

いた。お前、もう治ったんだから、ふつう 

に構えろよ、と隣りの自分が言っているが、 

緊張は隠せない。そして、怖い感じがする。 

運転で緊張するのは、意識しなくとも当然 

だが、怖いと思ったことはない。10年ちょっと 

前までは、軽トラックで宅配をやっていたから、 

怖いという感覚があるなら、東京の渋谷 

など集荷や配達で行くこともできない。 

どこに停めても駐車違反になるが、そこを 

短い時間でかいくぐって仕事をしなければ 

ならないからだ。ともかく行ってみて、そこで 

どうなるか、その場で工夫しなくてはいけない、 

それで十分だ。戦場ではあるまいし、銃弾や 

爆弾が降ってくるような処ではない。 

山では明日の天気、1時間後の雲の流れが、 

沢路の入り方・出方で高山では遭難のきっかけ 

になる。四六時中アンテナを張って歩いている。 

なので、都会の喧騒でのドライブはそれよりも 

レベルが落ちて楽だ。なので、スキーで風に 

乗るほどスピードを出しても、高速道で140km 

でパトカーに捕まった時も、怖い、ということは 

なかった。スピード大好き人間だったのが、深夜 

の高速で90kmで怖さを感じた??! 

病み上がりの高速不慣れというのは、大きい。 

コロナ下の運転不足というのは、存外大きいと 

その影響を感じた次第。 

これまで通り、安全運転しましょう(笑)。

車の運転だけでなく、あらゆる冒険じみた 

ことは、今までの頭にある自分への認識を 

変えていかないと、現状把握を失敗して 

身に危険が及ぶ可能性がある。そういう 

節目に入ったのだ。この5年くらいはそう 

いう過渡期だろう。 

僕は知人が車を新車にした、というと、 

それを運転させろ、と言うほうだ。違う 

運転感覚になるので、その緊張感を味わい 

たいからだ。ま、新しいインスタントラーメン 

が発売されると、必ず試食する小学生の 

ようなものだ。

窓を見ると、シャッターの一部が見える。 

そこの隙間から蝙蝠が入ったことがあり、 

巣にするつもりだったのだろうが、蝙蝠 

は糞が激しい、と聞いたので、指を入れる 

と柔らかな体毛と筋肉の感触が快かった。 

その感触を思い出す。

蝙蝠はその後、驚いたから二度と来な 

かったが、その思う感触は山を想わせる。 

また山に行きたくなるのだ。病気という 

死の感触から逃れると、呼吸を思い出す 

ように山に行きたくなる。それは頂上に 

着いても、どこにも町が見えない、山中 

でなければならない。観光じゃないん 

だから。生きる場所、呼吸する場所と 

しての「山」、それが自然の記憶だから。 

もっと体を回復させたい。

そう思うと、不思議だ。実際は体を回復 

させるために体を疲れさせようとしている 

のだから。それは体の神経疲労は心の 

神経疲労とは違うからだろう。体を酷使 

することで僕らは考えることも億劫になる 

ほど疲れることができる。知的神経は 

その時、やっと眠れるのだろうか。 

体の肉体神経はタフなのだろうか、

体に従えば自然に休息をとろう、となる。 

頭に従ってばかりだと、神経疲労は取れ

ない。これの区別を心身で区分けして実行 

できること、これが大事じゃないか、と僕は 

常日頃思っているわけだ。

頭の疲労は、頭で対策してもダメ、体に 

考えさせないと、と言っても、もう現代では 

廃れて通用しなくなっているのかもしれ 

ない。逆にそれをどんどん薬で耐えるよう 

にさせて、心身のバランスを崩させている。 


恋愛もセックスも男女二人の浅い友情関係 

にひびが入り、気まずくなるから避けて、 

波風立てずに生きましょう、とか、(まだ 

青春期に!)

・・・・ 馬鹿じゃ、ね。 傷つかない恋愛感情 

とか、セックスできない可愛い子の、2つか3つ

に集約されるような無個性のアニメキャラクター

とか、それは楽しむものだろうが、生活からは 

逃げられない。生活は生活でしか変えられ 

ない。



山行ってツキノワグマと相撲でも取って来いよ。 

逃げ帰ってくるだけで、生きてたら、楽しいから、

生きていることそのものが。

ここまで言っても、それが何のことか、本当の 

今の現状がわからなくなっている。わからなく 

なっているから、社会全体がそうなっている、と。 

そういうことなのだ。いつでも世の中はなるように 

なっている。 

アルチンボルド1 (2).jpg

アルチンボルド : 司書 1566頃 


イタリア・ミラノ出身の画家。動物や魚、

野菜・果物で構成されただまし絵で有名。 

その奇妙さがよく正確に実写されている、 

面白さを表現したのだろう。冗談にしか 

見えない。ふつうに描いてもよかったの 

では。
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知性と感性への見方 [精神]

知性には道具として考えるのならば、時代遅れも

古臭いとか、役立たずはない。ただ僕が独り言 

として言うならば、それは僕の立ち位置や視点 

を有意義に語ってくれる。どこまでがそうなのか、 

僕もきれいな境界を見ることができて書いている 

訳ではないので、ここは外向けに書いた文、ここ 

は独自の視点という具合に書き分けたものでは

ない。    

僕が内面的に掴んでいる感触のものは、直接

知性が接することはない。感覚の塊のような  

霧に包まれたようなものだが、全体でこれ、という

答えになっているものだ。そういうように外郭的に  

説明ができるが、内容を直接のように言葉にする  

のは不可能に感じる。これは誰でもよくある直感  

を言葉にできにくいのと同じ一般的な事情だ。

特別なものではない。   

それで言葉では一面が表に見えるように語ること

になる。詩的な言葉を使うと、読みやすい人には

読みやすいが、字義が広くなるので、信憑性も  

うすくなる。理念的に語れば、確固たる論調は 

築けるが、抽象的な仮想空間の概念説明になるので

意味が掴みにくい人は掴めなくなる。その中間的に

随筆的に書くと落ち着いて、理性的な文章になる。

が、先生の話を聴いているようで、できない生徒は 

退屈する。一側面の表出になるのでそれが受け手

に対してどうしても一長一短になるという。

言葉の綾にも似たズレが起こる。それで書いてあるから

読んで感動できる、ということもあるが、それが日常で

声高く語られたら、恥ずかしくなるという言葉・銘・格言 

もたくさんある。読み手は心で読んでいるから誰にも 

遠慮していないのを忘れているのだ。


だから、ふつうにその言葉遣いに気が行ってしまい、

外枠で尊敬ができる仕組みになっている。家族が

父親を尊敬するのは少ないように、家族の視線が

書かれていないものからはその人の癖や愉快・

不快な特徴は抜け落ちてしまう。それで全体像で

100%尊敬できる人物はいなくなってしまう。

というか、完全な人間像はなくなってしまう。(それで

正しいので、いいのだが)

ブッダでさえ晩年に近く、教団の律を乱して教えを

歪め、別グループを作ろうとした者を皆の前で叱責 

している。恨みを買って、牛の群れを暴走させられて

襲われている。(さすがに足の指をつぶしただけの

軽傷ですんだらしい) 人を、恨みを買わずに叱る 

のは難しい。ほぼそういう間違いはしないブッダでも 

教団のために感情的になったのだろう。人の相性 

は避けられない。

悟りというと、昔から偉大な誤解があって、誰でも 

悟れば、ブッダ(仏)になると思っている節がある 

が、悟ればその人は、その人らしい人になる、それ 

が定めだ。  

その人の欠点と考えられるものがあっても、それが 

消えることはない。その人はそれに気づくことが 

できる。そして、それを多くは克服する。それは 

対処法を見つけるということで、欠点とされるもの 

が消え去る訳ではない。悪くてもそれをカバーする 

方法を見つける。欠点を公言することもその一つ 

だろう。  

そうすることで、あとは環境を整えれば、本にも

書いてあるように清らかな心で、明晰に、清涼に 

悩みのない生活ができる。明恵上人のように激しい

気性で耳を切ってしまった人もいれば、良寛さん 

のように村からもらった杣小屋に旅人を泊めて  

やった時も、その旅人と夕食時も一言もしゃべら 

なかったというほど、シャイだった人もいる。たぶん、

商人だったかで、子供や気の置けない村人の 

素朴さはない人だったのだろう、と僕は推測して 

しまう。  


その人たちには一歩譲るが、社会的には大活躍 

した空海という人は知的レベルを残した人で、

悟りの人というより、知的・技術的天才だった。 

それも一部は法華教などの大乗に惑わされた  

影響だろう。  

ブッダの死後、三百年以上も経つと、途中から  

仏教経典の解釈が行われて、仏教にブッダも 

知らない神々が急に現れる。それが中国に流れて、

中国は大乗仏教の一大王国になる。三蔵法師の 

苦労が実ったのだが、日本では本場中国となった 

のだろう、空海も最澄も中国に渡ってそこの老師 

のもとで修行して満足するという奇妙なことが  

起こった。道元も空海も最澄もそこから仏教の

大元の天竺(印度)へは行かなかったのだ。

という次第で、歴史と同じように、古典という経典 

も垢がついて、仏教経典は解釈本が主役になり、

論語もいつの時代のものかが前後で区別なく混じり、 

これこそ孔子の言葉と厳選したら、少しの言葉しか 

残らないという研究者もいる始末。歴史が時の 

権力者によって(神話でさえ)書き換えられている

ように、信憑性はうすく、その上で話を進めていく。  

かと言って、そこに大事なことが書かれていないと 

いうのではないから、ただ全面で信頼すると、孔子  

の考えていないことを解釈してしまうことも起こり

得るという注意は必要だろう。 

そして、歴史と同じように、その昔の時代の人が

現代の複雑で神経を擦り減らす文明機器に囲ま 

れた環境や状況を理解できないし、感じもしない  

ように、僕らも彼らの時代の環境を理解し、感じる 

のは相当に難しい。  

古典はそういう霧の中にある。言葉の詰まった本 

というのは、(技術書とかマニュアルや案内本では

なく)すべてでそういうもので、僕らが今生きて

感じるものが大事で中心でありながら、もっと 

常識と感性と想像力を融合させなければ

ならないものなのだろう。それを自然の理法と 

して僕は心得て(考えて)いる。  




:: 題名の解題 

なぜ「知性と感性’へ’の見方」なのか、なぜ「へ」

なのか、考えてみた。知性とか感性というものを

どう見るか、ということではないからだろう。僕は 

そこになにを目指したのか、そこに理屈をつけて 

みたい。

こちら側から観察するように、その概念(知性 

とか) を見るのではなく、そこに導かれる 

ように僕は観察・目的意識を放棄しなくては 

ならない。

子供がものを見るのに、大人のように知識 

からは見ない。大胆に、それが何かを予測 

しないで直視する。そのままを見ようとする。

それは前提として、出来上がった先入観や

好き嫌い、経験から来る恐怖があっては

できない。

それを示唆しようとして、気持ちの方向が 

「へ」になった、そんな気がした。で、知性と

感性の見方については書かれていない 

のだ。

知性と感性を考える知とは?

感性はどういう時に実際起こっているか?

それを問うのは自分が自分において、だ。

  
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この世が練習問題というもの [精神]

話してくれたね

世界の はじまりと 終わりの話を

それは 僕の生き方を  変えてしまったけれど

僕の 小さな 知 を 吹き飛ばしてしまったけれど

それは  背伸びをしたみたいで

世界の クローンをつくるに  とどまってしまった

それは それなりの冒険で

ジェットコースターの 詳しい記憶が  あるわけないように

自分が  そこにいたという  実感さえ 失ってしまった

We Got it !


話してくれたよね

愛の はじまりと  終わりを

終わりは まだ 始まらなかったけれど

僕から そこを離れたんだ

それは 語ることができないくらい

大きな  僕らの  膨大な物語

その洪水の 想いは  とてつもなさ過ぎて

わかるのは  語れないことだけ

死とともに ある愛というものも

その他の パターンも  あるとわかった

僕らには  どうしても  永遠に感じてしまうほどに

器が 小さすぎて  困ったことさえ  気がつけない

わからない

津波のように  海ごと 丸ごと  流されるんだから

上も 下も  ありゃしない

死は 死ではないと 言っても

それをなんだとも  言えないのだから

もっと 大きなもの  としか ・・

それを 現わす言葉は  今までなかったし

現わせないから  誰も

言葉に しなかったんだろう

そのくらいが  わかること


僕には  「世界」という言葉が

そのすべてを 現わして  想像が及ばない、 尽きない

世界の 広がりが  ある

そこに  僕らは  居られない

そうだろう  宇宙でさえ  個人では 長居は 無用だ

そこでの集中による 緊張を  解かれると

僕は  拡散してしまう  僕の心を

どうにか  まとめて これからを考えよう  とする

まだ 勇気が  残っているうちに

僕らは  百分の1  億分の1の自分に

穴を開けるだけで  死ぬほどの勇気が 必要だ

それは 今でも  これからも  いつでも

矛盾したことで  自分が壊れないようにして  

穴を 開けることができないし

自分を 壊すつもりでないと  少しの穴も 開かない

自意識の世界は  いつも こちら側で

無意識が  あちらの 対価になる

こちらの世界で こちらの中に いるのなら

対比できるものはないので  死を恐れる  

それより  方法がない

対価が 穴から漏れるから  対比して  はじめて

こちらが何か  わかる

光と影が  協力するから  ものの形も わかるが

どちらかだけなら  それは 映像にならない


わかればわかっただけ  そこから隠された

あちらの わからない部分が  あらわになるが

それは わからない形をしたまま

あると感じるが  それがなにかわかるとは  別のこと

わかれば わかるだけ  わからないことが増え

代わりに  この世で

自分というものの 善し悪しが見える

答えは 見えただけで それなりに

素晴らしいが     やがて  

答えを どう生きるかが  ほんとうの答えになる

生き続けて  最後まで行かなければ  それはない

僕らは  その矛盾を 越えられない

いつも これからも


もう それが  どうだということに  興味は少ない

どれだけ それの どこまでを 辿れるか

そこに 携わる 関わる  身を置いてみる

そういうことが  必要になる

期限を決めて  バーゲンじゃないが

わかっていることを  確認する必要は あるから

さて  話してもらおう

過去の書籍から  現在の 山盛りの研究に

どんな 途中の事情が あるのかを


結語は 書かない  これを説明していくには

これから  長いスペースが 要るから

それは 想像できないくらい 旅も 文化も

科学知識や 植物・動物も  関連する


もう 午前3時半に なった

よく寝られそうだ ・・



*その長い物語だけれど、ひとつを最後まで読まないと誤解が解けない仕掛けに

 なっている、というか癖に。それが欠点だね。
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自閉症の世界を読む [精神]

昨日は「自閉症の世界」という本を読む。10年ぶりで自分と関連が深い本

だったので、退屈な部分もあったが、先が知りたくて、200ページを

一気に読んだ。3分の1を読んだことになるが、予想通りで、内容が丁寧だった

ので満足した。こういうのは珍しい。大筋で自閉症が今までの発達障害の一種という

ものではなく、自分の世界として生まれ持ってくる、という僕の経験則にも

合っていた。よりはっきりと示してくれたことがよかったのだが、残念ながら

医学的根拠はまだ不足で(残り400ページを予想で)、それはこれからの

課題になるだろうが、今はこの見解を打ち立てた人たちがいたということで

満足したい、と思う。

著者は科学ジャーナリストで精神科の医者ではない。スティーブ・シルバーマン。


自閉症が現れた背景も、第1次世界大戦から2次世界大戦を通じての頃で、

ドイツのヒトラーの優生学推奨から、ユダヤ人への悲劇が始まった頃でその頃の

ヨーロッパやアメリカでも世の役に立たない劣勢因子を持つ人間は殺してしかる

べきだという講演が、当然のように医学界を、世間を席巻していたというから、

詳しくは知らなかったので、恐ろしい風潮で、同時に興味深い。


さて、困ってしまう。ここまで優等生みたいに書いたので、ここからその自閉症と

統合失調症やアスペルガー症候群との違いを説明したり、自閉症の世界を新しく

規定しようとした二人の発見者のことなど書かないと、お決まりの流れにならない。

どうやってそれを省略して、自閉症について書くことをどう紹介しようかと、相変わ

らずに斜めに構えている。

もう僕の流れになっている。これで大丈夫、僕は部分で自閉症的だ。だから、この世界

を半世紀にわたって生きて、しかも乗り越えてしまっているので、この本を紹介する

のに実に適した人間だと言えるだろう。

そして、親が医者に見せるほどには異常な行動をする子供ではなかったので、どこ

まで自閉症だったかなどは、変らずわからない。物心つく頃が10歳とするなら、

その頃トラックにはねられた。精確に言うと、渋滞している車の列から車道を横断

しようとして、同じく少し先の横道に入ろうとして渋滞から反対車線に出てきた

トラックに接触したのだ。横断歩道上ですぐにトラックに気づいたらしい(本人は

頭を打ったショックで記憶がない)。すぐに飛びのいたが間に合わず、トラックに

直接ではなく、サイドミラーに接触した。5m飛ばされて、ころがっていた処から

(気がついた)記憶がある。医者に連れて行かれ、野球帽を取った時に、中が血で

真っ赤で、はじめて頭を切ったのがわかった。5,6針も縫ったのだろうか。

それによって有為な脳的欠陥の症状がでたという記憶はない。一応、報告した。


200ページの、全体では未消化なままだが、二人の学者、一人は「放浪する学者」を

めざした?ハンス・アスペルガーともう一人はその権威になった有能な観察者であった

レオ・カナーによって自閉症は、自然にもたらされた自分のことを先に学習するように

先天的に生れてきた子供たちで、社会にも家庭にもなじまない、人と接するのが不得意

とみなされるいわば、新しい人間たちでこれは予想されたよりも、調査をすると多かった。

この正確な数字は割り出しにくいだろう。統合失調症の子も同じような特徴を示すので

担当医の観察力次第だからだ。少しは例をあげよう:-

「P114

普通の子どもたちが学習する主な動機は、先生に褒められることで(ポジティブに)、

感情的に一体化することにある。しかし、自閉症の子どもたちは、自分たちの強い

興味を追い求め、「自分のために学習」する。彼らは、先生たちが自分についてどう

感じているかは気にならない。ただ真実を知りたいだけである。アスペルガーが見た

ところでは、このような子どもたちにとって最適な先生とは、皆と同じように振る舞う

ことを強要せず、不完全なままで受け入れてくれる人物なのだ。  」


アスペルガーは彼の自分のテキストには続けてこう書く、「要するに、教師自らが「自閉症

的」にならなければならない」と。そして、その「現実の子どもたちの指導においては、

並大抵ではない努力と集中力が必要とされることになる」ので、そういうことを理解する

教師も実践しようとする教師も出てこないわけだ。現在でも、この自閉症への見解を

知っている教師はほぼいないだろう。そうして登校拒否や引きこもりという子どもが

現れても、親も教師も教育委員会もその例で、誰も理解できない。欠陥や障害として

しか見ない。ので彼が自分で克服するまで待たねばならない。

今、大ヒットを続けている音楽家(・他も)米津玄師も自閉症で、障害者扱いされている

が、この本では、くり返すが、社会や人間関係を理解できない持って生まれた性質で、

特別なことに集中力をもつ子どもで、やがて自分で克服するが、それまでは理解され

にくいのだ。

ほんとうに自閉症が精神障害・神経障害・知的障害というカテゴリーと、別の見方の

発達障害というカテゴリーから区別されるのかどうかは、まだ道のりがあるだろう。

でも、

ヒステリーという現象が一時代の障害現象であったことを思うと、自閉症も時代的な

一種の自己防御を必要とした人類的な発露であることも、可能性としては考えられる。

どう見ても世界的な現象であることは間違いない。発達障害も、だから、同じように

そう考えることもできる。

アメリカでの医学的根拠のない、詐欺同然のキレーション治療やらバイオセットなどの

治療はどの医者も勧める「いま自閉症を打ち負かそう!DAN!]という宣伝文句でその

治療のために食料品や大量のビタミン・サプリメントで毎月数千ドル(数十万円)が

子どもの将来に必要な経費だと、バイオ医療の世界は広がった。

親は子どものために目先しか見えなくなっている。が、医学的根拠のないことを知ると、

その親は医者に質問した。「水銀の毒性が低くても、あなたは勧めるのはキレーション

治療だと言うのですか?」すると、医者は「そうです」と。「では水銀の値が高くても、

お勧めの治療はキレーションですか?」と尋ねると、また頷いた。最後にまた

「キレーション治療が適用できない症例は何かあるのでしょうか?」と聞いたところ、

医者は「いいえ」と。それを聞いて、その親は二度とその施設へは行かなかった。

そりゃ、そうだろう。どんな症例でも自閉症なら、すべてにOKな治療など聞いたこと

がない。この医者とバイオセットの療法士は知人でお互いにお互いの患者の親を紹介

して、利益を上げていた。

このバイオ治療の世界の年間売り上げが330億ドル(3兆3000億円)に達し、

アメリカ経済の原動力にもなった。この波は日本にも来るのだろうか?まだ5,6年前

の話である。

僕も「認知症」をしっかり理解したのは、自分の親が健康保険証やら、銀行の通帳やら

やたら失くしはじめてからだった。初めはまだらボケで親が自分でおかしくなりはじめ

ているのを誤魔化せるので、子はまだ親がしっかりしていると思う。ところが、近所の

人には子が自分を殺そうとしていると親が話している、というのをそのうち聞いてしまう

のだ。まだ、10年くらい前のことか。

また、

統合失調症などの軽い患者が住むクリニックに世話管理人として、入らなければそういう

精神障害関係に詳しくなることもなかっただろう。学校の先生の半数が一度は精神科や

神経科のドアをノックする時代である。が、それでもそういうことはほんとうに、身近に

ならなければ知らないままだ。

わざわざそういう憂鬱になりそうな本を読むようには、人間はできていない。僕も自分で

克服して、自分に相応しい環境を生みだすことのほうが人生を無駄にしないと、学んで

きた。これが正しいという自信はなかったが、障害者とは違うのに、(社会的にふつうに)

できることができないとは、感じてきた。そして、子どもたちはどんな障害もない。ただ、

孫の一人は反社会的にも見える夜中の行動など見られるが、僕から比べれば、それほど

心配するほどのこともない。十分にこれから変化して、自分でやって行くだろう。そう

感じるくらいの精神変化でしかない。周囲は、家庭はでも、変った子は手に負えない、と

考えるのだ。しばし、手をかけずに見守っていればいいだけのことだ。

そう言えば、僕は地震・雷・火事・親父の「地震・雷・台風」が大好きで、風で看板が

飛んでしまう中を遊びまわっていた。近所の人が親に、よく外に出しますね、と言った

らしいが、母は「言ってもきかないんですよ。飛び出してしまうんで」と言った言葉を

思い出した。天変地異に異常に興奮するタイプの子どもだったのだ。それで家では

放任主義になった。これもよくないのだが、僕の場合は特別にそれでよかったらしい。

まっすぐに育った。周囲も認めて、あるおばさんは、僕が26才で就職する歳まで

お年玉をくれた。社会性のない素直な僕は、それを当然のようにお礼を言って受け

取った。ふつう”もう受け取れない”、というのを知ったのは、まだ数年先だった(笑)。

さて、自閉症児たちの未来は、どうなるのだろうか。キャベンディッシュという

資産家の科学研究家がいたが、「データを共有することの大切さを認識していた反面、

発見によって名声を得ることには関心がなかった。争ったり議論したりするのを避け、

ただ平穏に自分の実験をしたかった」。

彼はオームよりも先にオームの電流の公式を発見していた。現代の電磁気の理論の

基礎となる法則は、シャルル・オーガスティン・ド・クローンの法則になっている

けれども、彼が最初に発見した。水は単一ではなく酸素と水素の化合物だというのも

ラヴォアジエが発見したことになっているが、これも彼。

彼は完璧な自閉症で、人生のすべてを実験を優先した。


それで思い出すが、クリニックを辞す頃にオランダへ出かけたが、帰って来て、最後

の日に、院長(女性)に死の体験などを話して、意見を聞きたかったし、どんな反応

をするのかも知りたかったしで、尋ねたが、落ち着いてよく話を聴いていた。

それで僕は結婚もしたし、ここまでやって来れたのだから、無の話などは、個性と

思ってそれほど気にすることはない、と話された。その時は、障害を指摘するには

年齢も年齢なので、遠慮して気休めを言ったのでは、と疑ったが、そう思ってみると

彼女の指摘は意外に当たっていたのだな、と思う。彼女自身も気がついていないの

だろうが、自閉症の人はやがて自分で自分のアイデンティティ(自己宛自己証明)を

決めなくてはならなくなるのだ。その場所はまだそれなりの地位を得ていないの

だから。


それで? 自閉症万歳!か、自閉症のために寄付を!か、まだわからないな。(少笑)



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