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知性と感性への見方 [精神]

知性には道具として考えるのならば、時代遅れも

古臭いとか、役立たずはない。ただ僕が独り言 

として言うならば、それは僕の立ち位置や視点 

を有意義に語ってくれる。どこまでがそうなのか、 

僕もきれいな境界を見ることができて書いている 

訳ではないので、ここは外向けに書いた文、ここ 

は独自の視点という具合に書き分けたものでは

ない。    

僕が内面的に掴んでいる感触のものは、直接

知性が接することはない。感覚の塊のような  

霧に包まれたようなものだが、全体でこれ、という

答えになっているものだ。そういうように外郭的に  

説明ができるが、内容を直接のように言葉にする  

のは不可能に感じる。これは誰でもよくある直感  

を言葉にできにくいのと同じ一般的な事情だ。

特別なものではない。   

それで言葉では一面が表に見えるように語ること

になる。詩的な言葉を使うと、読みやすい人には

読みやすいが、字義が広くなるので、信憑性も  

うすくなる。理念的に語れば、確固たる論調は 

築けるが、抽象的な仮想空間の概念説明になるので

意味が掴みにくい人は掴めなくなる。その中間的に

随筆的に書くと落ち着いて、理性的な文章になる。

が、先生の話を聴いているようで、できない生徒は 

退屈する。一側面の表出になるのでそれが受け手

に対してどうしても一長一短になるという。

言葉の綾にも似たズレが起こる。それで書いてあるから

読んで感動できる、ということもあるが、それが日常で

声高く語られたら、恥ずかしくなるという言葉・銘・格言 

もたくさんある。読み手は心で読んでいるから誰にも 

遠慮していないのを忘れているのだ。


だから、ふつうにその言葉遣いに気が行ってしまい、

外枠で尊敬ができる仕組みになっている。家族が

父親を尊敬するのは少ないように、家族の視線が

書かれていないものからはその人の癖や愉快・

不快な特徴は抜け落ちてしまう。それで全体像で

100%尊敬できる人物はいなくなってしまう。

というか、完全な人間像はなくなってしまう。(それで

正しいので、いいのだが)

ブッダでさえ晩年に近く、教団の律を乱して教えを

歪め、別グループを作ろうとした者を皆の前で叱責 

している。恨みを買って、牛の群れを暴走させられて

襲われている。(さすがに足の指をつぶしただけの

軽傷ですんだらしい) 人を、恨みを買わずに叱る 

のは難しい。ほぼそういう間違いはしないブッダでも 

教団のために感情的になったのだろう。人の相性 

は避けられない。

悟りというと、昔から偉大な誤解があって、誰でも 

悟れば、ブッダ(仏)になると思っている節がある 

が、悟ればその人は、その人らしい人になる、それ 

が定めだ。  

その人の欠点と考えられるものがあっても、それが 

消えることはない。その人はそれに気づくことが 

できる。そして、それを多くは克服する。それは 

対処法を見つけるということで、欠点とされるもの 

が消え去る訳ではない。悪くてもそれをカバーする 

方法を見つける。欠点を公言することもその一つ 

だろう。  

そうすることで、あとは環境を整えれば、本にも

書いてあるように清らかな心で、明晰に、清涼に 

悩みのない生活ができる。明恵上人のように激しい

気性で耳を切ってしまった人もいれば、良寛さん 

のように村からもらった杣小屋に旅人を泊めて  

やった時も、その旅人と夕食時も一言もしゃべら 

なかったというほど、シャイだった人もいる。たぶん、

商人だったかで、子供や気の置けない村人の 

素朴さはない人だったのだろう、と僕は推測して 

しまう。  


その人たちには一歩譲るが、社会的には大活躍 

した空海という人は知的レベルを残した人で、

悟りの人というより、知的・技術的天才だった。 

それも一部は法華教などの大乗に惑わされた  

影響だろう。  

ブッダの死後、三百年以上も経つと、途中から  

仏教経典の解釈が行われて、仏教にブッダも 

知らない神々が急に現れる。それが中国に流れて、

中国は大乗仏教の一大王国になる。三蔵法師の 

苦労が実ったのだが、日本では本場中国となった 

のだろう、空海も最澄も中国に渡ってそこの老師 

のもとで修行して満足するという奇妙なことが  

起こった。道元も空海も最澄もそこから仏教の

大元の天竺(印度)へは行かなかったのだ。

という次第で、歴史と同じように、古典という経典 

も垢がついて、仏教経典は解釈本が主役になり、

論語もいつの時代のものかが前後で区別なく混じり、 

これこそ孔子の言葉と厳選したら、少しの言葉しか 

残らないという研究者もいる始末。歴史が時の 

権力者によって(神話でさえ)書き換えられている

ように、信憑性はうすく、その上で話を進めていく。  

かと言って、そこに大事なことが書かれていないと 

いうのではないから、ただ全面で信頼すると、孔子  

の考えていないことを解釈してしまうことも起こり

得るという注意は必要だろう。 

そして、歴史と同じように、その昔の時代の人が

現代の複雑で神経を擦り減らす文明機器に囲ま 

れた環境や状況を理解できないし、感じもしない  

ように、僕らも彼らの時代の環境を理解し、感じる 

のは相当に難しい。  

古典はそういう霧の中にある。言葉の詰まった本 

というのは、(技術書とかマニュアルや案内本では

なく)すべてでそういうもので、僕らが今生きて

感じるものが大事で中心でありながら、もっと 

常識と感性と想像力を融合させなければ

ならないものなのだろう。それを自然の理法と 

して僕は心得て(考えて)いる。  




:: 題名の解題 

なぜ「知性と感性’へ’の見方」なのか、なぜ「へ」

なのか、考えてみた。知性とか感性というものを

どう見るか、ということではないからだろう。僕は 

そこになにを目指したのか、そこに理屈をつけて 

みたい。

こちら側から観察するように、その概念(知性 

とか) を見るのではなく、そこに導かれる 

ように僕は観察・目的意識を放棄しなくては 

ならない。

子供がものを見るのに、大人のように知識 

からは見ない。大胆に、それが何かを予測 

しないで直視する。そのままを見ようとする。

それは前提として、出来上がった先入観や

好き嫌い、経験から来る恐怖があっては

できない。

それを示唆しようとして、気持ちの方向が 

「へ」になった、そんな気がした。で、知性と

感性の見方については書かれていない 

のだ。

知性と感性を考える知とは?

感性はどういう時に実際起こっているか?

それを問うのは自分が自分において、だ。

  
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U3

ようしゅうさん、少し早いですが良いお年をお迎え下さい!
by U3 (2021-12-26 15:11) 

ようしゅう

U3さんへ 

寒くなりましたね。早くないです。僕の行事は12月
それなりに師走の深まりで、今年も生きてしまったと
反省することです。年に一度でいいと思ってます。
来年の始まりでもあります。12月でも、1月でも
いいと思っておりので、また1年限りを生きようと、
この年末に区切りをつけています。よいお年を!
by ようしゅう (2021-12-26 16:54) 

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