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ツキノワグマと相撲かよ [精神]

1月5日の記事:::


昨晩、私用で深夜の0時前後にかけて、 

東名高速を走っていた。と書いても、 

高速道路を裸でマラソンしていたと思う 

人はいないだろう。そんなことを思い 

つく。自分で笑っているだけだが、

おもろい。 

平日のふつうに深夜とあって、空いて 

いる。が、緊張していた。風邪から回復 

して2日目。まだ体調を気にする自分が 

いた。お前、もう治ったんだから、ふつう 

に構えろよ、と隣りの自分が言っているが、 

緊張は隠せない。そして、怖い感じがする。 

運転で緊張するのは、意識しなくとも当然 

だが、怖いと思ったことはない。10年ちょっと 

前までは、軽トラックで宅配をやっていたから、 

怖いという感覚があるなら、東京の渋谷 

など集荷や配達で行くこともできない。 

どこに停めても駐車違反になるが、そこを 

短い時間でかいくぐって仕事をしなければ 

ならないからだ。ともかく行ってみて、そこで 

どうなるか、その場で工夫しなくてはいけない、 

それで十分だ。戦場ではあるまいし、銃弾や 

爆弾が降ってくるような処ではない。 

山では明日の天気、1時間後の雲の流れが、 

沢路の入り方・出方で高山では遭難のきっかけ 

になる。四六時中アンテナを張って歩いている。 

なので、都会の喧騒でのドライブはそれよりも 

レベルが落ちて楽だ。なので、スキーで風に 

乗るほどスピードを出しても、高速道で140km 

でパトカーに捕まった時も、怖い、ということは 

なかった。スピード大好き人間だったのが、深夜 

の高速で90kmで怖さを感じた??! 

病み上がりの高速不慣れというのは、大きい。 

コロナ下の運転不足というのは、存外大きいと 

その影響を感じた次第。 

これまで通り、安全運転しましょう(笑)。

車の運転だけでなく、あらゆる冒険じみた 

ことは、今までの頭にある自分への認識を 

変えていかないと、現状把握を失敗して 

身に危険が及ぶ可能性がある。そういう 

節目に入ったのだ。この5年くらいはそう 

いう過渡期だろう。 

僕は知人が車を新車にした、というと、 

それを運転させろ、と言うほうだ。違う 

運転感覚になるので、その緊張感を味わい 

たいからだ。ま、新しいインスタントラーメン 

が発売されると、必ず試食する小学生の 

ようなものだ。

窓を見ると、シャッターの一部が見える。 

そこの隙間から蝙蝠が入ったことがあり、 

巣にするつもりだったのだろうが、蝙蝠 

は糞が激しい、と聞いたので、指を入れる 

と柔らかな体毛と筋肉の感触が快かった。 

その感触を思い出す。

蝙蝠はその後、驚いたから二度と来な 

かったが、その思う感触は山を想わせる。 

また山に行きたくなるのだ。病気という 

死の感触から逃れると、呼吸を思い出す 

ように山に行きたくなる。それは頂上に 

着いても、どこにも町が見えない、山中 

でなければならない。観光じゃないん 

だから。生きる場所、呼吸する場所と 

しての「山」、それが自然の記憶だから。 

もっと体を回復させたい。

そう思うと、不思議だ。実際は体を回復 

させるために体を疲れさせようとしている 

のだから。それは体の神経疲労は心の 

神経疲労とは違うからだろう。体を酷使 

することで僕らは考えることも億劫になる 

ほど疲れることができる。知的神経は 

その時、やっと眠れるのだろうか。 

体の肉体神経はタフなのだろうか、

体に従えば自然に休息をとろう、となる。 

頭に従ってばかりだと、神経疲労は取れ

ない。これの区別を心身で区分けして実行 

できること、これが大事じゃないか、と僕は 

常日頃思っているわけだ。

頭の疲労は、頭で対策してもダメ、体に 

考えさせないと、と言っても、もう現代では 

廃れて通用しなくなっているのかもしれ 

ない。逆にそれをどんどん薬で耐えるよう 

にさせて、心身のバランスを崩させている。 


恋愛もセックスも男女二人の浅い友情関係 

にひびが入り、気まずくなるから避けて、 

波風立てずに生きましょう、とか、(まだ 

青春期に!)

・・・・ 馬鹿じゃ、ね。 傷つかない恋愛感情 

とか、セックスできない可愛い子の、2つか3つ

に集約されるような無個性のアニメキャラクター

とか、それは楽しむものだろうが、生活からは 

逃げられない。生活は生活でしか変えられ 

ない。



山行ってツキノワグマと相撲でも取って来いよ。 

逃げ帰ってくるだけで、生きてたら、楽しいから、

生きていることそのものが。

ここまで言っても、それが何のことか、本当の 

今の現状がわからなくなっている。わからなく 

なっているから、社会全体がそうなっている、と。 

そういうことなのだ。いつでも世の中はなるように 

なっている。 

アルチンボルド1 (2).jpg

アルチンボルド : 司書 1566頃 


イタリア・ミラノ出身の画家。動物や魚、

野菜・果物で構成されただまし絵で有名。 

その奇妙さがよく正確に実写されている、 

面白さを表現したのだろう。冗談にしか 

見えない。ふつうに描いてもよかったの 

では。
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