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肴と感覚のもつれと ひとり世界 [精神]

生活は漸進する。発見に気づくのも

その衝突か出会いの時・日であろうが、

その意味合いはだいたい後になって

深掘りされた形で気づく。

今日はそれでその「悲しき熱帯」を

探していたが、見つけるのにだいぶ

時間がかかった。書くにはもう少し、

準備が必要だった。頓挫。


今日は変な感想を抱くことになった。

7か月疎遠の者からメールが来たのが

7日だった。年賀の挨拶だったが、遅い。

気のつかなかったのだが、2年か、疎遠

の者が昨年の30日にSNSを送って来て

いたのに、10日ほど遅く気づいた。

返信はまだしていない。3か月前に

引っ越しただと。これも遅い。

いつもはメールに返信が来る人は、この

20日ほど来ないので、気分だろうが、

これも遅い。

誰も彼も何らかの理由で連絡が遅く、

誰も自分の事情を話さない。事務的に

つけ加えるだけでだいぶ印象が違う

のだが、気がつかないか、僕には

気を使わなくていいと思っているかの

ようだ。こんな部下ばかりだったら、

会社は潰れていただろう。


それはこちらにも責任の一端はある

ようだ。それは僕が孤独を感じない

にせよ、一般的には孤独な状況だ

からだ。と言っても、これくらいの

状況は誰にもあるものだが、違うの

は言ったように僕は感じないが、

ふつうは孤独を避けようとする

からだ。

今日気づいたのは、突き詰めれば、

孤独になりたい自分と、孤独でいた

くない自分がいることだ。ひとりで

なければ十分に感性を働かせられ

ない、という適応の点がひとつ。その

状況に居場所があるというやすらぎ

感覚がふたつ目。それが孤独になり

たい自分、または孤独でなければ

ならぬ自分。

もう片方の孤独で居たくない自分は

普通の人の状況でもあるが、僕の

場合は対面でなければできない話が

溜まってしまうことだ。ブログを

書いて、精神面の理屈や紀行などの

話では収まらない、他人の過去の

犯罪や奇行に関する話など、それは

例えばだが、記録するのはぼかして、

遠慮しなくてはならないので、

気の許せる相手に話して大いに笑い

合いたいものだ。

そういう時に呑めない酒も飲みたい

と思うのだ。

この1年くらい前からは感覚がころ

ころ変わるのを経験する。音楽も

急に好みが変わったかのように、

今日はよく聴ける音というのが登場

する。頭の記憶ではもう聞き飽きた

という圏内なのに、いざ聴くと、

それを他の曲に替えようとしてい

ても、急に惹かれて聴き入って

しまう。

焼き魚も食べたくない日もあって、

嫌だな、と思っていてもいざ食べて

みると、脂の乗りもよくて、一番

うまいおかずだったりする。

年をとると涙もろくなる、という

のがあるが、それと似たような現象

なのだろうか。今までの経験から

思っていた印象から、初めにそのもの

への態度・先入観があるものだが、

それが凹凸に感じる・感じられる

ほうに裏切られるのだ。

これは楽しい裏切られ方で、こういう

毎日であるなら、楽しみが増すもの

と思う。


量子のもつれは詳しくは知らないが、

関係のある粒子(素粒子)が二方向に

別れると、その片方の運動を測定して、

左回転だとすると、それがわかった

瞬間にもう片方の粒子の回転が反対の

右回転になるのが観測される、という

もので、それもこの粒子間の距離に

無関係だという、驚くべきもの。

なぜなら、光で光年単位の距離が離れ

ている銀河系でも、この粒子たちは

同じように反対方向にセットされる

からだ。

常識では考えられない。つまり、光

よりも速く、なにかがつながってい

なければ、それは不可能だからだ。

アインシュタインはこれに反対して、

認めなかった。しかし、今日の観測

ではこれが確かめられている。

もちろん、宇宙にはそれを可能にする

別な理論が発見されていないだけ

なのかもしれない。

この量子のもつれは僕を想像の世界

へ連れ出す。:::



僕の孤独を愛す癖はその自我の芯が

エネルギーだったとして、そのエネ

ルギー波に浸っているのが充実して

穏やかなのだ。そして、それは根本の

エネルギーであって、社会的自分では

ない。なので、地球世界も宇宙も、

国際社会、日本も、社会組織も、

家族も、ゴミ箱も、ミトコンドリアも、

そこには属さない。しかし、話す相手

は自分だ。この時、僕は僕をコント

ロールする自我体と自我の意識体に

分かれていて、量子のもつれのように

ひとつでもいいし、分離してもかまわ

ない。

意識では僕はその“エネルギー”と“自分”

とが不可分の統一にして複合体と

してある。必要エネルギーが99%

で、必要自分は1%くらいだろうか。

量ではない、その双方があって、

お互いに支え合える関係になって

いる。

これらの自我エネルギー、意識自我、

自分(ほぼ自意識)、の一人の人間を

自我エネルギーの芯がその全体を司っ

ている。それは意識ではないので、

知ることはできず、五感の外にだけ

感じることができる。

それがひとつのすべてである、・・・・

と急に部屋の窓から下弦の大きな月が

昇って来たのを見た。まるで半分の

ボール皿だった。半月も東の空から

昇る。

僕は孤独というよりも自我の体系を

無意識を通じて精神生活で成熟させ

たような気分になった。



はるかけく  月の頼りに

          遅くなく

この身の  かくも  ありとは 

          言えず  

  なしとも  言えず
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