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嫌いな魯山人とうまい皿 [陶磁器]

細胞の劣化と記憶が結びつくのは

自然な現象だと思われるが、どういう

仕組みなのかは、生物学者と認知

機能の専門研究家にまかせたい。

階段を降りながら、甘い醤油の香り

がする。それだけに留まらず、なぜか

昭和の香りも思い出すようだ。

それがどうして昭和の香りなのか、

ただ懐かしい香りなのかわからずに、

そう思うのもすごいと思うが、匂いが

記憶に結びつく力は強いのを、僕ら

は日常の経験で知っている。

どのせいだろうか、いつものように

ぼんやりして考えが徘徊するにまかせ

ていると、急に京都の本が読みたく

なった。それは理由が想像がつく。

陶器がらみで、京焼について知り

たくなったのだろう。

階下にそれを探しに行くと、「京都人

だけが知っている」入江:著、洋泉社

新書。ーがあった。

目次を見ても、特に陶器について章は

組まれていない。京都について知る

だけでもいいか、と読んでいない(例に

よって通読していない)後ろの方から

めくると、文学者が(著名な作家ばかり

だ)、京都に惚れてのめり込んで、京都

に住み、皆京都から逃げて行ったと

書いてある。

京都独自の理解しにくい情意がある

そうで、それらしく書かれたのは、水上

勉の「五番町夕霧桜」と三島由紀夫の

「金閣寺」くらいだと言う。谷崎潤一郎の

「細雪」もいいが、舞台が京都と大阪に

分けたのは、京都の街から逃げた気が

する、と。

そして、魯山人が出てきた。これは

面白かった。魯山人が僕はなんとなく

嫌っていたし、また奈良だったろうか、

忘れたが、訪ねた美術館の前に私設

の陶器展覧室があり、そこに入ると、

魯山人の皿などが並んでいた。見て、

僕はその皿の良さを見抜けた。すぐに、

皿はこうでなくては、と思い、魯山人

の才能にあらためて発見した思い

だった。

「京都人だけが・」の著者がうまく言って

いる、“八割の器”だと。その通りで、

僕もその時に知ったのは、皿の模様と

いい、その意匠が少し物足りないのだ。

それですぐにこれは料理を活かすため

の意匠だと気づいた。僕も、将来は

こういう意匠で皿を焼きたいと思った。

それを思い出した。

そして、魯山人が京都を悪くした理由

が書かれていて、そのフィーリングが

魯山人の顔から染み出しているので、

僕は嫌ったのだと納得させられて

しまった。根拠は自分で尋ねなくて

はいけないだろうが、まずそれほど

変わりないだろう。


京都も1年くらいは飽きずに遊べそう

な街だ。僕は京都には昔から惹かれて

いたのではない。むしろ、なぜ京都

なのか訝(いぶか)っていたが、それ

は修学旅行の所為だ。これもいつか

書いたが、もう一度書くと、中学・

高校の修学旅行がなぜか京都で、

大学も研修旅行が確か京都だった

と思う。初めての家族旅行も両親

の桂離宮見学について行ったが、

自分だけ入れず、その足で奈良に

向かった。

そして、大学での日本文学科レポート

でも川端康成の「古都」を選び、京都に

それを訪ねたが、はんなり?の雰囲気

は楽しめても、他と比べてどうだという

ようなものはなかった。そうとう遅れて

から京都に興味を持ち始め、20年に

至るだろうか。


魯山人の皿は決定的な皿の本質の

ヒントを残した。それはこれからも

皿を見ても変わらないだろう。

その皿に料理を盛り付けてみたく

なる皿がいい皿だと思えるからだ。

彼のことは嫌いだが、皿は好きだ

というのは矛盾だろうか。それは

そうだろうが、そうは思わない。

好き嫌いは理屈を尋ねているの

ではない、意味ではないのだ、

彼は好かないが、皿はいい、そう

感じるのは、そのもので、区別する

必要はない。


韓国ドラマでは人間関係、特に恋愛

感情のもつれなどは、これでもかと、

複雑な展開を持ってきて、その追及

の強さには感心する。それも中国に

2000年も属国としての虐げられた

歴史が横たわっていて、そのために

歪んだ感情が根にある。統一教会の

聖書(会員が読まなければならない、

140万円もする教科書)には日本の

天皇は土下座をして我々に謝罪しな

ければならない、とかの日本への軽蔑

が書かれているという。文鮮明は天皇

の謝罪をもって日本を訪問してもよいと

宣明していたそうだ。

その韓国は過去、統一朝鮮だった。

豊臣秀吉が慶長の役などで攻め入っ

た時に、朝鮮の陶工をさらってくるよう

に命じたという。朝鮮の壺は中国でも

珍重されたように、当時では世界で

トップだっただろう。そこで信長ゆずり

の陶器好きの秀吉も欧州の王様に

違わず、日本の陶器づくりを推進

しようとしたのだろう。陶工を誘拐して

くる辺りフランシスコ・ザビエルにまつ

わる奴隷商人に日本人を数百人?

数千人?も奴隷として連れ去られた

(欧州に日本人奴隷の記録がある)

秀吉の怒りもあったのだろう。

歴史の動きは意義とか意味とか、

表面的な建前があるが、実際の

大きな底流は感情で動いている。

歴史を読み解くと生き物のように感じ

てくるのは、僕らが感情の生き物

だからだろう。



僕の茶碗ができたら、僕もどんな気持

でその磁様を眺めるのだろう。有田焼・

伊万里焼・唐津焼も九州の佐賀で、

連れてこられた朝鮮の陶工がその地

有田で粘土になる白磁の土を発見して

から、始まった。今から400年も昔の

話になる。

うーん、と唸りたい。(笑)


注::

白磁の土を日本に連れてこられた朝鮮

陶工が発見して、日本でも磁器が作ら

れるようになったらしい。その火山層

が瀬戸内海周囲広がっていたので、

瀬戸ものと呼ばれている。陶器は主に

土でガラス性の石が混じる。逆に磁器

は可塑性が低く、主に石で土が混じる、

といった感じ。土から石は長い年月で

圧力から変化し、マグマに解けるが、

火山活動で地表に出されて、再び冷えて

石になる。土は石や砂を除けば食べら

れるそうだ。インディアンは薬代わり

に食べるとか。
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