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屈人織辺の日記 7.今更ながら [日記]

<KAGAMUTO ORIBE の日記> 7


僕はこの織部日記を始めるにあたって

織部という名前は織部焼の皿などの

写真で軽く決めたものと思っていま

した。魯山人の皿の影響も少しは入っ

ているでしょう。

(10.19の日記。今は織部は織辺に変更)

でも、最近のことですが、織部焼の由来

を知りました。アマゾンで検索中に古田

織部の名前が出てきて、これが漫画の

「へうげもの」の主人公だったので、

奇(く)しくも戦国武将で、利休の

弟子になった男で、有名な楽茶碗の精神

を受け継ぎ、しかも新しい茶碗の方向を

探った芸術のわかる男でした。

利休は商家の出だったと思いますが、

秀吉の右腕で、国内問題は全部まかされ

たといいますから、武将の話が聞ける

ほどに武士というものが分かっていた。

それは茶の湯が武士の精神によって創始

されたことを物語っていると言っていい

と思います。

領地を褒美に与える代わりに茶器などの

品をそれに匹敵する位置に押し上げた

のは織田信長の女性的な眼ですから、

それが秀吉に受け継がれ、利休を用い

たことで、茶の湯の文化が生まれました。

すべて武士が背後に、前面に関わって

います。日本の精神文化が武士によって

昇華されたのか、堕落したのか、どうも

そういう視点で歴史を見直す必要もある

ような気がします。

陶器と磁器、そして地方やそれぞれの

時代に咲いた芸術の花、その特徴、と

そして、その地方の焼き物によって

絵付けも変われば、窯や焼成方法も

異なるという製法。好奇心が旺盛な

僕としては興味が止まらないので、

たった3か月で、もうたまりません

というくらいに調べたいこと、訪れ

てみたい場所が一気に増えてしまって

誠にたまりません。(笑)


それと、<東京の市・館・社の3件

でわからないものを増やしてくる 

(2)>はつづくで終わりましたが、

つづきません。(3)は靖国神社の

訪問の話の予定でしたが、一つは

準備不足がありましたが、どうも

英霊については、別な角度から話す

ことになりそうなので、そちらに

譲って、(3)は中止ではなく、

無しになって、別な記事に書く

つもりです。



今は秦野の教室に通っていますが、

磁器をやるには別の手法が要るので、

来年からは準備をして、東京の教室

でやるつもりでおります。かなり、

いずれ自主的に制作することを目指し

ます。10年前のアイディアも活かし

たい、と。

試作品ができました。どれも一応の

満足と非常に不満からの恥を感じる

もので、それは同時に起こるのではなく、

わかりやすく言いますと、織部の意識

からは満足に傾き、陽秋の意識からは

出すのも憚られるというぐらいのもの

です。

試作茶碗1.JPG

湯呑:高7,5cm × 幅7cm

小ぶりです。泥臭さがいいです。

試作小皿1.JPG

小皿:縦7.5cm × 幅13.5cm

小魚しか載らない小さな皿で、使い

道がないので、浴室で石鹼置きに

なっています。平板さがいいです。

試作花瓶1.JPG

小花器:縦5.8cm × 幅9.1cm × 高6cm

まったくインク壺ですが、一応

短い一輪刺しという処。絵付けを

してないので未完成ですが、ひどい

ものです。昔はこういう素朴さが

ふつうでした。

ところがこれがまだ粘土の、焼成前

では、魅入られて、ものに感動して

しまった対象です。今見ると、絵付け

しても大したものではない(陽秋:言)

ですね。もう一品、小壺がありました

が、撮影を忘れました。それは艶も

模様も一番見れますが、なにせ小さい。

楊枝入れにしようかという案が浮上

してます。



まだ始まったばかり、と慰めて、

来年の白磁器を夢見ています。
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