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自己の終焉からの伝統と自由 [自由]

最近はこういう想像に陥る。思い起こ

せば、書いてきたことは、ほぼ考えて

きたことだということ。でも、書いている

時には、わからないから、出てくる

メロディを書き留めている気がしている。

そんな想いが形になってくると、僕は

考えがその方向に向かわせられる。

今の、この感じ、何とも言えない幻の

ような感覚はまるで書けてこなかった

のではないか、と。 

考えたことが書けるのは、ごく当たり前

のことのように思えるが、その言葉の

向こう側に期待された見えない正体は

言おうとしたこと、それはどこへ行った

のか?

それに悩まされたことはなかったが、

それは昨日までのことで、今はなんとも

言えない。

僕は結果を書き留めるだけの機械には

なりたくなかったが、だからと言って、

言葉でなにかを書き留める外に、なにか

伝えるのにいい方法はなかっただろうか。

おかしいのは、伝えることがこれほど

わかるようになったのに、その営為が

僕のものになったのに、いざここまで来て

みると、伝えたつもりの「それ」がますます

はっきりした姿で、書かれたこととは別な

姿ではないか、と。彼はどこかの酒場で

僕の指定した場所ではない処で、大酒を

飲んで、笑って、ますますその乱れた姿

を周囲に示しているのではないか、その

ことに僕は手を貸すことに成功しただけ

ではないか、ということだ。

その分離感は、頭では初めから知っていた

と言うだろうが、僕は今、他人の作品の

苦労や努力、そして、今の粘土に対して

いると、物質を通しての形というものが

以前のように、信じられるものではなくて、

幻想スレスレに、心の内側に炎のように

メラメラしてくるのだ。炎はイメージで見え

るが、瞬間瞬間に姿を変化させて、その

変幻自在が魅力だ。僕は画像で切り取る

かのように、姿を定着化させるかのように

語るが、その姿の真は、その変化にある

のではないか。

音楽は音を伝える。言葉は言葉の組み

合わせを伝えるが、音のように、直接

感覚に和音やメロディの効果は構成

できるのではなく、直接の感覚である音

が出せない。

そんな弱気は芸術ではない、と言うの

だろう。それを突破すればいいだけの

ことだ、と。  

僕は手をこまねいているだけなの

だろう。だからと言って、前のように

そこから反発して立ち上がることが、

自分のことだと思えなくなってきて

いる。


その群衆の音が聴こえる。力強い

足音も。彼らの中側からいつもの

要請ビラがチラチラしている。

人間のいない世界から、群衆の中へ

出るのは承知しているが、

( 8. 4 にここで中断している。ここ

から普通に続けられるのは、翌日か、

その翌日くらいで、もう5日以上経って

いる。書いていた時の状況の余韻が

ない) 

さして、大した印象を書いているの

ではないので、中断したまま無視して

しまって構わないと思う。。

群衆は現実のことだろうから、現実に

取り組む時期じゃないか、と言って

いるのだろう。確かにそうだ。

頭でやることはグイグイ進むが、現実

は不確定要素が多く生まれるので、

個人的な芸術活動とか以外では、

スタンスを決め、世の中の枠組みを

うまく泳がなくてはならなくなる。

だから、それはそれだ。これまで

さんざんやってきたことだ。それを

変えてゆくというのだったら、面白い

だろうが、その分野では僕はあまり

考えてこなかったので、ヒントを煮詰め

なくてはならない。


受験とは何だったろう?ふと思い出す。

あの頃から、僕は予測するのが好きで、

皆、当てた。高校受験では、僕が引率

して入試会場に出かけたが、翌日新聞

で解答を計算したら、いい成績だった

ので、受かったと思った。印象的だった

のは学校で自信のある人は?と教室で

聞かれて、手を挙げたのは僕ひとり

だったことだ。そして、僕が引率した

その高校で実際に受かった。そして、

僕ひとりだけだった。皆、新聞で計算

して、受かるかどうかの成績だったの

だろう、と考えた。高校も大学も一度

として、その学校を調べたことは

なかった。それでその歴史も、風紀

も、校舎も知らず、知っているのは

偏差値くらいだったが、大学受験では

それも忘れて、一応合格校のそれより

も偏差値の高い大学を受けて、失敗

してしまった。大学受験の理由は

ひとつしかなかった。親には言え

なかったが、4年間のまとまった

考える時間が欲しかった。無の体験

からは一つの要請しかあり得なかった、

と僕は思い込んだ。それは人はなぜ

生きるか、という永遠とさえ思える

命題だ。それをどうしても考え抜き

たかったのだ。それが一生を左右

するとは思いもしないし、まったく

考えもしなかった。

一回落ちた後、その翌年、先生を

2,3人で囲んで志望校の話をして

いて、担任が僕の志望校の名前で

例えを出した。それは四流大学の

代表のつもりだったのだろう。その

大学に去年落ちて、今年は東大を

受けるというのは、絶対あり得ない、

と。それほど僕の志望校は低ランク

だった。一人が僕の志望校だと知って

いたので、気を使って先生の話を止め

ようとしたが、僕がそれを遮った。

いいのだ。選んだのは僕なのだから。

もう落ちることはできないから、早稲田・

慶応・東京を除いた残りの東京六大学

からさらに2ランク落としたのだから。

なぜか、答えは当然な話で、僕の探求

する課題に答えられる学校も教授も

いないことは初めから知っていたからだ。

だから、どんなトップクラスであろうとも

そこのネームヴァリューにも教えにも

期待の微塵もなかった。僕の前に

世界から学校はなかった。自分で考える

他にない、ということだけがわかっていた。

そう考えていたことは、恐ろしくも現実化

して、20年後、自意識下で自己を解体

する経験をさせ、30年後に最終と思わ

れた解答である因果を見せた。

因果は後で思えば、無常という思想を

地図化して目の前に見たことだった。

それは生きているように複雑なひとつ

ひとつの関係を結び、壊しながら、

絡み合い、生成と分解を半無限な方法

でくり返す絵だった。流れ星のように

一瞬で見えて、消えてゆく、それはイメージ

に過ぎない。そういうイメージでしか語れ

ない。

見えたのはそうだが、内容がガツンッと

来ている。だから、世の中はこう、自然は

こう、たぶん、宇宙もこう、と説明できる

内容を伝えてきた。だから、科学はこう

なる、哲学はこうなる、・・・・・・・・、とそれ

は全問正解だったが、人が生きるという

解答を導くヒントになる答えだった。地図

だった。設計図のようなもので、なにが

完成するのかはわからない、そういう風に

解答を導かなければならないと教える、

そういう教条書でもあった。だから、その

内容を語ることは容易ではない。

僕は地球の学問をすべて知っても足りない

と始める前から知っていたが、まったくそこ

から一歩も進んでいない、因果はそれ

だった。答えが分かっても、その場所へ

行くまではそれが実際にどういうもの

なのかはわからない、そういうもの、

確かに地図ではどこでも想像したから

その場所の何かがわかるというもの

ではない。概念的に正解を答えられても、

本当はその答えに突き当たる必要が

ある。それがわかるということだ。

答えを知っただけでは、僕らの大事な

ことはわからないというのが、因果の

最初に示したことだった。

ここまでで今までのことをくり返して

書いてきたが、あと一息が書けない

ようだ。

しかたがない。同じような散歩に

終わったと、昨日と同じに感じる惰性

の中に終わることもある。最近は、

それが増えてもおかしくないのでは

ないか、と思っている。

精神的に一つだった目的が、今は

物質的な目的も増えて、そちらにも

興味が惹かれて、関心が奪われて

いるからだ。工芸というものは伝統

なので、人の関わりが多く、したがって

深くなり、奥が見えない。

やってみてわかり、やればやるほど

奥行に進む、というのは思えば、精神

の謎についても同じことが言える。

趣味のつもりでも、わかれば面白味が

高まり、のんびりが見つめてのめる、

と変化してゆくようだ。

今、にしても自分の造った湯呑の

造形がどうでもよくなり、いろいろな

湯呑を見てみたいという気になり、

今日も骨董市を探していた。

暑いが、午前中にでも見て回りたい、

と。もう「ものぐるほしけれ」の領域で

ある。

物は、確実に、そこにある。それは

一緒にいるととても気分がいい、という

稀有な人を見ていることなのだ。

見ているうちにそうならないものはない。

初めから嫌悪するものは見ないだろう、

なんでもないものでもそうなる、と言える

からだ。

見たい。湯呑が見たい。

簡単な、単純なことだ。好きな人にそこ

で出会いたい。同じこと。

湯呑が僕を待っている、とか考え

始めると、怪しく、危なくなってくる。

そこまでではないし、そうはならない

だろう。でも、それが触れるくらい

には、近くに感じられる。  



僕がその湯呑でお茶を飲んでいる

頃は、湯呑をまったく見なかった。

でも、割ってしまい、なくなると、同じ

湯呑を作ろうと思った。新しいの

ではなくて、同じ形の湯呑だ。

思えばそれがおかしなことだ。湯呑

なら、今までもいくつも替えてきたのに、

なぜ同じ湯飲みと考えたのだろうか。

それで思い出したのは、その湯呑の

由来だった。それは近くの幼稚園の

バザールで買ったものだ。ついでに

買ったものだが、なんと30円だった。

その売り人のおばあちゃんが愛用の

湯呑で上に少し開いた、ビアグラス

のような形だった。その形と色が白で

地味なのが、すこし、嫌だったが、慣れ

たのだろう、気にならなくなった。

そして、なくして、同じものが欲しいと

思った。これは僕からの想いではない

だろう。僕の想像したそのおばあちゃん

という人への想いからだろう。その他に

僕が湯呑にこだわる理由が見つからない。

だから、僕は毎日茶を飲みながら、おばあ

ちゃんの姿を真似て、微細な信号を少し

ずつ湯呑から、受け継いだのだろう。

僕はそのおばあちゃんになっていたのだ。

そのなにかを共有し始めたのだ。

これが歴史というものだ。飛躍ではない。

これが因果というものだ。これも飛躍

ではない。伝統はかくして語られるものだ。

自由なんか、僕らにはわずかしか残され

ていない。ほんとうに新しい人でなければ、

自由を創ることはできない。どこにも自由

なんかない。それはいつでも創作課題

だからだ。

だからこそ、伝統を学ぶ中に、自由が生ま

れる素地が育つ。それが精神的なヒント

であり、因果の魅力かもしれない。



伝統に魅せられて、虜になる人は自由

を知らない。自由ばかりを個人的に

尋ねて古さを見ない人は伝統を知らない。

伝統は奥深く、その中の自由というのも

ある。それは新しい自由ではないが、

標準ではある。自由を標榜しても、

それだけではあちこちに伝統の影を

チラチラさせずには格好がつけられ

ないだろう。そんな中途な今までの

古い自由では、どんな体制・体勢でも

やがて固定化して、追い詰められ、

旧体制になってゆくだろう。



ここは大事な点だ。それらはどう考え

ても、二律歩行のような考え方では

早晩、行き詰ってしまう。そして、僕ら

は行き詰って、早まった行動を起こ

して、地図のないまま、ことがなっても、

ことに破れてしまうのだ。

歴史は同じことを語り続けているが、

評論家も進歩主義と保守主義を分ける

ばかりで、それをさらに細分化した何かを

くっつけて何々進歩主義とか、何々保守

主義とか呼ぶばかりで、弁当箱の蓋

ばかりを取り換えている。中身が

ほんとうに見えていないから。



自由を求めるなら、伝統に引っ張り

込まれないほど、伝統への理解が

必要になる。伝統を守るなら、新しい

自由の必要性を伝統を一旦断ち切って

理解しなければ、また伝統に戻っても、

なにほどのこともできないだろう。

かたくなな精神になるだけだ。

僕らは素敵な弁当箱でおいしい弁当を

食べたい、というのが落とし処ではないか。

どちらにも創作が欠かせない。役目は

違っても、片方が貧しい文化という

のは歪んでいることだろう。その中間

という中途半端もない。  


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