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考えても 考えても [思考]

考えても考えても、だろうか、それとも

考えれば考えるほど、だろうか。

思い出したい情意がある。情景、か。

夢を覚えていないが、夢の雰囲気

だけ妙に印象に残っていて、それが

思い出せないような時。 時間。


人の弱さはよく見えない。手を伸ばし、

助けたつもりでも、感謝のお礼もない。

気にしなかったが、宿題を出しても

ことごとく忘れられる。病気だとも思った。

理解と忘却の関係がわからない。

子供時代の親とのトラブルの話は聞いた

ので、トラウマかとも思ったが、臆病で

ありながら、素直。その素直さは臆病

から来るものと、相手にへりくだる形で

話を合わせる、という自己防衛だと

気づいたが、それでも納得には遠かった。

見た目の弱さから、初めからそう弱さと

判断したが、これが自我のあまりの強さ

の裏返しだと気づくのに、10年かかって

しまった。たぶん、トラウマの影響から

なにかの発達障害もあったのだろうが、

素直でいい奴と、人などなんとも思って

いない、ただコミニュケが取れず、その

防衛処置としての相手の話をオウム返し

することと、生来の臆病さが重なっていた。

見えないのは、そういう弱さに隠れた

剛情さとプライドの高さが、うまく素直さ

とバランスを取っていた。

人はそれぞれ、水の流れのように

生きにくさを自分なりに対応できること

で応じてゆく。そこに嘘や偽りを交える

余裕はなくて、見た目や他人との一瞥

の関係ではわからない複雑さと、内奥

がある。そういう例だった。

彼にとっての、こうなればいいは、もちろん

あるのだろうが、それもこちらが促した

ことに同意するという、いつもの彼の

対応であるなら、それが彼の本心か

どうか、彼にも分らないに違いない。

そう、わからないのだ。

僕らはよく知っていることを、大抵は

自分もわかっていることだと思う。

そして、嫌いなこと、イヤなことには

見向きもしない日常を意識すること

はない。8年くらい、人生で必要な基本

は教えて、共有できたつもりだった。

彼がわかったという感触は確認を入れて

きたし、その場でそれができたから、

まさか後で、しかも時間をさほど置かず

に忘れ去られるとは、思いも寄らなかった。

彼は嫌なことは自分の内に入れない。

僕の言葉にショックを受けた表情は

本物だったが、それが短時間の命だと

は考えもしなかった。

まるで知的障害者のような一方通行が

脳にあるのだが、知識としての幅や

レパートリー(上演の演目や領域)は

広げられるので、医学の資格試験には

合格するという、とても矛盾を感じる

性格だった。論理の飛躍がわからない

性格だった。


答えを出すことは得意だったので、それ

では足らないことに気づかせてくれた

のも、彼だったろう。問題の答えと解決

はまったく違うことで、答えはその知的

概念の解答でよかったが、解決は現実

の場での効果があるか否かに拠る。

解決しないのは、答えの先にまだ

未解決な問題が潜んでいることだ。

彼の心が、心のカルテや光景のように

パネルで目の前にある。

見ても見ても、その解決の糸口は見つ

かりそうもないし、考えても無理なのは

わかり切っている。

彼を見ていると、まったくふつうの一般人

なので、彼の自己についてそんなプライ

ベートな話をするようには見えない。僕も

概念以上のことは書いていないが、その

先に光が差すまでには長い長い時間が

あるような気がする。

脳のもっと細かい検査とか、僕は必要

な気がするが、専門になれば、もっと

他の検査も思い当たるのかもしれ

ない。

僕は医者ではないので、心理で見る

のはこれくらいが限度ではないかと考え

ている。人の精神心理自体が、一種の

概念的事項であるから、時には治癒

よりも元気づけの交わりのほうが大切

になるのだろう、と思う。

彼の臆病さに隠れた自我の強さが

あるという想いに至ると、意識しない

傲慢さで彼の時折見せる自分(ふて

ぶてしさ)がようくわかる気がする。

そして、それはそれに彼が気がつく

までには、いくつもの関門があって、

彼は知らずに思い悩むのだろう。

今の彼のプライベートが落ち着い

たら、そういうことを話し合う機会も

訪れるのだろう、とも思う。

僕の自分の問題に関わらない人は

僕に関わらない。僕の友人、友達

だった人も、かろうじてつながって

いる人も、珍しい人ばかりで、それ

ぞれがその代表格みたいなところが

ある。

一番の共通する特徴は、論理は苦手で

直感で決めるタイプが多い。逆に動物

的だが、勉強家で人にあまり疑いを

持てない、自我の少ない(弱いではなく)

友もいる。それらも最近知ったことだ。

皆、僕の鋭さを警戒するのだろう、僕に

近づかないか、勘づいていないフリを

して来た。

僕は僕でそこには気づかなかった。

そういう壁を友人に対しては築いて

いなかったので、訳が分かると、

やはり、大層がっかりした。

社会を逸脱すれば、常識を超えるでは

すまない。ルール無視という範疇で

見られてしまう。

気持ちの明るい人は、知的なことを

書こうとはしないだろう。知とか自己知

とは概念事項が多いので、方向は

いつも過去を向いている。これをよく

認識し切らないと、パートナーの死や

体力の衰退には抵抗するのが困難に

なる。どこか自分が間抜けていないと、

自殺を選びやすくなる。当人は社会

批判をして、またしているつもりだから

だ。

大きい意味で社会批判は意味がなく、

したがって、できない。個々の問題に

ついて責任を問うのが、一般的に

できることであって、それを世界の

思想や主義主張に向かって批判して

いるつもりでも、それには実際、実態

がない。幽霊だ。返ってくるのは虚しさ

だけだ。

見かけの議論はそれなりに勝ち負けが

あるように見えるが、その場やその時の

勢いというものが、そう見せる。ショー

なのだ。ムキになって、細かい知識や

資料を持ち出して、相手を出し抜いても、

自分は賞賛を勝ち取ったという栄誉に

関心があるだけだ。相手が友人や

親しい人なら、後味は悪く、むなしさ

が残る。大した利益や賞賛にならない

のなら、同じく、むなしさが残るばかり

だ。

だから、公平・公正な議論で真実と

やらを望むのなら、まずその対決の

結果に金銭や名誉の利益がどちらに

どれくらいあるのか、気にした方が

いい。利益目的の仕事や交渉なら、

初めからそんなことは問題にしない

だろう。東南アジアのある国でも、交渉

にはふつうにリベート(賄賂)を要求

される。



思い出す情景は、見えないが、眼の前

にある気がしている。思春期も迎えて

いない子供に、恋愛感情とか説明する

のは退屈だろう、初めから、理解でき

ないことがわかるから。

自分のことなら、解決策までたどり着ける

のに、と思っても、それだけだ。

相手が知らない事柄で説明することは

できない。僕らがわかったつもりに気づけ

ないのは、なかなか大変なことだ。

それこそまったく他人事になってしまう。

それが嘘でも、正確でも同じことだからだ。

聴いたことのない言葉を聴くようなもの。



<考えても考えても、だろうか、それとも

考えれば考えるほど、だろうか。

思い出したい情意がある。情景、か。

夢を覚えていないが、夢の雰囲気

だけ妙に印象に残っていて、それが

思い出せないような時。 時間。>  



そういう時間を、なんと呼べばいいの

だろうか?
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