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城、春にして草木深し [日本]

語ることはいくらでもあるが、語る

「べき」ことはほんとうにあるのか、

未だよくわかっていない。

ないらしいことは、感じるがそれが

確たる姿を把握している、という訳

ではない。それならどうしてこんな

事情になったのか、と思う。

この物足らない、そして不可思議な

感じはいつもあったようだが、それ

は闇の責任に転嫁していたので、特

に考えたことはなかった。

ありのままでいい、とか言われるが、

それはほとんど不可能なことを指して

言っているのではないかと、考えて

しまう。

地球があって僕らの生活が続く限り、

ありのまま自然に任せるのは、困難

に思えるが、その日暮らしをしてい

る原住民はいて、文明のテントとか

見せても、我らには必要ない、と

笑いながら言う。

森を移動しながら、食物のなる木を

求めて同じ季節に同じ移動をしてい

るのだろう。食べ物を探して一日は

暮れて、調理にも手間がかかるので、

キャンプと同じで食事をするまでに

時間がかかる。そうして一日は暮れる

し、それがくり返されるのだが、彼ら

はそれを黙々と繰り返すようだ。

食べ物の保存には気を使わなくて

いいだけの天然の食料は手に入る。

しかし、余裕はないのだから、毎日

それに追われる。しかし、食料に

あぶれることはないので、不満もなく

その同じ毎日を送る。

それがありのままなのだろうか。

あるがままなら、純然たる社会主義の

国がある。キューバはヘミングウェイ

も好んで住んでいた。

国から支給されるお金が日本円で

3000円ほどで、市場で売られるパンは

1個20円くらい。皆がその貧しさの中

なので、我慢できるのだろう、と思い

がちだが、そうでもない。生活の贅沢

はない代わりに大学までの教育は国が

面倒を見るので無料である。教育資金

を工面しなくていいのだ。そして、

医療費も安かったと記憶している。

なにしろ、性転換の手術がその相応の

正当な理由があれば、これも無料だと

いうから進んでいる。

金を追いかけて仕事をする生活では

なくなるから、そういう生活方式の

ほうがいいという人もいるはずだ。

それもありのままに近い生活なのだ

ろうか。いや、国の生活費の手当て

での政策などあるだろうから、あり

のままとは言えないだろう。


理想としては僕らが国民としての

自主的な意識をもって、専門家や

公共の事業などは国営がいいのか

民営がいいのか判断して、そうい

う国家を将来的にイメージできて

いることだろう。学校からそう

いうことを教えて、考えさせるのが

本来の教育だと思うのだが、権益の

意識と実際の日教組などの組織が

すでにそこで腐っているので、部分

で反日教育となっているのは驚く

べきことだ。新聞やTVとかのマス

コミでも報じられないことが多い

のだが、それは隠されている。

ニュースに出てきても、日本の国民は

ほぼ洗脳されているのに気づけない

ので、日本人とはどういう人たちなの

かを自身のこととして捉えられない

くらいに心が衰弱している。

安倍晋三首相(当時)がトランプが

大統領になってすぐに会いに行った

のは、偶然ではない。たぶん、まだ

首相を退いても大きな派閥の影響力

があったので、演説会場での警備体制

の不備も偶然ではなかった、という

見方を僕はしている。


日本国民は大きな無知の中にいるだ

ろう、と見ている。僕は還暦を過ぎ

るまでに10年以上戦争を考え、見て

きたがこれまでの歴史を知らなかった。

それは学校で教えないからだ。日本人

というアイデンティティはその良し

悪しはともかくとして、知らないで

はすまされないもののはずなのだが、

それは自分の親を知らないと言う

ようなものだ。


だから、ありのままという言葉を聞く

と、その前に知らなければいけない、

判断もできない事情が、歴史にも

政治にもあるのではないか、と思わ

ざるを得ない。

ニュースは国際的になって来た新しい

犯罪とか、芸能ゴシップ、スポーツの

話題、日常の生活の衣食住の変化、

など娯楽や近視眼の流行を追うばかりで

不都合なことが起こっていても、報道

されないばかりでそこに無感動にも

なっている。

危機感というのは当たり前の生活を

しているのでは、とても生まれない。

意見というのは、どうにでも主張を

変えられるので、どういう立場に拠る

かで、どんな意見も存在するし、可能

なのだ。だから、自分がそれを判断

する必要がある。その準備がなされ

ていないのが、そうされてしまった

歴史の経緯という、今の日本がある。

その自覚から始めるにはどうしたら

いいのか。

そこからになる。なんとも遅れた話

ではある。


城、春にして草木深しは、国が滅びて

草木が伸び放題にはびこってしまった

ことを言うが、精神的には日本の姿だ

と言っていいと思う。

悪くなれ、とは言わないが、それ

くらいのことは明確に自覚してで

ないと、お人好しの意見・交渉では

甘く見られたままだ。戦争は資本主義

の最大の消費という儲けの機会なの

だから、そういう見方から国際関係

の武器売買を見なければ、戦争反対

がいくら真理でも、僕らの心情でも、

まっとうな意見でもいつの時代でも

それには目隠しされて、それらしい

理由がプロパガンダ(宣伝)で用意

されたのだ。だから、戦争の悲惨な

記憶を受け継いでゆくというような

子供だましのことで、将来戦争が

防げるというようなことは決して

起こらない。

それも必要だが、それだけでは役に

立たない、ということである。


    23.5.2
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