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知的頓挫と常識的な理想 [知の思考]

 P・G・ハマトンの「知的生活」は渡部昇一・下谷和幸訳で、 

日本で再発見のようにブームになり、自己啓発の古典・ 

名著と言われている、そうだ。渡部について書くので、まず 

渡部はハマトンに大いに啓発されて、一部原文を暗記する

ほど読んだ、とそれほど傾倒した。 

はじめに断ってしまうが、これは渡部やハマトンという知的 

人間への半ば批判であり、その知的形態の説明である。 

「知的生活」という言葉に、はまる。なんと響きのいい言葉 

だろうか。自然の中で知的環境に囲まれて悠々自適な 

生活が出来たら、なんと素敵なことだろう、と僕も昔、 

夢見た。それこそ理想を絵に描いたようなものだ。 

そして、本を手に入れて、あとがきを読んだら、あとは 

放り出してしまった。まさか、今頃それをまた手に取るとは 

思っていなかった。 

僕の現実的な志向・嗜好はハマトンがどれほどにせよ、 

そういう生活を実現したものと疑わなかった。自分の 

経験からそのエッセンスを書いたのだろう、と想像した 

から。 それはほぼ山での自給自足をした「森の生活」を 

書いたソローの影響だろう。

が、ちがった。彼は今でいうHSPで、感受性が強く、病的で 

特に汽車ノイローゼだったという。夜行の鈍行にしか乗れ 

ない。それでも発作が来て、途中下車したそうだ。だから、 

彼に非はないだろうが、彼は普通の生活ができる人に憧れ 

はしたのだろう。 

それは始め大量の詩を書いたが、まとめられず、失敗した 

らしい。それがどういうことなのか、またどうして失敗なのか 

わからない。本人は知的人間によくある完全主義者だったの 

かもしれない。が、19世紀末である。そういう知識は流行って 

いなかっただろう、彼に非はない。 

そこで彼は画家を目指して変身し、画家としては写生ばかりで 

個性がなく大成しなかったが、美術雑誌の編集責任者となって 

成功した。評論や論文も掲載して、当時の文筆家として有名に 

なった。 

それで、というわけではないが、彼を決算すると、人々の好み 

に合わせたものを書くことに長けた教養人だった、ということだ 

と思う。だから、雑誌は売れただろう、また「知的生活」はそう 

いう本だった。第1章で知的生活における肉体的基礎、と題を 

打っているが、若い作家へ、学生へ、若者へと小見出しが並ぶ 

が、自分のノイローゼはひとまず置いて、書いたのだろう。 

そして、第2章ではその精神的基礎、として並べて書いている 

が、内容は歯を食いしばるような努力の礼賛で、人が思うような 

想像がまことしやかにそれらしく書かれていて、読者はそうだろう、 

私が思った通りを丁寧に語っているよ、と言いそうな記述。歯を 

食いしばるというのは僕の表現で、彼はそれを「たいへんつらい 

骨の折れる」というソフトな表現をしている。ちょっと乙にかまえて。 

彼が運動を奨励しているように、その道のセミプロにでもなったか、 

と思うが、晩年、痛風の症状が出たらしく、その予防をするために 

戸外運動というから、マラソンでもしたのだろうか、やり過ぎて心臓 

を悪くしたという。自分の体をよくは知らなかったようで、精通には 

ほど遠い。 当時は栄養状態も良くはなく、知識も不足がちだった 

のだろうか。 

ハマトンは田舎に引っ込んだのは自然を愛好するというよりも、 

人と付き合わず、静かな環境を選びたかったからだと思う。 

晩年は、60で亡くなったが、奥さんとの会話も知的興奮のある 

というものではなかったようで、知が伝染せず、奥さんは耳が 

聴こえなくなっている。子供も独立し、巣立ち、二人だけであまり 

に静かで寂しくて耐えられなくなり、山から郊外に引っ越して 

いる。彼はソローにもなれなかっただろう。 

僕は非常に早くその理想もどきに気づいて、山が好きだし、山の 

生活に憧れもしたが、長くは続かないだろう、とその気がある 

うちに山へは1年に1回行くくらいで、滞在も長くて3ヵ月くらい 

でいい、あとは郊外や都会で暮らしたくなる、と思っていた。 

そして、山へも都会へも行ける、やや郊外を居住地に選んで 

いる。 当時は田園も残っていたが、今はもう市街地になって 

しまった。 

ハマトンは世間通で教養人だった。決して知的巨人というような 

個性は持ち合わせていない。とても仕事に協力的な奥さんと 

しあわせに過ごしたようだ。それを感謝しているが、彼の夢は 

知的人として社交生活をすることにあったような気がしている。 

だからこそ、人がふつうに何を考え何を望むのかわかり、そこに 

自分の夢を教養文にして重ねて載せた、そんなように見える。 

一般的な人生だろう、編集者として成功して、山へ籠って 

家族で暮らしただろうし、自分の感受性にもさして煩わされ 

なかった。晩年の不幸はそれでか、次男がフランスの国立大の 

教授資格を取ったらしいが、自殺している。そして、ハマトン夫人 

の耳の不自由、自分の通風、と不幸が重なった。ルーブル博物館 

から帰って、心臓病で亡くなった。当時としては60歳、大往生 

だろう。現代では似たように成功した人が晩年、突如として半身 

不随になっている。 


そういうハマトンの教養としての知的生活に同じ理想を抱いた 

であろう、渡部昇一(ここでデジャブ。この場面、見たことある、 

いや、経験している)が登場する。 彼の「魂はあるか?」という 

本を知って、ほぼ最後に書かれたので少し、死についての体験 

を期待(予想)したけれども、もう一つの予想である、誤解の 

混ぜ物では、のほうが当たっていた。 副題の「死ぬこと」に 

ついての考察、もなんもない。死についてはその周辺ばかりで、 

死そのものについては、なんもない。ただダーウィンとウォレス 

の発見が断定で書かれていたので、ここを調べて見たいと 

思わせた、すでに本は所有している。 

僕が死についてまた?書くの?となったのは、人は自分の 

体験が重い時には、その体験で人生が左右されるし、それで 

あるからこそ、そこからの結論を絶対として信じやすい。 

信じるのは結構だが、それひとつだと、信じるのはそれは 

自分だけを信じるのと同じだから、いつも検討できる時には 

思いつきにせよ、他人の経験にせよ、それなりに敬意を払って、 

検討し直さなければならない、と最近、再度考えていることだ。 

特に僕の場合は次からくる経験がその一度目の体験を 

裏書で応用・証明・保証するものだったので、疑う機会は 

なかったといえる。生ま新しかったので、新しい表現を考え 

なければそれについては1行もままならなかった。いまだそれ 

を否定する材料は現れない。 

しかし、それだけがすべてではないのは、いかになんでも 

気がつかずにはおかない。そのほうがいいのだ、比較できる

から、こちらのテーマが強められるか、怪しげかが感じられる 

ようになる。そのどちらでもない場合、別な世界解釈の可能性 

が現れた、ということだろう。 なんにしても面白いではないか。 
                                  
とは言え、」  6. 1- 2 




日を空けると(1日半)、書き続けた想念の流れも切れてしまう 

ことがある。 最近は特に、重要なことを書いているという意識 

がないせいか、途切れた時の想念を思い出せない。また初め 

から書けばいいではないかという、その場主義だからだろう。

渡部昇一については、新しいことはなかった。想像したまんま 

で、少し前に書いたパスカルの神を信じたほうがお得である、 

という確率を渡部はそのまま守って、あの世まである、と何の 

検討も加えずに、「だからこそ私は、シニア世代には特に、この 

賭けのことについて考えてみてはどうかと勧めたいのです。 

無に帰して風にさまようくらいなら、一歩踏み出すくらい何でも 

ないはずです、なにせ、負けることのない、必ず勝つ賭けなの 

ですから」 と、最後を締めくくっている。 

彼の主張は一理ある。わからないことを考えたり、疑っている 

よりも、しあわせに生きるほうがいい、そういう精神状態をつくる 

には神とか、魂とか、無作為に信じるほうが健康にいい、という。 

そういうことを言っている。 

だから、まぜっかえすようで理屈に誤解されるだろうが、彼は 

自分が期待し、憧れることをそのまま信じたほうが利口だ、と 

言っている。それはそれが真だとか、正解だということではない。 

わからないことを悩むよりも、まだ信じてしまったほうが楽だから 

精神的に得だ、利益があるという。これは拡大解釈すれば、どの 

宗教でもいい、好きな宗教を信じて、幸福でありさえすれば、 

その先を考えるのは損だという立場で、なにか社会学者の話した 

結婚とは収入のパフォーマンスだ、と断定するのに、似ている。 

それはどういうことか、突きつめることができる。人生、楽できる 

なら、それでいいじゃないか、という人情に合った思想である。 

思想としては未熟で危ういが、現実には一理ある。生まれて 

から恵まれて、幸せに育ち、人生順調に進んだのなら、それこそ 

理想的で素晴らしいではないか、という考えだが、実際には 

不幸に襲われない人生はないので、理想の考えも嫌でも不幸に 

修正されるから、その理想の実現が責務ではないか、そのため 

にそのゆるい思想が奨励されても、さほど不都合ではない、の 

ではないか、というものだ。 

僕はそれを強く否定する気にはなれない。世間を慮(おもんばか) 

ってのことではない。そういう夢もある程度は役に立つし、小さな

ことでは大いに使ったほうがいいからだ。明日、講演を控えて 

いて、その前の晩に急に憂鬱になって眠れない、とかになった時、 

「大丈夫、うまくいく」と、自分を安心させるのは大事なことだ。 

この時、講演がうまくいくかどうかは関係ないことはわかるだろう、 

その前に不安を緩和しなければならない。僕も慣れたせいか、 

自分を落ち着かせるのに、不安な理由を思い浮かべ、それを 

潰してゆくという方法を以前に取っていたが、今は、自分が 

不安を感じているのを察知したら、すぐに「大丈夫、うまくいく」 

と3回くらい唱えると、なにもしなくても2,3分で落ち着いてしまう。 

不安は必ず、自分が招くものだ。それを消して、うまくいく場面に 

遭遇させれば、または、成功して喜ぶその後の場面を起こして 

やる。そもそも不安はない、とわかる。 

渡部にとって、魂の存在も、死後の世界を信じるのも、それは神を 

信じるのと同じ範疇にあって、一緒くたなのだ。神があれば、魂も 

あるし、死後の世界もある、と。 

僕は、おいおい、と大丈夫かよ、とオタついてしまうが、彼は専門の 

英語文法学ではドイツの大学で哲学博士を授与されているようだ。 

英語や言葉の本が18冊くらい、(社会における)生き方や処世法の 

著作も多いが、主に歴史と政治・社会の方面で200冊近く、共著を 

含めると、300は超えるだろう、そして、翻訳も100冊くらいの、 

それで知の巨人と言われるらしいが形而上学、経済や宗教、心理に 

ついては書いていない。 

それで人生の最後は賭けることで満足して終えた、のだから、なに 

を批判せにゃいかん、ということで、極貧の少年時代から出発した 

ので後半、しっぺ返しもなく、大往生。彼は彼の人生を生きた、とそう 

締めくくっていい。 

僕について書くのは、興を失くしてしまった。僕の死の経験はそれ 

のみで構成され、それを信じてきたのではない。突きつめられない 

神秘と実感の入り混じったことや、確実に自己の崩壊だと後で 

分かった経験など、数々の新しい追体験が起こり、それを解題 

することで、次第に初めの体験が補足され、強固になるという 

流れを追ってきたので、僕の体験を崩す事実が現れなかった 

以上、自分の実感を信じないわけにはいかない。 

僕はこれでやって行く、ということで渡部のような賭けは児戯 

じみたように感じられるが、書いたように無下に否定する気 

にもなれない。僕らには、社会的にも心理的にも、それぞれ 

の納得する思想が用意されていて、その選択はその人に 

任されている、それが僕が信じることだからだ。どう信じるか 

というのは、信じるのを恐れてなにも信じないよりは、幾千倍 

もマシなことだ。敗れて、また荒野に戻ったら、新しいことを 

信じてまた始めからやり直す。今、それをする、今、そう 

考え直す、という行為が大事だ。そういうことであって、 

前もってそれが正しいとわかるようなことは、起こらない。 

僕らが生きることを信じている前提がなければ、なにも 

起きないし、起こらない。すでに信じている処から始まって 

いるのが、僕らの生だ。これだけは、疑えない。その他は 

いくらでも解釈が可能だ。 これは神を信じることに賭ける、 

という知的立場ではないが、信じることの重要さでは同じ 

炎がともっている。

生きよう、ただ生き延びるために、他人の協力ではない 

犠牲を強いるような卑怯な手段でも許すように、ではなく、

自分の、これが人間の一匹の生き方である、と主張 

できる、そういう生き方をしよう。



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ザクロにはギリシヤ神話から仏教、イスラム・キリスト、どの宗教 

にも逸話があり、紹介しきれない。 

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