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ガラスの希望でも絶望でもない臨床的な意識 [心理]

(これは、メモである)

例えば、量子力学は僕らの現実に及ぼす物理的・物質の影響力 

というものは微々たるものだ。学問として微細な世界の物理的 

追求がこれに代わるものがないために、現代では花形だが、 

未来社会ではともかく、現代社会では法則ひとつ決め切れない 

矛盾を抱えていて、ガラスのように固形に見えるが、厳密には 

ガラスと同じでしっかりとした固形物になってはいない。ガラスは 

溶けた物質が結晶化することなく固まったもので、それを非常に 

粘度の高い液体と呼ぶことができ、定義が難しい。半液体の 

半固体の統一体というようなもので、量子力学もそういう学に 

なり切れないものである、と僕は言えると思う。 

今夜はどうにか自分を抑えて、どこにも逃げないようにして 

その望みを聞いてみた。

彼は始めに孤独の牙を感じて、それが近いので恐れる、と 

示した。彼特有の言い方で、大げさにドラマ化して表現したい 

のだ。それから二律背反の考えを出してきて、それらが進化 

するのに知の発達と自我の発達ではその成熟に差がある、 

と言い出した。それがどうであるにしろ、それらは自分の 

依拠できる在り方ではないこと、そしてそれから比べたら、 

しあわせというのはそれぞれの個人の依拠の工夫であって、 

ほぼ気持ちの切り替えに近いもので、なんら困難なものでは 

ないと言う。彼は3つの愛を示そうとして、その色合いは見せた 

が、説明はしなかった。さして大きな問題ではない、と言いたげ 

で。そして、彼は孤独の牙はその希望と絶望という(実は安心 

とか安全とかを前提にした場合に心にできる)要素を越えて 

はるかな絶望・無がある。そこで彼の「孤独の牙」は消えて 

しまう。彼はそのカードを別な呼び方をする。その絶望には  

自由を感じると言う。規定できない巨大さの前に、僕らは 

何もできない、それはこの世的には(自分から尺度を測る 

から)絶望なのだろうが、現世的な絶望なら、つらい、 

せつない、むなしい、もうどうしょうもない、で済むが(現世 

では実際それで済まないが)、それはそれが絶望したくらい 

では何も起きない、変わらない、そんな絶望は無駄だと、 

親切に?教えてくれる。 

まったくそれらが僕ら人間だ、ということにすべて還元させ 

られてしまい、僕らはふつうに言葉を失う。どうしようもなくて 

使う「言葉を失う」というフレーズが嫌でも浮かんでしまう。 



彼が内心で言うのは、肝心なのはそのことは知ることができ 

ないから、こう書いたのを理解することは役に立たない、だから、 

こう書いたのを読んでもあまり意味はない、それよりもこの事態 

が他の緊急な自分自身の事態と比較出来て、その場面に 

自分を置けるか?ということだ、と。それができることが前提で 

その時に、その立ち位置でこれが何を示すかが想像できる。 

そして、それから初めて、これについて無駄にならない想像 

の思考を働かせることになる。 

そうしたら、次に言うことがなにを示そうとしたのかを、我が事 

として理解される。それが不毛に見える、知と無の対決である。 

戦いではない、人間の知と無限の無では比較にもならない。 

現実に地球の大きさは太陽の130万分の1だとしても、その 

地球から太陽に「太陽」と名付けても、近づくことも、中を 

直接調べることもできない。この距離のまま、この距離を 

保ちながら対峙するしかない。それと似たように、無は 

巨大で、必要十分に感覚できないから暗黒世界だ。 

だが、意識を失った時の感覚で?そこに存在していると、 

感じることだけできる。なぜか、そういう感覚と比較すること 

で僕らは一度死んで復活したように、この世を別な比較の 

眼で見ることができる。それがその経験の内在の感覚が 

芯となって支えている、とこれが彼が説明したことだ。 

彼の意志は、相変わらず変わらない。歴史始まって以来の 

同じテーマ、自分の存在意義だ。社会テーマで見ると、 

我らは何で、どこから来て、どこへ行くのか、という。 



ここで僕は登場することにしよう。今までは混乱を避けるため 

統一して書いていたが、はっきり彼(自分)と僕を分けよう。 

僕は彼と同一体で経験を共にするから、かなり彼の言うことが 

わかる。これは想像するより、意外に当然なことではない。 

彼のプライドはまっとうに生きているし、彼の感動が僕を 

生かすエネルギーでもあるからだ。彼を完全支配できるとは 

思ったことはないが、ある程度、時には全面的にコントロール 

できるとは思っていた。残念ながらそのあたりの事情は、 

特別で僕は意識を失って、そういうコントロールをする 

らしく(いつもではないが)、その瞬間が空白で、どういう 

具合にするのかがわからない。気づいたら、意識が飛ばされ 

ていた、と。 



19世紀から20世紀へ、無意識の発見から、精神分析は 

始まったが、心理も小手先ではなく、心全体の感受性が必要で、

関わっていて、十分に解明されていないばかりか、深い誤解が 

ある、と僕は危惧している。 彼(自分)が思うのは自分が自分に 

思う意義だが、それにもう一つ輪をかけるように、僕は僕と自分 

をひっくるめて、この状態の二人全体を模索している。どこまで 

行っても新しい状態が続くとは言えるが、それでは人間は死ぬ 

まで生きる、というのと同じことを言っている。芸がない。 

せいぜい、僕という液体でもなく、自分という個体でもない、 

ガラスのような半固体、 ・・・・・・・。



:― と、ここまでメモを残しておく。 

スクリーンショット2234 (2).png


太陽と海王星: 比は適当。太陽の22,500分の1くらい。

素粒子の寿命はどれくらいか。電子は長い。数十億年と言っても 

想像を絶する。ヒッグス粒子は短く、1兆×1000万分の1秒(たぶん)。 

どちらも僕らの日常に影響はなさそうだ。僕の臨床意識も似た 

ようなもの、なのかもしれない。


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