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孤独を思い出しかけた時の心象 [孤独]

<4月下旬は雨が多かったのだろうか。

個々が転換期の前兆になるとは、思い

もよらなかった。 6. 2 >


孤独を郷愁する心がわからない。

これは自然に生起する感情なのだろうか、

と考えてみる。今少し前に、孤独を思い

出した気がした。そう思った瞬間にまた

失ってしまった。いつかの自分に戻った

気がした短い瞬間だった。

孤独はまず自分を気負うという姿勢が

あるのではないか。そこに自分が投射

されて、切り離されて回復しない自分を

感じる。それが今それを見る自分に

反射されて返ってくる。自分がひとつに

なって、切迫した息苦しさも感じる。

この透徹した閉塞感。自分は閉じ込め

られて、もはや行く場所がない。それが

余情に感じられて、哀切に感じる。

これは確かに、文学になる。僕が

憧れる要素はこれなのだろう、文学に

内包される孤独感。・・ ということなの

かもしれない。

こんにちわ、文学。こんにちわ、孤独感。

その屹立感の、届いているのは人間らしさ、

という場所なのだろうか。

Bachとukuraina.png

ウクライナとバッハ  陽秋:画 


::
孤独は寂しい要素に見られているし、

そういう心の様相を示すけれど、どうも

心の養分を含んでいるという感触から

逃れられない。孤独感により、侵食される

のは、なにか欠陥があるせいで、僕らは

健康な状態なら、侵食されずに、孤独感

とは違う形で心に、なにかを受け入れて

いるのではないか、と思考が繋がれて

ゆく。ふつうにそれを支えるものがあって、

それに照射される心の光線の違いに

よって、或る時はそれが孤独に、また

或る時は、何になるのだろう?それが

わからないが、わかればこのシステム

の存在が公になるのではないか、と

ここまででたどり着いた。

若いと、老い、時間がそれを陶冶する

ように自意識に配置されなければ、

・・・・・・ それは突然、背中が見えて

他に何もないのを悟ってしまう、といった

黒い画面に小さな白い点を見つける。

時間感覚が崩れて、感触が時間では

ないものが現れる。それを世界と仮に

位置づけよう。世界が現れて、それが

真であるように(実際は真でも、偽でも

ないのか、どちらでもいいのか、わから

ないが)、振る舞い、それを認めようと

すると、その固定が固定化されようと

する瞬間に自分自身が壊れる、のを

感じる。その世界ではなんでも自分

独りで何もかもしなくてはならない。

なにもかも、できるわけがない、と

考えさせるために出されたのが、背後

が見えない暗闇からのサーチライトの

ようなものだ。彼は一人だけ照らされて

絶望の淵に立たされたように感じる、

まだ見ていないから、それは暗闇だと

感じさせられて。

その痛み。そのつらさが、自分を知り

たくないという潜在的な思惟だ。自己

防衛だ。その痛みで止めようとする。

そこで止まるために、せつなさが押し

寄せる。これが僕のうちで起こる、また

は過去に起こったことのある”孤独”と

いうやつだ。

ここまで思考のスピードにほぼ合わせて

通過したが、詳しくは何を言っているの

か、検証してみる、あとで。


ぶり1-1.JPG

次のブログは ブリ。 になるかも・・。


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