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ナツメヤシの謎?と漱石の謎々 [謎]

僕は魯迅に興味がある。それは若い時

に彼の作品「阿Q正伝」を読んで、ショック

を受けたからである。どこにでもいそうな

人和見主義の西洋かぶれ、中身のない

議論、という偽善ばかりの人物、阿Qが

僕らと等身大に描かれていた。



地方の地主?かなにかの息子であった

魯迅は元服すると、それまで親友で

あった近所の子が親に連れられて、

これからは「坊ちゃま?」とかなんとか、

尊敬の呼び方をしなさいと、息子に頭を

下げさせるのに出会う。もう彼とは対等

に遊べない仲になってしまう。その

悲しみと習俗への反発が描かれていて、

印象に残った。

魯迅は日本に医学生志望で留学して

いる。が、中国人留学生は日本文学

に傾倒する者が多く、その中に魯迅も

いて、彼は医者にならずに、作家に

なってしまう。

ライシャワー日本研究所のカレン・L・

ソーンバー教授は比較文学で、夏目

漱石の「吾輩は猫である」が「阿Q正伝」

に影響があるとして、主人公の設定が

似ていることを挙げている。それが3点

で、ともに名前がないこと、社会を批判的

に眺めていること、最後に死んでしまうこと、

と。そして、エピソードが似ているとして、

阿Qが大根を盗む場面は、猫がお椀の

雑煮をつまみ食いする場面で、魯迅は

絶望的に、漱石はユーモラスに、と

魯迅がその場面を再解釈して、絶望の

場面に脚色して描いた、という。

まず、「吾輩は・・」が「阿Q・・」に似ている

という時点で、驚きだった。「吾輩は・・」

は一応読んだが、流し読みでも、魯迅の

「阿Q・・」は全く感じられなかった。

彼女は本当に「比較」だけをしている。

似た場面がそれが皮相(=うわっつら)

でも影響と考える、または触発された

と考えるおおらかさというか、間抜けさと

いうか、勘違いというか、それは想像し

なかった。

ただ、夏目の小説が彼に影響を与えた

可能性は大いにあると思う。僕は福岡

に行った折に、県立図書館をサザエさん

通りを歩いて、訪ねたことがある。その時

に新刊の「漱石のこころ」という新書を

知った。中に「坊ちゃん」は陸軍省の

公金横領で自殺した元老(山城屋)と、

陸軍中将だった山縣有朋への風刺が

煉りこまれている、とあって、普通に

正義感により、悪玉教頭らが懲らしめ

られる物語として「坊ちゃん」を読んで

いた僕は、毒気を抜かれてしまった。

日露戦争でいつ検閲が始まるやも、と

いう情勢の中で漱石は、検閲にあっても

言い抜けできるように文章を綴ったの

だった。山城屋が宿も質屋も同じ号は

おかしいと、気づきもしなかった。

魯迅は中国人の眼で、他国からの比較

で客観的に自国の文化を背景に、文学

に警告発揚の道を見たのかもしれ

なかった。 

ソーンバー教授は驚くべき、皮相な論理

で比較する人で、それはそれなりに発見

もあるだろう方法だが、僕にはその著者

の動機や目的という心情に触れない、

見かけの文学比較はその影響という

重要さを考えると、主流には用いることが

できない、と一歩引いてしまう。



漱石は単に判官びいきの作家だったとは

考えにくい。心情はそうだったろうが、もっと

複雑な思考も反映させた、時代を見る眼を

持っていたし、西洋文明の受け売りの文明

開化に批判的だった。なにせ、東大の講義

でLOVEを訳すのに、愛してるとは日本で

訳さない、月がきれいですね、と訳すとか

言ったか言わないか、そう教えたとか、

ナゾナゾが好きだったようだ。

これから読むにしても、よほどからめてから

読んだ方がよさそうだと、ちょっと反省した、

ソーンバー教授の一部の文からの刺激

だった。「ハーバードの日本人論」(意見

を述べた10人の一人)

::


ナツメヤシ?当然、月はきれいです流の

夏目漱石のことだ。彼には謎が多いから

これからも評論の本が出てくるだろう、

すでに百冊も出ているだろう、のに、

うざったいことだ、そんなに多くは読めない。
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