SSブログ

第二の自己の20年ぶり?の反省、日記メモV-の2 [日記]

< 結局、前回の続きを連続で書く

ことになった。それだけ重要だった

からだろう、しかたない。思い出に

ついてはその時雑念だったプライド

からの迷いなどについては省かれて

いる。今なら、その中心で起きた自己

の精神をより客観的に眺められる、

と思えるからだ。 >



振り返ってみると、それを考えて

みれば、恐ろしいことでもある。

それに気がつかなかったのならば、

そういう状態ならば、の話であるが、

ここには不気味にも自由があり、

安心させる雰囲気に包まれている。

書けるということが、僕と無意識の

関係ではなくて、僕は仮の僕で、

その僕の知らない僕から操作され

ている、というのが本当のことだった

ら、僕の自意識とは何なのだろうか?



僕が確認する自意識への感覚が

希薄になったのなら、もっと明確に

意識して気づいていただろうに。

だから、前提として、僕は今の現実の

自分を疑うことができない状態にある。

そこを疑ったら、すべての認識への

信頼が崩れてしまい、まず根底として

必要な信頼を置くところが失われて

しまうのだから、どこからどうみても

僕は今という瞬間からスポイルされて

しまうだろう。

それは起こるはずだが、起こってい

ないから、確実なこの自意識を思う。

僕の自意識は確実なのに、それへの

信頼は希薄で、ある程度損なわれて

いる。それが否定はできない。ある

のに、あるのだろうか?と疑うのは

矛盾しているが、それくらいはなん

でもない。矛盾よりも僕が架けるべき、

自己への信頼がどうにも不安定に

なってしまったことだ。



● 思い出すのはあの日のことだ。

その日、昼間だったが、突然、世界は

不確かなものになった。その時はすべて

の羅針盤を失ったと思った。どんな規範

もない、ということで、この世のすべての

ルールたるものが信頼ならないと、感じた

ことだ。思えば、これは無の体験の或る

意味、焼き直しではないか。そして漸進

ではないか。別の形でこの世が壊れた

のだ。

すべてがあてにならないし、ならないから、

それが強いショックでその時の自分を

俯瞰も何もできなかった。それは不安

だけの空間の上に立っていたのだが、

頭の描いた例えは、羅針盤のない大洋

の上だった。方向を定めることができない

という航海の例えだったのだろう。

詳しく言えば、半仮説にもなってしまうが、

今まで生きてきた生活の上での常識が

すべて剥がれてしまって、裸の世界の中

にいた、ということだ。そう思いだしても、

肝心の因果と出会った日との前後が

ますます不明になる。記憶が不鮮明に

なって、因果が先だったような気がして

いるだけなのだ。それから何年か?して

この世の概念が剝がれてしまった経験

に、となったようなのだ。

因果は見えないが、イメージはある。

どう説明するかは決まらないが、同じ

イメージになる。今回は5万本の木の

枝で説明すると、5万本は数えられる

はずはないので、八百万(やおよろず)

と同じ意味で、「あまりに多くの」という

形容だ。― 5万本の枝が絡み合って

大木のように見える、枝の流動体だ。

枝は自分でも伸びて、分かれるし、

他の枝にも、からみ、からまれて、

ますます複雑に増減しながら、どんな

規則もなく流動して、増殖、減殖して

ゆく。因果の法則というのは、人間

から見える知に沿った形での、その

ほんの一部の姿を写し取ったものだ。

全体では法則など導けるような単純な

変異や交雑ではない。それは人間が

自分の寿命を60年から100年の間

に意識するようになににしても狭い

範囲でみるので、因がからんだ本数

が見えて、そこからからんでもたいした

複雑さではないうちに、それが(結)果

となるように見えるからだ。

年数も絡みもその規模が小さいし、細い

から近似の条件で実例や実験結果を

見るので、そこからすぐには変異しない

仮初の法則を導き出すことができる。

ニュートンは数学はユークリッドで天文

の星の位置と物理の在り方を組み

合わせて、万有引力の法則の仮説を

導き出した。

それぞれ百年の歴史から記録され、

考えられたもので、材料がそろった

ので、彼はそこに達した。そして、

500年、その法則は宇宙をも説明

するだろう、と思われたが、そのあとの

科学の歴史で見るように、万有引力の

法則では説明できない宇宙的事実が

次々に発見されてしまった。

地球はまだその存在を太陽系において

根底条件をあまり変化させていないので、

まだニュートンの法則は限定的に使える。

宇宙には宇宙の見えない関所があるの

だろう。



さて、僕の不安だが、収まらなかった。が、

無理やり引っ張り出した知恵は、やはり、

過去の記憶からだった。これから離れて

僕らは知恵を出せない。

ドストエフスキーの「罪と罰」で判事が

殺人犯の主人公ラスコーリニコフに

言ったセリフが「学生さん、ねぇ、

あなただいじょうぶですよ。すべては

生活です。生活が導いてくれます。」

(記憶なので不正確)また、(因みに、

ドストエフスキーの大丈夫は、全然

だいじょうぶではなく、陰にこもって

暗い感じが否めない)と、その「生活

が導いてくれます」だった。

不安におびえる自分をどうにかなだめ

ようとする自分が、はっきりとその時、

意識できていた。その時にすでに意識

は二重な自分を投影していたが、自覚

はなかった。

僕は明日を待て、と自分に言った。明日

なら、多少はいい考えが浮かぶかもしれ

ない。だから、きょう結論を出さなくていい

んだ、と。生活が(それがなにかわから

なかったが)導く、と。それで高鳴る胸を

落ち着かせようとした。僕は胸が勝手に

高鳴るほど、その事態に適応できず、

ドキドキさせていたのだ。過呼吸には

ならなかった。

そして、翌日。確かに昨日の極度の

不安が、多少は減って、多少はよく

なった。それは自分を取り戻す、無意識

な精神作業だった。

ともかく、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と

自分に言い聞かせ続けた昨日を思った。

感動的なことに、昨日はどうしようも

なかった体に、自分が育っていた。

だから、そこから始めることができた。

これは自己を失った経験からしか話せ

ないことなのだろう、僕の考えたのは

これからの人生(生活)にこのまっさらな

世界に自分の手跡、足跡が着実に

つけられるだろう。ということだった。

今や、この世は手つかずの自然と

同じ状態になったのだった。敢えて、

すべての名前さえ僕が新たに名付けて

入れ替えることができる、その必要が

あるのでは、とさえ思えた。今までと

同じこの世があって、そのまま見えて

いるし、そう認識しているのに、なにも

かも違うのだ。それらは名前がつけ

られる以前の状態で、僕には感じられて

いるのだった。この時に、必然で僕は

新しく生まれた、と感じ、そう認めること

ができた。この新生現象があったから

こそ、僕は第二の自己という言葉が

現実に思えた。自然に、そう思えた。

しかし、この世を新しくそのネームを

付け替える時間はなかった、それは

すぐにわかるので、ただこの世のもの

に新しく名前を付け替えるのは、僕に

とってなんら社会に対して反発すると

いったことではなかった。動植物・星

や彗星など新種のものに新しく学名

をつけるといった作業と同等に思える

からだった。

つまり、世界は一旦は、僕のものに

なったという感覚が芽生えていた。

それが人生は自分で歩むもの、という

確実な自覚が生まれる元だった。

自分と共有するものは、やがて皆と

共有するものという、自然な道を辿った

のだと思う。それは自分のもの、専有

という感覚ではなく、僕の範囲で区切

られる人生という、レッテルだった。

そこでは、人の家の庭にでも足を踏み

入れれば不法侵入で、街で見えるもの、

あらゆるものすべてが誰かのもので、

そういう法律に管理されたこの世は、

ふつうにつまらない世界だった。そう

感じるよりない、理不尽な世界に感じ

られた。ここに、そのものが在るだけ

なのに!(この感覚は社会の自己

所有権が抜け落ちている感覚を示し

ているだろう。それは動物や古代人

の感覚に類している。)


だから僕が得たものは、この世界を

変えられる、そういう新しい世界の

予感にもなるものだった。この世という

この現実を陶冶(生まれついたものを

鍛えてよりよく育てる)するものだった。

その可能性は因果の流動する絵に

現れていたし、自分がどんな世界に

いるのかを新しく感じることで引き出さ

れるものだった。 ●


第二の自己にはこのような意味が生ま

れていたのだ。自分が真に新しくなれば、

僕らは過去の自分の意味さえ、新しく

捉えなおすことができる。それはまた、

新しく生きることと、同義ではないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・



あとは(定番だが、) 言葉にならない。

僕は思う。明らかに、この世は僕らの

認識下にあって、それぞれの認識の

この世が実態だと、僕らは思っているが、

それが自分という世界観のすべてで

心はそれを映す鏡であろう。

自分や知はそれを意識と共に写す

ための装置であるだけであって、心は

無くなることもできる。その外側を

僕らの認識では捉えられないが、それ

はある。それを認識する必要がない

からそれへの感覚がマヒしたか、

育たなかったか、僕らは知の認識で

よし(無視する)としてきた。

僕らは現在、僕らが発明したもので、

その発明したものが計算する答えや

その応用が五感で捉えられなくなって

きて、僕らが造ったものありながら、

それを検算したり、その発明の提供する

思考過程が検証できないという、野放し

がやむなしという不安な世界に陥ろうと

している。

資本主義とか、発展とか、経済効果とか

進歩的な信条を、一旦置いておいて、

現状維持のまま2,3年とか人間を見直し、

人間の全体像を固めて、そこから人間

に沿う形の社会をまた時をかけて描き、

整備してゆくのが、僕ら人類の転換の

ための最初にすることではないのか、

と考える。それが皆で考える第一の

テーマではないか、と思うのだが。



そういう青写真はあるのだが、それを

軌道に乗せるためには、と考えては

いけないことを、つい考えてしまうのだ。

あらゆる障害と困難がスズメ蜂の大群

のように襲って来るぞ、と。

僕らがこれまでの歴史で少しずつ達成

してきたように思っている習慣が元に

なった体制・伝統・規制やらが僕らの

生活の行動指針になっていて、僕らは

あまり自覚していない。が、それを知って

いると思っている。国会議員が海外の

戦地視察に行って、実弾の音を聞いて、

天地がひっくり返ったかのように興奮

して帰ってくる、という頭(答弁・意見)

だけの認識を克服しないと、僕らは

議論も議論にならない。

僕らには何が必要なのかという問題は

今や、<「何が必要なのかという問題」とは

なにを言っているのか>、という事態に

なっているのかもしれない。

例えば、あなたの議論にはついてゆけ

ない。でも、その意見は受け入れられ

ない気がする。言葉では勝てない気が

するけれど、それはそうじゃない、と思う。

ということが言える確信を、あなたが

どういうことでどう思っているかが重要

で、問題は常に議論に勝つことではない。

こうなると次に理想という問題が浮上して、

そこをうまく修正して置き換えないと、

実際の行動にどう結び付けるかのテーマ

に入っていけない。

どちらにしても、あなたの中で考える

秩序が取り換えの効く社会秩序である

限り、また自分がその自己崩壊する危険

を恐れている限り、この問題の真の接点

には触れることはできないのではないか、

という気がする。




::
僕はこういうように生意気なことを

今までに書いてきたのだな、と感慨

するようになった。そういうもう一人

の自分とのトラウマが見えるように

なってきたのかもしれない。自我の

強い者向けの論理なのだ。

なので、僕らの知らない世界はもちろん

のこと、僕らのお互いという関係世界

も、あまりにも測り知れない。あまりにも、

・・言い足りない、 ・・あまりにも。 

あまりに、・・


見えても、ちびらないで。(笑)

nice!(13)  コメント(0) 

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。