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朝と夕焼け・ 織部日記6. [日記]

早朝に朝陽が昇る前の朝焼けを見た。

なかなかであったが、今までのもの

に比べては、少し、色あせて、さっぱり

した色合いと色調だった気がした。

偶然、同日の夕方に同じような夕陽を

見た。その日のうちに朝陽と夕陽の

同じ色合いの光景は見たことがない。

それらを見た時は微妙に色合いが

変わっていく微妙な違いが見れる時

に出くわしたのであって、いつもは

タイミングが合えば、同じに同じ

なのだと思った。

興が削がれた。

朝も夕も同じ太陽とその背景の色と

いうのは、ちょうど同じ瞬間に立ち

会うということが少ないために、それ

ぞれいい色合いだと感心してきたが、

同じではそれができない。

夕陽をカメラに収めたが、画像の方

が迫力がある。これはどうも僕の

感受性が疲労のためか?脆弱だった

せいかもしれない。

同じ夕陽1.JPG

画像では光の透明感が、絵の具の色彩

になってしまって、陰鬱でさえあるが、

それが秘めたエネルギーのようなもの

を感じさせて、力強い。

山は丹沢の大山である。


屈人織部の日記 6.

雑感です。

なんでも鑑定団を見て、これまで

たまっていた感想がはじけた気が

します。

陶磁器への知識には専門の豊富さを

感じますが、どうもそれが値段に

なるといけないと思ってしまいます。

千利休の花入れが出品されて、偽物

の判定でした。3000円でしたが、

僕は気に入って、それなら買いたいと

思いました。本物なら、億単位で買う

人が何人もいる、と話していましたが、

そうでしょう。値段ではなく、本物

だからです。それは投資のことであっ

て、ものの値段ではありません。

大事なのは、今それを気にいるかどう

かであって、本物かどうかではない

からです。

投資の世界は資本主義の建前です。

なんでも鑑定団の鑑定人もそこは

承知しています。本物としての価値

を異常に高めるのは、ダイヤモンドが

毎年カラットの値段が上がるのと一緒

で、ダイヤモンドの価値は下がらない

ことをアピールするものです。

ダイヤモンドはほぼ独占商品でその

カルテルが毎年、いくら値段を吊り

上げるかを会議で決めるわけです。

そうして安定さを売り物に、ダイヤの

購買を誘うという訳です。

そういう市場原理が鑑定団にもその

周辺の取引や売買の業者にも歓迎

されて、陶磁器などの値段が否応なく

上がり続ける、それが今の世界市場

の常識ということです。

そういう本物には高価で手が出ない。

そこで僕などは思いました。本物

そっくりの偽物(かなり難しい)を

作りたい、と。高値で売るのでは

なく、ちょっと良い品に相応しい

値段で求められる本物志向の芸の

味わいを堪能できる仕掛けです。

使って楽しむのが陶磁器の魅力

ですから、買えなければつまらない。

初めから偽物だと銘打って売り出せ

ばいいのです。現代の若い陶芸家に

は、そういう人が出てもいいのでは

ないか、と思います。いい作品を

美術館や写真集でだけ眺めていても

つまらない。埒が明かない。

ものは手に取って、その手触り、

重さでなんぼというものだと思い

ます。

歴史上でも本物偽物は大事なこと

かとは思いますが、茶碗や花器

などはお茶を飲んだり、玄関に

お花を飾ってみて、しっかり

なんぼなんだ、と僕はやはり思い

ます。

こんな話もあります。

何の学者だか忘れましたが、生物や

動物関係でしょう、類人猿などの

ある頭骸骨を手に入れました。その

頭蓋骨から来る感じが、剣呑で、

恨みにも思われたので、そこを訪れた

人が口々に、早くその頭蓋骨を手放し

たほうがいい、と言いました。それ

ほど陰険さを感じさせた骨でしたが、

それから1年でしょうか、しばらく

してからまた訪れた人たちは、同じ

骸骨を見て、とても柔和な優しい

感じの頭蓋骨に驚きました。

どうしてかと、聞きましたが、学者

は大したことはない、ただ私はこれ

が気に入っていたので、毎日撫で

まわしてやっただけだ、と。

ものというのは、それを人がどう

扱うかで変わっていくものらしい。

まるで飼っている犬や猫、または

まだ自分が固まらないうちの子供

を思い出すようです。

頭蓋骨に対しても、人は気味悪い

という感じから先入観で見ていた

だけのようです。

そうすると。陽秋風に分析して、

自分の親はどういう親であったかが

自分を解くカギの重要な手がかりの

主だったひとつだという推測が成り

立つのではないでしょうか。

親は自分の希望を子供に託そうと

します。父から見た視点、母から

見た視点というものを僕らは

無意識に持っているのではない

でしょうか?

彼らがどういう人間だったのか、

というのは僕らが思ったよりも

深い意義を備えている気がします。

特にその親への気持ちへの根っこ

には伺い知れない熱い秘密がある、

という気までするのは、言いすぎ

でしょうか。




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