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身体で読む本 概知の~4. [思考]

さてこれまでのことをまとめて、そこから進み始めたことを少しずつ話して

みよう。

なにしろまともな書き方をしようとすると、僕の個性が邪魔をする。書きたいように

書き始めてしまうのだ。それは今、思いついたことが中心になって、友達と話す

ように内容にこだわらない。その場で思いつき話したいように話すだけだ。

それでも歩み寄りや妥協が必要な接点は知っている。ただ、それを説明している

時間が無駄に思え、自分で退屈してしまうことだ。それをこうやって、どこかで

見出そうとそれなりに喋って、喋り続けるといった具合だ。

今日、1冊の本が届いてため息をついているところだ。原題は「The Origin of

Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind 」というもので、直訳で

二院制の心の決裂による意識の起源、というもの。日本訳での題は「神々の沈黙

ー意識の誕生と文明の興亡」という。

本のことを書くって、こんな晩はなぜか、楽しい。その本に好意的か批判的かとか

は関係なく、この時間が持てるというのはいい。本を語るのは楽しみでそれしか

ないし、ほんとうにそれだけだ。前に言ったことがあって、それからどんな変更も

なく、変わらない。本から真理とか、真実とか、生きがいを学ぶなどできっこない。

そんなのは幻想だからだ。本から偶然それを見出すことはしょっちゅう起こっている。

でも、それは本が、言葉がその知識が起因ではない。すでにそれをどこかから発見

するだけの何かしらの経験がそれを求めて育っているから。(培養という)

喉からそれに値するものに手が出る、それはそれを示す言葉でもかまわない。信号の

点滅でもかまわない。ちょっとしたことだ。その時、自然な直感が起こるから。

ただの思いつきや気まぐれではなく、心で醸成されたその人その人のsomething 。

本や、絵画や、言葉だけからそれに気づくことは、決してない。ただし、そのこと

さえも忘れていたら、本から学んだと錯覚するだろう。よく思い出せば、必ず

そのショックや経験・体験に気づくだろう。

この本は600ページ近くある。僕は5分くらいか、パラパラめくって数か所を

読み流してみた。なにが書いてあるか、それでおおよそはわかってしまう。これは

速読ができて、ケンブリッジだったか、本の読み方を教わった(僕はその番組を

テレビで観た)学生・人には簡単なことだ。本は3割しか理解しないが、全体で

なにについてどこら辺のことが引用されるかが見て取れる。そうすると、読んで

どれだけの必要な知識が得られて、どれだけ得して損するかが、大体わかる。

あとは著者がその引用した本(著者とは他人の)についてどういう感想をもったか

がわかるだけで、それは自分にも研究にも役に立たないものだ。(それはもちろん、

卒論や研究論文などの社会に提出用のものではない限り)

というように、人の書いた研究というものは他人の本や知識の上で成り立っている

ものだから、70億以上の、分の1に過ぎない自分にはそれは混乱する種になる。

著者が実際になにを経験して、それがなにかが大事で、それが自分には理解でき

なければ、そしてそれがまったく気にならないと確実に思われるならば、その本

は捨ててしまってかまわない。何万冊からめぐり合っただけで、これからまだ

重要と考える本を手に取ってみなければならない(かもしれない)のだから。

日本語に翻訳されていない本は考えない方がいい。気が遠くなる。

僕は中学生の時にドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ。読みきった。本に力が

あって、僕は理解できないのに、本に読まされたのだ。それは僕が「心」の問題に

深入りする運命の象徴のようなものだった。ドストエフスキーに深入りするのでは

なく。

僕ら人間って、変なんだよ。まともだったり、矛盾していたり、それを善や悪に

錯覚して考えたりしている。両親が自分の7割を決めているとよくわかるように

なるには、自立する時代を越えなくてでなければならないし、それから自分の

苦労が親と重なったり、両親の高齢を面倒みたり世話したり、あとは亡くなって

から、それは自立してから平均して30年くらいして、両親の子だったとほんとう

に気づく。

それは社会的自立ではなく、結婚・就職したとかではなく、実に自分の人生の

入り口に気づくということで自分が生きるとはこういうことだと、始まるのだけれ

ど、遅すぎない? ここが矛盾しているよね。

これは1.で書いた問題のことで、「理解という内側の問題と外側の煩雑な知識世界

の問題」の関連についてのことだ。それらは別々に問題があるのではなくて、関わる

からそこに問題が生じている。だから、内と外のこととして区別して考えるのは

まったく無駄に考えることになってしまう。


ここからはまったく視点を変えて話して行かなくてはならない。少し、手前に

もどるが、僕らがどうして理解を急ぐか、ということから話したい。会社では

特にそうだが、結論から話せ、と教わる。ともかく仕事は現実問題だから、

時間や手順や段取りなどどんどん前へ進めなければ、競争に負けてしまう。

学校教育でも試験ばかりで、僕らは答えを早く出すことを覚えなくてはならない。

そういう習慣がついているために速いのはいいことなのだ、と思っている。

で、話も聞かない。で、結論は?と常に聞きたがっている。そういう自分の

結論を急ぐ実際の”勢い”を確認されたい。思い出してみて。

それは僕らがすでに答えを求めていて、それが尋常ではないことに気づく。

むしろ、すでに答えがあるのを知っていて、それがなにか、それを君はなんだ

と思うのか、と尋ねているからだ。もう、それでは答えがあって、それをどう

選択するか、ということしか残っていない。だから、その答えを知っているか、

知らないかだけが問題で、それがどういう問題なのかは二次的なことになっている。

ここに問題に対しての誤った姿勢の問題がある。

この姿勢については今まで語って来たので、今はその気になれない。もう少し、

待とう。

その先について書く。「心」の発生について書くとは、なにを解決することになる

のか、それを書く準備として、「神々の沈黙」と生物学から進化過程を問題にした

本などを読む。「心」の漢字が発生した時期(論語と関連)など、それらを自分の中

で統制したいと思う。次には、順番は現代になるのだが、一応内容は未定。





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johncomeback

ご訪問&nice ありがとうございます。
大学5年(留年)間で1000冊以上本を読みましたが、
結婚(36年前)してから殆ど読まなくなりました(*´∇`*)


by johncomeback (2019-03-03 20:44) 

ようしゅう

コメントに今日、気がつきました、申し訳ない。
1000冊はずいぶん、読みましたね。僕も卒論が
提出が半年遅れて、半年後に卒業でした。こういうのは
留年とは言わないのでしょうが、いまだに変な制度だと。
本はもう普通に読まないし、読めなくなっています。
省みると、単語をページで数語拾うことと、流れを
斜めに読みとることと、同時に行っているようです。
イメージ読みとでも名付けたいくらいの、速読風の
読み方だと思います。なので、本を一冊通して読むことは
ほとんどしていないです。自分の読み方を理解するのも
けっこう長い年月が必要でした。
どうなるかわからないのが好きで、これからよろしく
お願いします。

by ようしゅう (2019-03-05 15:46) 

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