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まだ島に着かない、初日 [初日]

W i f i の都合で、8日まではブログを開けない。今、高速艇に乗っているので  

この1時間少しがフリーW i f i を使えるチャンスなので、船内のTVがうるさいが、  

書いてみる。   

まだ湾内を出ないのか、巡洋艦が並行して走っている。天気は予報が反対に  

なり、7日までが雨が、6日までが晴れ模様の曇りになり、台風一過の後は

晴れるのかと思いきや、雨続きの曇りもようになりそうだ。ともかく、島に到着

する今日が晴れたのは気持ちがよい。明日も晴れるようで、気温も31℃になる

というから、泳いでもいいかな、と。

佐世保港に着くと、すぐに潮の香りがした。匂いは世界観が強い。それだけで  

海への情緒からいろいろな情報が思い起こされる。歴史は感情である、という  

表題の本があったようだが、歴史には虐げられたものの恨みがたまりやすく、  

感情は強く作用する。表題はあながち間違いではないが、それだけだ、とは   

ならないだろう。デートの交際中に聴いたポピュラーソングはほとんどの人が

自分の青春の曲として、(音を)忘れないだろう。匂いは出会って思い出すという

チャンスが少ないが、情景から情緒から幅広さと深さで、意外な世界観を

思い出させる。僕らの個人史ではそういう感覚による記憶が歴史として残る  

ので、日記などでも書かれている内容よりも、その時の文字の勢いや形で  

当時の気持ちが甦ったりする。単なるメモでも書きなぐった文字が書かれて

いない他の情報をも思い出させたりする。   

それらを考察として鑑みるならば、昔の歌集や唄などがどのように詠まれて  

いたのか、どんな発音だったかというのは、とても大事な情報だと思うのだが、  

なんともそれらを回復させるのは、古典芸能にその一部とヒントがあるのみで  

ほとんどは謎として消失してそのままだ。そしてそれらがわかったとしても、

その頃の人たちの自然や社会や人間への想いというものは、僕はその

わずかなヒントのような藁を掴んだだけで、わかりようもない全体への憧憬が

広がる経験をしている。それは人々の歴史へのあこがれを増長して、歴史の

ロマンとかに堕落してしまうのだろう。ひどいことに、そんな偉人は存在しな

かったという説で世間の耳目を集めようというエセモノの区別も実際に結着

はつけられないという事情も発生してしまい、今は考えられなくてもいつかは

歴史が書き替えられる可能性も出てくる。  

と書いている間に、島が見えてきた。   

次は8日以降に。 




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