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感動と余韻 [感動]

こんなこともある。 

天照大御神の記述が日本書紀では特定の巻(30巻中)にしか  

出て来ない、という文をどこかで読んだ。それは中国人ではなく 

日本人が書いた巻からしか見られない、と。書紀の述作者を 

特定した「日本書紀の謎を解く」(中公新書)に述べられている 

と思っていた。一度、それを新書の中で確かめたと思っていた。 

ところが、今、その本にその記述を探すと、ない。それなら 

それを指摘した本で読んだのかもしれないが、それが本で 

読んだのか、ネット記事やアマゾンの書評で読んだのか、 

まったくわからない。その天照大御神からの話の展開だった 

ので、驚くことに「歴史はどんな顔をしているか 2.」が 

頓挫してしまった。記憶の文章にこれから遭遇するなり、 

見つけ出すなり、当てにならない話になってしまった。 

少し探してみて、なければ話を新たに企画したほうが 

よさそうだ。 いずれにしても大化の改新については日本

のアイデンティティを創出する話になるので、いつかは 

その端緒を発したい。  



台風14号が九州に接近しつつある。そのまま太平洋上 

を近海域に沿って、急カーブして進むそうなので、僕は 

初めてのコースだと思う。上陸しないので勢力は衰えず、 

のろいスピードなので予想より日数が延びるのではないか。 

なにかわからないが、僕にはこの嵐の暴風や大雨の被害 

よりもなにかを期待している。ただの予感なので、なにが 

どうなのかもわからないが、この台風の左側に位置する 

日本の陸地は反時計回りの理論上では風雨が弱まる 

位置になる。被害は少ないはずだ。で、気象庁は想定外の 

被害に神経質なので、そんな大したことないとかの予報は 

わかっていても出せない、医者と同じで必要以上の完治 

(安全)を望む。 



秋雨前線の雨はシトシト降っているが、それだけだ。 

感動と余韻がくり返している。 

うまく言い表せない。 しかも、それでいい、と。  

例えば、裏切りや謀略が横行している世界を想像してみよう。 

そこでは知略に勝れた者がのし上がってくるはずだ。戦国 

時代のようなもので、その知略が戦術であり、技術である 

そういう中で優れているなら、それは数多いるが、ほんとうに 

のし上がってくる者は知略も戦略にして、大局から判断して 

行動するのであれば、これに敵対するのは難しい。 

反撃も戦術的ではすでに読まれているからだ。 では、 

戦略・戦術に勝れた者同士が戦いはじめたらどうなるか、 

というとほぼ一進一退になる。決着がつかない時が流れる。 

しかし、手は抜けない。その時だ。その両雄は知っている 

はずだ。ほんのちょっとした偶然が、例えば気候が変わったり 

嵐や大雪になれば、とかいつも同じなのでそこだけチェックを 

しなかったとか、まったく新しい人物や事態が戦況を覆して 

しまうとか、要は未来は予期できない、ということである。 

対する両雄はそれを恐れる。そこで昔は戦場で加持祈祷 

を行ったのである。 


僕も同じだ。なにか胸を気付くか、気づかない程度に騒がせ 

ている時に、それが近づいてくる台風にあるのではないか、 

と勘ぐるのだ。 なにが起きるのか前もってわかっているの 

ではないので、なにかが起きたとしても、それだ、とわかる 

ものではない。 

だが、僕の生活はその積み重ねで成り立っているような 

処がある。自分を離れ、全世界は何か?を感じようとする。 

自分に戻り、感じたことを整理しようとする。うまくいかない、 

また、やり直す。1時間もやっていると、いつの間にか寝て 

いたりする。しかし、そのほうが起きた時に自分が新鮮な気が 

する。これだろう、静かな感動がくり返し、その余韻がくり返す、 

そういう山と谷の波長が心に流れて気持ちいいのは。 

無駄になっていない、と感じる。たぶん、これも瞑想とかヨガ 

とか死活の一種なのだ。 


*10.8の記事

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