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アリと気に義理す 2. [アリ]

アリはなぜ危険な車道を渡ったのか。それが  

前回に置いてきた疑問。今回は、思いつきの  

答えが出たので、その紹介。  

認知症の腰が痛いと訴える女性、70いくつか  

だろう。その人は家に帰ることを言う。その都度  

世話人は誤魔化したことを言う。明日の朝に  

家族の人が迎えに来るから、とか。認知症の  

人は、片っ端から忘れる。短時間に忘れる。  

毎日トイレに行っているのに、トイレがここに  

あるとは初めて知った。と、そうなんだ、と
 
感心までする。職員はそういう言動を見ているから

誤魔化してもすぐ忘れてしまう性質を利用している、  

そのつもりなのだ。ここで盲点になっているのは  

前に書いたように、感情は最後まで消えない、と 

いうこと。それは感情が深くかかわったことは、  

必ず思い出すということでもある。その老女は他の  

認知症患者の親切さで外履きの靴を探してもらった。  

一人では探せなかった。そして、履き替えて玄関前  

の椅子に坐っていた。誰も気づかなかったが、待って  

いたのだ。

玄関ドアは外へ出るのを防ぐために、施錠されて  

いる。中から出る時は、棒を使って、天井に近い  

解錠のスウィッチを押す。オートロックなので、 

出て、また閉まれば、ロックされる。この仕組みは  

外に出て家に帰りたい気持ちがあるので、忘れない  

事項なのだろう。僕が帰りの時に解錠して出た時に  

まさか、すぐに彼女が出て来たとは気づかなかった。  

送迎ドライバーの人と話している時に、振り返ったら  

彼女がいるので驚いた。あの腰痛の人がこんなに  

素早く行動できたとは想像できなかったから。  

捕まえられると、舗装のアプローチに坐ってしまった。  

外に出られたからといってそれからどうしようか、  

わからなかっただろうに。  

しかし、外履きの靴に履き替えたことから、この

脱出が計画的だったことはわかる。何度も考えた  

のだろう。そして、玄関を出ることしか考えられ  

なかったのだろう。  

こういう驚きはカメにもある。アメリカだと思うが、  

甲羅が50cmもあるカメを3匹買っていた家では  

鉄格子の腰くらいの高さの門があり、それは  

レールと車輪がついていて、横にスライドして  

開けられる。カメもいつも開けるのを見ていたん  

だろう、ある日背中のこぶのように山なりの  

突起を利用して、鉄格子の門の真ん中辺から  

そこに潜って横にスライドしてしまった。そこで  

左の開いたスペースまで歩いてきて、外に出て  

しまったのだ。門が開く仕組みがわかっていた  

ということだ。  

動物の学習能力もバラバラだが、バカではない。  

子供が大人になるまでは動物だという面があるが、  

それと同じで、無知なのではなく、子供くらいの認識  

能力はありそうだ。  

犬が人間の嗅覚の100万倍とか優れるとか、通説で  

言われるがそれは嘘だろう。そんなに匂いに敏感だった  

ら、人間がおならをしただけで気絶してしまう。刺身に  

わさびをひねり出したら、そこから逃げ出してしまう  

だろう。 犬の空気の流れに感じる認識能力は匂い  

と共に高いだろうが、それは匂いではなく、特別な  

認知能力によるものだろう。少なくとも、嗅覚を  

連絡に使ったとしても、嗅覚そのものではない。  


ここまでが人間と動物の感覚器官の違いによる、  

認識の識別や範囲の違いについて考えている。  

それだけで難関に当たっていて、謎が多い。 

それが昆虫になったら、まったく異なる難関が  

ありそうだ。それが社会系統という、一文化様式  

というものだと思う。  

アリは車道に出たのは、その危険を知らなかった  

というのは迂闊に過ぎる。迂闊だとする僕らの  

判断も、だ。普通のアリが列を長くつくる、という  

数ではなかった。だから、自然に推測すれば、これ  

はアリは承知していたんじゃないか、と。車という  

凶器に轢かれてしまうのは、わかっていたんじゃ  

ないのか、と。それで犠牲も多く出ると、知っていた!  

だから、数が通常よりも多かったのだ。犠牲を覚悟で  

進むためには大勢で進むのは道理だ。千人が  

殺される戦争で、はじめから千人で戦うのは意味が  

ない、勝てっこない。そうすると、次はなぜ通りを  

渡らねばならなかったか、であるが、それほど重要な  

斥候となると、僕はやはり巣の移動ではないか、と見る。  

今の巣を放棄して新しい巣を確保しなければならない。  

そして、何らかの察知・情報で通りの向かいにいい土地  

(団地は古いので、土が豊富にある)があることを掴んだ  

アリたちは、その場所を決めるために突破を決行した。  

彼等に自我はないから、アリは全体で見えない秩序で  

行動する。働きアリは一定数いるが、少なくなる前に  

女王アリに子を産ませる。働く数が決まっているのか、  

外に出て労働するのが大部分なのだろうが、少なくも  

なく、巣には働きアリが残っている。彼らは女王アリの  

世話や、生んだ卵の世話もするが、それでも残りが  

それなりにいて、彼らは何をしているかというと、  

何もしていない。ぶらぶらしているのだろう。  

僕らのように働くという労働を、何かの価値とか、 

交換価値とか捉えることはない。考えていないから  

だ。彼らは何かによって、連絡があり、それによって  

外へ出て働きアリに合流・参加したり、ともかく  

必要な部署に自動的に見えるように動き始める。  

誰かが指示しているのではないらしい。  

当然、何もしていないのは得だという、観念も  

持ち合わせていない。自我がないのだ。  

彼等には自我による、同じ巣のアリ同士の争い  

もなく、そういう悩みは皆無だろう。新しい巣の  

ために死ぬ気はないが、通りを渡るのに全力を  

尽くす。何も考えずに。  

僕らの歴史が変わるのも、小局ではこの行動が  

なければ、僕らも何も変えられなかっただろう。  

誰か他の人がやるだろう、と自分は保身する  

からだ。そして、ただその計画もない烏合の衆  

ではやはり、何も変えられなかっただろう。  

僕ら個人も同じこと。自我を利用する自分で  

なければ、アリにも考えるサルにもなれなかった。  

生活は悲劇や苦難・悲惨の連鎖、それを繰り  

返していたことだろう。
 
ホモサピエンスが偶然残ったが、それがネアン  

デルタール人でもおかしくなかった、ただ運が  

よかったということは覚えていて、いいことだろう。  


今や、自分たちの悲劇は、自分たちの中から  

生まれている。この世界を見つめることは  

必要かつ重要な案件だと思うんだが。

僕の話は、まだ遠すぎるだろう。

どうだろう?僕らはその時、アリになるのか。  

考える人になるのか。その調整役になるのか。

その黒幕になるのか。支配か、隷属か、何も  

しないのか。 

もう、基本は決まっているんじゃない?


それでもまだ懸念は残る。アメリカ大統領として  

経済政策で成功を収めた、売れない俳優だった  

レーガンは唯一、暗殺で銃弾を受けて、死な 

なかった大統領らしい。彼も晩年は認知症に  

なった。数年先もわからないが、認知症になる  

人は低下しているとのことだが、70歳を過ぎると  

10%前後らしい。後半のほうが多いが、それに  

しても寿命が延びても、その10%は恩恵から  

振り落とされる人たちだろう。これは人類史の  

システム化した問題なのだろうか。

問題が反れそうなので、また。
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