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現実と夢は紙の裏表じゃない [夢]

なぜかブログを書いている、といった状況  

というのだろうか、そこで反射する(反省する) 

心境は静かなものだ。なにか書きたいことが  

特別あるのではない。  

吉田兼好もそんな感じで日記を綴ったのだろう。  

「徒然なるままに」、とはそんな状況で、「あやしう  

こそものぐるほしけれ」、と、なにか正気を失う  

ような心地がするよ、というのも頷ける心境だ。  

口幅ったいかもしれないが、昔から日本人は  

こうして日記を書くのが習慣の心境だったの  

だろうな、と思う次第。  

落書きをひとつ。 ::

そのそうらへば、養へば、また柿も赤めり、 

言わぬ傍から蕎麦屋のかたわら、閂指し  

いかにおはすや、ぬめり、まねり、夕霧の  

阿波の鳴門の恋やさし。いざ立ち出でぬ  

ことも言問い海(わた)の原、八神殿の  

やなぐりに、そよゆかし湯掛けのくさめ  

かまびすしき響きあり、今宵また歌を  

整へん。  (意味不明丸出し)  


またわからないことを言い出すが、僕らの 

認識する時間は、時間ではないだろう。 

そういう認識体系では理解を越えてしまう  

のが、僕らの知らない究極の世界の一端  

を示す。だから、量子力学が僕らの常識を  

越えてしまうことに、驚きはない。アインシュ 

タインはミクロ(素粒子)の世界の法則も  

同じ物理的法則があると、量子力学には  

反対したが、神はサイコロを振るばかりか、  

確率さえも無視するのではないだろうか。  

僕の行動様式は常人のようではない。 

まず気づいたときの勘、またはなにかしらの  

無私な直観で示されたものに従う。それが  

何かは考えない。そして、その行動の結果に  

いつも教えられたり、驚いたり(小さくだが)  

している。そのことを(まったく想像を超えた

論理で)言うと、それはまず未来を知ること  

から始めている、ということ。そして、現在は  

行動している時間で、後からそれを整理して  

みるとはじめからうまく行くように行動した、  

となる、なってしまう。これを運がいい、とか  

今日はついている、うまく行った、と思うの  

だが、それが度を超えると、もう確率では  

なくなってくる。必然の領域だ。  

しかし、それを支える論理は存在しない。  

推論だけだ。僕は無意識に未来をすでに  

その瞬間、受け入れる。なにかは認識でき  

ないが、その直感を受け入れて、その感じ  

の通りやその時その時のサインを見て、  

それに従って行動する。それは驚くほど  

うまく行く。行動しながら、頭はそれなりに  

予測するのだが、それを超えてピッタリ  

に成就するか、時にそれが外れることこそが  

その本当に成就だと、気づかされる。  

それには日常なので、取るに足らない成果  

もあるが、活力を与えてくれるような結果を  

もたらすことも多い。  

何気なしに自分は未来を生きている、と書いた  

ことがあるが、それはそういう気分の表現だと  

思っていた。だが、それこそ、実は事実じゃ  

ないかと考えることもできる、そう思うように  

なった。そうだと結論づけて、確信したの  

ではない。まだ未決定事項になっている。  

そうすると、日常の感覚では理解できない、  

未来が過去であるということが、側面か  

一端で理解できる。知っていれば過去だが、  

無意識下ではそれは知られていない。しかし、 

僕は無意識に慣れて??いる。  

思えば、還暦から無意識に突入を決意して  

それからだ、日常が因縁じみて、同位性や  

シンクロ(同時・同調)した出来事になるのは。  

デジャブは変わらず、まれにしか起こらない。  

しかし、関連性のある物事は飛躍的に増加した。 

それが頻繁であるからと、それが必然だとは  

思えなかった。こういう偶然が頻繁に起こるのが  

実は僕らのフラットな状態じゃないのでは?という  

疑問に気持ちが傾くようになった。僕らが悩み、  

迷うから僕らは不必要に複雑になる。不解決な  

芯をもつことで本来、道を切り拓く力が分散  

されてしまって、より科学的、物質的、権力的な  

物事・サービスに依存するので心が弱められて 

いる。  

ただ単純になっただけで、物事はそこから始まる  

から。それは自然にスムーズになるではないか、 

と僕は考えてもいいのでは、と思い始めている、  

最近のことだ。  

そうすると、僕は時に、今が過去の時代にいて  

それを味わってもいいのだ、この今をまるで昭和  

に感じることがある、その感興が来ることを  

そのまま信頼できる気がするのだ。錯覚とか  

幻想ではない、と。理想とか、思考の憧憬では  

ない現実の確かな一面だと。  

マトリックス(映画)は幻想だし、おとぎ話めいて  

いるし、そう感じたが、そういう世界観は、そして 

それは実世界として存在している、ということが  

決しておとぎ話ではない、とやっと実体験ができ、  

それが重なることで見えてきたものとして、夢とか  

現実とか、幻想とかリアルとかいう言葉が僕には  

とても危うげに感じられる。とても頼りにならない、

パスカルとは反対の意味で、人は考える力を  

持った強い一本の葦なのだ、ではなく、考える  

力では心の独立もできない、弱い一本の葦に  

見える。

僕はひと頃、評論家・小林秀雄が晩年に僕は  

横町の隠居になりたいのですよ、という発言が  

どうしても理解できなかった、彼の本は70%は  

読んでいたにもかかわらず。  

ある時、図書館で彼の講演集をCDで借りたこと  

があった。音声として、彼がどんな声で喋るのか  

学生相手の講演を聞いてみたのだ。すると、  

聴いて、10分もしないうちに、小林が横町の  

隠居になりたいという言動が、謙遜や自虐から  

出たものではなく、そのまま小林なのだ、という  

ことがわかってしまった。この声は、落語家の  

声だった。横町のご隠居の声だった。これには  

驚いた。小林の見事な批評文に魅了され、その  

姿に理想的な知識人を思い描いていたのが、  

誤解していた自分なのだと気づかされた。  

小林については、三島由紀夫と親交があった 

ドナルド・キーンが「日本文学の歴史」で、小林  

について、こう言う:: 

「昭和の批評が小林という存在を抜きにして  

どのようなものでありえたかを想像することは  

難しい。(略)もし小林がいなかったなら批評が  

かくも目覚ましい進展を遂げることはなかった  

だろうし、また批評が文学に携わる人々のみ 

ならず広く一般大衆の注目を集めるようなこと  

(モーツアルトや近代絵画の随筆で、例えば、 

モーツアルトの日本ファンが増えたことなど:

注〉陽秋)にもならなかったろう。小林の批評は  

精妙かつ想像力豊かな独自の世界を築き、

(略)今もなお変わることなく読み続けられて  

いる。小林だけが昭和期の唯一重要な批評家  

というわけでは決してないが、小林が日本の  

近代批評を創造したことだけは間違いがない」  

::


という絶賛の評である。ドナルド・キーンはアメリカ  

に家族がいたので米国在住だったが、奥さんが  

亡くなり、自分の希望が果たせる機会を持てた  

ので、その後すぐに高齢で日本に帰化している。  

日本人になりたかったのだ。  


小林で感心したのは、思い出せないくらいあるが、  

その中で、〈一つの言葉(文)には一つの意味しか  

ないのは驚くべきことだ〉、という意味のことを述べて  

いたことだ。僕らは、通常、逆だ。一つの文には  

いろいろと解釈できて、同様に物事を表現するには  

幾通りもの表現方法がある、と。それが彼にかかる 

とその言葉で一つの意味にまで昇華できるほどで  

なければならない、としたことはどれだけ言葉を  

芯にまで凝縮して考えたか、ということだ。

ある噂では、小林が山の温泉宿で缶詰めになって  

書いている時に、編集者のものがその部屋を覗い  

たら、原稿のある机の周囲を四つん這いになって  

うんうん言って、回っていたという。話は大きくなる  

から、実際は違うのだろうが、それほど考えに  

考えた、というのは本当だろう。ドストエフスキーの  

長い小説を書くときは、それを5回は読む、という  

から、僕にはできないことだ。ま、タイプが違うが。  

ま、小林は周囲が持ち上げるほど、自分が大評論  

家だとは自惚れていなかった。小林は言葉で人生  

を切り拓いていた、それは人間を切り拓くことだった。  

相手と関係を結ぶために、言葉という剣で戦うのだ。  

文字通り、決着がつくまで相手を許さなかった。 

白洲正子がまだ若妻だった頃、若い小林や河上  

徹太郎、天才の青山二郎たちの集まりに、夜な夜な  

出かけて行ったそうだ。初めはやり込められて、さぞ  

泣いて帰って来たことだろう。が、慣れるまで食らい  

ついて彼女もいっぱしの随筆家になったから、根性  

のある才女だったのだろう。

 
彼女の文を一度読んだが、途中、小林の言い方が  

そのまま使われていて、ニヤリとした。この頃は  

小林哲学の弟子そのものだったのだろう、と。  

遠い橋がある。 --・・・ そういう想像をした。  

昔、夢で見た、いくら歩いても橋に近づけない。  

そういうもどかしさ。それは思い出さなくても、  

そもそも初めからあった。そういうことへの  

直接の関係は持つことができない。それは 

人生でそれとは共に生きてゆくことができない。

そう思っていた、だが、  

それは終わりを突き詰めてみれば、現実では  

ないもので、だからこそ、それを僕らは見続ける。  

そして、僕らは思うのだ、  

あの遠い橋を、いつか渡ってみたい、と。  

’現実に夢がある’ような、それは夢ではない。’夢  

という現実’は幻想ではないもので、リアルにある。  

僕らはそれを通常は見ない。一度見てしまうと、  

忘れない。認識が自分という知的な範疇にある  

のなら、それは夢という幻想であり、現実とは  

異なるから詭弁に思えるが、認識が思考を  

超える範疇なら、届かなくても遠い橋は存在する。  

永遠が掴めないのと、同じだ。  

それで思うのだ、  

いつかあの橋を渡ってみたい、と。 だから、歩く。  

だから、活きる。  

だから、勇気とともに生きる。 


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