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ひとり言:精神遺産という投資・投機 [独言]

なにも変わらない。もしも、僕らの世界がなにも  

変わらないとしたら、恐らく、僕らが恐れるもの  

になるだろう。僕らは望むものがある。周囲も  

自分も体も年齢も変わり、変化して変わり続ける。

それが変わらなかった時を経験したことがない。

変化の場合の数が多いと、思うとおりに物事を  

進めるのは難しくなる。想定外をカバーしきれ  

なくなる。

それでいい変化が得られないことが多く、僕ら  

はいい時を止めて、その時が変わらないように  

願うが、それは幻だ。僕らは一生続く幸福感を  

願うが、いっ時しか味わったことがない。すぐに  

短時間、短日で消えてしまった経験しかないから、 

そう願うのだ。

それは以前も書いたが、ストレスが多く、疲れる  

と、大抵考えることは誰しも同じだ。もう働かず 

に、好きなものを食べて、好きな場所へ旅行して、 

気の合う伴侶がいて、生活費も遊興も何の心配

もない不労所得があること。  

そういう生活を求めることは、ひとつの投機でもある。  

さして実のない目的に標準を合わせているとしたら、  

僕らはそうと知ったら、さぞかし落胆するだろうが、 

それはどこの国かもしれない見知らぬ大金を得る 

ようなもの。  

札束が山のように送られてきたが、貨幣価値も  

わからない、両替もできないのなら、ただの偽札と  

同じだ。ゲームのお札にでも使ってくれと、安く  

売るしか価値がない。アンティークの価値もない  

だろう。  

しかし、贅沢な生活には、貧困に苦しむことが 

ないだろうから、一定の生活の価値はある。  

問題は好きなことがやれることだ。それも物との  

交換できる価値のものなら、ほぼ手に入れられる。  

どうして良いことばかりで問題なのか。それは 

チョコレートの大好きな子供がお金の主権を  

持ったようなもので、お金を何に使っても誰も  

文句は言えないから、チョコで法律が破られる  

こともないから、子供は病気になるまでチョコ  

を食べ続けるはずだ。経験したことがない  

のは、親がいてお金の主権を持っているから。 

それで助かっている。  

お金がもう必要ないと思っている者だけが  

使い切れない資金からの無謀な使い方から  

自由になれる。または一度自由にお金を  

使いまくって受けた苦い経験から、なにか 

学んだ者がその暴挙から免れる。それ以外 

で、持ったことのない大金を使い放題に  

なった時に、自分を制御できる人間は、まず  

いない。  

それは覚せい剤を3回打っても、自分は  

覚せい剤の中毒にはならない、と思う  

ようなもので、信用ならない。それほど  

自我の暴走は力を持つと、自分の自由  

にはならない。  

例えば、僕の場合は、精神的だったので、  

毎日が「自由」を謳歌しなければ、と学術や  

美術・博物関連の館を訪れ、海外に行き 

まくり、過労で入院してしまった。直前まで  

出雲や熊野古道に、箱根とか、高尾山とか  

行っていたが、その頃になると、精神状態は  

異常だった。それは強迫観念だった。自分は  

自由に行動するだけの環境・手段を手に入れ  

たのだから、「自由でなければならない、満喫 

しなければ!!」と思い込んでいた。それを 

自分では気づかないほどに思い込んでいた。 

その暴挙から過労で持病が起こり、高熱で  

入院となった。そして病気との闘いだけでなく、 

病院との闘いも始まった。それは省略。  

ともかく、自分で本棚の裏に一時的に隠した  

300万円の札束を忘れていたほどだった。 

それを発見して、初めはわからなかったので  

宝くじに当たったようだった、気分は。遺産を  

計算して、元から自分の金だとわかった。  

それからはお金が、もとより淡白だったが、  

気にならなくなった。遺産を使い切り、借金  

が少しできた処で、真剣になったら、大手  

建設のいい仕事が来て、月に10日の仕事 

で30万を稼げた。借金はすぐ消えたし、預金 

にも回せる。そして、コロナでその仕事が  

なくなる2ヵ月前に辞めた。まだコロナの初期  

だったが充分に感染危機の予想ができた。  

今はまた政府に借金をしているが、すぐに

返金計画に頭が働くので、未だにお金の心配

をしたことがない。  

難民問題とか言われる前から、インドでは  

カルカッタに2万人の難民がいて、曲がった  

釘や、ビール瓶の栓とか、まったく役に立た  

ない物も売っていた、貧困というものを見て、  

手足をわざと切られた乞食を接するほどに  

まじかにする経験をすると、日本のどこに  

貧困があるのか、目を疑う。  

貧しさについて世界標準は、日本にはない。  

日本は先進国のトップ10に入っているから、  

世界標準なら、貧しくなりようがない。しかし、  

周囲はそれなりの生活水準があるから、  

400万人くらいだろうか、先進国水準では 

貧しいのである。  

日本で革命じみた暴動が起こらないのは、  

全体では生活水準が高いからだ。生活  

保護を受ければ、下手に少ない年金を  

もらうよりも、いい生活ができる。目についた  

人でも、アパート代が7万も払っていて、金  

がない金がない、と言っている有様。その  

人自身に自分をコントロールすることが  

まるでできていないのだ。初めから、生活  

失格者なのだ。

40万人くらいは極貧だと思う人たちがいる  

のだろう。若者でもいるから、結婚も希望も  

将来もない。彼らは戦争が起こってほしいと  

さえ思っている。なにかする、ことができる  

からだ。僕らは目的やなんらかの使命感 

なしで無為に生きるという訓練はしてこな  

かったから、何もしないでいるのはかなり  

苦痛で、不得意なのだ。  

ここで政府を絡めて、政治批判にも行ける  

のだが、その字数もないので、まとめよう。  


国際社会から言えば、日本の貧困は小局  

で、大局からエネルギーや難民、水という  

ものを守ったり、獲得したりする一国の行方  

を左右する問題ではない。日本の政治の  

国内問題だ。

それは拉致問題でもそうだが、安倍政権当時、
  
最重要事項であるとか言っていたが、何を  

したのか、なにもしていない。僕らの国内  

問題と同じように扱われ、選挙以外では  

ほぼ関心がない。そう思わせないように  

宣伝文句は変わらない。だから、僕の選挙区  

にある甘利は過去の不祥事を説明不足のまま  

押し通したので、落選させられた。僕らはバカ  

ではない。ちゃんと彼に投票しなかったのだ。



日本について、まだなにかをしゃべれる処まで  

行っていない。重要なターニングポイントは聖徳  

太子と大化の改新、明治維新、日清日露戦争、  

大東亜戦争で敗れてしまったこと、その後の 

占領政策、その他には古事記・日本書紀・  

十七条の憲法・御成敗式目・・・・・・、等々。

本ばかりが増える。思いついただけだが、 

読めば読むだけ関連本が増え続けるだろう。  


これが今の僕の投資だろう、しかし、投機でも  

あると思っている。旧約聖書も、ブッダも、孔子も  

老子も、ソクラテスも、その他の考え事をした  

近代人・現代人たちも外せないからだ。  

それは僕には人類は集約して或るひとかたまりに 

見える膨大な人間に臨め、感じるからだ。

ホモ・サピエンスとして見る時間はないかもしれ  

ないが、ヒューマンとして僕は臨もうとしている。  

これは大局の話だ。ブログでは小局の話になり  

やすい。取り混ぜて話したりしているので、話が  

見えにくいことが多いのかもしれない。  

そういうことをしているから、僕は生活は賭けの  

ように感じている。今日には今日の賭けがある。  

書けるか、書けないかもそうだ。それが投資でも  

投機でも、内容が精神的な話のことである。
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