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夜を歩くのも優雅になった [夜]

今では、夜を歩くのは懐古趣味に分類

される。目的は明文化していなくて、人

のいない街を、そして暗い通りを選んで

歩いたのは、誘われていたからだった。

その当時、特に小学生の頃は、その

動機はわかりづらかったので、ただ

歩きたい衝動にかられた、ということが

はっきりわかっていたことだ。

ただじっとしていられない強い動機が

内側からあった。それは生理的な欲求

ほどに我慢のできない、避けがたい

一種の暴力だった。夜の暗さの怖さ

よりも強かったから、8歳の子供が

夜な夜な出歩いたのだとわかる。

わからないのは、何に誘われたのか

ということで、それは今でもわからない。

しかし、成人してからは考える習慣が

ついて、夜の散歩は静かで、人の気も

なく落ち着いて、歩くという自然な呼吸で

考えることができたので、誘われるという

衝動は大分少なくなった。

その経過は今までは気にかからなかった

ので、特に考えてみる、ということは

なかった。

しかし、今夜から明日へ休日に入る

ので、外を歩いてみたくなった。久しぶり

に夜の街のなかに自分の姿を浸して

みたいと思ったのだ。ところが、期待した

散歩のなにかが欠けていた。自覚は

しなかったが、帰ってきて考えることに

なった。それでこうして書いている。

一度か二度は短い時間、それを考え

ていたのを思い出した。むなしさだった。

僕は気づく頃には、むなしさに責められ

て、じっとしていられなかったのだ。

心がきつい。空白を埋められないのは

苦しいことだ。それが僕を暗い夜の街に

強引に連れ出していた。

そこから思えば、まだ自我が生まれない

子供の頃からなのだろう。ただ子供だった

ので、むなしさというものがわからず、

なんとなく反応したのが、最初だったの

だろう。わからずに歩きだしていたのだ。

わからないから、ただ歩いてみたのだ。

それを自覚したのがいつだったか、特に

19歳より前だったのか、後だったのかと

考えると、少し前だった気がする。

19歳には自己喪失の体験をしている。

それを自己喪失だと定めるまでには、

紆余曲折があった。

「THE EXPERIENCE OF NO-SELF」、

邦訳「自己喪失の体験」という本があって、

それを読んで、同じ無意識空間の匂いを

感じて、ゾッとして同じ体験の性質だと

直截な感覚で認識した。

それとは決定的な違いがあった。経験した

のはバーナデッド・ロバーツというキリスト

教者の女性で、彼女は無自己の状態、

つまり自意識の喪失の状態でも、魂が

旅をするように時間の喪失や記憶の喪失

といった事象、また見たり聞いたりする

夢遊の、謂わば臨死に似た魂の分離浮遊

体験をしている。僕はと言えば、無に陥る

瞬間に自分の背中を見ている自分がいて、

共に闇に吸収されるがごとくに、すべて

意識も一瞬でまったく消え去ってしまうので、

見聞きの経験がない。 

ここではバーナデットの体験についての

検討ではないので、短く話す。

彼女はキリスト者らしく、神を求めている。

そして、その喪失体験のなかで神を見い

出すことは叶わなかった。::

「ある時このように喜びを求めて内部を

見つめたところ、突如この空虚が急速に

拡がり始め今にも爆発しそうになりました。

そのとき私はエレベーターで百階も落ち

続けるような気分を胸元に感じ、生きて

いる感覚がなくなってしまいました。落下

して底に着いたときにはっきりと分った

のは、人格的な自己がないときは人格的

な神もなく、この二つは互いに相伴うもの

だということでした。その二つがどこに

行ってしまったのかはついに分りません

でした。」 

彼女はそれで人格神はない、と悟るのだが、

別に神がいらっしゃるはずだ、とその後も

神を感じることがなくても、追い求める生活

を続ける。2冊目の本はそれに終始している

らしい。

僕の処方では神は見つからない筈だ。神は

彼女が生まれてからの環境であるキリスト教

の知識と神への憧れという、内面の欲求から

の投影でしかないからだ。これも詳しくは、今

語れない。

彼女の素晴らしさは、この体験が見開かれた

認識を自然に与えるということだ。これは重要

な認識になるので少し、長い。::

「「究極への通路」に入る前には、例の

立体鏡のおかげで、相対と非相対との間

を行ったり来たりして、「一なること」を

見たり個々のものを見たりすることが

できたのです。しかし通路を通り過ぎて

からは、どちらも見ることができず、「それ」

を見るだけなのです。「それ」は相対面を

超え、したがって一と多を超えています。

純粋に非相対的な面では、「それ」は

自分自身だけを見る「目」なのです。

   *      *

 もうひとつ説明を要する点は、虚無を

見ることは世界を幻想と見ることでは

ないということです。私は実は今まで

一度も幻想を見たと思ったことはない

ので、幻想とは何かがよく分りませんが、

幻想と虚無は無関係で、単なる知覚の

誤りであると思います。自己を失ってから

分ったことですが、この誤りは自己が

世界に何か別の色どりを与えることから

来ているのです。非相対的な面から

見れば、人間の思想はすべて幻想である

と言えるのですが、ほんとうに見ることが

できるまではそれを知るすべはなく、自己

が無くなってはじめて分るのです。私は

世界とその中の個々の事物は実在する

と思っています。ただ、それは独立した

ものではなく、不安定で変りやすく、その

源の「一なること」の中にすぐに溶解して

しまうのです。もっとも、幻想としての世界

という考えがどうして生まれたかは、私

にも分らないわけではありません。」 



神への信仰は根強い。

実在と幻想との違いをこれだけの説明

ができるのは悟りの段階に相当すると

僕には思えるのだが、なにしろ同じ意見

なので驚く。彼女は子供の頃から何が

起こってもこれは神によるものだと、

確信して過ごしていたので、強い観念と

なって心に根を下ろしている。彼女は

この体験も神に近づく段階だろう、と

近づくための段階という不可思議な

観念の下にある。そういう進歩主義な

考え方は、当人も否定する知の概念

なのであるにもかかわらず、である。

環境の影響と伝統の生活からの

精神的な脱皮は、彼女のような

仏教的には一段階目の重要な悟り

体験でも脱皮できないものらしい。

僕も日本でなければ、彼女のように

考えたかもしれない。実際に、19歳

の体験時の直後には、神を認める

しかないだろう、というほど混乱した。

文章で日記に残っているので、人は

そういう時にそういう風にありもしない

ものを生活の知識から引っ張り出して

きて当て嵌めるものなのだ。

「体験」だけでも世界の認識は透徹でき

ない、部分的になってしまうということを

僕は彼女から学んだ。



もう夜を歩いても、あの心突き刺す虚無

は訪れてこないのだ。否応なく、外に出ると、

3分の2くらいは、満月前後のまん丸の

月が出ていた。神経の敏感な人には、

満月が影響することを、自分で経験して

いた。あの虚しさが半世紀も続いたとは、

遠くなってからまだ1,2年しか経たない

が、あの頃はむなしさとの闘争をする

精神生活の緊張があるだけで、夜も昼

もなかった。

よく過ごしていた、と感慨する。

もう懐古趣味にしかならないとは、

信じ難いのは、50年という長さ

が短くはないとその事実を確信して

いるのに、精神生活の記憶が早くも

うすれてゆくからだ。

こんなに早く忘れていい記憶ではない

筈なのだが、懐古という言葉が釣り

合うほど、それは遠くなりつつある。

今は(変な例えだが)、パリは燃えて

いるか、という第二次世界大戦下で

フランスのレジスタンスが首都パリ

をアメリカ軍と共に解放するまでの

映画の題名だが、そういう活気が

みなぎる世界を未来か、街の向こう

に感じている生活がある。懐古に

なって当然なのかもしれない。


::

このブログはロシア黒海艦隊旗艦のスラヴァ級

ミサイル巡洋艦1番艦「モスクワ」がウクライナ

側のミサイルで沈没した、翌日の晩に書かれた。
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