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日本は世界の村社会 [日本]

世界からの追悼ツイート?だろうか、

読んでいると、日本は村だなぁと思う。

プーチンが安倍晋三の政治家と人間

について述べている。キリスト教国では

本人と家族に哀悼の意を表している。

日本で聞く追悼コメントはどれも皆、

同じ。民主国家では決して許されない

行為だと、いう法を意識したもので、

秩序への信頼がよく見える。街頭でも

それは同じで、驚きましたと同時に、

法治国家で許されない、という一色。

これだけ秩序を中心に法を信じる

国民というのは、世界で日本だけ 

だろう。

同じ言葉を言っても、世界では民主

主義というのは社会での体制を形

にするための一便法だと思っている。

たまたま、今は民主主義でやって

いるだけで、それは大事な体制だが、

それがこれから先も絶対に必要な国

の方針であるかどうかはわからない、

というのが世界の常識だ。

日本国民の政府に対する態度の大半

がやはり、お上に対していた時と同じ

で憲法が変わっても、自分たちが苦酸

を舐めて、それを求めて変えたもの

ではないので、僕らはたぶん、変わって

いない。それは世界とは違う形で、僕ら

は平和の方式を内面に持っている。

それを意識せずに、与えられたものを

その日本秩序に改変して、それを

信じる点で、平気なのだ。だから、世界

がそれとは違う軸で動いているにも

関わらず、それを眺めるだけで、見ること

をしない。それでいられるという、現状が

あること自体がそれを物語っている。の

だが、この変わった意識構造が理解して

もらえるだろうか。

つまり、民主主義は世界の心の底では

いくらでも取り換えの効く体制マニュアル

に過ぎないが、日本人にとっては自分たち

の平和信条・和の信条を補完し、現すため

の重要な盾なのだ。だから、それを大事

に守ることで平和が保たれるという、世界

では信じがたい、無意識な取引がある。

秩序は外側に求められるのではなく、

はじめから日本人の内面にある。それが

民主主義だろうと、封建主義だろうと、

どうでもよくはないが、あまりかまわない、

なにか形があればそれを自分たちの秩序

の代替にして、それを法として守ろうとする、

一致した和の信条がある。これが日本の、

世界で珍しい村社会の見えない法則なのだ。

中国から漢字を輸入して、日本人はどれ

くらい多くの日本漢字を作っただろうか。

明治維新で輸入英語・オランダ語(江戸期)

をどれだけ知恵を絞って見事な翻訳単語

をこさえただろうか。

例えば、ひとつ、「神経」って考えれば、

実に見事な言葉だ。「神」の通る「近道」

である。漱石も正岡子規も若い頃、松山で

一緒に、今でも使われている日本語を

編み出している。

これはマネがうまいのではないという

通説どおり、日本は外のものを自分の

内にあるものに変化させてしまうのが

うまかった。

日本語が漢字・カタカナ・ひらかなと区分

してあるというのではなく、それぞれが

自分たちに似せて変えられた外国の

言語であり、日本語として再生させて

しまったというのが本当の処なのだ。

だから、その功罪で、日本人は世界を

理解しないのだ。自分の内面秩序に

反省がないので、それを強制的に矯正

された者でないと、日本が見えない。

見えた者はジョン万次郎・岩倉具視・

大久保利通・伊藤博文・福沢諭吉、

漱石や森鴎外・津田梅子や山川捨松

などの海外渡航の長い者、あるいは

海外留学者などなのだ。他にも多く

いる。

近代では海外旅行が盛んになり、

観光で行くので日本人のまま行って、

日本人のまま帰ってくる。そこで生活

したり、長く苦労する旅でもしない限り、

観光気分で行った気になり、海外を

知った気になっている(かも)。

絵葉書の実物を見ただけなのだ。

あとはホテルのプールで泳いでいる。

それは東京ディズニーランドや大阪

ユニバーサルジャパンへ行ったこと

なのだという自覚だけ促したい。夢を

見たい、という延長になっている。

勘違いなきよう、よけいなお世話?ま、

それもそうだ。(笑)




素晴らしさも日本、哀しきも日本。世界

でも、その一部は賞賛されているが、

それは憧れという趣味だ。日本が世界

標準になるというのは、楽観的に過ぎる

要望で、思い違いの範囲であり、僕らの

歴史は差が甚だしい。西洋も、中東も、

アジアも若い。アフリカはさらに若く、

歴史を刻みにくい気質だ。

ノーベル平和賞の第1号のシュバイツァー

が働かない土民を怒鳴っていた。彼は

宣教師の使命を感じていたのだが。

それぞれ人種的・歴史的・文化的に

要素が異なる。だが、日本の特殊性

はそれらに入らない。心の底に見え

ない宗教染みた芯がある。キリスト

教徒の芯から神が外せないように。

僕にはそう見える。
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