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知性への警戒 1. [知の思考]

僕は批判をよくしない。大事な目的があれば、それが批判対象より、

また批判自体より重要だとわかっていたならば、批判はわき道に

それることであり、時に必要だが、わき道にばかり構っていては

目的を見失うからだ。

でも、一度は知性への批判の面を明確にしておくのは必要なので、

それがどういう考え方によるものか、少し試みておきたい。


「内臓が生みだす心」を、心は内臓にある意見派のひとりの本として

読んだが、・・・ ここで再び断っておくのは、基本”本(書物たるもの)”

はあなたの人生の案内役としては、ほぼ役に立たないこと。 また、

本が役に立つのはノウハウ本とか数学、外国語、法律、など社会のために

決められた規則があらかじめ考えられた法則に則って成立しているもので

あって、経験を踏まえなくても実効のあるものだけである。

哲学も心理学も、大体フィフティフィフティ(50対50)で益もあるが、

およそ多くの者に害を及ぼす。

ソクラテスはアテネの街で神からの宣託を受けて、人々がいかに無知で

あるか質問をして、その答えがいかに矛盾しているか説いて回ったが、

若者もこれを本質を理解せずに、弁論だけで大人をやり込めたので、

ソクラテスは青年に悪影響を与えた廉で告発され、死刑を言い渡された。

ソクラテスは知性の人と呼ばれているが、すでにこの時代からその行く末は

暗示されていたのだ。

本の著者は、東京大学大学院医学部を終了した、れっきとした医学博士だ。

それだけでなく、自分の名前の研究所の所長であるし、人工歯根、人工骨髄

の開発における第一人者でもある。

しかし、この人の考え方は情けないのである。「心のありかをさぐる」として

その研究の答えを示そうとしている。

まずはじめに、引用を:-

「心のありかをさぐる研究は意外なところから突破口が見つかりました。

原発性肺高血圧症に冒されていたクレア・シルビアが1988年にアレキシス・

カレルの内臓移植術を発展させた、当時米国でも最も先進的な心肺同時移植

手術を受け、この手記が「記憶する心臓」として1988年に出版されたのです。

 その中に心臓と肺臓を同時に移植されたクレア・シルビアの心が、ドナー

の若い男性の心に替わってしまったことが報告されています。」

この「記憶する心臓」という本をページを3割ほど適切に読み拾ってみた。

そうすると医学博士の「クレア・シルビアの心が、ドナーの若い男性の心に

替わってしまった」というのは間違いだとわかる、そんな結果だった。

だが、ここではいろいろと指摘しておかなければならないことがある。

医学博士の著者は続けて、「筆者のサメを使った系統発生の進化の研究

でも、顔の筋肉と舌筋と心肺は一体となった鰓器に由来する腸管内臓系で、

ここに心が宿ることを明らかにしたちょうどそのときに、このクレアの

手記の存在を知ったのです」と。

医学先生は「心が宿ることを明らかにした」と言っている。この断言は

おかしいので後で理由を説明する。

クレアは心肺同時移植を行って、数か月後生活も落ち着いてから、夢に

青年が現れ、彼の魂と合体する。この高揚した気分は、彼がドナーだ、

という根拠のない確信からだった。それから奇妙なことが起こり、自分の

興味のないものに興味を示したり、飲まないビールが飲みたくなったり、

知らない記憶が蘇ったり、とクレアはそれがドナーからもらった心臓の

せいだと考えるようになる。

まず、クレアという女性は夢に特殊な感覚を持っていて、予知夢を見たり

することもあり、内面への感性がある。手術の前は薬で治療していて、

現実と夢の区別ができないこともあった。その彼女が祈りや瞑想を用いた

健康増進の訓練を受けており、心が精神面に傾くのは自然だろう。

彼女は大変な苦労をして、ついにドナーの名前を聞き出し、その住所を

訪ねて、その家族に会い、家族もその青年の家族への知識の正確さに

驚き、彼女を受け入れる。彼女は正しかった。それで彼女は心臓はただの

ポンプじゃなく、心も移植するものだ、と確信する。

さて、僕もそれは正しいと思う。ただ、それは彼女の場合においてだ。

他にも例はあるのだが、多くはないようだ。小さな事例やあいまいな事例

のほうが多くて、まとめる人がいないのだろう、と。

クレアにはもとから夢への精神特性があり、記憶にコネクトするのに適性が

あった。それがクレアの場合にドナーの情報が驚くほど正確だった理由だろう。

それに彼女が瞑想や祈りの状態が取りやすかっただろうから、内臓の記憶に

たどり着きやすかったのだろう。

しかし、「心が、ドナーの若い男性の心に替わってしまった」わけではない。

クレアはクレアの心(自意識)から変わりつつある自分を、その一部を見て

いたのであり、彼と意見を同居したわけでもないし、彼の心と入れ替わって

しまったのでもない。クレアはクレアだ。だから、若い男性の心に替わって

しまった、という言い方は明らかに、誤りだ。

医学先生が280ページほどの本を、どの程度読んだのかわからないが、この

手記をもってして、心は内臓にあるというのは、早合点にすぎる。

このクレアのような例がクレアほど明確に、あと100件も出ればそれは

内臓に今までの常識ではないものがある、と言えるだろう。それでも

それが心だ、とは言えない。記憶だと言えるだけだ。

記憶は過去の知識だ。生きてはいないから、成長などしない。心は成長

するし、気持ちも考えも変わる。医学先生は心は記憶の貯蔵庫のように

固定して考えているらしい。記憶も確かに、僕らが無意識に少しずつ

変えてしまう側面はあるが、意識して変えているのではない。成長とは

別のものだ。

医学先生の批判を一冊の本でしたつもりはないので、次に彼が行ったと

いう重要な実験について。

「三億年前の脊椎動物に起こった上陸劇の再現実験では、サメを実際に

陸上(ママ)げし、陸棲の脊椎動物への体制の変化を検証しました。

すなわち、水中で鰓呼吸をし、血圧が極めて低いサメを陸上げすること

により、のたうちまわって血圧が上昇すると、鰓で空気呼吸ができるよう

になるのです」この驚くべき報告は、「このように脊椎動物の各進化の

ステージでは、突然変異が起こったのではなく、重力や流動電位などの

エネルギーや、化学物質によって細胞の遺伝子が発現し、たとえば、

軟骨が硬骨化し、骨髄造血巣などが獲得できたのです。これは、行動形式

が代々伝わることでからだの形の変化が生じる、という用不用の法則の

正しい解釈をも検証したことになります。」

という、とんでもなく重要な結論を述べているが、その実験について

のひとつの有効な結果からだけで、かなり雑な形而上学や進化学、精神に

ついての推論を引き出している。根拠はサメの実験だけというのはあまりに

貧弱ではないか。サメがあらゆる動物の進化の代表だとでも言うつもりなの

だろうか。この人の重力や用不用の法則への着目は面白いし、僕の考えも

含んでいるので、賛成したいが、なにせ根拠が少なく、論拠も納得いくもの

ではない。いくどころか、概念だけを弄ぶように、机上の空論を振りかざし

ているのに気づいていない。

「重力対応進化論」という進化論も出しているので読もうかと思ったら、

そのアマゾンの書評で、論拠も示さず一方的な結論で、もっとダーウィンの

進化論のように多くの例を挙げてください、もっと勉強して、というような

ことが書かれていて、あ、同じような酷評がされている、と思った。これで

は読む必要がないだろう。

この医学先生はサメの実験で幸運な発見に恵まれて、その部分についての

医学的技術的な開発ができ、スタッフにも恵まれて、堂々と好きなことを

書いているのだろう。その道の権威だというから、周囲では誰も表立った

批判などできないのだろう。

というわけで、国立大学は知性の殿堂だが、学歴があっても、どんなに多く

の本を出していても、アマチュアからも書いてることはおかしい、という

先生はいる。心についての真剣な経験が訪れるように願う?しかないのか。


「内臓に心はあるのか」については、今回は見送った。
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