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天才と知性2. 深層意識からー1. [深層]

母が存命の頃、とてもショックだったのは、バスのステップから落ちて中野区の病院に

入院した時だった。聞けば右肩脱臼だったか、3度目でそれを知らせない父も父だった。

年齢とはそういうものらしい。

で、見舞いに行ったとき、病室で母が僕の顔を見て、言った言葉が「どちらさまでしょうか」

だった。時間が止まったのを感じた。半年か、1年か会っていなかったかもしれない。が、

名前は忘れても、顔を忘れるのはあり得ない(というのが、僕の自分だった)。  

少し話をして、ようやく思い出したらしいが、この時にもう母の認知症は記憶力の分野で

脳に損傷が進んでいたのだろう。まだ認知症に不慣れな頃で息子の顔を忘れるのが

信じられなかった。   

僕が名前を母に忘れられても、こんなショックは受けなかっただろう。名前に思い入れが

ないからだ。自分の名前がなんであってもかまわないという傾向がある。と、書いてみて、

これは九州人に共通した傾向と似ているのかもしれない、と思った。

かの西郷隆盛はそもそも隆盛は祖父の名で、政府の役人が名前を間違えて登録したが、

当の本人はそれが判明しても気にせず、祖父の名前で通した。名前では、吉之助(本名)

のほうが隆盛を名乗って有名になってしまった。名前で気にすることはないのだ。

自分の名前を忘れてしまいたいぐらいに思っているのは、ちと行き過ぎだと思うが、僕の

事実だ。それと同じに気づくのは僕が見たものを忘れないほうで、聞いたものより、見た

もののほうが断然、記憶力がいい。

これは子供のころからだから、これが人として普通のことだと思い込みやすい。世には

聞いたことのほうが見たことよりも、よく覚えている人がいて、そういう統計は見たこと

も聞いたこともないので、どれほどの割合の人がそれぞれにいるのかは、わからない。

だから、それだけで僕らの意識は「常識」というものが分かれていると言っていい。僕の

常識では、母がそれほど期間が経っていないのに、自分の息子の顔を(見たものを)

忘れるのは、考えられないことだから、ショックを受けたのだ。聞いたことのほうがよく

覚えている自分ならば、それほどのショックはなかったのだろう。これは激辛を好む人

からは、激辛が食べられない人の触感(味覚)がわからないのと、変わりないだろう。   

そこで天才の話題に移るが、天才の秘密には誰も一般的には触れようがない。

学力や努力にまったく関係がない、一般的な才能を超えてしまう分野だからだ。

したがって、誰も知らないことはそれを明かしても、誰も納得できない、という方程式が

成り立つ。わかる人が、極度に少ない。証明できない、となると、「ああ、そうかもしれない

ね」で終わりである。   

西郷隆盛が川に流れる下駄に挨拶しても、誰もそれに文句は言わない。おかしい奴だとの

批判もない。鹿児島には西郷神社があり、彼の明治維新への業績から、名声が先行して、

変な癖など相手にされないからである。

ブッダでも反抗的な仏教指導をしたリーダーを集会で叱責して恨みを買い、象の群れを

放たれて、足の親指をケガしてしまうが、よくも助かった、さすがブッダということで、

ブッダでも怒るのかという批判の種にもされない。   

天才という言葉も世間では使いやすい安直な言葉で、どこでも簡単に”××の天才”などと

囃(はや)され、ようは世間の評価としての役割が強い言葉なのだ。天才は現代では芸能

関係での褒め標語に堕してしまっている。   

例えば、ビートたけしは天才だ、と言われると、言われたりするが、否定はできない。

フランスで映画監督として最高賞は獲得しているし、日本での芸人としての才能、

バラエティでのエンターティナーとしてのアイディアは申し分ない。豊かな才能を

持っている。

だが、欠けているものがある。世界が変わっていない。お笑いの娯楽で危険なエンター

テインメントは斬新なものに改革したかもしれないが、例えば、今までにないお笑いの芸、

そのものを劇的に変えて、昔の漫才も落語も過去のものになってしまった、という、

例えばスティーブ・ジョブスの Macから iPhoneへ変遷のひとつひとつが

世界の通信機器の形・見せ方・操作方法を変えた革命が、たけしにはない。

それは真の意味での新しさがない、ということだ。彼は座頭市の焼き直しでフランスで賞

を獲っているが、審査員に「これは今までで最高の作品でしょう、(あなたの中でも)」

と言われて、言葉には出さなかったが、小さな驚き、(違うよ)という表情を浮かべた。

それからもたけしの映画が興行で大ヒットしたというのは聞かない。ヒットしたのは、

やくざものの暴力映画だったろう。

天才には世界を変える何かがある、と僕は感じている。僕はそういう新しい変革を求める

タイプだったので、初めから天才は興味の的で、研究対象だった。 

(前置きはこれぐらいで)    

天才の秘密は前回(「読書できないは病か?」)で指摘したように、創造という摩訶不思議

なものの中にある。これに遭遇することはあるだろうけれど、これまでの歴史の中で

それについて意識的に書かれたものはまずない、と言っていいだろう。   

ちょっと気になり、触れたとか、副次的に可能性として書き留めた文献は散逸しながらも

見られるかもしれないが、なかなか見つけることは難しい。

そういう状況だと、探してきた僕などには思えるのだ。だから、今回も意見を固めることが

できない”あいまいさ”を残したまま、語らざるを得ない。

天才の秘密はそのまま創造の秘密だと言っていい。歴史に名の残らない天才は多くいる。

現在でも数十万人はいるはずだ。そういう人たちは、精神、または神経障害者として病人

として扱われている。理由は社会に適合性を欠いているということからであるが、中でも

サバン症候群と呼ばれる人たちは、電話帳を1冊軽々と記憶してしまう。そして、忘れない

記憶力の天才だ。しかも年度が替わると、それを新しいものに記憶の入れ替えをして

しまう。これは全員が新しくなることではないから、最初よりも楽なのかもしれない。

それでも異なる個所を見つけるためには、全ページを検索しなくてはならないだろう。

これも名の残らない障害者だが、当時のコンピュータよりも速く天体の軌道計算が数秒で

できたらしい。天文学的な数字の羅列を数秒で計算して読み上げるのだから、脅威である。

本人もどうしてできるのか、わからないと答える。   

サバン症候群の人などがどうして社会に出てこないかというのは、彼らが社会に「適合性

がない」のではなく、同じことのようだが、「社会への対応・適応に欠けるから」だ。

家族の誰かが自分の言うことを代弁しないと、他人とはまったくコミュニケーションが

取れないのだ。

神経の所為なのだろうが、その病と同じく当てになる解明はこの50年くらいはなされて

いない。

(仕方がないので、製薬会社は向精神薬で症状を緩和する方向で新薬を出し続けている。

精神医は今度の新薬はどうかな、という具合に(明確な診断はないものの)適当な患者に

使ってみようかな、と試すのだ。まるでインスタントラーメンが新発売されたので、どんな

のかな、という具合に。)僕はその環境下にあったので、直接、その医師の言葉を聞いて

いる。

向精神薬はウツでも使われるらしいが、その副作用も見てきたので、怖い、というのが

実情だ。   これ以上批判すると、暗くなる。   


僕がモーツアルトの創造の秘密を大まかにでも指摘できたのは、そこに触れた(と感じる)

経験があるからだ。モーツアルトは一生において、残された手紙などから、その日常から

は天才らしい?ところが見られない。

隠しておけるものではないので、彼の言葉通り、曲はごちそうのように湧いて出て、あとは

それを写譜するだけで、決して忘れない。ただ、それは楽しいことだったのだ。晩年の3つ

の交響曲も同時に書いているが、それは誰かの注文もなく、勝手に出てきたので書いたもの

だった。  

晩年は貧しかったのに、まだ庶民が音楽会に来るような環境ではなかった、まだ実演という

ものが貴族の晩餐で行われ、オペラも貴族のためのものであった、そういう時代。作曲家

が独立して、飯が食えるのは、まだ先の時代であった。   

僕が詩(らしきもの)を書き続けながら、やがて、これがモーツアルトの楽しさに共通して

いると気がつくのも、時間のことだった。その時に、この深層意識との交流が創造の弦の

どこかに触れたのではないか、と思い始めた。その頃は詩は思いをつづることから始めると、

100行以上になるのは普通のことで、しかも時間を感じなかった。

言葉は考えるより速く出てくる。これは当然だと思っていた。それはこの現象が始まるより、

ずっと前に、まだ両親もいて、東京で一緒に暮らしている時に、その前兆のようなことが

あった。当時は白昼夢を見ることがあった。昼間、青空を見た時に、そこに龍の雲っぽい

映像が浮かんで、おおっと思ったことがあったが、すぐに消えて、ああ、白昼夢というのは

ほんとうにあるんだ、と感心した。その日に近かった。昼間、夕方だろうか、空は

明るかった。ご飯を食べようとして、箸を持った時にそれが来た。後ろに窓があったが、

そのほうでいきなり映像が流れだしたのだ。それも一つとか三つではない、二十くらい

の映像が細切れに、次から次へと瞬間瞬間と区切れてはいるが、確認できないくらいの

スピードで映像の行列が流れ去るのである。こんなのを見た人はまれだろう。   

もう後ろを向いたが、映像は見えているが、窓の空を半透明に流れ去るのみ。頭が映像

を目の前に映していた。はじめはなにが映っているのか、確認しようとしたが、間に

合わない。そんなことをしていると、他の映像をごまんと見逃してしまう。どうしたか

というと、見るけれど、一切見ているものを「見るだけにして」そこになにがあるかとか、

意識しない。そういうことをした。全体を眺めて、部分は無視するのである。もう箸を

持った手は止まって、両親はそれに気づいたら、何してんだ?と思っただろう。   


僕はその時に「内容はなくてもいいから、意識に上ったものだけを言葉にして意味不明だ

が、面白い文が書けるのではないか?」と新しいものを書く方法を見つけた気になった。

ところが、それは単なる発想に過ぎないので、記憶で書くので、5,6作書いてはみたが、

短編の小説までこぎつけたが、2作のみで続けられなかった(完成1作)。 苦しいことは

続けにくい。  

楽しく書くには、それから30年近い歳月の後、還暦を過ぎ、統合失調症患者との付き合い

からヒントを得て、深層意識にダイブして、さらに適当なバランスで意識全体で深層と

交流することが必要だった。


見ると、美しい夜明け。まだ書く。陽が昇り始め、まだ書く。

そろそろ通勤の人が歩きはじめる。

もう寝なければ、と思う。徹夜だったが、2時間くらいしか時間を感じない。

それから終わり方を考える。はじまりも終わりもないのだ。

それが僕の、創造とのハネムーン(蜜月)だった。  

あとからは、充実した豊かな時間を過ごした、と。それは他に類がない経験だけに、

甘い味がする。

が、それにはむなしさの絶壁に立ち続けるという、勇気や体力、というような気力

(精神)が代償として、また自然な側面として必要なことで、要求され続ける。今の僕

はそれをもっと緩やかな段階に下げてしまったらしい。 日常を楽しめるくらいに。

どちらも楽しむというのは僕には適応力がなかったのか、もともとそれはできない相談

なのか。  世界の仕組みがわかったら、いつかそこも教えてほしい。


もうひとつ、書いておかなくてはいけないことがある。

それは、長くないが、次あたりに。
                                      9.26


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