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ものすごくものすごく [気持ち]

ものすごく  くやしい

ものすごく  ものすごく 

だよね

こんなに  言ってあげて

こんなに  ヒントを  あげて

こんなに  心配して

君は  知らない  

僕が 思った通りの  感情一杯で

皮肉に  反論する 

反論に なっていなくても  

そうは 思っていない  

ものすごく  ものすごく  

そうじゃない  

そして  

ものすごく  ものすごく 

わかってない  

それが  でも  わかっていた  

君が  それが  わからないだろう、と  

わかるだろうか?  

それも 

ものすごく  ものすごく 

くやしい  

急ぐな  焦るな  

まだ まだ  なんだ  

ものすごく  ものっすごく 

時間が いる   大事だ

大切だ  

それが  くやしい  

それを知っている  のも  

くやしい  

そうしたいことと  

そうなることが  わかってるって  

一致しない  

そうなることって  

希望したことじゃ ない

悲しくもなりたい くらいに  

ものすごく  ものすごく  

く・ や・ し・ い



君が 悪いんじゃないし

僕が  悪いんでもないし  

誰が  悪いんでもなく 

季節が  悪いのでもない

そこに  悪は  ない  


わかってる  

身長が ちがう  

背の高さが  違うだけで

眺める  世界が違う 

親が 違う  

それだけで  愛や  虐待に

見舞われる  

その経験が  無理解を生む? なんて

ことも  あるくらい  

君は  感情と  考えを

切り離せない

ものすごく  ものすごく  

ああ  こんな世界は

(切り替えるよ!)  

嬉しい  
      こんなに 

僕に  難儀を与える  世界は

抵抗に  満ちて  

まだ まだ  と 解決を 

長引かせる  

生命(いのち)の  消長が  

ブツブツ  切れ切れに  

輝いて  ロウソクの 灯を  

絶やすな、 と  教えてくれる  

困難は  僕を  力づける 

まだ まだ  やれることが ある、と 


僕を わかってほしいのは  

僕じゃない  僕の言ってることだ  

言ってることが  何かだ 

同時に  どうして  そう言ったかの

理由だ

これに 反論したら  お互いに

不利益だよね  と言って 

ひとつ例を  出すと  

それに  ベタな 反発の言葉  

なんて  子供!とは  言っては

いけないのだろう 

それさえ  反発の  タネにしかならない

君の中では  



「トラウマとアディクションからの 回復」 という

書籍も  買ってしまった 

知りたいがために  

ものすごく  ものすごく  

理解は  遠いのだろうか  

障害の  君よ

最も  自分を 知りたがらない

ものすごく  くやしい  君よ

最も  自分の弱みを  見たがらない

ものすごく  やさしさが 

生かされない  君よ 

自分を  隠して  相手への

反発で  防ごうとするのは

発散に 見えて  ストレスの 

ため込みなのだが  


いくら  言っても  

ものすごく  悲しい 

君は いつ  

前を向いて  自分の 責任を

取ろうと  するのだろう

君の  気持ちが  

干からびる 前に  



僕は  幽霊が  見えない タチだ  

でも  それが  後ろにいると

直感すると  非常に  怖い  

後ろを向いて  幽霊に向かう、なんて  

できない 

が、僕は  見えない タチだ  

それを信じて  思い切り

振り向いた ことが  3度ある  

なにもいない(見えない?) ことを 

たしかめると  

また 歩き始めた ・・・



君の  幽霊は  

君自身の  自分という奴  

なんだが、  一度会ってやった ほうがいい

なぜって  

自分を 見失っているのは 

幽霊も 同じだから  

自分が  親に  見捨てられたからって

君も  自分を  見捨てるのか

自分も  それなりに  幽霊にされて

可哀そう  ではないか 


それが

ものすごく  ものすごく  

ものすごく  ものすごっく 

くやしいよ

わかってくれ、 と僕は 言わない

はじめから  言わない  

君に  僕に対して

そう 言わせない ためだろうか? 

僕は  君に  ヒントという  

助けを  出す 

誰が  君を  救うのか  

誰も  君を 救えない

(誰でもいい) 救われたい

そう思っている 間も 

見守られているだけで 

誰も  救える者は いない

君を  除いて ・・・


自らを 救うものは

自らしか いない 

他人は  言葉で  自分を  

しっかり 見つめろ、 とは言う

それで すんだ時代では ない  

全体が  病んでいれば  

僕らは  それを  人の所為にする 

それは社会的 責任のこと  ではない 



自分の  

自分による

自分のための 

自分しかできない 

自分を守る 世界から  決別して

自分の あり方を  問う 

感覚と 気持ちを  かけて

君が どう生きるか 

人から  離れようとする

自分を どうするか  

生命に 背いたままの 自分を

どうするか 

すべては  求められない


君が どう生きるか 

それだけで  十分 だ




**
「相手の立場になって考えるのが大事」と言われるが、

それには書かれた言葉、言われた会話から相手への

気持ちに飛び移る飛躍が必要だ。言葉は気持ちで

いくらでも、良くも悪くも解釈してしまうから。

虐待にあった子は心を閉じて、生き延びる選択をする。

愛着に対して閉ざしたので、自分の気持ちがわかるよう

には相手の気持ちにまで言葉を飛躍させられない。

そして、自身も自分を隠す。隠して、それを知らんぷり

をする、それを意識しないように子供だった虐待時代

から自分を訓練してきている。

目の前に困難はある。答えはわかっている。

でも、簡単には解決しない。これを人類史の上で

飛躍して比較すると、僕らが人類の質を曲げる角に

(かなりギリだと思うのだが)来ている、これは曲がった

ほうがいいのか、それとも方向を修正した方がいい

のか。その答えさえ僕には、まだ近くて遠い。気づいた

段階を越えたのはわかる。

「急ぐな  焦るな」 


ともかく、それはわからなくても、僕らの視点での

人生に眼を移すと、それはうまくいってるよ。


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